第34話 【妹視点】ヴェルムス観光ツアー
大都市ヴェルムスの中心、メイン広場は朝から人で賑わっていた。
石畳の円形広場には中央に大きな噴水が据えられ、噴き上げる水が日差しを受けて虹をつくっている。噴水の縁には旅人や冒険者風のNPCに混じって、プレイヤーたちも腰を下ろしていた。
装備の整った攻略組がクエストの打ち合わせをしている隣で、初心者らしいパーティーが地図を広げて盛り上がっている。
商人NPCの声やクエスト斡旋の呼び込み、プレイヤー同士の談笑や取引のやり取りが折り重なり、広場全体がざわめきで揺れていた。
その噴水の影に、ユウの妹、佐伯紗良——プレイヤー名《サラ》は立っていた。
栗色のショートボブを耳にかけ、軽装のコートに肩掛けのバッグ。
サラが顔を上げると、広場の端にそびえる塔が目に入った。鐘がひとつ鳴り響き、その音は街中に広がっていく。ヴェルムスの一日が始まったのだと実感させられる。
「サラ! ごめん、待った?」
走り寄ってきたのはアイ。明るい髪色のツインテールが上下に跳ね、ひらりと手を振る。
「ちょうど今来たところ。……アイは元気ね」
「だってヴェルムスだよ? ここに来て数日経ってるのに、ちゃんと観光するのは今日が初めてなんだし。テンション上がるに決まってるでしょー?」
アイは笑いながら、サラの前でくるりと一回転する。足元のブーツに付いた飾りが軽やかに鳴った。
「お待たせ。集合場所はここで合ってる?」
落ち着いた声とともに、メアリーが歩いてきた。肩までの黒髪を後ろで緩く束ね、きびきびとした足取り。広場を横切る間も、出入り口の位置や人の流れを目で追っていて、几帳面な性格がよく表れていた。
「合ってる。メアリー、こっち」
サラが手を上げると、メアリーは微笑んで近寄ってくる。
「エリナとカレンはまだ?」
アイが元気よく答える。
「すぐ来るってー」
その言葉の直後、広場の雑踏の向こうから元気な声が響いてきた。
「あーいた。みんな、服屋さんの看板がもう可愛いの! 見て!」
明るい声とともに小柄な少女が駆けてきた。アイが特典アカウントを渡した友人、カレンだ。栗色のポニーテールがぴょんと跳ね、視線は広場の露店へ、また別の露店へと吸い寄せられていく。
「カレン、まずは合流。それから、ね?」
メアリーが苦笑する。
「はーい……でもあの服屋、絶対あとで見に行くからね!」
「……遅れてごめん」
最後に到着したのはエリナ。メアリーが渡した特典アカウントの持ち主で、淡い銀髪のショート。眠そうな目元をしている。
「大丈夫。そんなに待ってないよ」
サラがそう言うと、アイが両手を打ち鳴らした。
「じゃ、改めて! ヴェルムス観光ツアー、開始!」
アイが両手を高く掲げて宣言すると、五人の間に笑い声が広がった。
サラ、メアリー、アイはβテストの頃からの付き合いで、エリナとカレンはそれぞれ特典アカウントを譲り受けて加わった新しい仲間だ。けれど、立場の違いなんてもう気にならない。肩を並べて歩く姿は、すっかり気心の知れた友人同士そのものだった。
「観光って言い方……」
エリナがぼそりと突っ込むと、カレンが元気よく返した。
「観光でも情報集めでも、楽しめればどっちでもいいでしょー」
軽口を交わしながら、五人は大通りへと足を踏み出した。
「まずは大通りを一本、まっすぐ行きましょうか。わかりやすいように」
メアリーの提案に、全員が頷く。
五人はメイン広場を背に、東へ伸びる大通りへと足を踏み入れた。
通りの両側には二階建ての石造りの建物が並び、二階から木のバルコニーが張り出している。頭上には色とりどりの旗が屋根から屋根へと渡され、風を受けてぱたぱたと音を立てていた。店先の看板が揺れ、通り全体が賑やかに彩られている。
鍛冶屋からは鎚音、道具屋からは声のやり取り。通りの中央を商人の荷車が進み、その隙間を子どものNPCが駆け抜ける。
「わ、見て。あそこのパン屋さん、すっごい行列」
カレンの指差す先、丸い窯の店先には冒険者たちが列を作っていた。
「“蜂蜜バター・クロッカン”って書いてある。今日の限定メニューらしいわ」
サラが看板を読み上げる。
「限定!……買ってく?」
「カレン、時間なくなっちゃうから先に下見しましょ」
メアリーの制止に、カレンは名残惜しそうに列を三度見上げ、渋々と肩を落とした。
冒険者ギルドの前では、攻略組の一団が掲示板を囲んでいた。
彼らは胸に所属ギルドの紋章を刻んだ装備を身につけ、色や意匠も揃えている。統一感のある姿は、遠目にも「組織として動いている」ことを示していた。
「あの人たち、毎日ここで依頼を受けてるんだって。街に尽くせば尽くすほど、信用が得られるらしいよ」
アイがひそひそ声で教える。
街での信用は、ただの評判にとどまらない。ある程度積み上げれば、普段は入れない施設や特別な店にも足を踏み入れられるらしい。ヴェルムスで活動するプレイヤーにとって、信用は力そのものだった。
「信用を積み上げて、ようやくお店に入れるって……。なんかリアルみたいね」
サラが真剣な顔で感想を言う。
実際、この仕組みについては公式からも説明があった。
――《Everdawn Online》は現実に限りなく近いVR環境を持つからこそ、NPCへの横暴な行為や差別的な振る舞いは、現実世界との境界を曖昧にしかねない。そうした社会的リスクを避けるために、プレイヤーの行動は「信用」として蓄積され、街での扱いや利用できる施設に直結するよう設計されている。NPCは単なるデータではなく、この世界に生きる人々であり、対等に接することが求められているのだ。
「つまり……横柄にしてると、誰も相手にしてくれないってこと」
エリナが淡々とまとめる。
「ゲームなのに、なんだか社会の縮図って感じだね」
カレンが冗談っぽく言い、アイは「逆に面白いじゃん」と肩をすくめて笑った。
そのとき、通りの先にひときわ豪華な建物が見えてきた。
他の店が二階建てなのに対し、その建物は四階建て。白い石壁に黒い窓枠、正面には赤い宝玉をかたどった紋章。門扉は黒鉄で、両脇には槍を携えた衛兵NPCが2名、通行人に淡々と応対している。
「……グラナート商会」
サラが自然と声に出す。
ヴェルムスにある数多の商会の頂点に立つ大商会。会員になれた者は、街で最高の取引や情報に触れられると噂されている。
「ここは特別ね。普通に信用を積んでも会員審査があるし……もう一つの方法は、会長から直接“紹介状”をもらうって噂があるわ。でも、本当にできるのかは分からない。今のところ、それを手にしたプレイヤーは誰もいないし……そもそも攻略組ですら会員になれた人いないらしいわ」
メアリーが説明する。
「うわーここが……!」
アイが身を乗り出す。
「すご……内装、絶対豪華なやつじゃん」
カレンは目を輝かせて門の向こうを覗き込む。
「やっぱり会員制、って書いてある」
エリナが門にあるパネルを示した。〈会員以外の入館はお断りします〉の文字が整然と刻まれている。
ちょうどそのとき、門前で冒険者プレイヤーが衛兵に食い下がっていた。
「だから俺は毎日クエストをやってるんだって! 信用もちゃんとあるはずだ!」
「申し訳ありませんが、会員資格の審査は内部規定に基づきます。会員でない方、紹介状をお持ちでない方の入館はできません」
衛兵は抑揚なく告げ、冒険者は鳴るように舌打ちして踵を返す。
「……やっぱり会員じゃないと入れないって本当なんだ」
アイが小声で言うと、サラが頷いた。
「そうみたい。それに今の聞いた? “紹介状を持ってないと入れない”って。やっぱり噂は本当みたい」
サラの言葉に、メアリーが静かに頷いた。
「ええ。衛兵がはっきり言った以上、確かね。……でも、紹介状なんて現実的じゃないわ」
「だよねー。正直、会長から直接なんて、私たちにできる気がしないよー」
アイが肩を落とす。
「うん、無理ゲー……」
エリナが淡々と付け加える。
そこでカレンが手を打って笑った。
「じゃあ私たちは、地道に信用稼ぐ組ってことでいいじゃん! その方が性に合ってるでしょ?」
四人は顔を見合わせ、思わず笑いがこぼれた。