第20話 釣りと膝上の銀のぬくもり
イベントが終了しても変わらず、この日もユウはログインして朝食を済ませると、いつも過ごしているキャンプ地――森の奥にひっそりと広がる、小さな空き地にいた。
ユウはその中心にしゃがみこみ、手早く焚き火の跡を整えていた。火床の石を片づけ、灰をならし、地面を平らに整える。習慣のように手を動かしながら、昼食を思い描く。
「んー……今日の昼は魚を焼こうかな」
ぽつりとつぶやく。
焚き火はまだ起こしていないが、その代わりにユウは釣り道具を手に取っていた。今日は、川魚を使った香草焼きを作るつもりだった。
釣り場まではそう遠くない。森を少し南へ下れば、小さな流れがある。魚影は濃くないが、たまに良い型が釣れる。
そのとき、肩にかかるフードの中で、もぞもぞと動く気配があった。
「ぴぃ……」
眠たげな声が耳元で響く。フードの内側から、ルゥが顔をのぞかせた。
赤い目がとろんと潤み、まぶたは半分しか開いていない。
ユウは苦笑しながら、そっとその頭を撫でた。
「今日は焚き火じゃなくて釣りに行くぞ。……まあ、付き合ってくれや」
返事の代わりに、ルゥは小さくあくびをして、身体を伸ばす。そして、ふにゃりとした動きでユウの肩に前足を乗せ、まだ眠たげな目でじっと見つめてきた。
「……はいはい、もうちょっと寝ててもいいぞ」
そう言いながらも、ユウの口元には自然と笑みが浮かび、釣り場へと向かう足は、どこか軽やかだった。
釣り場に到着すると水面が、静かに揺れていた。
森の奥を流れる小川。陽の光が葉の隙間を抜け、ところどころ水面にきらめきを落としている。川幅はさほど広くはないが、澄んだ水と適度な深さがあり、釣りにはちょうどいい。
ユウは川岸の岩に腰を下ろし、手製の釣り竿を垂らしていた。
「……昨日、焼いた香草が残ってたな。あれも香り付けに使えるかも」
ぽつりとつぶやきながら、フードの中の重みに目をやる。
ぴぃ……
小さな鳴き声とともに、ルゥが顔をのぞかせた。
いつものように肩に乗っているが、今日はやけに動きが少ない。ユウの首筋にそっと額を押し付け、じっとしている。ごく小さく、喉が鳴るような音が聞こえた。
「……おまえ、ゴロゴロ言ってんのか?」
ルゥは目を細め、軽く尻尾を揺らす。
ユウは苦笑しつつ、空いている左手でその頭を撫でてやる。
「甘えてるな、ルゥ。……なんか、猫みたいだぞ」
撫でるたび、ルゥは満足げに小さく喉を鳴らした。金属のような微かな音を伴うそれは、仔竜特有の喉音らしい。けれど、あまりにもしおらしい様子に、まるで毛並みのいい子猫を相手にしている気分になる。
ルゥの首元には、あの「草木染の首輪」がついていた。
目立たない色合いで、装飾もないシンプルな作り。けれど、ユウにとっては――ルゥとの信頼を示す、かけがえのない印だった。
釣り糸が軽く震える。
ユウは反射的に竿を立てた。小さな水しぶきとともに、一匹の川魚が跳ねた。
「……よし、今日の昼の分は確保」
リュックに備え付けられた網袋に魚を収め、ユウはひと息ついた。首をすくめていたルゥが、ぴたりと動きを止め、膝の上へとそろりと身を移す。
「おいおい……今度はそこか」
ルゥは膝の上に落ち着くと、くるりと丸まり、そっとユウの太ももに額を乗せた。そこから、少し遠慮がちに――けれど確実に――ユウの手の甲を鼻先でつつく。
「……撫でろ、ってことか?」
ぴぃぴぃ、と肯定するように返事があった。
ユウは釣り竿を傍らに置き、両手でそっとルゥを包むように撫でた。顎の下から首筋、背にかけて。銀色の鱗はやわらかく、指先にほんのり温かい体温が伝わる。
――昼には、炙った魚に香草を添えて……できれば、余っているキノコを煮込んだスープも作りたいな。
ルゥを撫でながら、焚き火の準備や調味の段取りを頭の中で思い描いていると、膝の上でルゥがもぞもぞと動き、小さな牙で軽く甘噛みしてきた。
まるで、撫でるのに集中しろと言いたげに。
小さな牙で軽く甘噛みされ、ユウは「いてっ」と笑った。
「わかったって。……しっかし、ほんと甘えん坊になったな、おまえ」
森の木々が、風にざわめく。
川のせせらぎと鳥の声。そして、膝の上から伝わる小さなぬくもり。
ユウは目を閉じ、しばしそのまま時間の流れに身を委ねた。
やがて、太陽が高く昇り、影が短くなった。
「そろそろ戻るか。昼の準備しないとな」
ユウが立ち上がると、ルゥも名残惜しそうに身体を起こした。けれどすぐにフードの中に潜り込み、鼻先だけをちょこんと出してくる。
キャンプ地に戻る道すがら、ユウはルゥの軽い重みを肩に感じながら、ふと目を細めた。
(……よくここまで懐いてくれたな)
森の空気は、どこまでも静かだった。
けれどその静けさの中で、確かにあたたかい何かが――小さく、確実に育っている。
焚き火の炎。仔竜との信頼。そして、少しずつ進んでいくこの世界の時間。
ユウは空を仰ぎ、ぼそっとひとこと呟いた。
「……ほんと、悪くないな」
___________
そのころ、初期村のはるか北――霧深い峠の向こうでは。
攻略組が、未踏のエリアに足を踏み入れようとしていた。
Everdawn Onlineは、静かに、しかし確実に、新たなフェーズへと歩みを進めていた。