第10話 香草と朝焼けの丘、初の公式イベント告知
朝靄が、森の輪郭をゆるやかに包んでいた。
葉の先から落ちる雫が、静かな音を立てて苔の上に消える。小鳥のさえずりが遠くで響く中、ユウはひとり、村の北へ向かっていた。
「……なんで俺、ゲームでまでこんな早起きしてんだろ」
頭を軽くかきながら、小さくため息をつく。
現実世界では絶対にできないことを、この世界では普通にやれている。それはたぶん、ユウの中で“現実の時間”とはまったく違うリズムが流れているからだろう。
「ぴぃ……」
後ろから、眠たげな鳴き声が聞こえる。
肩口に乗ったフードの中から、ルゥが顔を出した。
目は半分しか開いておらず、まだ夢の続きでも見ているような顔だ。
「ごめんな、無理に付き合わせちまって」
ユウが声をかけると、ルゥはふにゃっとした声で鳴いて、そのまま頬にぴと、と額を押しつけてきた。
それだけで、なんだか申し訳なさが吹き飛ぶ。
ルゥが一緒にいてくれるだけで、森を歩く足取りも自然と軽くなるから不思議だ。
やがて木々の間から、小高い丘が姿を見せる。
朝日が昇るタイミングに合わせて、霧がゆっくりと晴れていく。
そこに、見事な香草の群生が広がっていた。
青みがかった葉に、ほんのりと黄色い斑点。
ユウはしゃがみ込み、そっと一本を摘み取った。
「これが、シトレラ草……たしかに、すごくいい香りだな」
鼻を近づけると、ほんのりシトラスのような爽やかさに、どこかスモーキーなコクが混ざったような香りが広がる。
焼き肉に合わせたら、絶対うまい。
「なあルゥ、お前も嗅いでみ――」
「くしゅっ!」
突然のくしゃみ。
ルゥは香草に鼻を近づけた瞬間、見事なくしゃみをひとつ炸裂させていた。
「おいおい……昨日に続いて、ほんとにお前、これ苦手なのか?」
だが、ルゥは目をしぱしぱさせながらも、草を避けようとはしない。
逆にちょこんとユウの膝に前足を乗せて、「もっと匂わせて」と言わんばかりに鼻を寄せてきた。
「……くしゃみしても気になるんだな。さすが食い意地の張った仔竜だ」
ユウは思わず笑ってしまった。
その後も数本のシトレラ草を丁寧に摘み取り、持参したポーチに収めていく。
丘の上に立ったとき、ちょうど朝日が森の端から顔を出した。
赤くて、優しくて、どこか懐かしいような光だった。
「……綺麗だな」
ルゥもユウの肩の上でじっとその光を見つめていた。
銀色の鱗が、朝日を受けてうっすらと虹色に輝く。
この瞬間だけで、今日という一日が報われた気がした。
__________
昼前、村に戻ったユウは、森の外れにあるいつものキャンプスペースで再び焚き火の準備をしていた。
シトレラ草を入れたポーチを膝に置きながら、ナイフで肉の筋を丁寧に落とす。
「今日は昨日の反省を踏まえて、じっくり焼こう。炭火の安定も待ってから……香草は焼きの直前に」
横でルゥが「ぴいっ」と一鳴き。
すでに待機姿勢で、いつものごとくフードから顔だけ出して見守っている。
「プレッシャーかけんなよ……こっちは結構緊張してるんだから」
ユウは苦笑しながら肉を鉄串に通し、焚き火にかけた。
しばらくは、ぱちぱちという音と香ばしい匂いが静かに辺りを満たしていく。
やがて、シトレラ草の出番。
軽く火で炙って香りを立たせ、それを焼き上がった肉に添えるようにして巻いてみる。
「さて……お口に合えばいいんだけど」
ルゥの前に肉を差し出すと、銀の仔竜はじっと見つめたあと、くんくんと慎重に匂いを確かめ──
ぱく。
ひと口でかぶりついた。
「ぴぃっ!」
尻尾がぴたん、と地面を打つ。
そのままもぐもぐ、ごくり。ひとしきり食べ終わると、ルゥはふにゃ、とした顔でユウの膝に前足をちょこんと置いた。
「おいおい……なんだその満点の笑顔」
そして──
【特性料理|《香草焼き肉》を開発しました】
【料理スキル《即興アレンジ》を獲得しました】
ユウの目の前に、システムログが静かに現れた。
「即興……アレンジ?」
説明を開いてみると、《即興アレンジ》は「手元にある食材で最適な調理方法を自動で判断・補助する」便利スキルらしい。
いわば、料理における柔軟性と応用力を示すスキルだ。
「……これはいいな。材料が限られるキャンプ飯にはもってこいじゃん」
この世界の料理は、戦闘職のプレイヤーにはあまり注目されない。
だがユウにとっては、戦闘よりも、こういう何気ない発見こそが楽しかった。
_________
昼食を終えたあとも、ユウはしばらく焚き火のそばで過ごしていた。
木漏れ日の下、ルゥはフードの中で丸くなり、すっかり満腹でうとうとしている。
ふと、村のほうから人の話し声が聞こえた。
ちらりと視線を向けると、数人のプレイヤーが何やら掲示板の前に集まっている。
「……ん? なんだろ」
焚き火の火を落とし、灰を埋めたあと、ユウはのんびりと村へ向かった。
掲示板には、いつもより目立つデザインの貼り紙があった。
そこには、華やかな書体でこう書かれていた。
【Everdawn Online正式リリース記念イベント:黎明の宴】
すべての旅人へ祝祭を!
キャンプ、戦闘、知識、謎解き——
あなたの“好き”でこの世界を照らそう。
▶ キャンプ部門:焚き火料理/風景撮影/リラックス装備の展示
▶ 戦闘部門:討伐トライアル/PvP大会/エリア制圧戦
▶ 知識部門:Loreクイズ/クラフト再現挑戦
▶ 謎解き部門:初期村を舞台にした全体連動型ミッション
期間中の活躍に応じて特別な称号と報酬を贈呈します。
※特定条件を満たしたプレイヤーは極秘表彰の対象となります。
──なるほど、そういうイベントか。
ユウはポスターの前で、ぽりぽりと頬をかいた。
「……キャンプ部門ねえ」
焚き火料理、風景撮影、リラックス装備。
確かに自分が普段やってることそのものではある。けれど、“部門”とか“得点”とか“報酬”とか、そういう言葉を見ると、なんだか急に距離ができる気がした。
ユウはイベント告知から目を離し、周囲のプレイヤーたちをぼんやりと眺める。
「バフ盛りの最適化ビルドとか、ギミック対策のPT編成とか……うん、やっぱ俺には合わないな」
にぎやかに談笑するプレイヤーたちの向こうで、武器を研いでいる者や、PvPに備えてスキルの再構成をしている者もいた。
イベントを楽しみにしているのは間違いないし、それを否定するつもりもない。
──ただ、自分の“楽しい”は少し違う。
そんな思いで立ち去ろうとした時だった。
視界の隅に、小さく表示されたテキストが目に留まる。
【報酬一覧はこちらから】
【→部門別特別報酬:調理器具・装備・パッシブ称号・特別ペット用アクセサリ】
「……ん?」
“ペット用アクセサリ”という単語に、ユウは一瞬だけ立ち止まった。
フードの中で、ルゥが小さくもぞもぞと動いた気がする。
「……いや、まあ……見るだけ見てみるか」
そう言いながら、ユウは報酬一覧の掲示に視線を移した。
その中には、こう書かれていた。
▶【キャンプ部門・参加特典】
・特製クラフトキット:焚き火用五徳、スモークスタンド付
・調理特性称号|《香気の職人》《風香炉の探究者》
・ペット用アクセサリ:草木染の小さな首輪(料理効果拡張)
「草木染の首輪……ルゥ、これとか似合いそうだな」
ユウはぼそりと呟いた。
ゲームの中で、アクセサリとか。
普通なら“見た目だけ”のアイテムだと思っていたが、「料理効果拡張」という一文がやけに気になった。
「……どうせキャンプは続けるんだ。やれる範囲で、やってみてもいいか」
いつの間にか、ユウの中に“イベントに参加する”という選択肢が、ごく自然に芽生えていた。
フードの中でルゥがくぅ、と小さく鳴いた。
ユウはそれを聞きながら、静かに頷いた。
「……じゃあ今日は、もう一品、作ってみるか。お前が喜びそうなやつをな」
夕焼けに染まる村の掲示板を背に、ユウは焚き火のもとへと戻っていった。