第9話 焼き加減と銀の舌
焚き火の炎が、赤々と揺れている。
ぱち、ぱち、と薪がはぜる音が心地よく響き、森の静けさに溶けていく。
ユウはその前にしゃがみ込みながら、鉄串に刺した肉をじっくりと炙っていた。
「うーん……そろそろかな?」
自作の簡易調理キット──木製の串と、枝で組んだ簡易グリル。それでも火加減には気を配っていた。余分な脂が落ち、肉の表面にこんがりと焼き色がつくタイミングを見計らい、ユウは慎重に串を回す。
傍らでは、銀色の仔竜──ルゥが、じっと串の動きを見つめていた。
その瞳はまるで料理評論家のように真剣で、鼻先はほんのり肉の香りを吸い込むようにくんくんと動く。
「……よし、いい色だ。今日は中までしっかり火が通ってるはず」
串をゆっくりと焚き火から外し、木製の皿にのせて冷ます。
少しして熱が落ち着いたところで、ユウは串からひときれをちぎり、ルゥの前に差し出した。
「ほれ、できたぞ。今日は自信あるからな?」
ルゥはくんくんと匂いを嗅ぎ、一瞬躊躇したかと思うと──
「ぷいっ」
顔をそむけた。
「……えええー!?」
ユウが頭を抱える。
この仔竜、実はとんでもない“焼き加減警察”だった。肉の中心がまだ赤みが強すぎてもダメ、表面が焦げてもダメ、香りが立っていないとダメ。少しでも妥協すれば、即「ぷいっ」と不合格の判定を下す。
「さっきより完璧だっただろ……!」
悔しさをこらえつつ、ユウは再び串を手に取って焼き直しを始めた。
炭火の温度、肉の厚み、焼く位置。1ミリ単位の調整に近いこだわりが、彼の動きをどんどん繊細にしていく。
……そうして三度目の正直。
表面はよく焼けた色、中はほんのりピンク、肉汁がじんわりと染み出す絶妙な状態で、ユウは再びルゥに差し出す。
ルゥはしばし鼻をひくひくさせ、慎重に口を開いた。
ひと噛み。ふた噛み。……そして。
「ぴぃっ」
尻尾をぱたぱたと振って、満足げに鳴く。
「っしゃああああっ!!」
思わず両手を上げてガッツポーズを取るユウ。
その直後──
【調理スキル《肉焼き・熟練》を獲得しました】
【焚き火料理時、焼き加減の精度が向上します】
視界の端にログウィンドウが浮かぶ。
「……お前、実はすごい教育係なんじゃ?」
苦笑しながらルゥを見ると、満足げに腹ばいになって串ごと肉をむしゃむしゃ食べている。
フードの中で丸まって寝る姿とは打って変わって、今は完全に“焼き肉に取り憑かれた竜”と化していた。
肉を焼き終えたあとも、ユウは焚き火のそばでじっと座っていた。
心地よい煙の香りと、森を吹き抜ける風が気持ちよくて、思わず目を閉じる。
「……こういうのが、したかったんだよな」
この世界に来た理由を思い出す。
日々の忙しさに疲れ切り、誰とも関わらず、ただ静かな時間を過ごしたい――そんな思いだけで始めたこのゲーム。
戦うでもなく、レベルを上げるでもなく、ただ焚き火を囲んで肉を焼き、小さな竜と過ごす。
──それだけで、十分だった。
「……ん?」
ふと耳を澄ますと、どこかから足音が近づいてくる。
だがそれはプレイヤーのものではなく、NPCらしい軽やかなリズムだった。
「やあ、君は……この前、村で見かけたな。焚き火してた人だろう?」
現れたのは、初期村に住む薬草師のNPC──マリエだった。
年の頃は二十代半ば。薬草を束ねた籠を背負い、額にはうっすら汗を浮かべている。
「ここは香草が多く育つ場所なんだ。焚き火の匂いで、つい寄ってしまったよ」
「あ、えっと……ごめん、邪魔だったら移動するけど」
「ううん。むしろ助かったよ。焚き火の煙って、虫避けにもなるからね」
マリエはユウの隣に腰を下ろし、籠を開いた。中には色とりどりの葉や花が詰まっている。
「それ、食べられるの?」
「大半は薬草だけど、中には料理に使えるものもあるよ。たとえばこの『シトレラ草』は、肉の臭みを抑えて香りを引き立てる効果があるんだ」
「へえ……そういうのも森の北側の丘で?」
「そうだよ。朝露が落ちる頃が一番香り高いんだ。ちょっと早起きすれば誰でも採れるよ」
ユウは思わずルゥを見る。
──次はそれを焼き肉に添えてみようか?
ルゥは気だるげに振り返ると、ぺろりと舌を出して軽く鳴いた。
「ぴっ」
「よし、採集決定だな。明日、早起きしてみるか」
日が西に傾き、森の木々が金色に染まり始める頃。
ユウは焚き火の火を落としながら、今日一日を振り返っていた。
「なんか……焼き加減ひとつで、ここまで難しいとはなあ」
ゲームの中でも、現実でも、料理は難しい。
でも、それを評価してくれる存在――ルゥがいるというだけで、やる気も出るというものだ。
「お前、ほんと舌が肥えてるよな。俺よりグルメなんじゃ……?」
フードの中から、くしゃみのような短い鳴き声が聞こえた。
「ぴくしゅ」
「ん? ……くしゃみ? 風邪でも引いたか?」
驚いてフードを覗くと、ルゥは目を細めながら鼻先をすんすん鳴らしている。
よく見ると、ルゥの背中に小さな花びらがついていた。焚き火近くに咲いていた香草が、風に乗って舞い込んだらしい。
「なるほど……花粉、か?」
そういえば、ルゥがくしゃみしたのはこれが初めてだ。
竜でも鼻がムズムズすることはあるらしい。
「……ん、これもまた“キャンプのリアル”ってやつか」
ユウはそっとルゥの頭を撫で、落ちた花びらをつまみ上げる。
指先に微かに香るその匂いは、さっき薬草師が言っていた「シトレラ草」のようだ。
「明日、あの草を使って、もう一回焼いてみよう。お前がもっと喜ぶ焼き肉を作ってやるよ」
ルゥはごろりと身体を丸め、ユウのフードの中で尻尾をぴと、と巻きつけた。
その温もりが、じんわりとユウの首元に伝わってくる。
焼き加減を追求する日々。
味の違いに一喜一憂する時間。
たったそれだけのことが、ユウにとっては――癒しであり、救いだった。
そして、明日もまた焼くのだろう。
完璧な“ルゥ好み”を目指して。