プロローグ 災厄を従えし焚き火の使い手
<カクヨムで先行配信してます>
大地が裂け、空が怒りのごとく震えていた。
――《深淵の境界戦》、最終フェイズ。
《Everdawn Online》最大級の公式イベント。その結末が迫っていた。
イベント専用フィールド〈境界の断層〉は、今や炎と黒煙に包まれ、荒廃しきっていた。
崩壊した神殿。燃え上がる森。天空から降り注ぐ瘴気の雨。
かつて美しかった幻想の大地は、今や異界の瘴気に侵され、地獄と化している。
「ダメだ……前衛がもう持たないッ! ヒーラー、支援は!?」
「MP空っぽ! 再詠唱も間に合わない!」
「クソッ、あのボス、第二段階になってからおかしすぎるだろ……!」
プレイヤーたちの悲鳴が次々と全チャに溢れ出す。
ボス《異界の君主ヴェリダス》は、予告されていた全ての攻撃パターンを超えた、まさに“運営が想定していなかった”暴走フェーズに突入していた。
攻略ランキング常連のトップギルド《煌光の翼》の主力パーティですら、次々と倒れていく。
蘇生が間に合わず、タンクは押し潰され、後衛は範囲魔法で焼き尽くされ、前衛すら崩壊寸前だった。
「誰か、あと一撃……せめて削りきってくれれば……!」
そう叫んだプレイヤーが、瘴気の波に呑まれてログアウト表示になる。
ログイン中の人数はすでに半減。
そして、最後の防衛ラインを任されたNPC――《世界の門番カリス》も、耐久ゲージが残り10%を切っていた。
このままでは、異界門が完全に開かれ、《Everdawn Online》の世界がイベント的に“滅びる”。
いや、それ以上に――
誰もが理解していた。
この戦場には、もはや希望が残されていない。
そのときだった。
炎と煙の先――崩れかけた古塔の屋根の上に、一つの影が現れた。
遠く離れていても、はっきりとわかる。
それは、誰も見たことのないアバター。
華美な装備もなければ、輝く称号もない。
ただ、ごくごく普通の旅装のような軽装をまとい、顔の半分を覆うようにフードをかぶっている。
そして、彼の肩には……銀色の小さな竜が、まるで子猫のように乗っていた。
誰かが全チャで叫ぶ。
《全チャ:誰だあいつ!? 新規プレイヤー……? いや、こんなとこまで来れるわけ――》
《全チャ:あの肩の仔竜……見たことあるぞ。掲示板の……例の……!》
《全チャ:キャンプおじさん!?》
《全チャ:嘘だろ、あれが……!?》
瞬く間に広がる動揺。
その中で、プレイヤーたちはようやく気づき始めた。
――あの男の名前が、《ユウ》であることを。
ランキングにも登場せず、PvPにも参加せず、ギルドにも属していない。
ただ、焚き火のSSとキャンプ飯をひたすら投稿し続けていた、謎のプレイヤー。
誰もが“ネタ勢”だと思っていたその男が、今、破滅の戦場に現れた。
そして、まるでそれが当然のように――彼の背後の森から、“何か”が現れ始める。
まず、地を割って現れたのは、雷をまとう白銀の牙獣。
次いで、大地を割って進み出る巨大な樹木の巨人。
さらに、空から舞い降りる金色の霊鳥。
闇の霧をまとった黒い蛇。岩を纏った双角の獣。氷の尾を持つ猫型の魔物。毒の羽を広げる魔蝶。
いずれも、これまで誰もテイムできなかった、ユニークレア級の魔物たち――
それが今、焚き火の主のもとに集い、静かに整列していた。
「まさか……本当に全員、あいつの……?」
呆然と誰かが呟いた次の瞬間だった。
ユウの肩に乗っていた銀の仔竜――ルゥが、ふわりと宙へ舞い上がる。
その翼が広がった瞬間、空気が震えた。
雷と炎と水と風、そして光と闇までもが、彼の鱗を揺らすように閃く。
仔竜の小さな体が、光に包まれる。
だが、それは進化や変身ではなかった。
あくまで幼体のまま――
その姿に、世界の理が、宿っていた。
「……あの仔竜、まさか……」
「嘘だろ……イベントボスでも手に入らなかった、あの伝説の……」
誰もが固唾を呑む中、ログが表示される。
【認識変化フラグ成立】
【プレイヤー《ユウ》が連れている個体は、《万象竜ルゥ》であると判明しました】
【Everdawn Core:想定外の継承フラグを検出。次フェイズへ移行します】
静寂が、戦場を支配した。
そして、誰かが震える声で呟いた。
「……あれが、《万象竜》……?」
否。違う。
あれは、《万象竜の幼体》――
だが、その力の片鱗は、すでに世界すら震わせる。
その瞬間、誰かが絶叫した。
「――万象竜だって!? いや、イベントでしか出ないはずじゃ……!」
叫びは混乱となり、やがて恐怖へと転化する。
このゲームにおける《万象竜》は、かつて運営が「プレイヤーが勝てる想定で作られていない」とまで明言した、全属性適応型の超存在だ。
その個体が、今――
プレイヤーに肩乗りしているというのか。
《全チャ:いや、あれは仔竜……幼体!?》
《全チャ:でも光と闇、雷と氷、火も風も……属性が全部……!》
《全チャ:てか、竜のほうから懐いてないか?》
《全チャ:あの人、何者なんだ……!?》
どよめくチャット。
騒ぎ立てる間にも、ユウの背後から、数十体、いや百を超える魔物たちが姿を現していた。
圧倒的な“数”だった。
しかも、その全てがユニークネームを持つ特別個体。
テイム不可能と言われていた種類すら混じっている。
それは、まるで――
ひとつの軍勢。
プレイヤーではない者たちが、一人の人間に率いられ、統制された動きを見せている。
「嘘だろ……」
「いや、これはもう……運営が仕込んだイベントキャラじゃないか?」
「イベント? じゃあなんで名前が《ユウ》なんだよ」
前線にいた高レベル攻略プレイヤーたちが言葉を失う。
その誰もが知っている。
“テイム”は確かにこのゲームに存在するが――
ここまでの数を、ここまでの個体を、“連れて来られる”プレイヤーは存在しない。
存在しては、いけない。
それでも、男はいた。
肩に仔竜を乗せたその男は、ただ静かに――戦場を見渡していた。
その視線の先。
《異界の君主ヴェリダス》が、あたかも気配を察知したように身を震わせる。
あれだけ猛威を振るっていた存在が、ほんの一瞬、魔力を収縮させた。
まるで、防御の構えをとるかのように。
そして、彼が初めて口を開いた。
「……よし。行くぞ」
それだけだった。
それだけで、魔物たちは動いた。
雷狼たちが地を走る。
樹木巨人が咆哮し、拳で地面を叩き割る。
空の霊鳥たちが呪文を唱え、風の矢を放つ。
闇蛇たちが滑るように敵陣を貫き、毒の蝶が瘴気を拡散させる。
ユウの軍勢は、まさに“災厄の行進”だった。
しかも、それは無秩序な暴走ではない。
一体一体が明確な意思を持って動いている。
誰かを守り、誰かを援護し、誰かのスキル発動の隙を作るように。
そして、何より――
ルゥが吠えた。
銀の仔竜が、空に向かって一声を上げる。
その咆哮は、まるで合図だった。
次の瞬間、魔物たちの魔力が共鳴する。
風と火が重なり、爆炎が生まれる。
氷と雷が混ざり、凍てついた閃光が敵陣を貫く。
土と闇が融合し、地の底から呪詛の杭が噴き出す。
それはもはや、スキル連携の域を超えていた。
魔法という枠に収まらない“現象”。
魔物たちの力が、《ユウ》という一点を媒介にして、一つの意思として暴走せず結晶化している。
「な、何なんだよあれ……!」
「プレイヤーじゃない、あんなの……」
「もう、どうなってるんだ……運営!」
やがて、《異界の君主ヴェリダス》が、ユウの軍勢に包囲された。
あの暴君が、膝を折る。
プレイヤーの誰もが成し得なかった偉業。
だが、ユウはそれを見下ろしても、討伐の一撃すら放たない。
代わりに、ルゥがユウの肩から跳ねて飛び出し――
自ら、圧倒的な魔力の塊を生成し、放つ。
白銀の光が、全てを貫いた。
そして世界は、光に包まれる。
___________
戦場には、光と風が渦巻いていた。
炎の尾を引いて突撃する火狼、雷と共鳴して空を翔ける鳥獣。
大地を揺るがす巨躯は、崩れかけた砦壁を支え、味方プレイヤーを守っていた。
誰もが理解していた。
彼らは命令では動いていない。
“誰かのために”動いているのだ。
「……すげえな……まるで、意志を持ってるみたいだ」
「持ってるんだよ、あいつら……あの男の“焚き火”で育った絆なんだろうな」
誰かが呟き、別の誰かが答えた。
画面の中央――そこには、静かに薪をくべる一人の男の姿があった。
ユウは剣を抜かず、魔法も使わず、ただ焚き火を灯している。
だがその火は、確かに“戦場の中心”だった。
焼け焦げた地面の上に、小さな鍋がかけられている。
肉と香草の匂いが風に乗って漂い、周囲の魔物たちがちらりと視線を向けた。
「……よし、今日の分が焼けたぞ。食べろ」
「きゅ!」
ルゥが元気よく鳴き、小さな翼を広げて着地する。
火の近くに集まっていた魔物たちが、自然と列を成して進む。
かつて敵だったはずのモンスターが、今は“仲間”としてここにいる。
それはゲームの定義すら変えるような光景だった。
そこへ、満身創痍のまま戻ってきた攻略組の一人――〈雷刃のクレイヴ〉が、苦笑しながら言った。
「なあ……ちょっとだけ、聞いてもいいか?」
ユウは焚き火をかき回しながら、顔を上げた。
「何を?」
「おまえ、いったい……何者なんだ?」
一瞬の沈黙の後――ユウは、何でもないように笑って答えた。
「ただの……キャンプ好きのサラリーマンさ」
その場にいた誰もが、言葉を失った。
だが不思議と、その言葉には嘘がないと感じた。
攻略組、PvP勢、職人ギルド、ロール勢……あらゆるプレイヤーが血と汗とスキルで戦い続けてきた世界。
その中で、ただ一人、火を囲み、飯を焼き、寝転がり、誰もテイムできなかったモンスターに“餌を与え”、仲良くなった男。
それが、今この戦場を制している。
風が吹いた。
遠くで、《異界の君主ヴェリダス》が、完全に沈黙して崩れ落ちる。
その瞬間。
ログにメッセージが表示された。
【公式イベント《深淵の境界戦》は、ユニークイベント条件によりクリアとなりました】
【プレイヤー《ユウ》が、深淵の軍勢の“心核”との共鳴を達成しました】
【想定外のフラグ成立:Everdawn Core、次フェイズに移行】
その意味を、誰も正確には理解できなかった。
ただ――世界が動いたのだと、そう確信した。
そして、炎はまだ、静かに燃え続けていた。
小さな銀の仔竜が、ぴょこんとユウの肩に戻る。
その瞳は、どこか誇らしげだった。
「ルゥ、今日も……いいキャンプだったな」
「きゅぅ」
男と仔竜が、焚き火の前で笑う。
それは、誰よりも穏やかで、誰よりも“強い”光景だった。
そして物語は、あの焚き火が灯された“最初の夜”へと遡る。
――すべては、一人の男が「キャンプがしたい」と願った、その瞬間から始まったのだから。