第一話
「河童ってさ、実は水死体のことだって説があるんだよね」
居酒屋のカウンター、隣に座った同期の村田がポツリと呟いた。蒸し暑い初夏の夜、俺たちは仕事終わりの火照った体をビールで冷ましていた。
「...急にどうした」
「いや、きゅうり見てたら思い出しちゃってさ。河童ってきゅうり好きじゃん?」
村田は突き出しで出された酢の物を、箸でぐるぐるとかき回している。
器の中には、細切りのきゅうりが酸っぱい汁に沈んでいた。
「腐って膨らんだ背中が甲羅に見えるとか、水死体は緑色に変色するとか...。あ、擦れて禿げた頭が、"皿が載っている "って見えた、なんてのもある」
「...そういう話、食事中にやめてくれない?」
俺はそう言って残っていたビールを流し込んだ。村田は大のオカルト好きで、何かにつけてこういった話を聞かせてきた。
「悪い悪い。まあ実際は、死体を直視できずに"怪異にした"って感じだと思うけどね」
全く悪びれた様子もなく、同僚はヘラヘラと続けた。
「マジでお前酔いすぎ」
俺はそう言って隣の男を睨む。村田は飲んでいたグラスをカウンターに置いて、視線を外した。
「...そういや、お前新しい部屋はどんな感じなんだよ」
流石に俺の雰囲気を察したのか、村田は話題を変えた。前々から通勤をラクにするために引っ越しを検討していたが、遂にいい物件が見つかり、一週間後に引っ越しをする予定になっていた。
「ここになったよ」
そう言って俺は携帯で今度入居する物件の紹介ページを検索し、同期に画面を見せる。
「へー綺麗じゃん。1Kで会社から二駅。しかも結構安いな」
「いいだろ。しかも湯船広くてさ、俺風呂好きだからここだってなったよ」
村田は何も言わず頷いた。少し黙った後におもむろに口を開くと、こう言った。
「まあただ、気をつけろよ。こんな都会でそんないい物件、中々あるもんじゃない。何かあるのかも...」
いつにもなく真剣な表情の同期の顔を見て、俺は背筋がすっと冷えるのを感じた。
そんな可能性考えてもいなかったが、確かに中々あるものではない。──まさか、いわく付きか?。
「馬鹿、考え過ぎだよ。お前は何でもオカルトに結びつけるな」
浮かんだ不安を誤魔化すように、俺はそう言って突き出しを口に運んだ。
さっきまで気になっていなかったはずの酸味が、急に喉の奥をつくようになった気がした。
「冗談だよ」
俺の反応が気に入ったのか、村田はそう言って笑った。