第9話 届かぬ呼び声
王宮や有力貴族からの要職の勧誘を次々に断り続けるパルメリア。
その冷めきった態度は国内の重鎮たちの間でも話題となり、やがて「前の人生」ではパルメリアと革命を共に戦った仲間たち――ユリウス、クラリス、そしてガブリエルまでもが、ほぼ同時期に面会を求めてくる事態に発展した。
もっとも、今の彼らには 「前に起きた悲劇」の記憶などない。ただ噂を通じて「公爵家の令嬢パルメリア・コレットが抜きん出た洞察力を発揮し、領地の改革にも寄与しているらしい」と聞き及び、それぞれの思惑で彼女に協力を求めるためにやってきたのだ。
最初に姿を現したのは、ユリウス・ヴァレス。都市部の学生や労働者を中心に「改革派のリーダー」として名が広まりつつある若きカリスマで、強い正義感と熱意にあふれた男だ。今はまだ大々的な運動を起こす前段階だが、いずれ本格的に腐敗した体制を変えようと考えている。
「お会いできて光栄です、パルメリア・コレット様。コレット領の改革は我々にとって希望の光だ。どうか、我々に力を貸していただきたい」
ユリウスのまっすぐな眼差しに、かつてのパルメリアなら心を動かされたかもしれない。実際、「前の人生」の記憶が彼女の意識をかすめる――共に王政を倒し、理想の国を築こうと奔走したあの日々。けれど、その末路を思い出すと、胸がきしむように痛んだ。
(ユリウス……あなたが抱く強い信念は知っている。前の人生で、私はあなたの思想に共鳴していた。でも、同じ道を辿れば、また――)
一瞬、息が詰まるような苦しさが込み上げる。しかし、パルメリアはそれを押し殺すように微笑みを作り、首をかすかに横へ振った。
「……ごめんなさい。私に期待しても無駄よ。改革に興味はないし、協力するつもりもないわ」
それだけ言うと、彼女は視線をわずかに逸らした。ユリウスは思わず言葉を失う。事前に聞いていた情報――民を憂い、貴族の常識を打ち破る優れた才覚の持ち主――とはあまりにもかけ離れた冷たい態度だ。
「そ、そうか……。でも、もし気が変わったら――」
ユリウスが小さく望みをつなごうとするも、パルメリアは曖昧な微笑のまま沈黙し、これ以上取り合おうとはしなかった。仕方なくユリウスは屋敷を辞するが、その背中を見送る彼女の瞳には、ひどい苦悩が一瞬だけ浮かんでいる。
(あなたの想いを知っているからこそ……巻き込みたくないのよ、ユリウス。最後のあの地獄を、もう一度見たくないもの)
続いて現れたのは、若くして学術分野で頭角を現しているクラリス・エウレン。
農業・医療・教育など、多方面の研究や試験的な改革案を抱え、それを実現するための協力者を求めているという。
「パルメリア様のお力をお借りできたら、きっと大きな成果が出せると思うのです。教育制度の整備や医療設備の拡充……貴族の方々はなかなか理解を示してくれませんが、パルメリア様の領地なら――」
クラリスの声は、前の人生で苦楽を共にした仲間の姿を思い出させる。
いつも理知的で、技術や知識を未来に生かそうとしていた彼女。だが結局、その道程は血にまみれ、最後にはすべてが崩れ去った――。
(……そう、クラリス。前は最初こそ協力してくれたけれど、私のやり方に失望して離れていったわね。
あなたが再び私を頼りにしてくるなんて、もう皮肉としか言えない。申し訳ないけれど、私は……)
そんな感傷が胸を穿つ。しかし、パルメリアの口から出たのは冷ややかな拒絶の言葉だけだった。
「……ごめんなさい、興味はないわ。あなたの研究はきっと価値があるでしょうけど、私に関係のある話じゃないもの」
クラリスは「そんな……」と小声でつぶやき、傷ついたように視線を落とす。
厚い資料をそっと束ね直し、「また日を改めて伺います」と引き下がっていく姿には、明らかな落胆がにじんでいた。
(クラリス、あなたをこんな形で突き放すのは胸が痛む。でも、もう私は誰の改革にも手を貸さない。あのときみたいに、あなたの優しさを裏切りたくないから……)
俯きながら自問自答するように、パルメリアは机に置かれた資料から静かに目を背けた。
そして、最後に現れたのはガブリエル・ローウェル。もともと王国騎士団に属していたが、上官との軋轢により左遷された経歴を持つという。その後、公爵――パルメリアの父が人柄を買ってコレット領の騎士として採用したのだ。忠誠を誓う新たな主を探していたガブリエルは、噂に名高い公爵令嬢パルメリアにこそ騎士道を捧げたいという思いで来訪した。
堂々とした体躯に鋭い眼光。けれども、その振る舞いには誠実な忠義を感じさせる。ガブリエルは跪くように一礼し、低い声で申し出た。
「初めまして、パルメリア様。公爵様にお迎えいただき、コレット領騎士団に所属することになりましたガブリエル・ローウェルと申します。パルメリア様が大きな変革に乗り出されるなら、そのときは危険もあるでしょう。私がどんな脅威からもお守りします」
パルメリアは、その姿を見た瞬間、胸の奥を強くかき乱された。
前の人生でガブリエルは、主君である彼女に忠誠を尽くしながらも、独裁に加担する苦悩に押しつぶされていった――彼女は、その記憶をはっきりと覚えている。
彼女自身が彼の最期を見届けたわけではない。だが、漠然とした痛みと虚無が胸を締めつけてやまない。
(ガブリエル……あなたの忠誠は誰よりも純粋だった。でも、その純粋さゆえに……私があなたを地獄へ引きずり込んでしまったのよ)
そんな暗い想いを、パルメリアは必死に意識の底へ押し込もうとする。
「あなたには申し訳ないけれど……私が危険に身を投じることなどないわ。 私を守る必要なんて、どこにもない」
まるで冷淡に突き放すような言葉。
ガブリエルは黙り込み、困惑したように表情を曇らせる。それでも「いずれ大きな問題が起きたとき、お守りできれば」と食い下がろうとするが、パルメリアは首を横に振り、穏やかながら断固とした口調で応じる。
「私があなたを巻き込む理由も義理もないわ。……騎士団なら、父と領民を守っていればいい」
淡々と告げる声の奥には、どこかしら悲哀を帯びた響きも混じっている。しかしガブリエルには、それが読み取れず、ただ寂しそうに目を伏せるだけ。
彼は苦しげに唇を結んで立ち上がると、一礼して退室していった。
その背中を見送るパルメリアは、またしても胸の底に締めつけるような思いを抱くが、歯を食いしばるようにして黙り込んだ。
(私なんかに忠誠なんて捧げてはいけないのよ、ガブリエル。あなたが望む騎士道を守るためにも……)
こうして、ユリウス、クラリス、ガブリエル――前世で深い絆を育んだはずの仲間たちは、揃いも揃ってパルメリアの拒絶に遭い、戸惑いと落胆を抱えて帰っていく。
かつては熱く語り合い、互いを信頼しながら共に歩むはずだった道を、彼女は今あっさりと捨て去った。
応接室の扉が静かに閉じられ、人の気配が消えたあと、パルメリアは微かなため息をついてソファに身を沈める。
前の人生で築いた絆と、そこから派生した悲惨な結末。すべてを知っているのは彼女一人だ。
――ゆえに、もう二度と誰とも手を取り合うまいと心に刻み込んでいる。
「……ごめんなさい。みんなには分からないでしょうね。でも、これが一番いいの。二度と、あの結末を繰り返すわけにはいかないもの……」
小さくつぶやいた言葉は誰にも届かず、ただ彼女自身の心を軋ませるだけ。
窓辺に背を向け、パルメリアは重い足取りで部屋を出る。誰もいない廊下はひどく静かで、一層の孤独を際立たせた。
――彼女を訪ねる仲間が増えれば増えるほど、その扉は固く閉ざされていく。今のパルメリアには、「誰とも組まず、誰からも救いを受けない」ことだけが、自分や周囲を守るための唯一の手段に思えてならなかった。