第3話 繰り返される運命
パルメリアが鏡台の前で沈黙したまま、どれだけの時間が経っただろう。
やがて、扉を控えめにノックする音が聞こえ、遠慮がちな呼びかけが部屋に広がる。
「お嬢様……ご体調はいかがでしょうか? 急に倒れられたと聞いて、皆とても心配しておりますが……大丈夫でしょうか?」
声には安堵と気遣いがにじんでいた。パルメリアは鏡に映る虚ろな瞳をしばし見つめ、それから静かに息をついて立ち上がる。胸の奥底に重くのしかかる感覚はまったく変わらないが、とにかく扉のほうへ歩みを進めた。
(私がどんな顔をしても、結局は何も変わらない。誰も、本当の私を知らないのだから……)
扉を開くと、侍女が申し訳なさそうに頭を下げていた。その後ろには、屋敷の使用人たちが不安げにこちらを窺っている。公爵家の娘が「急に倒れた」となれば、大騒ぎになるのも無理はない。だが、パルメリアにとってはすべてが遠い出来事のようだった。
「……ありがとう。もう大丈夫よ。ちょっとめまいがしただけだから。」
彼女は形だけ微笑をつくり、心ここにあらずといった調子で言葉を返す。侍女はほっとしたように息をつきながらも、パルメリアの表情が硬いことに気づいたのか、微妙に目を伏せた。
やがて、廊下の奥から父である公爵が急ぎ足で現れる。周囲の使用人たちも少し安堵の色を見せるが、彼女の沈んだ様子には気づいているらしい。公爵はパルメリアと視線を合わせると、険しい顔のまま口を開いた。
「パルメリア……本当に大丈夫なのか? 突然倒れたと聞いて心配したぞ。領地の仕事で無理をしているのではないだろうな?」
パルメリアは一瞬だけ公爵の目を見つめ、それから軽く首を振る。これ以上のやり取りは望まないというように、わずかに視線を逸らし、淡々と答えた。
「……貧血を起こしただけよ。もう大丈夫だから、気にしないで。」
それ以上問い詰めるのも躊躇したのか、父は「そうか……」とだけ呟いて後ろに下がった。娘の表情をうかがっていたが、すぐに何も言わず小さく息をついて視線を落とす。その背は、どこか気まずそうだった。
周囲の使用人たちは次々に「少しでもお食事を」「ソファで休まれますか」と声をかけてくる。パルメリアは形ばかりの感謝を口にしたが、気持ちはぼんやりと薄い膜の奥に閉じ込められたようだ。
(まさか、この時期に戻ってくるなんて。領地の改革案を練って、ようやく道筋が見えた頃だったかしら……。あんな結末が待っているのに、また繰り返せというの?)
その思考に、胸がぎゅっと軋む。死の瞬間まで見たはずなのに、今こうして公爵家の屋敷へ当たり前のように戻されている事実が、パルメリアの心を凍りつかせた。
「お食事をお運びしますので、少しでもお召し上がりくださいませ……」
侍女が気遣いながらも、戸惑った面持ちで申し出る。パルメリアは口だけの微笑で「ええ、そうするわ」と返事をするが、その声には温度がない。そんな様子を見て、侍女たちは互いに目を見合わせる。どうやら「いつものお嬢様」とは違うと感じ取っているようだ。
(どうして今さら、何もかもをやり直せとでも言うの……?)
そう胸中で呟いて、パルメリアはゆっくりとダイニングの方へ足を向ける。父はあまり多くを語らないが、ちらりと心配そうにこちらを振り返っていた。しかし彼女はそれを気にすることなく、淡々とした足取りで廊下を進む。
明るい朝日が差し込むダイニングに着いても、使用人たちの丁寧な言葉にほとんど反応を示さないまま椅子に腰を下ろす。テーブルにはスープやパンが用意されているが、何も食欲をそそられない。
(前の人生では、ここから全力で領地改革に力を注いで……。だけど、最終的にはあの国全体を巻き込み、粛清と血の嵐をもたらした。処刑台で終わったはずの私に、再び同じ道を辿れというの……?)
手を伸ばし、スプーンを握りかけたものの、そのまま動きが止まってしまう。胸の奥はひどく冷えきっていて、何を口にしても味など分からないだろう。周囲の視線が痛いほど突き刺さるが、どう感じる力も湧いてこない。
「パルメリア様、ご体調が優れないようでしたら、どうぞ遠慮なくお呼びくださいませ。」
侍女の柔らかな声がかかるものの、パルメリアはただ小さくうなずくだけ。まるで心を閉ざしたまま、浅い呼吸だけを繰り返しているように見えた。
(また同じ結末を迎えるくらいなら……私は、このまま何もせず終わってしまいたい。そんな思いすら浮かんでくる。だけど、この体は今さら「やめます」なんて許してくれないのよ……)
ふとテーブルの端へ目を移すと、領地の会議資料がまとめられた書類の束が置かれていた。そこに記された日付を見て、まるで悪い冗談のように思えてしまい、パルメリアは思わず視線を逸らす。――間違いない、かつて取り組んでいた改革の最初期まで「戻って」いる。
浅く息をつき、彼女はその書類を手に取らぬまま、そっとテーブルに押しやった。視界の端には心配そうな使用人たちの姿が映っていたが、パルメリアは何も言わずうつむき、再びスプーンを見つめるだけ。まるで、未来への道が閉ざされていると悟っているかのように――。




