第24話 終末の微笑み
世界は、ひときわ儚い狂宴のうちに幕を下ろそうとしていた。
夜の帳を赤黒く染め上げる大火が、街を容赦なくのみ込んでいく。遠方から断続的に爆裂音がこだまし、そのたびに地面が揺れ、空は血のような煤煙をまとって軋む。かつての街路や邸宅は、次々に炎の波へとのまれ、悲鳴だけが渦を巻いていた。
そんな焦土の光景の中でも、コレット家の館だけがかろうじて姿を留めている。とはいえ、それも炎が廻るまで時間の問題だろう――館の廊下には、残った使用人たちが怯え、凶音に震えながら必死に避難の準備を続けていた。
しかし、その慌ただしい空気をまるで他人事のように捉えている者が一人だけいた。
パルメリア・コレット――王国崩壊のうねりを、まるで「舞台の終幕」を観客席から眺めるかのように、窓辺から静かに見下ろしている。
その瞳には、冷えきった虚無と狂気じみた諦観が同居し、城壁の向こうで燃え上がる火柱をただ見つめていた。まるで、この壊滅的な光景が「当然の帰結」にすぎないとでも言うかのように。
(……やはり、こうなるのね。最初から、この世界が選ぶ結末は決まっていた……)
ぼそりと漏れる声は、息をするほど自然に滅びを受け入れた者のもの。そこには悲哀も焦燥もなく、かすかな嘲笑を思わせる響きすら混じっている。
前の人生――独裁者として血に染まった果てに処刑された記憶が、彼女をこの凍えるような諦観へ導き、二度と“希望”を抱かせなかったのだ。
館の奥では、使用人が必死に「お嬢様、どうか急いで避難を……!」と呼びかけるが、パルメリアは窓越しの炎を見つめたまま首を横に振る。
真紅の火光が頬を彩り、かすかな笑みを浮かべるその姿は、美しくも薄ら寒い。まるで壊れた人形が微笑んでいるかのようで、周囲を焦がす熱がドレスの裾を揺らし、舞い込む煤が足元を灰色に染めていく。
「……今さら行く宛なんてないわ。どこへ行こうと、結末は変わらないのだから」
乾いた声は、理性か狂気か判じがたいほど凍てついた響きを帯びていた。かつては微笑みをもって手を差し伸べていた少女が、今は一片の希望も持たず、世界の終焉を見据えている。
吹きすさぶ風は煤や火の粉を舞わせ、豪奢だった絨毯を薄灰色に変えてゆく。焼け焦げるような匂いが立ちこめるが、パルメリアはそれを歓迎するかのように微笑む。
もはやすべてが砂上の楼閣。王都も国も、そして人々さえも、炎の渦にのみこまれ再び這い上がれない。そんな「世界の墓場」を黙然と眺める彼女の姿は、痛々しさと陶酔の入り混じった狂気をはらんでいる。
(前の人生で救おうともがいた結果が、血まみれの処刑台なら……今度は、静かに滅びを見送るしかないわ)
やがて、彼女は窓辺を離れ、館の奥深くへと歩を進める。床に舞い散る火の粉を踏みしめながらも、少しの緊張さえ見せない。
外がどれほど騒がしく、すべてが灰と化そうとも、彼女の足取りは落ち着いていた。
「……みんな、好きにすればいいわ。世界なんて、すべて燃え尽きればいい……」
小さくつぶやき、微笑む。絶望の深さに囚われきった末、「滅び」を身にまとう者だけが浮かべる微笑だった。
館の廊下には煤と埃が積もり、今にも炎が回りそうな危険が迫っている。それでも彼女は慌てず、かすれた声でつぶやく。
(私も、この国も……ひっそりと終わりに沈むだけ)
さらに強まる熱波に灯火が揺られ、壁に映る彼女の影がゆらりと歪む。まるで幽鬼のように伸びた影が彼女の背を追いかけ、やがて溶け合うようにひとつになった。
絶望と諦観が狂気へ至った瞬間、彼女はひどく安らかで、どこか歓びにも似た笑みを浮かべる。
「……どうせ焼け落ちる運命なら、私が足掻く意味なんて、最初からなかったもの……」
そのつぶやきは闇と焔のなかへ吸い込まれる。血相を変えて逃げ惑う使用人たちをよそに、部屋の奥へ向かう姿は、炎の舞踏に誘われた踊り手のようだった。
遠くで巨大な建物が倒壊し、空が赤い火柱に染まりゆく。瓦礫の破片が屋敷の屋根を叩くたび衝撃が鳴り響くが、彼女は微動だにしない。
こうして王国は、絶望の極みへと沈みゆく。誰が逃げ、逃げ遅れようと、もはや命運など区別されない。
パルメリアは、そんな狂乱の只中で「絶望を抱いた」まま、世界とともに滅びる道を選ぶ。燃え盛る炎は、その決意を祝福するかのように猛威を増していく。
(ここで終わるのね……。前の人生で見た血の海よりは、まだ優しい終幕かもしれない……)
闇と赤光の狭間で、その想いを噛みしめるように瞼を閉じる。火勢がいよいよ強まり、轟音が屋敷全体を揺らすが、彼女はそれをまるで子守唄のように受け止める。
壮絶な炎の祝祭が世界を焼き尽くすのを見届けながら、彼女の瞳には、もう涙すら浮かばない。ただ儚い微笑みが残るのみ。
絶望と罪悪感と狂おしい安堵が入り混じるなか、世界の終焉へと足を進める――
――こうして、一人の「悪役令嬢」は、破滅の観客としてこの世界の最期を見送ることを選んだ。
燃え盛る炎が夜空を焦がし、彼女の周囲を容赦なく焼き滅ぼすなか、最後に浮かんだのは、儚くも狂気を孕んだ微笑だった。
すべてが灰へ還る刹那、彼女はただ――絶望を抱いて。




