第22話 燃え尽きる世界
夜か昼かもわからない灰色の空のもと、街は紅い炎と黒い煙にのみ込まれようとしていた。
遠くで重苦しい爆発音が轟き、火の光が建物の壁を歪ませながら、まるで世界そのものを焼き尽くそうとするかのように揺れている。
あちらこちらで起こる放火と衝突は市街全体を巻き込み、人々の絶望的な叫びが空の果てまで突き抜けるようにこだまする。
もしこれが「この世の終わり」を告げるための狂騒だとしたら、誰がそれを止められるというのか。
石造りの館も、木造の商家も、赤黒い炎の餌食になって瓦礫へと姿を変える。
助けを求める声、武器を捨てた兵士の断末魔、侵略者や暴徒たちの笑い――あらゆる音が交錯し、街は何が敵で何が味方かわからない無秩序の渦へ沈み込んでいた。
街路は死体と破片が散乱し、道行く者を押し潰すかのように崩れ落ちる梁や屋根。
断末魔の声は途切れることなく、この世の底に沈んでいくかのような錯覚さえ覚える。
「助けて! まだ子どもが中に……!」
「もう避難路は塞がった。ここから先には行けない……!」
絶叫、破裂音、舞い散る火の粉が、終末を彩る地獄絵図をさらに深い闇へ変えていく。
かつては栄華を極めた街は、今では侵略者と暴徒化した民衆が略奪を競い合う地となり、どこもかしこも荒れ果てていた。
もはや「街を守る」どころか、生き延びるための一筋の光さえ見つからない――そんな深い絶望が、空から降り注ぐ焔とともに人々を焼き尽くそうとしている。
そんな修羅の中、コレット家の屋敷は奇跡的にまだ大きな被害を免れていた。
しかし、それも永遠ではない。火焔と混沌が確実に迫り来ていて、「いずれは同じ業火に呑まれるだろう」という予感が、周囲の空気を凍らせている。
使用人たちは「もう逃げるしかない」と声を震わせるが、どこへ行っても焼け野原で、侵攻してきた隣国の兵や暴徒が溢れている以上、安全な道など存在しない。
「お嬢様……早く避難を。今ならまだ裏道が使えるかもしれません……!」
「だめだ、そこも火が回ったって話だ……どこにも逃げ場がない……!」
屋敷に吹き込む熱気は地獄の吐息さながらだ。
幾度もの爆発が地面を震わせ、そのたびに人々はうずくまるように悲鳴を上げる。
世界が終わる――そんな形容が誇張ではなくなりつつある今、この場所でさえ安息には遠かった。
そんな中、パルメリアは屋敷の奥でひっそりと佇み、静かに目を伏せている。
外で人々が絶望の叫びを上げているというのに、彼女は深く息をつき、唇を引き結んだまま動こうとしない。
今の彼女はただ、すべての終わりを受け入れているかのようだった。
――まるでこの世界の最期を、ひとり静かに見届けるためにそこに在るかのように。
炎の揺らめきや崩れ落ちる叫びが夜を満たしても、彼女の瞳にはもう恐れも迷いも宿らない。
すべてが終焉へ向かう流れを、深い沈黙の中で見送る――それこそが、いまの彼女が身を委ねる「終幕への道」だった。
(……もう、すべてが夜の底へ沈んでいくのね。あんなにもきらびやかだった街も、あの笑顔も……やがては灰に還ってしまうのね)
燃え盛る炎と、立ちこめる黒煙。
そこに渦巻く、果ての見えない悲痛。
パルメリアは、紅く染まる窓辺の向こうに広がる凶兆を眺めながら、淡い声を漏らす。
「……こんなふうに、世界は朽ちていくのね。いずれ嘆きの声さえ炎に呑まれて、ただ灰だけが残るのでしょう」
使用人たちは彼女を必死に連れ出そうとするが、パルメリアは首を横に振るわけでもなく、うなずくわけでもなく、ただ消え入りそうな眼差しで外の光を見つめていた。
(今さら、どこへ行っても同じ……すべてが滅びに沈む運命なら、あがく意味などないわ)
助けを求める者、暴徒から逃れる者、あるいはわずかな戦力を糾合しようとする者――皆が必死に生き延びようともがいている。
しかし彼女は、その奔走する人々の声に耳を傾けることなく、静かに静かに息を重ねるばかり。
遠くからは砲撃のような爆音が響き、地響きを立てて建物が倒壊している様子が見える。
この世の終焉を告げるかのような狂乱が、もはやすべてを押し流す寸前だった。
そして、窓の外を燃やし尽くす火柱を眺めながら、彼女はそっと瞼を閉じる。
「……まるで、夢の終わりね。別れの言葉さえ交わせないまま、すべてが、宙に溶けていく……」
その言葉はあまりにも儚く、誰の耳にも届かなかった。
燃え盛る炎の音だけが、世界を切り裂くかのように響き渡る。
使用人たちが泣き叫びながら荷物を抱え、裏口へと駆けていく。
けれど、パルメリアは微動だにしない。
熱気が屋敷を包み込み、最後の安息さえ奪い取ろうとしている。
ここで助かろうとも、どのみち滅びへの道は変わらない――。
そう告げるかのように、パルメリアは椅子から立ち上がる気配すら見せなかった。
やがて、崩れ落ちる街とともに人々の絶望の声はかき消され、世界は燃え尽きた灰色へとその姿を変えていく。
煤煙が重たい大気を覆い、火柱にあおられた瓦礫が、死の風景をより深い闇の奥へと誘っていた。
――その終焉の光景の中、パルメリアは瞼を閉じ、ただ静かに沈黙を抱いていた。




