第20話 叶わぬ願い
王国は、二つの炎に飲み込まれていた。
外からは隣国の軍勢が侵攻し、内からは暴動と反乱が国土を蝕む。もはや瓦解は時間の問題だった。街道沿いでは戦火を逃れた難民たちが彷徨い、各地で小競り合いが絶えない。かつて繁栄を誇った王都ですら、今や絶え間ない炎の予兆に包まれ、人々の心は凍りついていた。
それでも、彼らは足掻き続けていた。
レイナー・ブラントは、王宮での調停が機能しないことを悟り、独自に隣国との和平を模索していた。
しかし、交渉の場に立った彼を待っていたのは、冷ややかな拒絶だった。
「すでに貴国は崩壊しつつある。 今さら手を組む理由など、どこにある?」
それが、隣国の特使が突きつけた言葉。
資金も兵力も底を尽きかけ、もはや和平交渉の材料すらない。選択肢は、全面降伏か滅亡――
(どれだけ説得しても、彼らにとって我々は敗北するだけの国にすぎないということか……)
レイナーは打ちひしがれたまま王都へ引き返した。国を救うために奔走したはずが、外交の道はすべて閉ざされた。
一方、ユリウス・ヴァレスは、都市や農村を巡り、暴力に頼らず人々が助け合う道を模索していた。
「重税と飢餓の悪循環を断ち切ろう」と訴え、団結を呼びかけるが、彼の言葉に耳を貸す余裕のある者はごくわずかだった。
武器を手にしたほうが、早い。飢えた者たちはそう考える。彼の理想は、今の混乱の中では何の意味もなかった。
(これでは革命どころか……ただの殺し合いだ)
ユリウスの叫びは、血に染まった夜の中に消えていった。
クラリス・エウレンは、飢餓や疫病に苦しむ者を救おうと奔走していた。
限られた医療物資を配り、農業改革の知識を伝えようとした。
だが、戦火は無慈悲に広がる。彼女の築きかけた支援網も、略奪や焼き討ちによって跡形もなく崩れ去った。
(こんなことで……命を救えるはずだったのに……)
それでもクラリスは薬を抱え、負傷者を救おうと駆け回る。
けれど、その努力すら、終わりの見えない混乱にかき消されていく。
レイナー、ユリウス、クラリス――かつてパルメリアという存在のもとに集った彼らは、今やそれぞれの地で孤独に足掻いていた。
それでも、なお彼らの口に上るのは同じ名前。
(彼女が動いてくれたなら……)
国境では隣国の軍がじわじわと侵攻を進め、国内では暴動と略奪が絶えない。
もはや誰もが「救いの手」を欲している。
だが――その手は差し伸べられなかった。
王都を守るはずの王宮は混乱の中心と化し、貴族たちは私利私欲に走り、貧民街は燃え、子どもたちの泣き声は夜空に溶ける。
誰も彼もが救いを求めながら、それをもたらす者はどこにもいない。
王国が沈むのを見届けるように、パルメリアは屋敷に座し、ただ窓の外を眺めていた。
(これは私が拒んだ世界。私が手を出さないと決めた未来……)
過去も、未来も、そして今の惨状すら――彼女の心からすでに遠く、残っているのは薄い諦念のみ。
炎と絶叫が王都を塗り潰そうとも、彼女は微動だにしない。
(どれほど声を上げようと、いずれすべて朽ちるのだから……私は何も変えられないし、変えるつもりもない)
静かな息とともに、パルメリアはまぶたを閉じる。
もし胸に痛みがあっても、それは行動を促す原動力にはならない。むしろ痛みさえ、彼女をさらに深い孤独の底へ沈めていく。
遠くで聴こえる剣戟や爆発音は、前世の惨劇をなぞるかのように耳を刺す。
だが、それも彼女には関係のない死にゆく世界の音色でしかなかった。
(私はもう、何もしない。……ここで終わるなら、それでいい)
そうつぶやくように心の中で反芻しても、彼女の姿勢は揺るがない。
炎は広がり、瓦礫と化した街が王都を覆いつくしても、パルメリアはただ窓の向こうを見つめ、沈黙を貫く――




