第2話 二度目の目覚め
――何度も繰り返す呼吸。荒れ狂う鼓動がようやく落ち着き始めたころ、そっと瞼を開くと、見慣れぬ天井が広がっていた。いや、正確には「見慣れていたはずの天井」なのだろう。けれど、処刑台での記憶があまりにも鮮烈すぎて、今ここにいることが遠い幻のように思えてならない。
身体を包むのは、柔らかな寝衣。窓から差し込む朝の光はどこまでも穏やかで、つい先ほどまで首を絞め上げる縄の感触に苛まれていたとは思えないほど、部屋には平和な空気が漂っている。しかし、胸の奥には、その空気とは正反対の重苦しさが渦巻いていた。乱れた呼吸を整えながら、私は視線だけを動かして部屋の調度品を眺める。壁に飾られたタペストリー、アンティーク調のドレッサー、そして……
(やっぱり、同じ。でも、何かが違う気がする……。それは私自身が変わってしまったからかしら。)
そっと身体を起こし、ベッドから足を下ろす。ふかふかの絨毯が沈み込むように足を受け止める。その感触は、長い間馴染んできたもののように自然だった。それが、むしろ不気味だった。あれほど明確に「終わった」と思ったはずの死の感触。その直後に、まるで何事もなかったかのように「ここ」へ戻されるとは。
胸の奥に嫌な重苦しさが広がるのを感じながら、私は鏡の前へと足を運ぶ。血に塗れた最後の記憶とはまるで異なる、清潔で整えられた寝室。その中心で腰を下ろすと、鏡に映るのは見覚えのある顔。あの処刑台で味わったあの激痛も、独裁の果てに荒み切った気配も、いまは微塵も感じられない。頬には血色が戻り、肌は若々しさを取り戻していた。そこに映っているのは――「まだ絶望に染まる前」の私。
「……また、ここなのね」
吐き捨てるように呟いた声が、しんと静まり返った部屋に染み込む。夢だったと、そう思いたい。けれど、あの処刑台の絶望や、首を吊られた瞬間の痛みが、どうしようもなく生々しく胸を抉ってくる。
(私は、一度あの国を導いた。そして、権力に溺れ、粛清を繰り返し、民衆の怒りを買って処刑された――あれが真実。なのに、どうして。どうして私はまた戻ってきたの?)
鏡に映る瞳は、自分のものとは思えないほど暗く沈んでいた。試しに唇を引き上げ、笑みを作ろうとしてみる。けれど、そこに浮かぶのは歪な形のまま止まり、すぐに消え去る。心が追いつかない。あのとき失わせた命、捨て去った理想、すべてが頭をよぎるたびに、吐き気がこみ上げる。
「……もう、嫌」
微かな声が震え、部屋の静寂に溶けていく。あれほど血と涙にまみれて最期を迎えたというのに、今の私は再び「若き日の姿」へと戻されている。この不可解さは、恐怖というより、もはや限りない諦観を呼び起こす。
(もしやり直したところで、行き着く先は同じ──血と裏切り、そして破滅。そんな未来しか見えない。もう一度、あんな道を歩む気力なんて、私には残っていない……)
問いかける相手もいないまま、私はその場に座り込む。身体を動かす気力が湧かず、鏡の中の自分を見つめながら、心の奥底が少しずつ凍りついていく。「これ以上は抗えない」と、自分自身が悟ってしまったかのように。
すると、部屋の外から侍女らしき足音が近づき、遠慮がちに声がかかった。
「お嬢様、失礼いたします。ご体調はいかがでしょうか……?」
けれど、私は答えない。返事をする気力すらない。扉の向こう側では、しばらく待つような気配があったが、やがて気まずそうに立ち去る足音が聞こえた。そのやりとりでさえ、まるで他人事のように感じる。
(また、この世界が始まるのね。でも、私は……もう何をすればいいのかもわからないし、何もしたくない。)
深く沈み込むような虚脱感が、心の隅々まで広がっていく。白々しく降り注ぐ朝の光が、「おかえり」と告げるかのようで、その残酷さに思わず笑みすら忘れる。
鏡越しに映る私は、見た目こそ若返っているのに、どこにも輝きは残っていない。ただ、一度死んだはずの魂だけが、ここで再び呼吸をしている――その事実が、どうしようもないほどの絶望を伴って、私に突きつけられていた。