帝国の夜
ベーメンのごく普通な一軒家。
煙突から煙が出ている。
その家のドアを開け放つ。
「お、お前は!」
P38のトリガーを引く。
小気味いい銃声が数発鳴る。
暖炉の火に水を掛けて消す。
危うく書類が焼却処分される所だった。
「これは……。」
エンスラポイド作戦とその概要が書かれた書類を手にする。
その大部分は失われていたが、作戦名と、初動計画が記されていた。
「ふん、レジスタンスめ。何を考えていやがる。」
車に乗ってベルリンへの道を急がせる。
ベルリン市内に入り、ヴィルヘルム通り101番地にある、プリンツ・アルブレヒト宮殿の前で車を止める。
「ありがとう。もう帰っていいよ。」
車が夜の闇に消えたのを見計らって、中へ入る。
階段を上がり、彼の執務室へたどり着く。こんな所で、大虐殺が計画されているとは思えないほどの美しい装飾のされた部屋だ。
「長官。重要連絡です。」
「入れ。」
ドアを開けて中に入る。
柔らかそうな椅子に腰掛けて、フィールドグレーの制服に身体を包み、その屈託の無い顔を向けた男。
彼こそSD長官、ラインハルト・ハイドリヒである。
「わざわざ君が出向くことはないだろうに、ご苦労な事だ。」
「どうも現場にいないと落ち着かないのです。それに、こうした汚れ仕事は新兵には負担が大きいでしょうから。」
「ふむ。しかし、これは汚れ仕事ではないぞ。帝国の命運を決める神聖な仕事だ。もっとも、それを指示している男は神聖とは言えんかもしれんが……。」
「これは、失言でした。」
「なに、気にするな。それで?」
「はっ、先ほど始末したレジスタンスが興味深い資料を隠し持っていました。それを持参した次第です。」
と、資料を手渡す。一応コピーも取ってある。
「エンスラポイド作戦?」
「はっ。遺憾ながら資料の大部分は焼却処分されてしまっておりますが、英国が一枚噛んでいる作戦のようです。」
「これは重要だな。よくぞ確保してくれた。しかし、詳細が分からないのではな。」
「では、この作戦については私にお任せください。必ず詳細を掴んでみせます。」
「うむ。君なら任せられる。なるべく早く、どんな手段を使っても作戦の詳細を暴いてくれ。」
右手を高らかに上げる。
「ジークハイル!」
「ジークハイル。」
こうして俺はエンスラポイド作戦を探るため、ベーメンに限らず、チェコスロバキア中のレジスタンスの掃討作戦を開始した。本来ならゲシュタポの仕事だが、どうもじっとしていられない。数人のSD隊員を引き連れて、彼らの潜んでいそうな所を虱潰しに巡った。例えば、どこにでもある集合住宅の一室が怪しいと思い、そこに行った。
「蝶番を壊せ。」
二人の隊員にドアを開けさせる。ドアが一番罠を張りやすく、危ない。
部屋は薄暗く、人は誰もいないように見えるが。
「床だ。こじ開けろ。」
床材が異なる事に目を付けて、そこをこじ開けさせる。
そこには脱出のための出入り口があった。
「くそ、逃げられたか。」
机の上の資料をみる。英軍機の写真が添付されている。ハリファックスだ。
「これが参考になればいいがな。」
またあるときはベーメン・メーレンから出入りする車の検問をした。
「どこに行くのかね?」
「ベルリンへ観光よ。」
「そりゃいいな。」
と、車を見る。小型のトラックだ。女性がこんな車に乗ることを珍しく思っていると
「この車で観光か?」
「そうよ。なんなら調べますか?」
と、幌をめくってみせる。中には特に何もないようだ。
「まぁ、構わん。楽しんでな。」
「ええ。あなたも。」
と、収穫なし。
レジスタンス活動自体が最近は沈静化しているのだ。
これは本来は喜ばしい事であるが、俺の心には言いしれぬ不安が広がっていた。
事が進んだのは、それから2週間後であった。
イギリスからの数機の航空機がチェコスロバキアの領内空挺降下を行い。うち1機を撃墜した。ここに直行してみると、そこにはイギリス兵がいた。しかも、撃墜した機体はハリファックスであった。
すぐさまイギリス兵を尋問にかけるために、ベルリンへ連行する。
この尋問室に入る前に、俺は制服を着るようにしている。相手は対等な人である。それに対して相応しくない格好で望むのは良くない。双方の身分を明かし、初めて尋問ができる。そういうルールを自分で作ることで、自分の精神を保っているのだ。
フィールドグレー制服は卸したてで汚れも少ない。
階級章の4つの星はピカピカだ。それとは対象的に勲章はくすんでいる。一級鉄十字勲章と、ブラウンシュバイク章は突撃隊の頃からの物である。長官に拾われなければ俺はまだ突撃隊にいたかも知れない。
すっかり着替え終えて、尋問室に入る。
不機嫌そうなイギリス兵が居た。
彼の前に座る。
「単刀直入に聞こう。君たちの任務は何かね。」
「そんな事を言うわけがないだろう。」
「ただの爆撃ではない事は分かっているんだ。早く吐いてくれれば、こちらとしても最大限の尊重ができる。」
「しらん。」
このイギリス兵は強情である。
兵士としては優れている。大国イギリスの教育の質が高い事が伺える。
「少々ひどい目に合わせないと駄目かな。」
「無駄だ。我々は貴様らには屈しない。」
と、唾を飛ばしてくる。
まずは手始めに数日食事を与えなかった。難しいのは殺すとマズイという点だ。
「どうだい?お腹が空いただろう?」
「ふん。殺すならさっさと殺せ!」
「私は君は殺さない事にした。君は今回の捕虜で一番階級が高い。そこで君を試す事にした。外に出たまえ。」
と、彼を中庭に連れてゆく。そこには捕まえた他の捕虜を目隠しして縛り付けてあった。
「君が持っている情報を履いてくれれば君も君の部下も殺しはしない。しかし、君が話さなければ彼らは死ぬ。」
「くそったれめ。そんな事で俺が話すと思うか?」
「1時間あげよう。ゆっくり考えたまえ。」
と、部屋に戻る。
さて、どうなる?彼は軍人としての使命を全うするか?それとも人として命令にも背けるか?
シュペツィを飲みながら彼を眺める。
そうしていると、1時間なんてあっという間だ。
「さて、考えは纏まったかな。」
「どれだけ待っても俺は何も知らない。何も喋らない。」
「そうか。君は軍人として素晴らしいな。しかし、人としては最低だ。国は君を助けてくれない。そんな国に尽くし続けて、部下を殺す君の判断は間違っていたな。」
と、手を上げる。
銃声が数回鳴って、捕虜たちを殺して行く。
「さて、君の判断で君の部下は死んだが君はどうする?」
「殺せ。」
「そうじゃない。どう責任を取るのかと聞いているんだ。未来のある若者を死にいたらしめて、どう責任を取るのかと聞いているんだ。」
「ぶっ殺してやる。」
「そうだ!そうだとも、そうしなくてはな?そうしなくては部下に示しがつかないものなぁ?では、誰を殺す?私か?違う違う、私ではない。」
「貴様も、ヒトラーも殺してやる。」
「それではこれは終わらないのだよ。私のような小物を殺したところでこの殺戮は終わりはしないのだ。もちろん、総統閣下を殺しても終わらない。では君は?誰を殺してこれを終わらせる?」
「ハイドリヒ!やつもろとも貴様らをぶっ殺してやる!」
「そうだ!そのために君たちは来たんだからな?」
奴は怒りがサッと引いて驚いたような顔をした。
「確信したよ。やはりこの作戦、エンスラポイド作戦はハイドリヒ長官を暗殺する計画だったのだな?」
「し、しらん!」
「いいや、知っているとも。君の部下が話してくれたよ。」
「なに!?」
「案ずるな。さっき死んだのは別の捕虜なのだ。君の部下たちは君以上に人として合理的な判断をしてみせたのだ。」
「くそ!俺を試したな?」
「そうだとも。国や組織に疑問を持ち、自分の意志で自分の最大利益を達成する。それこそ本来の人間らしさなのだよ。」
「何を言ってやがる!」
「それがわからないから君は軍人なのだ。さようなら。」
銃を撃つ。
国や組織に疑問を持ち、行動をしたから、我々は第三帝国を建国したのだ。
この崇高な思想をこの哀れな男は理解できなかったようだ。
やはり、エンスラポイド作戦はハイドリヒ長官暗殺作戦であった。
彼を試して、その確証を得た。
問題なのは、撃墜しそこねた航空機である。
おそらく作戦は問題なく行われるだろう。
この報告をしに、私はまたこの執務室へ来た。
「どうかね。」
「エンスラポイド作戦の詳細がわかりました。これは長官の暗殺計画です。」
「なるほど。奴らめ、私一人を殺したところで何も変わらんというのにな。」
「しかし、ここで長官が死なれれば私の立場も無くなります。」
「ではどうする?」
「この作戦を失敗に終わらせて、宣伝に使いましょう。」
「ふむ。面白い。流石に策略家だな。」
「それも長官に拾ってもらえたからであります。」
「なに、君の才能は突撃隊には理解できなかった。君のような才能を私は見つけられて幸運だった。」
「では、私は拾われた才能を存分に発揮するといたしましょう。」
こうして、エンスラポイド作戦を失敗させるべく、作戦立案を始めた。
作戦は承認を受け、あとは相手の実行待ちとなったが、これが全く来ないので気が抜ける。
おそらく、長官がいつも同じルートでプラハに来ている事はもうバレているはずである。
そして、襲撃場所も何となくの予測はたった。
何より、電車などの暗殺しやすそうな乗り物には乗らないようにし、さらに一つ工夫を挟むことで、安全にしていた。
だが、こうした気の抜けていた時に、物事は起こる。
1942年5月27日の朝。いつものように長官ともに車に乗っていた所、それは起こった。
何者から何かが投げこまれようとした。
それはまるでスローモーションかのようにコマ送りに見えた。手榴弾だ!
敵はまんまと罠にかかった。俺は車から飛び降りてその手榴弾を防ぐための盾を構える。
それにいち早く反応した、路面電車の駅に配備した兵士がその何者かを撃ち殺す。
幸いなことに手榴弾が投げられる直前で、その男の死体の足元に手榴弾は落ちて爆発した。
この爆音に誰もが驚く。その中に、予定と異なる突然のことに銃を構えながらうろたえる男がいた。
それに向かって銃を撃つ。
「全員動くな!逮捕だ!」
ここまでは完璧だった。親衛隊がその場に突入する瞬間、俺が撃った奴が死にものぐるいで俺がけて突っ込んでくる。自爆する気だ!
腰からナイフを取り出して刺し殺す。
危うく自爆するされる所だった。
しかし、このスキに他の敵数人が逃げる長官を追いかけ、自爆した。
「くそ、やられたか!」
その場は騒然とした。
暗殺作戦は一瞬の出来事であり、命を狙われたこともあり、俺の心は穏やかではなかった。
長官に駆け寄る。
「長官!」
しかし、彼は即死であった。
「くっ……。流石にこの作戦は無謀だったか?」
思わず目を背ける。敵を殺すのに躊躇いはないが、仲間が死ぬのは悲しい事だった。
実行犯らの生き残りは全員逮捕し、収容所へ連れて行った。
「即刻死刑だ!」とアドルフ・ヒトラーは叫ぶ。
「わかりました。その処刑は私がやってもよろしいですか。」
「もちろんだ!愚かなるイギリスにさばきの鉄槌を下してやれ。」
と、総統閣下の命令もあり、俺はその日のうちに捕まえたイギリス兵とレジスタンスを処刑台に並べて処刑した。
その様子をテープに残し、宣伝映画を作る。
この映画『偉大なるハイドリヒ』は大ヒット作品となる。これは連日チェコで放送され、レジスタンスの規模は徐々に縮小した。
長官が暗殺されたというのに、なぜ縮小したのか疑問に思うかもしれない。その理由は……。
「君も本を書いているのかね。」
「ええ。出版社に書けと頼まれましてね。」
「そうだろう。それだけのことを成して見せたのだから。」
「長官もご無事で良かったです。影武者は犠牲となりましたが。」
「彼は名誉の戦死を遂げた。私は彼の死を無駄にはしない。このチェコは今後、恐怖政治によって帝国の主要な産業地帯となるのだ。」
と、力を込めて机を叩く。
「ジークハイル!」と、敬礼する。
「ジークハイル。君もご苦労だったな。」
「その言葉だけで満足です。これからも精進します。」
「うむ。よろしく頼むぞ。」
長官と握手をして、執務室から出る。
ベルリンは夜になりつつある。
そして、帝国の夜もまた、まだ始まったばかりであった。
キャラクター設定
主人公
親衛隊国家保安本部のSD所属の親衛隊少佐。
一級鉄十字勲章と、ブラウンシュバイク章を受賞している。制服には菱形のSD章とSD-Hauptamtのカフをつけているが、防諜の為尋問の時しか制服は着ない。
元々は突撃隊に所属していたが、その粗暴な組織の体質に嫌気が差して離脱。
その後、その能力をハイドリヒに買われて親衛隊に移籍する。
1934年、長いナイフの夜事件でプロイセン州での粛清に加担し、その功績で少佐に昇格した。また、この事件で非人道的な行為に躊躇いが無くなる。
その後もハイドリヒの懐刀として暗躍する。
ラインハルト・ハイドリヒ
親衛隊国家保安本部の長官。
ベーメン・メーレン保護領副総督。
路頭に迷っていた主人公を部下にする。
その他は現実と同じ。
用語説明
ベーメン・メーレン保護領
ナチスドイツが設置したチェコ人の保護領。
P38
ワルサー社製の傑作拳銃。
エンスラポイド作戦
ハイドリヒ暗殺作戦。史実では成功に終わるが、実行犯らは自殺する。
親衛隊
アドルフ・ヒトラー衝撃隊を前身とするヒトラー個人の警備部隊。後に虐殺などの戦争犯罪へ加担していく。
国家保安本部
親衛隊の12ある本部の1つ。
ジポとSDから成る。この組織のトップがハイドリヒである。
ジポ
ゲシュタポとクリポ(刑事警察)を統合してできた組織。作中、ゲシュタポと表現しているが、彼らはジポでもある。
ゲシュタポ
プロイセン政治警察を強化してできた部隊。
SD
ハイドリヒによって設立された諜報機関。
主人公はここの本部所属。
業務内容がゲシュタポとかぶっているが、実際にはSDが計画しゲシュタポが実行、という関係であったらしい。
フィールドグレー制服
親衛隊の最終的な制服。1938年に採用されるも、なかなか普及はしなかったようだ。
一級鉄十字勲章
第一次世界大戦での功績を認められ授与された勲章。
ブラウンシュバイク章
ブラウンシュバイク党大会を記念して作られた物。
ハリファクス
イギリスの重爆撃機。