2. 幼女との契約、新しい名前
2.
人間にツノはない。
だとすれば、俺の頭に生えた2本の棒はなんだろうか。
「……諦めよう。」
流石に。永遠とツノをさすりながら考えているのは、なんだかツノがすり減りそうで嫌だし。
俺は、どうやら悪魔として生まれ変わったらしい––––というのは少し語弊がある。
悪魔は、人が死んで地獄に落ちた時、強い殺意を持っていた場合になるものだ。死ぬ前の本人の力量、加えて殺意の高さが強さに直結する。だから、通常極悪非道な犯罪者たちは死後すぐに厳重な封印が施され、永遠に闇を彷徨い続ける……
「俺のことを封印しなかったんだな、アイツ。」
ポツリと呟いた声が思っていたより驚きと切なさを含んでいて、少しショックだった。こんな気持ち悪い声出せたのか、俺。
でも、確かに俺は当然封印されたものと思っていた。それだけのことをしていた自覚はある。神がくれたチャンス、とういうのは流石に神を馬鹿にしていたかもしれない。
「俺は死んだ時一片の殺意もなかった。ということは、強い殺意を持っていたのは……」
地獄で自我を持っていた、俺の体に潜む呪いだ。
心臓がどくりと嫌な音を立てた気がして、慌てて深呼吸する。もしそれが未だ俺の体の中にあるのなら、俺は第二の人生はスローライフなどと言ってはいられない。
––––一度このことを考えるのはやめよう。まだ周りのことを確認するべきだ。
それに、前回とは違って俺はこの呪いを使いこなせる可能性がある。それはなぜか?
結論だけ述べれば、俺の悪魔としてのレベルは尋常でなく高いから。人外の有り余る殺意と、莫大な魔力。前世では魔力量が完全にキャパオーバーだったが、今の体の許容量なら全く問題ない。それがどれほど異常なことか、きっと俺以外にはわからないだろう。
強力な呪いの一番怖いところは、それがいつ暴発するかわからないところだ。呪われてから時間が経てば経つほど、それは威力を増す。タイムリミットがわからない時限爆弾型の呪いは、発動すればまず間違いなく重傷を負う。
だが、膨れ上がっていく呪いを魔力で無理やり封じ込め、ある程度自分でタイムリミットを決めることもできる。ただ、それには相当の魔力とそれを抱えられるだけの魔力許容量が必要だ。前回の俺は元から既に魔力が高かったことに加え、うけた呪いがそれ以上の魔力を体に取り込ませたために度々体が暴発した。
けれど今、悪魔となった俺はその魔力許容量が人間だった頃の200倍はある。加えて、俺の中の呪いも何故か大人しい。前はとてもうるさかった。
「ここでまた気になってくるのは、俺を召喚した魔術師の存在か……。」
強い悪魔を呼び出すのは、それが強ければ強いほど難しい。今の俺は正直指先を曲げる動作ひとつでその先数十キロを破壊できるだろう。やらないけど。
俺を呼び出したやつは、それが複数人であろうとなかろうととんでもなく強い。
考えれば考えるほど警戒心は湧いてくるが、相変わらず辺りはしんとしていて霊でも出てきそうな無人の森だった。早くこの森から出たい。しかし、ここを人間が通りかからない限り俺はこの印の外からは抜け出せないのだ。
一歩外に出たら最後、地獄へ逆戻りである。
「せっかくなら、もう少し生きてみたいよなぁ……この体ならできないことあまりなさそうだし。」
そして、叶うことなら俺の守ったものがどうなったか見てみたい。
「ここが並行世界だったり全く別の異世界って可能性もなくはないけど……きっとどんな世界でも前世よりマシな生き方ができるはずだ。」
契約する人間が、無茶な要求をしなければ。断ることもできるとは思うが、選り好みできるほどこの森に人はこなさそうだった。
その時、からん、という音が聞こえた。続いてサクサクという足音と、小さな光。
俺を呼び寄せた魔術師だろうか。魔力は澱みなく流れている。なら、いつも通りに魔力を放てるはずだ。足場が悪いのが問題だけど……
「 俺を服従させようって言うんだ。自分より強いことが前提の戦いになるだろう……もう慣れっこだ、そういうのは。」
光はどんどん近づいてくる。そのうち、悪魔の脅威的な聴力が大人の足音にしてはやけに軽いことを教えた。
からん、からん。
「……あれ?」
え?
「……女の、子?」
カンテラを片手に持った10歳くらいの可愛らしい女の子が、俺を見つめていた。照らし出された顔があまりにも綺麗で、思わず言葉を失ってしまうほどに。
体の半分ほどある流れるような白髪に、ルビーのような赫い瞳。その子供はしばらく俺を見ていたが、急にハッとしたような顔で自己紹介をした。
「こんばんは、蝶蘭だよ!おにいさんなにしてるの?」
こんな夜の森で突っ立っている男の人に話しかけるのはやめなさい。しかもお兄さん、ツノまで生えた悪魔なんですけど。
でも話しかけられたのは嬉しかったので、返事をあげた。
「こんばんは。こんな夜遅くに森にいるのは危ないと思うよ。早くお家に帰りな。」
少なくともこんな子供に俺を背負わせるわけにはいかない。別の人を見つけよう。
「わかってるよ、そんなの。でも、おにいさんなにしてるの?」
ジリジリと詰め寄ってきたこの少女に、この命知らずめと叱りたい気持ちになる。俺にも弟がいたが、叱らずともこんな真似はしなかったと思う。
「俺は今これからの人生計画を構想中だ。この有り余る魔力を使ってダンジョンを攻略しまくり、大金持ちになろうと思う。」
話を早く切り上げたくてそんな適当を言うと、蝶蘭が目を輝かせた。
「冒険者、ってこと?!蝶蘭ほかはなにもわかんないけど、冒険者と勇者様だけはくわしいんだよ!すぺるもわかるんだ。いいなぁ、冒険者。蝶蘭もおにいさんみたいになりたいよ。」
そう、冒険者には夢がある。死ぬか生きるかのデッドオアアライブ、だが高難易度のダンジョンをクリアしたり、高額報酬の依頼を達成出来たら一攫千金。自分でも言ってて意外と悪くない案だと思ってきた。しかし、聞き捨てならないことが1つ。
「勇者様って、なんだ?」
蝶蘭がびっくりして跳ね上がる。カンテラがまた音を立てて揺れた。
「勇者様を知らないの?!勇者様はねぇ、ここのもっとずっとうえにあるくにの王さまで、魔王さまを倒したの!きょうちょうど王さまになったんだって、みんな言ってたよ!」
死ぬ直前に聞いた言葉を思い出す。
『僕達はお前に数多くの幸せを奪われてきた……!それも今日で終わりだ!』
……そうか。お前の夢は……
「その国って、ハーデンベルギアか?」
俺の様子が変わったのを見て取ったのか、蝶蘭は少しだけ後ずさった。
「うん、そんなかんじだった、とおもう。」
魔王を倒した勇者、か。
俺の、俺たちの夢は順調なようだ。
「じゃあここはアスチルベ皇国で合ってるか?」
「うん、そうだとおもうよ!」
俺が今までになくやわらかな雰囲気になったのをこれまた見て取ったのか、蝶蘭はまたニコニコと元気良くなった。
ここが俺が死んだ世界と全く同じ世界で、時間だけが経っているとすれば。俺は心残りだった弟のことを見届けなければならない。
前世と同じように、正体を誰にも知られず。悪魔というのはいるだけで混乱を呼び起こすものだ––––前世の自分の恐れられようとは到底比べ物にはならないが。あくまでも底力の脅威で言えば、今の方がダントツで恐ろしい。
「今は何年なんだ?」
そのために、この情報は不可欠だと思った……が。
「蝶蘭、それはわかんないよ。しってるのは冒険者と勇者様のことだけ。」
頼りない返事に思わず首を落とす。しかし、めげてはいられないのだ。次ここを人が通るのは何年後になるやもしれん。
「魔王が倒されてから何年だ?」
「それならわかる!20年!」
20年。思ったより長く地獄にいたことに驚く。魔力で寿命が長いとはいえ、20年とは長い時間だ。
「そうか、ありがとな蝶蘭。お前は本当にもう帰った方がいい。」
これからのことは一人で考えられる。そういうと蝶蘭は何故か落ち込んだ。
「えー、まだいっしょがいい……」
「ダメだ。家族が心配するぞ?」
もし俺の弟がこんなに暗くなっても帰ってこなかったら。そう思うだけでゾッとする。
「そ、か……ねぇおにいさん、おなまえおしえて。蝶蘭いつかおおきくなって、冒険者になって、おにいさんのことさがす!」
「探さなくていいよ……俺の名はア……えーと、まだない。蝶蘭が決めて。」
この年頃の子供はやたらと物に名前をつけたがるからな。そう思って言ってみたら、蝶蘭はすごく喜んだ。やはり子供は可愛い。
それに、前世の名前も気に入ってはいるが、俺の新しい人生には不要だ。
「そうだね、じゃぁ、雹華!どう?きにいった?」
知らなかったのだ。
「かっこいいな。それにするよ……
って、…………おいおいおいおい?!」
名前を教え合うことで、契約が成立するなど。前世の俺は博識ではあったが、悪魔を召喚しようなどという物好きではなかったから無理もない。
「それにするよ」の「そ」の字を言う前に輝き出した悪魔召喚の印。
「なんか雹華のしたのらくがき赤くひかってるね、きれい!」
これは……!
完全に契約が成立した証だ。本の中の図形に載ってたやつだ……。
そもそも契約をした覚えはなかったのだが、一つだけ思い当たるのは冒険者の話。ダンジョンで大金持ちの夢を、お互いに持っていたという点か。……そんなざっくりしてていいのか?!確かに召喚者でなければ契約できないということはない。しかし、悪魔は自分より弱い者には従わず、悪魔であれば一番弱かったとしてもただの人よりは圧倒的に強い。結果的に召喚者以外が悪魔と契約することは極めて稀なのだ。
俺は普通の悪魔じゃないんだからもっと気をつけるべきだった……。
何はともあれ、俺はもう蝶蘭についていくしかない。少なくとも、契約の解除方法がわかるまでは。印を踏み越え、立ち去ろうとする蝶蘭に声をかけた。幸い俺は年下の扱いには慣れている。
「蝶蘭!」
これが始まりだ。カンテラの揺れる音と共に、彼女は振り向いた。
「友達にならないか?」