④
それは物理的な衝撃。
突然反転した視界。
次いで頭がガツンと揺れて、それから脇腹が僅かに傷んだ。彼女に押されたと分かった俺は聞こえた咆哮に顔を跳ね上げた。
下界の獣と見間違うほどの咆哮は、彼女の聞いたことも無いような声だった。
殺意の込められた怒声。
その殺意の先は、憎くも彼女と同じ羽を持つ天使だった。尻込みする部下であろう天使に、彼女は迷いなく自らの槍を向けた。
彼女と彼が纏うキトンは同じハズなのに、彼女の物は赤くて。
俺が動くよりも前に、彼女は腕を振り切る。強制送還される天使の残穢を見送り、そして程なくして彼女は膝から崩れ落ちた。
喉から自然と溢れ出た喘ぎは情けなく震えて、ジクジクと痛む横腹を抱えながら彼女の元に寄るのがやっと。前回の抗争ぶりの痛みだ。突然のことに身体が対応出来るはずもなかった。
天界お手製対悪魔用の【聖槍】。
読んで字の如く、悪魔にバッチリ効くように作られた厄介なブツである。かすり傷でもその対象が悪魔となれば大火傷を負わせることが出来るような代物だ。
しかし俺がこんなかすり傷で済んでいるのは、紛れもなく目の前で赤混じりの咳を零している彼女のおかげである。俺の代わりに肋骨の下を貫かれた彼女は食道を戻る液体に気管を狭ばせながら、近寄る俺にふと微笑んだ。
対悪魔用とは言え、天使だとしても急所を突かれれば致命傷に成りうるらしい。ニンゲンで言う血液のような、その身が天使である証でもある鮮烈な赤は、生命力でありその天使の存在を証明するためのものだ。
溢れて、溢れて。
止まらない。
だめだ。消えてしまう。そう思ったその瞬間、硬直していた身体が解き放たれる。痛む脇腹など、目の前の彼女と比べれば可愛いものだ。そうだろう。俺は何度も自分に言い聞かせ、彼女の傍らに跪いた。
重たい頭を抱き寄せて、お世辞にも柔らかいとは言えないであろう自分の膝に落ち着かせる。槍が刺さっていた箇所から既に崩壊が始まっていた。石像のように身体中にヒビが入りそこから崩壊していく。
いよいよ、いよいよだ。
止血をするために押し付けた上着は薄情にも赤く染まるだけで、治しはしない。悪魔である俺に、彼女を治す手段はない。いや、全く無いと言えば嘘になるが、それは彼女から自我を奪うことになる。それは許されない。天界や魔界のあれこれではない。ただ、自分が自分を堪らなく殺してしまいたくなるからだ。