クラスメイトと先生と
身を乗り出す様にして、佐倉が言った。
「七瀬さ、和泉となんかあったの?」
「え?」
「話してたじゃん、さっき。そこで」
聞かれてたんだ。
内心の動揺を隠し、結衣子は飲みきりサイズの牛乳パックにストローを挿した。ぷすりと小気味良い感触が指先を伝う。
「別に。わからないとこ聞いてただけ」
「うわ真面目」
戯けた低い声が返ってきて、結衣子はむっと隣を見つめた。
午後。昼休みを告げるチャイムが鳴ったばかりだった。
席が近く、小・中と一緒だったこともあり、クラスメイトの男子、佐倉紘とはよく話す方だった。高校では疎遠になりかけていたのだけれど、二年にあがり、同じクラスになったことで、最近また話すようになったのだ。
癖のない強そうな黒髪と、リスみたいにくりっとした目。
人懐っこく、物おじしない佐倉には、小さな頃からたくさんの友人がいた。発言力も高く、どのクラスでも中心人物になっていて、野球が好きで、小学校では少年野球、中学でも部活のレギュラーで活躍して、今もピッチャーを任されているらしい。佐倉はそんな、聞いてもいない情報をぺらぺらと話してくる、よく喋る男の子だった。
「いや、なんか珍しいなーと思ってさ」
机にかけている学生鞄から弁当箱を取り出して、佐倉は言った。
「和泉みたいな先生、七瀬は苦手なんじゃないかと思ってたから」
白と紺色のストライプ柄のナプキンがほどかれ現れたのは、二段重ねの大きな弁当箱だった。
ぱかりと降ろされた一段目に白米と梅干し。二段目には唐揚げや卵焼きといった定番のおかずがぎゅうぎゅうに詰まっていた。愛情の具現化みたいだった。
「そんなことないよ」
結衣子は言って、サンドイッチの透明テープを引っ張った。登校途中のコンビニで買った、ハムとレタスとタマゴのサンドだ。
「いい先生だと思う」
「だよな」
佐倉がプラスチックの箸をケースから取り出しながら頷く。
「冗談は通じるし、課題遅れても怒んないし。おれも好き」
両手を合わせていただきますの仕草をして、ブロッコリーをつまむ。結衣子は、自分だったら最初に卵焼きを選ぶな、と思った。そうしてここ数年、食べていないことに気づく。気づいてしまう。
「でもさ」
佐倉の声が不意に小さくなった。
「七瀬さっき〝あんな時間に〟とか言ってなかった?」
「……え」
瞬きした結衣子から、佐倉はばつが悪そうに目を逸らした。
「悪い。珍し過ぎてさ、ほんとはちょっと聞き耳立ててた」
サンドイッチを食べようとしていた結衣子の口が、そのままかたまる。
「なぁ、和泉となんかあったの?」
心配そうに、同じ質問を繰り返された。
佐倉はよく喋る男の子だけど、意地悪をしたり、人をからかうようなタイプではない。いじめられている男の子を仲間に入れてしまうような、お節介で、なのに煙たがられない、ちょうど良い塩梅を生まれた時から知っているような、そんな子だった。
だから彼はみんなから好かれている。
今だって購買に行っている友人らが帰ってくる前にと、急いで結衣子に話しかけてくれたに違いなかった。結衣子が、こそこそしていることに気づいていたから。
「ごめん。言いたくないことなんだよな」
でも気になっちゃって。と佐倉から引き下がる。
結衣子はほっとしながら、首を横に振った。
「ううん。でもあの、ほんとにやましいことじゃなくて……ちょっと、あっただけだから」
「そう言われると、余計に気になるんだけど」
いつものトーンに戻って、佐倉がふっと笑った。
そうやって、空気を軽くしようとしてくれているのだった。
気付いて、結衣子の口元も自然と綻ぶ。
よく、人の性質を隠と陽に分けることがあるけれど、そのルールに則れば、佐倉は間違いなく陽に属する人間だった。そこにいるだけで周りを明るく照らしてくれる、あたたかい、素敵な太陽。
でもじゃあ。
そのルールに当てはめるとしたら、【先生】はどっちだろう──?
明るいことは明るいけれど。
どちらかというと。あの人は。
ぼんやり、そう考えた瞬間だった。
昼休み特有のゆるい空気のなかに、落ち着いた大人の声が混ざった。
「七瀬さん、いる?」
昼休みがはじまって五分足らず。
教室にはまだ、半数以上の生徒が残っていた。
名指しされた結衣子は、思わず隠れたくなる。
しかし。
「あー、いたいた。よかった」
教室を覗いていた和泉は結衣子を見つけ、にっこりと笑った。
全然、よくはない。
教室中の視線が集まるのがとても恥ずかしかった。
「ちょっといい?」
しかし、そう手招きされてしまって、結衣子は仕方なく立ち上がる。
「……はい」
廊下に出たら出たで、通りすがる生徒の視線も痛かった。
だから結衣子は早々に要件を聞き出す。
「何ですか」
「ごめんね、ご飯中に」
和泉が言って、ポケットをまさぐる。
「さっき渡そうと思ってたんだけど、忘れてて」
本当にごめんと眉尻を下げた和泉に、学生手帳を差し出された。
「あ」
「車に落ちてたんだ」
ひそめられた声に、結衣子は頭を下げた。
「……ありがとうございます」
大人しく受け取れば、またにっこりと微笑まれる。
つくづく愛想のいい教師だった。
「うん、じゃあね」
ひらひらと手を振って、背を向けられる。
と、すかさず、隣のクラス──和泉が担任を受け持つクラスの女子生徒たちが、そのそばに並んだ。
「せんせ! あたしたちとごはん食べようよ」
「んー? おれ今日カップ麺だけど良いの? 良いなら理科室おいで」
「やった! すぐ行く!」
彼女たちもきっと、陽に入る子なのだろう。
そして、そんな生徒たちを穏やかに見守る、和泉は。
先生は──。
陽だけど、月だった。
淡くそっと、寄り添うように光る月。
そしてそのどちらにも、優劣などないのだった。
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