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教師に送ってもらった後の結衣子の一幕です。
やはり母は帰っていなかった。
また残業なのだろう。
帰宅後。
「ただいま」
返る声もない、2LDKの静かな部屋。
もう慣れた。だから寂しいだなんて思うこともない。
暗い室内に灯りをともし、自室に入った結衣子は、そのままぼふりとベッドに倒れ込んだ。横向きの体勢で、握ったスマホをぼんやりと見つめる。
緊張した。疲れた。これだったら一人で歩いて帰った方がマシだったと思えるくらいに、心がすり減っていた。車内は意外と狭すぎる。しかも密室。向こうから投げられる会話に相槌を打つも盛り上がることはなく、ようやくアパートが見えた時、やっと結衣子は呼吸が出来た気がした。
とはいっても、苦手な理科教師──和泉が自宅まで送ってくれたのは事実だ。礼の一言は言って然るべきだろう。でも教師の個人携帯へ連絡を取るだなんて初めてで、しかも担任でもないのにと、結衣子は迷う。なんて、送れば。
──気軽に連絡して。暇つぶしでもいいよ。
──けど、こんな時間には絶対一人で出歩かないよーに。
車を降りる間際、和泉は珍しく教師らしく、そんなふうに結衣子を注意した。一応教職員という自覚はあるらしい。意外な一面だった。知りたくもなかったけれど。
結衣子は、深いため息をつく。
……ほんとに、今度からは気をつけなくちゃ。
見つかったのが和泉だから、この程度で済んだのかもしれないから。
結衣子は起き上がると、意を決してメッセージアプリを開いた。両手で囲うように持ち、親指で文字をタップする。最初で最後になるだろう、連絡。
『こんばんは。七瀬です。送ってくださってありがとうございました。先生もお気をつけて。』
これでいいだろうか。
何度も読み返して、削って、足してを繰り返して作ったメッセージ。
無難で、どこからどう見ても普通の文面。ああでも、と、最後にもう一度だけ確認して、結衣子はやっと「送信」のアイコンに触れた。ひゅっと音がして、任務完了。
「よし」
一仕事終えたことに満足し、結衣子はようやくスマホを手放した。お風呂に入ってしまおうとベッドを離れて、クローゼットの手前で制服の赤いリボンを解きにかかる。その、瞬間。
ピコン──。
背後でした音に振り返る。ベッドの上、放置していたスマホに映るのはずっと睨めっこをしていたメッセージアプリの画面で。まさか、と覗き込めば、もう一度、同じ電子音が鳴った。ピコン、ピコン──。和泉からだった。
『どういたしまして。また明日』
『それから、勉強はほどほどに』
最後に届いたスタンプは、茶色のくまが「おやすみなさい」と布団にもぐっているイラストだった。
返信の速さに驚いたものの、気づけば時刻は二時を回ろうとしていて──結衣子は青ざめた。こんな時間にメッセージを送るだなんて、非常識にも程がある。
文面に悩み過ぎて、帰宅から一時間以上も経っていたのだ。
「……どうしよ」
もしかして起こしてしまったのだろうか。それとも寝付き始めた頃か。
謝るべき? でも、これ以上スマホを鳴らすわけにはいかない。ああ。失敗した。
慌てふためく結衣子は、結局その夜の謝罪は諦め、翌日、授業終わりの教師を捕まえて頭を下げた。白衣の和泉は、いつもみたいに柔らかく笑っていた。きっと、結衣子が思っているよりも善い人なのだろう。