先生の恋人
結衣子視点。
夏休み前の放課後です。
あるうららかな午後のこと。
それはふいに落とされた──爆弾発言だった。
「そいえば先生ってさ、彼女いるの?」
携帯から顔をあげた咲喜の、何気ない一言に。
結衣子は思わず息を呑んでいた。
「さ、咲喜?」
親友を振り返り、うわずった声をあげてしまう。なんてことを聞くのだろう。プライベート過ぎて結衣子が聞くに聞けなかった──だけどずっと気になっていた、和泉の恋人のこと。
それは修学旅行も無事に終わった一学期の終盤、放課後のことだった。結衣子は咲喜とともに理科準備室の片隅を陣取り、自主勉強に励んでいた。とはいっても就職組の咲喜はずっと携帯でゲームをしていて、結衣子が和泉のファンから変な勘ぐりを受けないよう、付き合ってくれているだけだったが。
「んー……? 今はいないよ」
と、質問を受けた本人──和泉は動じることなく答えた。目線はノートPCに向けたまま、文面を確認している。
「ええ、意外。先生って途切れなさそうなのに」
「そう?」
「うん。なんかこう、被ってる時期がありそうっていうか」
「………間宮さんっておれのこと軽いやつって思ってない?」
「違うの?」
「どっちかって言うと重いよ」
「うえ、それはそれでヤダ」
「うえって……」
パソコンから目を離した和泉が、呆れたようにこちらを向く。と、咲喜越しに和泉と目があって、結衣子はわずかに身をこわばらせた。──直感通り、ふんわりと微笑まれる。
「七瀬さんはおれがマジメだって、ちゃんとわかってくれてるもんね」
(……っ、その顔は反則です)
結衣子は思いながら「はい」と小さく頷いた。
実のところ、結衣子も入学当初は──というか去年の秋頃までは、和泉のことを軽薄な男だと誤解していた。彼の気さくさや近すぎる距離が苦手で、なるべく関わらないようにしようと避けていた。
でも、今は違う。
ほんの少しでもいっしょにいたくて、校内にいる時間は無意識に和泉を探してしまっていた。自分でも驚くべき変化だった。
「ほんとにー? ちょっと結衣子、言わされてない?」
「言わされてなんかないよ。前にも言ったでしょ、先生、すごく丁寧に教えてくれるんだって」
「ああ、七瀬さんほんといい子。涙出てくる」
「ちょっと変な演技しないでよ、気持ち悪い」
「間宮さんは逆に厳しすぎるよね、なんで?」
「えー? ノリ?」
そうしてわいわいと話しながら。結衣子は思いがけず入手した情報──和泉に恋人がいない事実を噛みしめて少しだけ安堵した。
(【今は】いないんだ……)
前に彼の親戚である和泉澪を恋人と勘違いしたことはあったけれど。あのときもいないようなことを言っていた気がする。だとしたら……
「あの、ちなみにどのくらい居ないんですか」
流れで、と勇気を出して聞いた結衣子に、和泉と咲喜が目を瞬かせる。やっぱり聞いてはいけなかっただろうかと萎縮しそうになった結衣子に、けれど和泉は「えっと」と片手の指を折りだした。
「どれくらいだろ…………1……ん? 2年? あれ今年って何年だっけ」
「ちょっとおじいちゃん大丈夫?」
「ひど。まだ20代なんですけど」
「だったら覚えてなよ」
結局和泉は「たぶん2年くらい?」と曖昧に微笑んだ。
「でも、七瀬さんがおれに興味もってくれるなんて嬉しいな」
「なになに結衣子。やっと好きな人でも出来た?」
「え、そうなの?」
「や、そんなんじゃないけど……」
ふたりからの質問に、結衣子は慌てて首を横に振った。
和泉のことを知りたいだけだなんて、口が裂けても言えない。
「ど、どうなのかなあって。ちょっとだけ気になって」
「んー人それぞれだと思うよ? 長い子は長いし、短い子は短いし。佐倉とか」
「ああ佐倉くんモテるもんね」
「先生が言うと嫌みよね」
「? どうして?」
「告白されまくってるじゃん」
「…………免職になれと?」
和泉はひとつため息をつくと、小休憩しようとコーヒーを淹れ始めた。結衣子と、咲喜の分もとついでに作りはじめる。ケトルでお湯を沸かす間、並べたコップにインスタントの粉を注ぎつつ、会話を続ける。
「それこそおれだって長続きしない方だよ。間宮さんはもう1年だっけ? すごいなって思う」
「んん。あたしのは……相手が大人だから、かも」
咲喜には年上の恋人がいる。結衣子は会ったことはないけれど、いつもとても仲が良さそうで喧嘩しただとかは聞いたことがなかった。
「まあ、それもあるかもだけどさ」
カチリとケトルが沸騰を知らせる音を鳴らし、和泉がそれを持ち上げる。そうしてゆっくりとコップにお湯を注げば、たちまちコーヒーの良い香りが室内を満たした。
「間宮さんたちが長く続いているのは、間宮さんたちが努力してるからじゃないかな。人と付き合うって結局、相手を尊重したり、約束を破らなかったり、そういう小さくて当たり前のことが大事だと思うし」
「………………そう、かな」
ぽつりと咲喜が言って、頷く。
「うん、でも。たしかにそうかも」
そうして「珍しく先生っぽいことを言うじゃない」と、恥ずかしそうに身をよじった。
「先生ですよ」
ふふ、と笑いながら和泉が湯気の立つコップを咲喜へと手渡した。次いで結衣子にも砂糖入りのそれを渡してくれる。
(……先生は私の好みを覚えてくれてる)
これもある意味「相手を尊重」することになるのかな、と結衣子は嬉しくなりながらそっと口をつけた。甘くて苦い、不思議な味が口内に広がる。
「……私も、もし付き合う人が出来たら長続き出来たらいいな」
相手を思いやりつつ、思われつつ。当たり前のことを、繰り返していけたら。
「七瀬さんなら大丈夫だよ。絶対」
「だね。結衣子は長続きしそう」
「そうかな」
「うん。で、先生もそろそろ長続きする恋人が出来たらいいねえ」
「そーですねー」
咲喜がまた和泉をからかいはじめて、結衣子はその光景に微笑んだ。
──この気持ちがバレていないのは良いことだけれど。正直、こんな場面ではちょっぴり切なくなる。やはり自分は、彼の眼中にはまったく入っていないのだと思い知らされるようで。
爽やかな夏の風が吹いた。
一学期が終わり、もうすぐ夏休みがくる。
それはすなわち、しばらく和泉と会えない日々が続くということだった。
読んでくださってありがとうございました。




