青い春
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」
「? なに?」
「………結衣子、放課後和泉と会ってるって、ホント?」
親友からの唐突な質問に、結衣子は思わずかたまってしまった。かまわず、親友はさらに詰め寄ってくる。
「ねえ、どうなの?」
今日は天気がいいから外で食べようと、咲喜に連れ出されたのはつい先ほどのこと。中庭のベンチに並んで座った結衣子と咲喜は、それぞれ膝の上にお弁当を広げたところだった。
外で食べようなんて誘われたのは初めてで、結衣子は(珍しいな)くらいに思っていたけれど。──つまり咲喜は教室で聞きにくいその話題を口にしたかったらしい。
「……あの……どうして?」
そんなことを聞くのと、声をうわずらせた結衣子に、咲喜はふうっとため息をこぼした。
「バレー部の後輩がさ、『理科準備室でふたりを見た』って騒いでて。あたしは『なんか用事があったんじゃない?』って言ったんだけどさー、『3回も見たんです! 絶対なにかあります!』って聞かなくて」
「…………そう、なんだ」
「うん。それで、ね。真相を確かめてほしいって頼まれちゃったんだけど……」
困り顔の咲喜は半信半疑のようだった。
へたな嘘はつけそうにない。
──週に1、2回。時間にして1時間程度。頻度としてはそう多くないと思い込んでいた結衣子は、反省した。和泉といられる時間が、緊張はするけど幸せで、ほっとして、ついつい訪
ね過ぎてしまっていたらしい。
自重しないと。
思いつつ、口を開く。
「わからないところがあったから聞いてただけ。先生、教え方うまくて」
「あー、やっぱりね。そんなことだろうと思った。ったく、騒ぎすぎよね」
「ふふ。和泉先生、人気だね」
「顔と愛想が無駄にいいからよ。一年とか、ほとんど関わりないくせにさ」
「……たしかに」
和泉の受け持ちは結衣子たち二年生で、基本的に他の学年を見ることはない。あったとしても、彼が担当している生徒会のメンバーくらいのものだろう。
(でも。そっか……先生、一年生にも好かれてるんだ)
思うと同時、胸の辺りにもやもやが広がっていく。
和泉は、一年生にもあの笑顔を振りまいているのだろうか。……いるのだろう。女の子たちに囲まれながら愛想良く応対する姿なんて容易に想像できる。見慣れた光景ではあるけれど、いやなものは──いやだった。
(先生はべつに、私だけの先生じゃないのに)
こんなことを考えるのはよくないと、結衣子は必死に思考を切り替えた。和泉を独占したいだなんて、あつかましいにもほどがあった。
と、隣から咲喜が首をかしげてくる。
「でもさ和泉ってそんなに教え方うまいの? 授業は聞きやすいと思うけど」
「うん。すごく丁寧だし、順序立ててくれるからわかりやすいよ。数学もできるんだから、反則だと思う」
「へえ。……あーでも、そんなこと後輩に教えたら『自分も通いたい』とか言い出しそう」
「あはは、だね」
(先生は、断らないだろうな)
そう確信して、結衣子はほんの少し寂しさを覚える。さきほども感じたことだけれど、自分は意外と独占欲が強いらしい。
自然と顔が俯いて、膝上のコンビニ弁当を見下ろした。
「変な噂立ったらいやだし、私は通うの控えようかな」
「ええ? けどわかりやすいんでしょ? 気にすることないって」
「ん、でも。先生にも迷惑かけちゃうかもだし」
「ぜんぜん迷惑じゃないよ。むしろ大歓迎」
「…………っ」
神出鬼没。
なのかもしれない。
背後からかけられた穏やかな、大好きな声に、結衣子は息の根を止められる。
「だから、通うの控えないでね。七瀬さん」
「って、え、和泉!?」
「……間宮さん前も言ったけど、ほかの先生の前では【先生】つけてね」
じゃないとおれも怒られるから、と困ったように囁かれて。結衣子は、油の足りていない機械人形みたいなぎこちなさで後ろをふりかえった。
晴れやかな陽光の下、両手を白衣のポケットにいれたままの和泉がにこやかな笑顔を浮かべている。
「…………聞いてたんですか」
「うん。たまたま」
言いつつ、和泉はひとつ隣のベンチに腰をおろした。
咲喜もいっしょだから変な風にみられることはないだろうけれど。それでも、思わぬ和泉の出現に結衣子は落ち着きをなくしてしまった。膝上のコンビニ弁当を、隠したくなる。
「べつに密会してるわけじゃないのにねー」
「はは、和泉せんせーが軽薄そうに見えるからじゃないですか? 結衣子に変な噂立てないでよね」
頬杖をついた咲喜が、和泉をじとりとねめつける。とても教師に向ける態度ではなかったけれど、和泉が気にすることはない。
「ん。おれもそれは心配してるんだ。……嫌な気持ちにさせてたらごめんね」
そう和泉に謝られて、結衣子は大きく顔を横に振った。
「っ、全然……っ、むしろ私のほうが迷惑かけてるんじゃないかって」
「だからそれはないって。安心して」
「……はい」
でもさ、と咲喜が割って入る。
「うちの後輩みたいに変に勘繰る子もいるしさ。和泉も気をつけてあげてね」
「わかってる。やましいことなくても、周りはそう思ってくれないもんね」
「そうよ……あ! いいこと思いついた」
咲喜はぱっと顔を輝かせて、結衣子を向いた。
「あたしもそこにいればいいんだよ。部活もあるから時々になっちゃうけど」
「……でも」
「だって結衣子、判定あがったってこないだ喜んでたばっかりじゃない。それって、和泉のおかげでもあるんでしょ?」
結衣子の志望大学は、都内でも難問とされる名門で。このままいけば合格圏内だが、それでも不安がないわけではなかった。結衣子は自覚していた──自分は本番にひどく弱いのだと。だからいくら勉強してもし足りないような気がしてしまう。
そんな不安を、咲喜は鋭敏に感じとってくれていた。
「和泉みたいなぽやーんとした先生なら、結衣子もリラックスして勉強できそうだしさ。塾ばっかじゃ肩こっちゃうって」
「咲喜……」
咲喜とは高校からの付き合いだけれど、こんなに気の合う友人ははじめてだった。結衣子のことを想い考えてくれる親友に、伝えきれない感謝があふれだす。
「ありがとう。……そうしてくれると嬉しい」
「へへ、どういたしまして。あたしも成績上がるかもだしさ、一石二鳥だよ」
そんなふたりに、和泉は安心したように微笑んだ。
「ふふ。学年末テスト、楽しみだなぁ」
「「……!!」」
あんまり難しくしないでよ、と咲喜が怒ったように言って。結衣子は化学式を頭で反芻した。
季節が移ろおうとしている。
春を待ちわびる、昼下がりのことだった。
読んでくださってありがとうございます^^
次回は2.22(ねこのひ)にとても短いお話(sss)投稿予定です




