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3月14日

先生視点。

お返しの話です。

桜が咲く前。

【追記】2/9

あとがきに〝その後〟ss追加しました。

 中学に上がる直前のこと。春まであと一歩の、そう、今みたいな季節だった。

 母は突然、姿を消した。

 あとから知った言葉で言えば【蒸発】にあたるのだろう。父の暴力に耐えかねての結果だなんてことは、誰に言われるでもなくわかっていた。

 けれど。


 それならおれも────ぼくも連れて行ってくれたら良かったのに。


 その夢の中で。

 少年だった涼夜は静かに泣いていた。



 ***



「七瀬さ──」


 用事から戻った涼夜は、呼びかけて、口をつぐんだ。珍しい光景が広がっていたからだ。──……確かに今日は三月にしては暖かくて、上着も必要ないくらいで、とても過ごしやすかったけれど。でも。


(だからってこんなところで寝ちゃうかなぁ……)



 よほど疲れているのか。

 それとも、夜更かしか。


 くすりと笑って、涼夜は、音を立てないようその隣に腰掛けた。そうして、細い腕を枕にして眠っている生徒──七瀬結衣子を眺めやる。癖のない黒髪が、健やかな寝息を立てている少女を守るように流れていた。


 ……女の子は、特にこの年頃の子たちは、とても繊細だ。寝顔なんて絶対見られたくないだろう。だから起こさなくちゃと思うのに、どうにもそんな気分になれない。(生真面目な七瀬さんが眠ってしまうくらいだ、よっぽど眠たいはず。だから、もう少し寝かせてあげよう……)そんな言い訳めいた理屈を盾に、涼夜はパソコンに顔を向けた。


 ──七瀬から志望大学の判定が上がったと報告を受けたのが、ちょうど一月ひとつき前のこと。

 

 それは、こちらまでうれしくなる吉報だった。


(頑張ってるもんな、七瀬さん……)


 その日はバレンタインデーで。思いがけず七瀬からもらったチョコレートは、とてもとても……おいしかった。

 彼女のことだから、きっとパッケージや甘さやとあれこれ考え、選んでくれたに違いなかった。店先では、さぞ悩んだことだろう。その姿を迷いもなく想像して、涼夜は小さな笑みを浮かべる。


(……彼女は本当に良い子だ。だからおれも……守ってあげないと)


 思い、そっと七瀬を見下ろした。

 まだ起きる気配はない、その顔を、さきほどとは違った視点で【確認】する。


(怪我はない……かな)


 秋のはじまるころ。一度だけ見てしまった不自然な痣。それは涼夜が幼い頃、父親から受けた暴力の痕と酷似していて。だからだろう、以来涼夜は、七瀬を気にしないわけにはいかなくなった。



(『もうすぐ、桜が咲くね』って、言ってたっけ)


 それまでかばってくれていた母親は、なのに突然、涼夜を捨てて家を出た。

 それから涼夜は一人、父に反抗しながら生きてきた。見かねた友人の保護者に通報され、保護施設にいれられたこともあった。惨めで、情けなくて……人生で一番最悪な時間だった。


 それでも、取り返しがつかなくなるほど腐らずに済んだのは、友人や教師たちのおかげだった。彼らが涼夜を心配して、手をさしのべ続けてくれたから。


「……」


 思い返せば、涼夜が今の職業を選んだのも、そんな単純な理由からかもしれなかった。


 涼夜はとにかくはやく父の元から離れたくて、遠方の大学を志望して、親戚に頭をさげて、がむしゃらに勉強した。そうしてやっと今の平穏を手に入れた。でも……。


(結局母さんは、戻ってこなかったな……)


 あのひとは、今頃どこでなにをしているのだろう。

 自分のことを、どう思っていたのだろう。


 自分を見捨てた母に、執着しているようで、くだらなくて。涼夜は軽くかぶりをふる。


(忘れよう……あんなひとのことは)


 浅い息をこぼした。──と、その時。


「ん……」


 長い睫毛をぴくりと動かした七瀬が、ゆっくりと覚醒した。伏していた顔をあげて、ぼんやりと涼夜を見つめてくる。


「……? ……せんせい?」

「……おはよう」


 まだ意識がはっきりしていないのだろう。七瀬は何度か瞬きをして────声にならない悲鳴をあげた。


「…………っ!! わ、わたし……もしかして」


 涼夜はこくりと頷く。


「ま、授業中じゃないから。セーフってことで」

「……っ」

「【こないだ】と反対だね」


 揶揄うように微笑めば、七瀬は見る見るうちに顔を赤くして、両手で覆い隠してしまった。


「すみません、私いつの間にか……っていうか、起こしてください……」


 どんどん声が小さくなる七瀬が可愛くて、涼夜は笑みを堪えきれなくなる。


「ごめんごめん。起こそうって思ってたんだけど、疲れてるみたいだったから……つい」

「……ついって…………最悪です」

「! ご、ごめん。そんなに見てないし、時間だってほんの五分程度だったよ?」


 慌てふためいた涼夜は、平謝りする。

 少しだけ顔を上げた七瀬が、ちらりと涼夜を見上げた。


「『そんなに』ってことは、見たってことじゃないですか」

「……ああ……うん。…………ごめん。ごめんね」

「……私絶対変な顔してましたよね」


 うう、と唸るようにまた顔を隠してしまった七瀬に、正直に「可愛かった」と言うのは……教師としてよくない行為だろうか。


「あのー、七瀬さん……? ほんとごめんね。記憶から抹消するから許して」

「……いえ……私こそ、すみません。寝ちゃった私が悪いのに……ぐだぐだ言ってしまって」


 まだダメージが大きいらしい七瀬は、片手で顔を隠しつつも、自身を落ちつかせるように深呼吸し始めた。


(そんなに嫌だったんだ)


 心の底から反省しつつ、涼夜は「えっと」と切り出した。

 

「その……夜はちゃんと眠れてる? 勉強も大事だけど、睡眠もとらないとダメだよ」

「……はい。ありがとうございます。夜はちゃんと眠れてます。でも……気をつけます」

「うん。ほんとにね」


 ここが理科準備室だったから見守ってあげられたけど。バスの中や塾だったら、涼夜の手は届かない。教師なんて、できることはほんのわずかだった。

 でも、そのほんのわずかでも出来ることがあるなら。


「あ、そうだ、七瀬さん。これ」


 職員室から取ってきた【それ】を思い出して、涼夜は手に取った。


「え?」

「ホワイトデーのお返し。くれたでしょ?」


 差し出されたものに、七瀬は目を瞬かせる。そうして、落ち着かなげに口を開いた。


「あの、私そんなつもりじゃ。いつものお礼も込めてだったんです……」

「うん。それはそれとして、貰ってほしい」

「でも」

「ほかにくれた子にも返したから。七瀬さんだけあげないなんて出来ない」

「…………」

「…………いらない? もしかして、甘いの好きじゃなかった……? 一応ネットで若い子に人気のやつ調べたんだけど。べつの用意しようか、何が好き?」


 不安になって尋ねれば、七瀬は「貰います」とようやく受け取ってくれた。

 その顔は、まだ赤くて。

 やっぱり寝顔を見ちゃったからかなと、涼夜は罪悪に胸を痛めた。


 でも。


「……ありがとうございます。大切にします」


 ──それは、不意打ちだった。


 七瀬のはにかんだような笑顔に、涼夜は刹那、言葉を失う。声が枯れる。


「…………大切にしてくれるのは嬉しいけど、ただのお菓子だよ」

「! 大切に、食べ、ます」



 その日、七瀬の挙動は別れ際までおかしくて。


 もしもまた、彼女が居眠りをしていたらすぐに起こしてあげようと。涼夜はそっと心に誓ったのだった。





読んでくださってありがとうございました☺︎



~その後 結衣子独白SS~2/9追記


「……かわいい」


和泉からもらったそれは、動物を模したマカロンだった。パステルピンク色のうさぎが、笑顔でこちらを見上げている。もったいなくて、とても食べられそうにない。


(でも、食べないのはもっともったいない)


結衣子は、せめて写真に残しておこうとスマホで撮ったあと、手をあわせた。

……1日にひとつずつ食べたら、3日は持つ。


「いただきます……」


慎重に一口囓ればさくりとした食感とともにほどよい甘みが口中に広がった。


(すごくおいしい……)


そう驚いた瞬間だった。


──ピコン。


狙い澄ましたかのように和泉からのメッセージが届く。


『マカロンおいしかった?』


(……寝顔を見られたのは恥ずかし過ぎたけど)


『はい。今ちょうどいただいてました。とっても美味しいです。ありがとうございます』


そんな失態を隅に置いておけるくらい、和泉からの【お返し】は結衣子の心を占領していた。


おじぎをしたうさぎのスタンプとともに、返信する。


『ならよかった。実はね、それ、数量限定で1個しか買えなかったんだ』


「……え?」


和泉からの告白に、結衣子は瞬きをする。


『ほんとですか? でも、他の子にもちゃんと返したって』

『返したよ。けど、そのうさぎさんは七瀬さんにだけ』


「……!」


『ちょっと七瀬さんに似てるなーと思って。これは絶対に七瀬さんにあげなきゃって思ったんだ』


「……」


それはきっと特別というわけじゃなくて。彼に他意はなくて。……でも、だからこそうれしかった。和泉は、この可愛いうさぎと自分を重ねてくれたのだ。

やっぱり、大切に、大切に食べようと思う。


『あの、先生』

『なに?』

『まだ2つ残ってるので、よかったら明日いっしょに食べませんか? 限定だけあって、すごく美味しいですよ』


一分ほどの間が空いて、返信が届く。


『……いいの?』

『もちろんです』

『やった、ありがとう』


和泉のやわらかな笑顔が、目に浮かぶようだった。


『じゃあ、また明日。楽しみにしてる』

『はい。また明日』


──おやすみなさい。


結衣子は、笑顔でスマホを見つめる。こんな時間のこと幸せと呼ぶのだろうと、思っていた。


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