三寒四温
卒業式のお話です。
もし、好きですと伝えたら。どんな顔をされるのだろう。
「さっみ」
「ほんと寒いね」
「雪降るんじゃね」
「え、やだ……」
今日も塾があるのに。
薄曇りの空を見上げつつ呟けば、「今日くらい休めば?」と佐倉が悪魔みたいに唆してきた。結衣子は「休まないよ」と小さく返事をする。同時刻──体育館では、卒業式が行われていた。結衣子と佐倉は級長として、卒業式後、パイプ椅子の片付けと清掃の仕事を課せられている。
「ねね、見た? 和泉先生」
「見た見た、スーツでしょ! 格好良かったー!」
ここで待機するようにと言われた空き教室には、他のクラスの級長たちも集められていて。片隅にいた女子生徒たちが、そんなふうな会話をしているのを結衣子は耳にする。
(そっか、先生今日、スーツなんだ)
いつもゆったりしたシャツやセーター、夏はTシャツ姿ばかりだから、そんな、いわゆるきちんとした格好はとても珍しく、彼女たちが騒ぐのも無理はないことだと思えた。
(……ネクタイも締めてるのかな……ていうか、結べるのかな)
いつもの姿からは想像もつかなくて、結衣子は脳裏にその光景を浮かべてみる。けれどやっぱりきちんとした和泉なんて少しも想像出来なかった。椅子に背をもたせた佐倉が、女生徒たちには聞こえないように小さく囁く。
「……和泉ってほんと人気だよな。今日とか、告白ラッシュなんじゃね」
「え」
「だって三年は今日が最後だろ。囲まれてそう」
それはどうだろう。告白ラッシュならたぶんきっと、その前だ。和泉が三年生に告白されているところを見たことのある結衣子は、ぼんやりと頬杖をつく。
──告白かぁ……
私もいつか、するのかな。
そう、まるで他人事みたいに考える。
そもそも男の子と付き合ったこともなければ、好きな人が出来たこともない、結衣子にはすべてが初めてで。だから好きだと自覚したはいいけれど、この先、どう動けばいいのかわからない。それに告白したところで、振られるのは決まり切っていた。
(先生を困らせたくもないし……)
いっしょにいられるだけでいいと。恋心を隠して、痛みに堪える。
「あ、終わったみたい」
と、そのとき。ざわざわと体育館の方がざわめいて、片隅で騒いでいた女子生徒たちが廊下に顔を出した。
「あ、和泉せんせー!」
「おつかれさまでーす」
「おつかれ」
その柔らかな声を聞いただけで、結衣子の胸はどきりと高鳴った。そんなことは知るよしもない佐倉が立ち上がり、結衣子に目配せしてくる。
「よっしゃ。さっさと行こうぜ」
「うん」
そうして連れだって教室を出るまぎわ。廊下で女子生徒──和泉のクラスの子たちだった──が、スマホを彼に向けていた。
「せんせ、記念写真撮ろ!」
「え、おれと?」
「そそ、だってスーツの和泉先生珍しいんだもん」
「これは拡散しなきゃ」
明るい声に囲まれる和泉は、かわりばんこに撮影されはじめてしまって。その隣を横切った結衣子は、嫉妬にも似た渇望を抱く。羨ましい。
一瞬だけ、と目線を向けた和泉は、黒いスーツに、やっぱりきちんとネクタイを締めて、髪まで丁寧にセットしていた。長い前髪に隠れがちの瞳が、今日ははっきりと見える。
「七瀬、佐倉、悪いな。こっちを頼む」
「はーい」
「っ! はい」
自分たちの担任、中島に呼ばれて、結衣子は慌ててきびすを返した。後ろ髪を引かれる思い──を、体で味わった気分だった。
(やっと終わった)
椅子を片付け、装飾を取り去り、モップかけを終えた頃には、時刻は三時半を過ぎていた。佐倉は野球部に顔を出すといって去ってしまい、結衣子も帰り支度をはじめる。
荷物をとりに戻った空き教室にはもう誰も残っていなくて、結衣子は最後のひとりのようだった。
「施錠、しないと……」
とりあえず中島に言えばいいのだろうか。
思い、職員室に顔を出す。そこには──。
「あ、七瀬さん。おつかれさま」
自分の席でパソコンに向き合っている和泉がいた。
「……! お、おつかれさまです」
「どうしたの? 今日も勉強したいの?」
問われて、慌てて首を横に振る。
「いえ、中島先生を、探してて」
「あー……ついさっきバレー部の集まりに行っちゃったんだよね」
困ったように頭をかいた和泉は、辺りを見渡す。職員室には、ほかにも数名の職員が残っていたけれど、ほとんど関わりのない教師ばかりだった。
和泉が首を傾げる。
「伝言とかなら、伝えとこうか?」
「いえ、あの……空き教室、私が最後だったので、施錠どうしたらいいかと思って」
「ああ、それならおれがやっとくよ。大丈夫」
「ありがとうございます」
結衣子はほっとして頭を下げる。
思いがけず和泉のスーツ姿を目に焼き付けることが出来て、内心とてもうれしかった。
(写真を残せたら、もっとよかったけど……)
それはさすがに難しそうだ。
「それじゃ……」
言って背を向けようとした瞬間。
「あぁ、和泉先生、七瀬さんも、ちょうどよかった」
数学担当の教師が、こちらに歩んできた。手には、長方形の機械が握られている。──使い捨てカメラだ。結衣子は使ったことがないけれど、テレビでレトロブームだとかでやっていた記憶がある。教師はその端にある、つまみのような部分をいじりながら言った。
「一枚余ってたんですよ。良かったらお二人、映りませんか?」
普段から丁寧な口調がやさしい、老年の教師は、おっとりと言った。和泉が立ち上がって、片手を差し出す。
「なら、私が撮りますよ。先生と七瀬さん並んでください」
「いやいや。僕は自分よりね、ほかのひとを撮って置きたいんですよ。定年後、ゆっくり見返せるでしょう」
にこにこと笑った教師に、結衣子は「でも」と言いつのる。
「私、まだ卒業しませんし。そのカメラって、撮影できる枚数が決まってるんですよね……? だったら、先輩方を撮ったほうがいいんじゃ……」
「七瀬さんはやさしいですね。でも大丈夫です。三年生なら、もう二本分は撮らせてもらいましたから」
言って、教師は目尻の皺を深くしながら笑った。
「僕はね、何気ない、こんな一場面があったって言うのも残しておきたいんです。思い出は多いに越したことはありませんから」
そうして、少し困ったように首を傾ぐ。
「まぁ、無理にとは言えませんが。写真が苦手な子もいますからね」
しつこかったかな、と申し訳なさそうに言った教師に、和泉が「いえ」と微笑む。
「七瀬さんがいいなら、おれは全然……どうかな、一枚」
誘われるように言われて。
結衣子が、断れるはずもなかった。
「……はい」
もうちょっと寄って、と言われて。和泉と肩が触れあう。瞬間、ほのかに香った煙草のそれに、結衣子は少し顔をしかめた。
「あぁ七瀬さん笑ってください……そうそう。じゃあ、撮りますよ。はい、チーズ……」
────カシャリ。
そうして教師にとってもらった奇跡みたいな一枚は、そのあともずっと、卒業してからもずっと、結衣子の大切な宝物になった。現像するって素敵なことなのだと知って。手帳に挟み、鞄に忍ばせて、何度も何度もその一枚を、見返した。
読んでくださってありがとうございました☺︎
まだ使い捨てカメラってあるのかなと調べたらありましてよかったです(*´꒳`*)




