2 伯爵令嬢の帰宅
本日、二度目の更新です。よろしくお願いいたします!
私は馬車に揺られながら、ゆっくりと実家の北部の山岳伯領を目指した。
このホーリニア王国は大きく南部・中部・北部に分かれる。
南部は王都が存在するエリアで、人口も多い。
一方、北部は冬に雪が積もるところも多いせいで、人口も少ない。
山岳伯を継承する実家はそんな土地の豪族だった家柄だ。中部はだいたい、その中間と考えればいい。
なお、山岳伯というのは愛称みたいなもので、正式には州の名前をとって、メセナ州伯と言うのだが、山岳地帯が多い州ということでホーリニア王国が建国された最初の二十年ほどの間に、すでに山岳伯と呼ばれるのが一般になっていた。
現在の当主はエルクス=リンバールという私の父親だが、私から見ても子煩悩なので、正直なところ、帰るのは怖い。
婚約破棄にキレて王都に宣戦布告をするなんてことはないと思うが……。
もし、そうなったら全力で止めるしかないな……。
◇ ◇ ◇
「はぁ……意味がわからん。本当に意味がわからん……」
私の父エルクスは腑抜けた顔で、ずっとこんなことを言っていた。私と同じ金色の髪だが、年のせいか頭髪はそれほど余裕がない。
戦争の準備をされるよりはマシだが、これで政務がとれるのか怪しいところだ。
実際、急病ということにして、決裁のサインも私の兄のバレットにやらせているらしい。
「お父様、もう少し気合いを入れてください。当主が娘の婚約破棄がショックで何もできないだなんて、それこそ山岳伯家の恥です」
「しかしなあ、なんで婚約を止めないといけないのか、ワシはさっぱりわからんのだ」
大柄な父がずいぶんと小さく見える。真冬でも薄着で元気に動きまわっていた父とは思えない。
「お前は女ながらに幼い頃から山岳伯家の気風を受けて、軍事関係の勉強もずいぶんやっていただろう。戦略についてなら、本職の軍人とも対等に話し合える。ほかの領主の土地に連れていってもまったく恥ずかしくない才女と言っていい」
才女かどうかはともかく、私が軍事に関する書物を読みあさっていたのは本当だ。
「それがなんでダメだと送り返されることになる……? 他国と隣接する領主が反乱を起こしそうだとか、差し迫った状況でもないし……」
「むしろ、それが理由なのかもしれません。私は間違いなく王子より賢いので。それが王子は気に入らなかったという可能性はあります」
王宮の行事で詩を作る時間があり、私も参加したが、その時も王子の作品はひどいものだった。100点中35点といったところか。私は周囲の反応からして80点はとれていた。
「サローナという女性はわがまま放題で有名でしたし。暇さえあれば、城下町の店をいくつもはしごしていらっしゃいました。これは噂ではなくて、事実です。たまに城下町に出た時も、必ず城下町で見かけたので」
おそらく王子と相性がよかったというより、単純に王子は口うるさくなさそうな女がよかったのだろう。
「そんなこと言ってもなあ……今の陛下はクラウディアが才女というのを聞きつけて、王子の婚約者にと選んだのだぞ。じゃあ、どうすればよかったのだ?」
「どうすることもできなかったんです。結婚半年で陛下が重病になって、それから離縁されるよりはマシとも言えます。とにかく……やれる範囲のことをやるしかありません」
「まあ、明確な理由もないのに陛下からの打診を断ることもできなかったので、手の打ちようはなかったがな……。ほんとに、忌々しいと思う前に、わけがわからんという気持ちが先に来る……」
父は当主なので、政治的に意味のない立ち居振る舞いが受け入れられないようだった。
ただ、私としては父が自分以上に困惑しているので、少し冷静さを取り戻すことができた。
ひとまず、屋敷でゆっくりと休むとするか――
「今の五倍の兵力があれば、王都に殴り込んでもよかったのだが、いくらなんでも数が足らんな。残念でならん……」
さらっと、不穏なことを父が言った。
「あの……挙兵などしないでくださいね? 冗談でもやめてくださいね? この州は山岳地帯と盆地だらけ。籠城で粘ることはできても、平地の大軍同士の会戦で勝てる見込みは薄いです!」
「わかっている。ワシだって領主だ。犬死にするようなマネはせん。ただ、残念だと言っているだけだ」
逆に言えば、勝てる見込みがあれば、兵を出すつもりということか。
危なっかしいが、これが北部の領主の価値観とも言える。
戦争で決着をつけるという選択肢は常に頭のどこかにある。
「現状では勝てる見込みが薄い。単純計算でも全国の領主の五割以上を味方につけねばならぬ。しかし、娘が婚約破棄されたからというだけでは、北部の領主たちですら味方につかん。南部の領主も、南北の中間地帯の領主も、味方にならぬ。だから矛はおさめている」
私は自分の父を怖いと思ってしまった。
この人はやる時はやる。ためらいなく、決断ができる。
「それとな、ワシを止めたクラウディアの理由も徹頭徹尾、勝てないからというものだったのは知っておるぞ。お前だって、難なく勝てるなら攻める道を選んだだろうが」
バレている!
「そ、そんなことは…………ありますね」
「何もわからんほど腑抜けてはおらんぞ。お前が幼い頃、将来何になりたいと言ったかわかるか? 軍師だぞ。どこの領主の娘に軍師になりたいと言う者がおる? クラウディア、お前は筋金入りの軍略好きなのだ」
「あんまり言わないでください……。話が広まったら縁談が来なくなります」
もちろん、あくまで難なく勝てるならという前提つきだが、勝てるなら王都を攻めてやってもいいと思っていた。
なにせ、私の婚約者だった王子はこの山岳伯家すべてを愚弄したわけだからだ。それは態度と言葉で明らかだった。
それぐらい、誇りは武門の家にとって大切なのだ。
だからこそ、領主やその一族を丁重に扱うのは、王家であろうと当たり前のことなのだが……私の元婚約者はそんなことすらわからないバカだった。
おそらく、私の件がなくても、あの調子で王になれば、数年に一度は領主による反乱が起きるんじゃないか。
「それはそうと、クラウディア、表面上は落ち着いているふりをしているが、傷ついてはいるだろう。少し気晴らしをしてこい」
旅行をしろということか。
「王都に行っても傷が深まるだけですが」
「そんなところに行ったら、王子を刺殺に行くつもりかと慌てるわ。北部にも王都より規模は小さいが副都があるだろう。こんな盆地よりはずっと栄えている。悲しみは娯楽で紛らわすのがいいし、娯楽は都会のほうがはるかに多い」
たしかに、婚約破棄されたばかりで次の縁談があっさり決まるとも思えないし、出かけるにはちょうどいい時期ではある。
「わかりました。憂さ晴らしをしてまいります」
次回は夕方17時ごろに投稿予定です!