撥洞《はつどう》
「休憩だ」
あれから何発も拳を撃ち込んでいるが、まったくもってどうしようもない。軟弱者のヘロヘロパンチとヒジリに称されてしまった。「右利きだからじゃない?」というマヤのフォローがあり、試しに右手で殴りかかるも「左よりはマシだが大差ない」と一蹴されてしまった。そんな悔しさもあり
「まだやれます!」
と意気込むも、私が疲れたんだと強制終了。やる気は見事に空回りである。醜く捻れた左腕を恨めしく見つめるタケト。そんな彼にマヤは
「ほ、ほら。あれじゃない? 呪いが怖いから無意識に手加減してるとか? あ、タケトは優しいから遠慮が出てるのかも?」
などと一生懸命に慰めようとしているのだが、そういうことでないのは自分がよくわかっていた。なんとなく重苦しい空気が二人を包む。
ヒジリは真新しいタオルで汗を拭いている。呪いが発動した場合、どのくらいのレベルの力が襲ってくるのかわからない。故に、ヒジリは常に全力の霊力で防御しているのだ。ヘロヘロパンチ相手に全力を出し続けるのは精神的にも疲れる。
「そういえば、左目は見えているのか?」
ペットボトルのミネラルウォーターを飲みながら話しかけてくるヒジリ。タケトは右目を右手で隠して捻れに半分埋もれた左目に集中する。
「なんとか、ですね。うっすら、ぼんやりと」
霞がかかったような視界。日常生活では使い物にはならないだろう。
「両目だとどうだ?」
両目? そういえば、さっきまでは特に気にもしていなかったが、普通に視界は開けている。左目の違和感はなく、むしろ右目だけより見やすい。
「やはり目の方は無意識に使えているようだな。お前、こいつが見えているんだろ?」
ヒジリが肩の小動物に手を伸ばし軽く撫でる。
どういうことだ?と思っていると、何かいるのかとマヤがキョロキョロする。
(マヤには見えていない?)
「何が見えているか、マヤに説明してみな」
ヒジリの命を受け、マヤに見えるままの様子を伝える。
「師匠の左肩に小動物が乗っている。見た目は… リスくらいの大きさの狐… っぽいかな? 耳と目付きが鋭い。けど、狂暴な感じはしないよ。むしろ優しそう」
タケトの説明を聞いて、その小動物がキキッと鳴いて尻尾を振る。喜んでいるようだ?
「えー何それ!何その可愛いやつー私も見たいー!」
心霊大好きなくせに可愛いものも大好物なマヤ。なんで自分だけ見れないのだと駄々を捏ねる。
「すまんなマヤ。こいつは私の霊獣。霊感が無いやつには見えないのさ。俗に言う『管狐』ってやつだ。名前は飫弄。弄び食いまくるヤツって意味だ。理由は察しろ。マヤ、お前が見えなくてもお前の声は届いてる。名前を呼んでやりな。喜んでくれるし、懐けばいざというときに守ってくれる」
ヒジリは懐から干肉のような物を取り出し、管狐に与える。見ることの出来ないマヤには、干肉が徐々に消えていくように見えているらしい。だが、ヒジリの言葉に従い名前を呼んでみる。飫弄は一瞬食べるのを止めてキキッと一鳴きする。マヤに声は届かないが、干肉の減りが一瞬止まったことで呼び掛けに答えてくれたのだと気付く。
「ありがとう。宜しくね♪」
と再び声をかけると、飫弄は尻尾を振って応えた。そのふれあいを見てほのぼのしていたが、ここで休憩は終了となる。
「さて、目は使えている。化物の目を使うことで、今まで霊感が無かったお前でも妖怪が見えているのだからな」
その妖怪は相変わらず肩の上で尻尾を振っている。上機嫌なようだ。マヤは羨ましそうにジト目でタケトを見ていた。
「つまり、マヤの言うことも強ち間違いじゃあないってことだな。日常生活で使っていた視力は無意識に扱えても、非常時すら無かったお前は意識的にも暴力が使えない」
その通りなのだろう。実際、タケトはケンカすらまともにやったことがない。腕力を使うのは重い荷物を運ぶ時くらいのものであり、八つ当たりで物を殴ったことすらないのだ。自分には化物の力は使いこなせない。そう諦めかけたときヒジリは言った。
「だが! それでもあの時、お前は捻裂鬼の力を使い、化物を弾き飛ばした! お前は使いこなせるはずだ! 思い出せ! あの時、何を思ったかを! お前の強さの根源は怒りや暴力ではないはずだ! お前の思いの全てを私にぶつけてこい!!」
ヒジリはそう叫んで右半身に構えた。飫弄も真似ているのか、同じように構える。(ベタな流れだなぁ)とタケトは思った。だがそれでも、その言葉に気持ちが昂ってしょうがない。自分があの時、何を思っていたかを思い出す。そして、それこそが自分自身をも救う力の根幹になると知り、喜びが溢れてくる。
「いきます!!」
霊感の無いマヤでも確かに感じた。タケトの異形の拳がヒジリの掌に接触すると「パンッ!!」という音と光、そして衝撃波が飛んだ。その衝撃にタケトは後ろに吹き飛ばされ、ヒジリも後方に後退さりさせられた。マヤの頬に一筋の涙が流れる。
きっかけは掴んだ。想いを力に。新たな霊滅師の誕生の瞬間であった。