天国への手紙
ある日、七歳になる最愛の娘が目を輝かせながら私に言った。
「ねえ、てんごくからおてがみがくるなら、てんごくにおてがみはとどくのかな?」
彼女の背後にあるテレビには、死者の声を聞いて手紙を作るという某番組が流れていた。
純粋な女の子である娘は、きっとタイトルの通りに天国で本人が直筆で手紙を書いていると思っているのだろう。まだ細かいことを理解できる年齢ではない。
娘は死というものをあまりよく知らない。それ故、天国をいつでも行けるどこか離れた場所だと思っている。
妻はそこを旅行しているのだと本気で信じ込んでいる。
だからこそ、私は妻の死を隠し通そうと思うのだ。
「どうしてだい?」
しばらく思考した上で先程の娘の問いに答える。
「だって、ママとおはなししてないもん」
「そうだな……じゃあお手紙を書くか」
私がそう言うと、娘は笑顔で走って私の元を離れ、一旦部屋に戻る。
そして、私が彼女の誕生日にプレゼントしたレターセットを大事そうに抱えて持ってきた。
「はい、パパの」
娘は私に便箋と鉛筆を渡すと、そのまま床に寝そべって自分の世界に入ってしまった。
さて、何を書こうか……。
そもそも、妻に手紙を書くなんて何年ぶりだろう。結婚してから、一度も書いてないのではないか(当たり前といえば当たり前だが)。
そうだな、妻が亡くなってからの二年間でも書こうか……。
私は娘が小学校に入学したこと、家事もどうにかなっていること、娘と行った旅行のことなど、二年間の出来事及び、その感想を書き綴っていった。
ふと娘の方を見ると、彼女は満面の笑顔で楽しそうに絵を描いていた。
まだ書くことの出来るスペースがある。まだ娘も絵を描いているようだし……。
私はそう思うと、妻と出会った時や妻が死んだ時の心境を書き綴ることにした。
彼女から手紙をもらった時、嬉しくて夜中まで踊り跳ねて返事をその日中に書けなかったこと。
プロポーズをした時、緊張しすぎて半失神のまま彼女からの返事を覚えていないということ。
妻との記憶を思い出し、記していくたびに何だか切なくなった。
そして、妻との最後の記憶。
病院での最後の一時。
妻はもう一言も話すことが出来なかったけれど、最後まで笑顔であった。
「ごめんな……」
私は妻の手を握りながら囁く。
彼女は何のことかと首を傾げた。
「幸せにしてやれなくて……ごめん」
私がそう言うと、彼女は首を横に振りながらか細い手で私の目元を拭った。
泣いてはいけない……。
刹那的にそう悟ると、今にも溢れそうな涙を必死に堪えた。
妻はゆっくりと口を開く。
声は出ない。だから唇の動きで言葉を判断しなければならなかった。
妻の唇はゆっくりと一文字一文字を形作る。
「……シ……ア…………ワ……セ……?」
私は妻の口の動きに合わせて言葉を発した。
妻は大きく頷く。その瞳にはうっすらと涙が伺えた。
「幸せ……なのか?」
私の問いに、彼女は何度も頷く。
思わず、涙が出そうになる。
何一つろくなことしてやれなかったのに。
娘だってこれからが育ち盛りなのに。
まだ、何もかもが中途半端なのに、妻は幸せを感じてくれていたのだ。たとえそれが病気の身で残りわずかであっても。
妻は再び、口を動かす。
……シ……ア……ワ……セ…………ダ……ヨ……。
そう言った途端に、彼女の全身から力が抜ける。
それと同時にベッドに備え付けられている機器が無機質な音を上げた。
命尽きた今でも、妻は笑顔であった。
私は涙を耐えることが出来ず、その場に泣き崩れた――。
「――パパ、ないてるの?」
いつの間にか、私は回想に入っていたようだ。娘が目の前で首を傾げていた。
私は急いで目元を拭うと、答える。
「……いや、欠伸だよ。……それよりお手紙書けたのかい?」
娘は最初こそ怪訝な顔をしていたが、私の尋ねたのを聞いて、すぐさま満面の笑みを作って私に絵を見せる。
その絵には、公園らしき場所で手をつないでいる三人の親子が描かれていた。
「おっ、上手に描けたね。それじゃあ、お手紙を送ろうか」
私は娘の頭を撫でながらそう言うと、彼女は頷いた。
私は手紙に最後の一文を書き加えてピリオドを打ち、折りたたんで娘の絵と手紙と共に封筒に入れた。
それから私と娘は冷たい風の吹き付ける庭に出ると、赤や黄に染まった落ち葉を庭の中央に集め始めた。
娘は最初「なんでおちばをあつめるの?」と疑問に思っていたようだが、私が「お手紙を天国に送るためだよ」と答えると、文句も言わずに熱心に集め始めた。
そうして築いた秋色の落ち葉の山に、私はマッチで火をつける。
パチパチと乾いた音をたて、落ち葉の山は燃える。
ちょうどよい燃え具合になったところで、私は封筒を火の中に入れようとした。
「ちょっと、なんでおてがみをひのなかにいれちゃうの!?」
せっかく描いた絵が燃やされてしまうと知った娘は、涙目になりながら私にそう訴えた。
「こうしないとね、天国にお手紙が届かないんだよ」
私はそう言い聞かせるが、娘は手紙を燃やすのを必死に拒もうとする。度重なる説得の上に、娘は手紙が天国へ届くのならとそれを承諾した。
封筒をゆっくりと火の中に投げ入れる。
天国への手紙は勢いよく燃え上がり、灰となって空に舞い上がる。
「パパ、てんごくにおてがみとどいたかな?」
娘が舞い上がった灰を見ながら私にそう尋ねる。
「ああ、きっと届いたよ」
空へと駆け上がっていく手紙を見て、私はそう答えた。
娘は天国へと手紙が届いたのが嬉しいらしく、「えへへ」と笑いながら私の足元に抱きついた。
私はそんな娘の頭を優しく撫でながら、再度煙と共に舞い上がる手紙を見上げる。
そして、手紙の最後に付け加えた一文を、私は心の中で復唱した。
――――私も、幸せだよ――――
この作品のもう一つの面として「天国への手紙 SIDE:B」という作品もございます。この作品が好評でしたらそちらも投稿しようと思います。