幻想戯曲《Giochi di fantasia》
「まさかとは思ってたけど、本当に関係の無い一般人を襲ってたとはね。……あなた、死にたくなかったらさっさと逃げた方がいいよ」
何処からか響く少女の声。
その存在を視認した時、俺は驚愕に目を見開いた。
少年が座っていたベンチを照らしていた、街灯の上。そこに、少女は立っていたのだ。
宵の明星が見えて薄暗くなってきた頃、その光景に溶け込むかのように黒いフード付きのローブを羽織っている。
遠目でも分かる程に肌は白く、その身体は少しでも力を加えれば折れてしまいそうだ。
しても、この小さな身体の何処から街灯に登る程の力が引き出されたのかが疑問である。
そして何より目を引いたのが、彼女が手にしている弓。
どうやら金属製らしく、沈みかけている夕陽に反射して鈍く光っている。
それもキューピッドなんて可愛らしいモンじゃない。歴代の武将が使っていたような、女の子が持つには、あまりにも不釣り合いな弓。
現実離れしたその光景に、俺は呆然としているしかなかった。
そんな俺を我に返らせたのは、あの少年の一言。
「一発で幻想司書が出てくるとは、俺もとことん運がいいなぁ。ドロシー、絶対に逃がすなよ?」
突然の乱入者に対しても、少年に動揺の色は見られない。
それどころか、興奮した様子でドロシーに命令したのだ。
──幼い子供が玩具を与えられたかのように。
「……ドロシー?」「……アイリス?」
少年の言葉に互いの少女が互いの顔を見合わせ、そして、誰にともなく呟いた。
直後、
「アイリス……だよね!?」
「そうだけど──ドロシー、なんで…………なんで、ソイツと契約してるの!?」
アイリスと呼ばれた少女が驚きを露わにして叫ぶ。
一方ドロシーは先程の怯えの顔とは一変、花が開いたかのように無邪気で明るい顔になった。
が、それも一瞬の出来事。
「命令を無視すんな、ドロシー。さっさとあの幻想司書を捕まえろっ!」
「…………はい」
少年の怒気をはらんだ声で、ドロシーはまた怯えるような表情へと戻った。
そしてゆっくりと片腕を掲げていく。
「……金狐。幻想司書を、捕まえて」
その呟きと同時、俺を真っ先に襲った金狐が街灯上のアイリスへと飛びかかる。
二、三メートルはあるであろうそれを助走なしに飛び越えた金狐。
対してアイリスは弓を手にしたまま動かない。いや、動けない筈だ。この高さだ。落ちたら無事で済まない。
だが、彼女は──
「……断章!」
そう叫ぶと同時、無数の光の粒子が現れる。
それが一瞬にして三本の矢へと変化し、彼女はそれを番え、バックステップを取るように街灯から飛び降りた。
「なっ…………!?」
……どう考えても、無茶だ。
恐らく彼女は飛び降りるまでの僅かな浮遊時間で三本の矢を同時に射るつもりなのだろうが──そんな芸当、不可能に決まってる。
だがそんな俺の思考を嘲笑うかのようにニヤリと口の端を歪めた彼女は──
──ビシュッ!
と矢を放った。
この軌道だと、精々一本が金狐に当たるだけだ。他二本は対角線を放つかのように飛来していく筈。
だがそれらはこの世界の物理法則を全くと言っていいほど無視していた。
「なん、だと……!?」
苦悶の声は少年から。
それはあの矢の軌道を視認し、自らが考え得ないモノであったから故に。
「大人しくそこで寝てなさい」
放たれた矢の一つは、軌道通り金狐の首筋へと。
そして残る二つは──運動エネルギーを保ったまま、大きく、弧を描くように急カーブしたのだ。
その狙いは、金狐の死角に当たる部分。ヤツが視認し得ない、急所。
凄まじい勢いでアイリスに飛びかかったはいいものの──逆に避けれない事を利用されて──矢を受けて、返り討ちにあった、と。
「何て、芸当だ……!」
思わず、口から声が漏れる。
弓道の達人でも、こんな技は見た事がない。
物理法則をあまりにも無視し過ぎた、超常現象といっても過言ではないだろう。
この攻撃で負荷を負った金狐は地面に倒れると、光の粒子となって霧散した。
死んだ──というのには恐らく語弊があるが、それに近しい。戦闘不能といったところだろうか。
金狐が霧散したと同時に着地したアイリスは、少年らを見据えたまま俺に言う。
「……さっさと逃げれば? こちとら大道芸やってるワケじゃないんだから。死ぬよ?」
「……あ、あぁ!」
アイリスの言葉でまた我に返り、立ち上がって公園の出口へと駆ける。
だが少年らも俺を逃がすつもりは無いのか、或いは逃げられては困るのか、その経路を塞いでくる。
勿論それにアイリスも弓矢で応戦するが、彼女目掛けて猪が突進してくるのでそれも容易ではない。
「……ついてくるなっ!」
後ろから追いかけてくる銀狐に叫ぶが、無論、話を聞いてくれるワケでもない。
銀狐と逃げる俺との距離が、だんだんと縮まっていく。そして、とうとう捕らえられる。その、鋭い牙に。
だが不幸中の幸いといったところか。肉薄したせいで互いの足が絡まり、前のめりに転倒してしまった。
そのおかげで俺はその牙を避ける事が出来たのだ。
「っ、痛ってぇ……」
だが俺の代わりに手に持っていた鞄が牙に引き裂かれ、中身が地面に散らばってしまう。
筆箱、ノート、教科書諸々。そして、借りてきたファンタジー童話の──『赤ずきんちゃん』。
「──《幻想戯曲》……!?」
後方から、アイリスの驚愕の声が聞こえる。
思わず振り返れば、猪と距離を取りながらの彼女が俺へと問う。
「あなた、それを誰に貰ったの? というか、何故召喚しないのよ。命を狙われかけたっていうのに」
「幻想戯曲、って……何だよ、それ!」
「知らない、って事は……まさか──」
再度突進してくる猪へと矢を放ちつつ、彼女は思案するような仕草を見せる。
銀狐へと僅かに視線を移せば、じっとこちらを睨み付けてきた。アイリスに警戒しての行動だろうか。ドロシーも、少年も、命令する気配はない。
威嚇するように銀狐を睨んだアイリスは、何かを決めたようにして俺に話しかけてきた。
「……その本を手に取って、題名を読み上げなさい。中に存在したキャラクター、風景を出来るだけ詳しく想像しながら」
「そんな事して、何に……!」
「いいから。死にたくなければ私の言う事を聞きなさい。まぁ、そこはあなたの自由だけれど」
──死ぬ。
その言葉が脳内に纒わりつく。
その眼に映るのは、一冊の本。『Rotkappchen《赤ずきんちゃん》』。
そしてその向こうには、俺に飛びかかろうとする銀狐と猪。
やるしか、ないのか……!
そう決意し、すぐさま本を手に取る。
そして、題名を読み上げた。
「『Rotkappchen』──!」
俺はただアイリスの言葉を信じたワケじゃない。それ以外に、自分を守る術がない事を悟ったからだ。これしか、しようがない。
固く瞼を閉じ、瞼裏に思い浮かべるのは、姿さえ分からぬ幼き少女。
人々に可愛がられ、愛をその身に受けた赤い頭巾の少女。
その幻影を描きつつも、こちらへと迫って来る獣の足音には耳を傾けない。
唯々、その存在だけを想う。
そして俺を襲ったのは獣ではなく、目を閉じていても分かるほどの眩しい閃光。
それに恐る恐る目を開けば──そこにはいなかった筈の、この現代にはあまりにも不釣り合いな格好をした、一人の少女がいた。
その光景に、思わず息を呑んだ。
風に靡くロングブロンドと同色の瞳。羽織っているのは、使い古されたかのような赤いリボン付きのフードコート。
一見大人びた雰囲気だが、その顔は何処かあどけない。
「……貴女、は?」
「お話、は後で……お願いします」
目の前に立っている少女は俺が想像していた物語のキャラクターそっくりだった。
──その存在に、恐怖も驚きさえも失くして、ただ立っている事しか出来なかった。
~to be continued.
第2話、閲覧有難う御座います。
マイペースで更新していく拙作ですが、永くお付き合いいただければと思います。