4 ほむら丸登場
唖然としている一同に、風太は両方の手のひらを見せた。
「物質としての一万円札は消滅しました。しかし、実は、その情報はここに残っています」
そう言いながら、風太は伊藤の顔の前で、パチンと指を鳴らした。
「伊藤さん、あなたには見えるでしょう?」
風太は、両手を伊藤の目の高さに上げ、指先で先ほど一万円札の両面を見せた時と同じ仕草をした。
「み、見えます、確かに」
驚いたようにそう告げる伊藤の横で、堂本がダンとテーブルを叩いた。
「いい加減にしろ! 手品の次は催眠術か。余興の練習なら、他所でやれ!」
自分が叱られたようにビビッている広崎の横で、風太はさらに口角を上げてニッと笑った。
「もちろん、これは暗示です。したがって、伊藤さん以外の方には、一万円札は見えません。見えるようにするには、再び物質化しなければなりませんが、それには、ぼくの助手が必要です」
その時、どこからか「ここにあるよー」という子供のような声が聞こえてきた。妙にくぐもったような声だ。それに合わせ、風太の口が微かに動いている。
風太は、椅子の横に置いていたショルダーバッグを持ち上げた。
「よしよし、今出してあげよう」
バッグから出したのは、例の男の子のパペットであった。口に一万円札を咥えている。
風太はパペットを左手にはめると、右手で一万円札を抜き取った。
「ご苦労さま、ポール」
「こんなのじゃなくて、ちゃんとお菓子を食べさせてよ、ピーターさん」
そう応えたパペットの声は、よく耳にするような腹話術の子供の声である。あのしゃがれた老人の声ではない。
その時再び、ダンとテーブルを叩く音が響いた。
「この茶番は、いったいいつまで続くんだ! わしは忙しいんだ!」
席を蹴って帰ろうとする堂本を、伊藤が「肝心のお話がまだですので」と、必死で止めた。
渋々堂本が座り直したところで、風太は片手で一万円札をテーブルに置いた。
「前置きが長くなりました。とりあえず、これはお返しします」
憮然としてそれを革財布に戻す堂本をハラハラして見守りながらも、広崎はあることに気付いた。
(風太は、自分の手が他人に直接触れないようにしているんじゃないのか)
風太は依然として左手にパペットを付けたまま、話を続けた。
「今お見せしたのは、もちろん、マジック、催眠術、腹話術です。実際には、一万円札を燃やしてはいません。皆さんに気付かれないように移動させただけです」
すると、左手のパペットの口が開き、「ダメだよ、ピーターさん。タネ明かしをしちゃ」と言った。
堂本のコメカミに血管が浮き上がったが、さすがにもう怒り疲れたのか、何も言わなかった。
風太は、左手からパペットを外し、アルカイックスマイルで軽く頭を下げた。
「失礼しました。長年の習性で、つい、自分にツッコミを入れたくなるもので。さて、本当に一万円札を燃やしてしまった場合、元に戻すことはできません。まあ、燃え残っている部分が三分の二以上あれば、銀行で交換してくれますが、燃え尽きてしまえば、それも無理でしょう。ところで、先ほど燃やしたのは、実は、特殊な加工を施した紙です」
そう言いながら、風太はポケットから一万円札と同じ大きさに切ってある紙を出して見せた。それらしい色や模様が印刷してあるが、よく見ると、一万円札とは全然違う。
それをビリビリと破って丸め、左手に乗せて息を吹きかけると、ボッという音と伴に、一瞬で燃えた。
「もちろん、二度目ということもありますが、皆さん、あまり驚かれませんね」
「だって、お札じゃないし」言いかけて、広崎は口をつぐんだ。
風太はニッコリ笑って頷いた。
「そうだね。同じように燃えても本当のお札とは違うよね」堂本と伊藤の方を向き「それは、この紙には一万円の価値はないからです。一万円札を燃やすと、紙と一緒に、一万円という価値も燃えてしまうのです。でも、価値、って何でしょう?」
答える気のない堂本と、どう答えていいのかわからない伊藤に代わって、風太自身が答えた。
「それは情報です。この世界では、物質やエネルギーから離れて、情報単独では存在できないのです」
広崎は思わず「まるで、そうじゃない世界があるみたいじゃないか」と言った後、堂本の苦々しい表情に気付き、慌てて口を押えた。
その時。
風太が左手から外してテーブルの上に置いていたパペットが、ムクリと起き上がった。
「それが魔界じゃよ、若の御友人」
あのしゃがれた老人の声でそう告げると、パペットはメラメラと青白い炎に包まれた。