20 闇に潜む影
風太は右手のパペットを外し、「姫、頼む!」と言うや否や、相原とテーブルの中間に投げた。
放物線を描いたパペットは、相原の目の前の空中でピタリと止まり、掠れた声で「式神使いの荒い若君じゃ」と愚痴をこぼすと、テーブルの方に向きを変えた。
「これなるは蛟の姫じゃ。若人よ、もう大概にせよ。心残りの三度一とか申すものも喰らい、惚れた女子の顔も見られたであろう。大人しゅう成仏せよ」
事態の急変に呆然としている相原に、風太は「今のうちに、下がって!」と声をかけた。
「は、はい。あ、でも、男の子は、奥の壁の方に向かって助けを呼んでるみたいです。あ、ああ、何か黒い人影が!」
それは、相原以外の人間にも薄い影として見えた。影はスーッと壁から抜け出ると、空中に浮かんでいるみずち姫の前に立った。
広崎はまた「さ、寒い」と言って震え出していた。今度は、実際にぐんと室温が下がっているようだ。
風太は、「実体化するぞ!」と叫んだ。
急激に温度が下がったためか、あちこちから、パキーン、メキッ、パーン、などという音がした。
広崎が「え、何、ラップ音?」と震えながら呟くと、胸に抱いていたパペットがスルリと抜け、空中に浮かぶとメラメラと青白い炎に包まれた。
「やれやれ、われが少し温めまする」
その間にも、黒い影は徐々に濃くなり、その隣に野球帽を被った少年の姿も、朧げに見えてきた。
次の瞬間、影と少年はスッと融合した。やや半透明で向こうが透けて見えるものの、誰の目にもハッキリと少年の姿が見えるようになった。
相原は、どうしてもその姿から目を逸らすことができないようだ。
風太は後ろを振り向いて「伊藤さん!」と叫んだ。
出入口の近くで息を飲んで立ち尽くしていた伊藤は、いきなり自分が呼ばれて、ビクッと体を震わせた。
「は、はい?」
「すみませんが、相原さんを結界の外、出入口の向こうに連れ出してください!」
「わかり、ました。やって、みます」
伊藤はぎこちなく歩き出し、近づいて相原の腕を掴むと、「さあ、相原くん、ここを出るんだ」と言いながら引っ張った。
相原は、少年から目を離さないまま、ゆっくり一歩ずつ下がって行く。それでも伊藤に引かれるまま、ついに出入口の外に出た。
それを追おうとする少年の前にみずち姫のパペットが、後ろにほむら丸のパペットが回り込んだ。
横をすり抜けようと体を左右に向ける少年の前を、みずち姫のパペットも同じように左右に移動しながら行く手を阻んだ。
「よさぬか! いたいけな若人を操るのは、もう止めよ。臭いでわかるわ。お主とて、わらわと同じ水妖の眷属であろうが!」
その刹那、少年の青白かった顔が変化した。
薄緑のような色となり、どんどん濃くなっている。同時に、口が左右にグッと広がり、さらに前に突き出してきた。被っている野球帽は小さく縮まって円盤状になった。
広崎が、「え、なに、これは、もしかして」と呟いた。
その間にも少年の顔は、ぬめりを帯びた深い緑色となった。突き出した口だけがやや黄色味がかっている。その口を開くと、鋭く尖った小さな歯が、ビッシリと生えていた。
広崎は震えながらも、「これは、河童、なのか。でも、ちょっとグロいな。どっちかというと半魚人?」と独り言を続けた。
それが聞こえたわけではあるまいが、相手は自ら名乗りを上げた。
「いかにもわしは河童よ。されど、日本広しといえど、海を住処とする河童族は、わしらより他におらぬ。しかるに、太閤秀吉すら遠慮したわしらの浜を埋め立て、あまつさえ、そこに童夢とかいう遊戯場を建てたのは、今の世の人間じゃ。それでもわしらは我慢した。共存せねばと考えた。この小童が溺れた際も、わしらは助けようとしたのだぞ。しかし、時すでに遅く、助けることはできなかった。せめて、心残りを叶えてやろうとしておるのに、邪魔だてをするな!」
すると、みずち姫のパペットから、ゾワゾワとした黒い霧が立ち昇った。
「わらわの目を節穴と思うたか!」




