5, 小さな訪問者と大きな事件
お披露目が終わり、平穏な生活に戻ると思っていた俺は、愕然としていた。
「あ、兄上?今なんと仰いました?」
「婚約パーティーは一週間後。近隣諸国の王家、貴族、呼べるだけ呼んで盛大に行われる。と言ったぞ?」
「待ってください、いろいろ待ってください。一週間?招待状はどうしたのです。あまりにも唐突すぎるではありませんか」
「問題ない。招待状はもう何日も前に送っている。ああ、モールドル国にももちろん送ってあるぞ」
「何故ですか!!」
「普通呼ぶだろう」
「そうですけど!!」
頭を抱えた俺を見て、兄上は我慢しきれなかった様子で吹き出した。
二つ上の第二皇子、カイル兄上は笑い上戸で有名だ。
ちなみに彼の政略結婚の相手である姉上も笑い上戸な上にお転婆で、和平のためのカップルとは思えないほど息がぴったりなことで有名である。そして嫌なことに二人とも頭がいい。
どういうことかと言うと、笑いのためならとことん悪知恵を働かせるのだ。
だが逆に言えば、一週間あれば準備が足りると二人が判断したのだ。
死ぬ気で間に合わせる他ないだろう。
だがやはり、ひとつ文句を言いたかった。
「別れの儀の時をお忘れですか!?ああいった事があったのです、クレイス様の為にも、モールドル国とは距離を置く方がよかったでしょう!?」
「お前の言うことももっともだ。だがお前は気にならないのか?あの事件の真相を」
「真相?」
「…招待状にはその時の事を考慮して参加者を決めるように書いてある。心配するな」
意味深な兄上の言葉に、それ以上文句を言う気が削がれてしまった。
一週間で何を準備するのかと言えば、ほとんどクレイスの礼儀作法の仕込みだ。
彼女は確かに覚えはいい。だが壊滅的に体力がない。
だからゆっくりと時間をかけて、ダンスやマナー、王家の者としての仕草などを教えていくつもりだった。覚えるより先に倒れられては元も子もない。
けれど今、そう言っていられなくなってしまった。
その話をクレイスにしたところ。
「わたくしは問題ありません」
「そう言うと思いました…」
あまりにも予想通りの返答に、ため息をつく気力すら湧いてこない。
彼女は自分のことにあまりにも無頓着だ。だから俺が気をつけてやらねばと思っていたのに。
だがやるしかない。できる限り無茶はさせない方向でスケジュールを組み、ナディアに伝える。
空き時間には必ずクレイスを休ませる事を命じると、ナディアは深刻な面持ちで頷いていた。
++++++++++
さて、早速始めるわけだが。
社交界へのデビューのパーティーでは、踏まなければいけない手順がいくつかある。
まずは一番最後に入場をすること。エスコート役は婚約者か、兄弟、近しい家柄の男性などに任せる。
次に、全員の前で一言挨拶をする。
そして最初のダンスをエスコート役と踊る。ここまではいい。
最後に、参加している男性全員に挨拶をして終わる。
問題は一番最後のステップだ。参加している男性全員、すなわち招待した家の顔役に、己の存在や立ち位置をアピールする必要がある。勿論、無表情はご法度。しっかり会話を交わさなければならないし、相手の情報を覚えておく必要がある。向こうから話しかけて来てくれるならまだいいが、こちらから話しかける時は相手の家名を覚えておかなければならない。
なんとか俺が手助けをするつもりではいるが、会話に割り込むわけにはいかない。
クレイス自身が挨拶の全てをこなすことが大切なのだ。
「おわかりいただけましたか?」
「はい。ルーン様は、わたくしが一人で挨拶をこなせるかを問題視しているのですね。正しいと思います。今のわたくしでは、とても難しいでしょう」
「…それもありますが、心配しているのです。クレイス様は社交界には不慣れです。どこの令嬢も、幼い頃から夜会に参加し、その雰囲気を覚えるのが一般的です。貴女はそれを経験していないのですから…それに、とても疲れると思います。私がそうでしたので」
「社交界というのは、複雑なものなのですか?」
「こればかりは人間関係の話となりますので、複雑です。例えば、我が国には二つの派閥があります。隣国との和平に今も納得していない方々と、そうでない方々です。民衆が兄上たちの婚姻を受け入れている以上、何も言ってきませんが…やはり、相容れない様子です」
「そうなのですか…それぞれに対応した挨拶をしなければ、心象を悪くしてしまうのですね」
「はい。事前にどの貴族、王族がどういう思想かというのはお伝えいたしますが、そこから会話を考えるのはクレイス様自身のお力でなんとかするしかありません」
「わかりました。まず、わたくしは何を学ぶべきでしょう」
しっかりと姿勢を正してやる気を見せる彼女に、少し考える。会話の練習も確かに必要だが、その前に。
「まずは立ち振る舞いについて学びましょう。自然に出来るようになるには時間がかかります」
「承知いたしました」
「では、教師の者を呼んでありますので、そちらに」
「はい」
数人のメイドを呼び、クレイスを送らせた。
ここからは彼女自身に任せるしかない。俺は俺のやるべきことをしよう。
まずは参加者リストを手に入れること。兄上のにやけ顔が目に浮かぶようだが、最早慣れたことだ。
翌日。
夜更けまで参加者リストと睨めっこしていた為、まだ眠たいところをクレイスの声に起こされた。
朝、昼、夕の語らいは継続中だ。
何とか着替えて部屋を出ると、何処と無く彼女も疲れの取れない様子で待っていた。
聞けば、俺と同じく夜更けまで振る舞いの練習をしていたらしい。休むときは休めと言ったのにと思っていると、今後は控えるべきとクレイスも思い至ったらしい。ホッとした。
その後語らいの時間は、報告会のような内容となってしまった。
何を学んだか、何を覚えたか、それに何を思ったか。
クレイスは事細かに俺に話し、俺はそれに耳を傾ける。
とても穏やかな時間だった。彼女の思いを聞くのは、何故だか嬉しい。
朝が、昼が、夕方が。楽しみでならないと思った。
二日が過ぎ、三日が過ぎ。
忙しかったが、確かに充実した時間だった。
ナディアが日に日にやつれていくのは申し訳なくなったが、その実に楽しそうな様子に、止めようとは思えなかった。執事長がくるくる働く彼女を、見込みがありますなと報告してくれた。
四日が過ぎ、五日が過ぎ。
クレイスの仕草は目に見えて変わってきた。
そして、日を重ねるごとに美しくなっていった。
見た目のことじゃない。振る舞いのことでもない。
雰囲気が優しくなっていくのだ。ナディアと話すとき、目元がかすかに緩んだり、庭園で薔薇に向かってお辞儀の練習をしたり、俺の贈った本を、大切そうに捲ったり。
そういう何でもないことが大きな変化だと、俺も、そして王城内の誰もが気づいていた。
クレイス自身は気づいていないようだったが。
そして、六日目。
いよいよ明日が本番となり、クレイスは朝から俺と共に参加者についての話をしていた。
誰がどんな考えの家で、どのような派閥に所属しているのか。財力はいかほどか。どのような国を、領地を治めているのか。覚えることは山程ある。
そうして話していると、じいやが談話のスペースにやって来た。
「ルーン様、少しよろしいでしょうか」
「ああ。クレイス様、少々お待ちください」
そう言ってスペースから離れ、彼女に聞こえない位置まで行く。
「どうした?」
「モールドル国から、パーティーに参加する方が到着いたしました」
「そうか…どなたがいらしたのだ?」
「それが…」
じいやが言いかけたとき、廊下に続く扉の向こうから騒がしい声が聞こえて来た。
何事かと驚くのと、その扉が音を立てて開くのは同時だった。
「お待ちください!殿下!」
「やだ!ここにいるんだ…ろ…」
急いでクレイスの元に戻り、庇うように立つと、騒がしい来訪者の正体が見えた。
まだ10もいかない容姿、見覚えのある髪の色、緑色の瞳。
黄色の上着には、モールドル国の紋章が胸に刻まれている。
「姉様!!」
「キーリス…」
クレイスがその名を呟いた。
そこに飛び込むように抱きつき、彼は実に嬉しそうな笑い声を上げた。
++++++++++
「お初にお目にかかります!ぼく…私は、モールドル国第八皇子、キーリス・モルドリアです!」
「初めまして、キーリス皇子。私はルーン・パルキスタン・クロア。パルキア国の第三皇子であり、クレイス姫の婚約者であります」
「存じております!お会いできて光栄です!ぼく、貴方に会うのを楽しみにしていました!」
元気のいい皇子だ。思わず頬が緩む。
どんな人物が来るかと心配していたが、よかった。元気過ぎて一人称がブレブレだが。
本来、談笑スペースには婚約者同士しか入れない。
それを伝えると慌てて出て行ってしまったので、追いかけて違う部屋に通した。
ここは庭園を望むテラス。この城ではかなり美しい部類に入る部屋だ。
「クレイス姉様が婚姻するって聞いたとき、びっくりしました。でも、嬉しかったです!なかなか会えなくなるのは寂しいけど…」
「キーリス。何故貴方がここにいるのか、聞いてもいいでしょうか」
「あ、はいっ姉様。ぼ…私は、姉様の婚約パーティーに出席するんです。本当なら上の兄様たちの誰かが行くべきなんでしょうけど、行きたいって言ったら了承してもらえたんです!」
「そうだったのですか。ですが、貴方は社交デビューをしていないのでは」
「そうですけど、いてもたってもいられなくて…その辺は考えてませんでした!」
よく許されたなと苦笑しそうになり、慌てて口元を隠した。
クレイスは彼には心を開いているようだ。ナディアと話すときのように、目元が優しい。
どういう関係かと考えていると、それを察したようにクレイスが説明をしてくれた。
「わたくしとキーリスは、同じ母親から生まれた実の姉弟です。モールドル国にいた頃は、よく話し相手をしてくれていました」
「ぼく、体を動かすのが好きなんです。だから、外によく行ってて、その話を姉様にしてました。姉様は部屋に閉じ込められてて、外の世界を全然知る機会がなかったから」
閉じ込められてた?
バルカ国王の言葉を思い出す。確か、一生あの部屋から出られないとか言っていた。
だが詳しく聞こうにも、キーリスに別れの儀の話をするのは憚られる。彼は純粋にクレイスの婚姻を喜んでいるようだ。そこに水を差したくない。
別の機会を探るかと諦めたとき、キーリスがぐいとこちらに身を乗り出して来た。
驚いて仰け反る。
「ルーン様のお話はよく聞いています!剣術が得意だって!ぼく、それを一度でいいから見てみたいです!」
「そ、そうですか。では、午後にでも訓練の様子をお見せいたしましょう」
「いいんですか!?やったー!!」
大きく口を開けて喜ぶ様子が年相応で、和む。
しかしお茶を飲む姿はしっかり皇子のそれで、こちらはきちんとしているのだなと思った。
容姿は似ているところが多くあるが、性格は真反対のようだ。
だが聡明なところは姉弟で同じようだ。
クレイスがレッスンの為に退席し、彼を客室へと案内しているとき、言われた。
「姉様、変わりましたね。別人のようです。これもきっと、ルーン様のお陰ですね。ありがとうございます」
そう言って微笑む姿は、クレイスによく似ていて、彼女が笑うとこうなるのだろうかと思ってしまった。
しかしお礼を言われたものの、彼女の変化が俺のおかげだなんて自惚れはない。
きっちり否定しておいた。
++++++++++
小さな訪問者を迎え、ちょっとした波乱はあったが、明日の準備は万端だった。
招待客のことはあらかじめ予習できたし、ダンスや挨拶も大きな問題はない。
クレイスの立ち振る舞いに至っては、六日で覚えたとは思えないほど完璧だ。
あとは、きっちり休んで体力の温存をしておくだけだ。
「だから、今日はもう休んで、明日に備えましょう」
「はい、わかりました」
夕の語らいは無しとなり、晩御飯を済ませ、部屋に戻った。
休めと言った手前、夜更かしをするわけにはいかない。
さっさと眠ってしまおうとしたが、その前にやることがある。
今日はキーリスの為に昼間に剣を使ったので、様子を見ておかねば。
勿論、真剣での試合はしていない。だが型を見たいとのことだったので、木刀での練習試合に加えて一通り剣を使って基本型の練習もしたのだ。
空気に触れれば手入れをする。剣の師にそう教わった。
だが本当に空気に触れただけだ。軽く磨くだけでいいだろう。
そう思い、剣を抜く。
ガシャン、と。
何かが割れる音が聞こえて来た。
咄嗟に部屋を飛び出すと、じいやと鉢合わせた。
「今の音はなんだ!?」
「わかりませんが、クレイス姫様のお部屋からです!ルーン様はここでお待ちください、私が確認を」
「待てるか!早く部屋を開けてくれ!」
じいやを急かし、部屋の扉を叩く。
予想が正しければ、今のは部屋の窓が割れた音だ。
彼女の部屋には壁のランプ以外ガラス製品が置いてない。
「クレイス様!どうなさいましたか!」
「ルーン様、来ては…!」
彼女の声が途切れた。
もう形振り構っていられない。ドアを開け中に入ると、とんでもない光景が広がっていた。
数人の黒い服の者たち。顔を布で隠し、物騒な武器を持っている。
それに囲まれるようにして、クレイスが倒れていた。
入ってこようとしたじいやを後ろ手で制する。
「衛兵を今すぐ呼べ!」
「かしこまりました!」
「貴様ら、彼女から離れろ!!」
俺の怒声にも反応せず、黒服達は武器を構えた。俺も片手に持っていた剣を構える。
黒服の一人が、倒れたクレイスを担ぎ上げた。
そして窓に向かうのを見て、俺は走り出した。
「行かせるか!」
黒服が立ち塞がる。武器がぶつかり合い、乱戦状態となった。
室内で何人もを相手取るのは、実戦では初めてだったこともあり、かなり手間取ってしまう。
そして黒服のうち一人を蹴り飛ばした時、足から伝わる感触に顔を顰めた。
(此奴ら、その筋の者か…!)
服の下に防具をつけている。
襲いかかる武器をかわし、剣で受け止める。
そして受け流して投げ飛ばすと、仲間同士でぶつかって倒れていた。
一人一人はあまり強くない。視線を巡らせれば、まだクレイスを抱えた黒服はそこにいる。
これならと、剣を構え直した時。
「姉様!?」
キールスの声が聞こえた。
思わず反応してしまい、その一瞬を狙われた。
腹を思い切り蹴られ、後ろに飛ばされた。壁に激突し、呼吸が止まる。
顔を上げた時に、クレイスを抱えた黒服が窓から逃げていったのが見えた。
衛兵が続々と入ってくる。遅い。
「ルーン様!!」
「大人しくしろ!!」
「クレイス姫様が連れ去られたぞ!!」
「今すぐ追わせろ!!」
キーリスが駆け寄ってくる。
大丈夫だと伝えると、すみませんと何度も謝られた。
「ぼくのせいです、ぼくのせいで、姉様がっ、ルーン様が!」
「だ、いじょうぶです。貴方のせいではありません。ここは危険です、早く部屋の外へ」
「ルーン様!キーリス様!こちらへ!」
衛兵に支えられ、部屋を出る。
キーリスは泣きそうな顔で俺についていた。
「衛兵達がお二人のお部屋の方に走っていくのと出くわして、何かあったのかと、軽率に追いかけて…姉様の部屋に入っていくのを見て、思わず叫んでしまったんです…すみません…すみません…」
「大丈夫ですから、落ち着いてください。姫様も、必ず連れ戻します」
「ごめんなさい…」
泣き出した彼に、一瞬躊躇して、そして頭を撫でた。
「キーリス様、貴方も一国の皇子でしょう。こういう時こそ、落ち着いて対処するのです。部屋に戻って、待っていてください」
「は、はいぃ…ズビッ」
衛兵の一人に彼を送らせる。
そしてクレイスの部屋に戻った。
そこには捕縛された数人の黒服と、戦闘を終えたばかりの衛兵が数人いた。
「申し訳ありません、殿下。二人ほど逃してしまいました」
「わかった。下の兵はもう動いているか?」
「はい。急ぎ、漏らした仲間の捕縛と、姫様の保護を致します」
「何としても捕まえろ。そいつらは一先ず牢へ。尋問は後だ」
指示を飛ばし、窓を覗き込む。ここは三階、そう簡単に降りられはしない。
見れば、ロープが向かいの木にくくりつけられていた。あそこから侵入したのか。
頭がだんだん、状況を飲み込めて来た。同時に腹が立ってくる。
俺の婚約者に手を出すなど、許せるわけがない。
クレイスの部屋を出て、自室へ戻る。剣の鞘を持ち、乱れた服装を直す。
体調は、大丈夫だ。腹は痛むが動けないほどではない。
深呼吸をひとつして、部屋を出る。
戻って来ていたじいやを見つけ、ついて来いと言って歩き出す。
「至急兄上に連絡を。父上と母上にも伝えろ。俺はあいつらを追う」
「ルーン様…止めても仕方がありませんな。どうか無茶はお控えください」
「わかっている」
外に出ると、衛兵の声があちこちから聞こえた。
そのうちの、いたぞとの声に反応し、走り出す。
途中、兵達に驚かれたが気にしない。
走り着いた先には、姫を連れてはいないが黒服が二人いた。
「ハズレか」
呟きつつ、素早く一人に走り寄って鞘で頭を殴り飛ばした。
もう一人は衛兵にやられていた。捕縛するよう指示し、視線を巡らせる。
と、城壁からロープが垂れ下がっているのが見えた。
「衛兵!すでに外に出たやつがいる。馬を出させろ!」
「しかし殿下、もう夜です。こう視界が悪くては」
「クレイス姫は白い寝間着を着ていた。それにまだそう遠くへは行っていない筈だ。探せ」
「はっ!」
「他は外から回れ。俺はここからいく」
そう言ってロープを見上げる。
その向こうに満月が見え、おもわず笑った。
天はこちらに味方している。この月明かりの下、逃げられると思うな。
兵が止めるのを無視して、俺はロープを鷲掴んだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
クレイス姫の運命やいかに。