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3, ドレスを買いに


婚約の儀から三日がたった。


あの後は本当に何事もなかったかのように丸く収まった。

個人的にはレティシア姫に詳しく話を聞きたかったのだが、一度も会うことなく彼女はバルカ国王と共にモールドル国へと帰って行ってしまった。

あれだけ自分を推していたというのに、あっさりとしている。少し拍子抜けしてしまったくらいだ。


あとは国民に婚約をお披露目する儀式を終えれば、暫く平穏な生活に戻れる。

それをクレイスに伝えた時は、「平穏な生活とは何でしょう」と言われてしまったが。


彼女との関係は、何ら変わりはない。

婚約者という間柄ではある為、共に過ごすことは多い。

だが、何か特別なことがあるわけでもなく、日々は過ぎて行った。

変わったことといえば。



「おはようございます、ルーン様」


「…クレイス様か…少々お待ちを…」


「はい、お待ちしております」



彼女に起こされるようになった。

どういうことかと説明するなら、こうだ。


クレイスと俺の部屋は、向かい合う形で割り当てられている。

その中央には一段下がった談話スペースが設けられており、ここで語り合い親睦を深めるのが習わしだそうだ


我々もその例に漏れず、朝と昼と就寝前にはここで会話を交わしている。

のだが、そのうちの朝に問題がある。俺は朝にはとことん弱いのだ。眠気が取れない。

このことはこの暮らしを始めたその日にクレイスに伝えた。

すると彼女は、ならば自分が起こしに行きますととんでもない提案をしてきたのだった。


最初、男性の部屋に入るのはマナー違反だ、という理由でやめさせようとしたら、


「では着替え終わるまで外でお待ちしております」


と。使命感を感じているのだろうか。引く様子がないのを見て、諦めてしまった。

仕方がなかったのだ。あの瞳でまっすぐ見られると、気がつけば頷いてしまっているのだから。



着替えを終わり、部屋を出る。

そして再びギョッとする。


彼女は、ドレスではなくブラウスとスカートというまるで庶民のような格好をしていた。

というよりもそれは、この国に初めてきた時のものだった筈。

まだとっておいたのだろうか。



「あの。部屋にあるドレスは…?」


「特別な行事ではないので、こちらの方が動きやすいかと」


「…クレイス様。姫たるもの、常に着飾っておくのが礼儀です。周りに対しても、婚約者である私に対してもです」


「そうなのですか。つまり、この格好はルーン様にはお見苦しいのですね。大変失礼いたしました」



お辞儀をして着替えて来ますと背を向けた彼女に、思わず声をかける。誤解をさせておきたくなかった。



「私は、貴方のその格好は好ましいと思っております。ですが、礼儀を通すのが姫というもので…。つまりその、決して似合っていないわけではございません」


「…わかりました」



こちらを見て目をパチパチとさせた後、クレイスは部屋に戻っていった。姫に庶民の服が似合うなどと口にするのは良くないとわかっている。だが、白いブラウスと紺のスカートはとても彼女の清楚さを引き出していて、正直ドレスよりも好ましい格好なのだ。


ドレスに着替えて来た彼女を連れ、食堂へと向かう。

大抵移動の時間は、王族のマナーについて俺が一方的に話すばかりだ。

クレイスは覚えが良く、一度聞けばしっかり理解できている。講師をつけようかと思っていたが、これなら姉上様方の教育係であるメイド長に任せて良いかもしれない。

しかし今日は、珍しくクレイスの方から話しかけて来た。



「ルーン様、お聞きしたいのですが」


「はい、なんでしょう」


「この国では、姫はどのように過ごすのが普通なのでしょう」


「生活についてですか?そうですね…。一般的に、貴族や王族の令嬢は、お茶会などで社交をしたり、教養のレッスンを受けたり、刺繍などの趣味を楽しんで過ごすものだとお聞きします」


「社交には自信がありません。趣味というのは、どういうもののことですか?」


「自分がそれをしていて、楽しいと思える事を趣味と言いますね」


「ルーン様の趣味は、なんですか?」


「私ですか?私は…勉学や、剣術の訓練、乗馬などが趣味です」


「では、わたくしもそれを」


「クレイス様、勉学はともかく、剣術や乗馬は一般的な令嬢の趣味にはなり得ませんよ」


「ですが、ここでの過ごし方が、わたくしにはまだわからないのです。ルーン様とお話するくらいしか、時間の使い方がありません。それはあまりにも勿体ないと思います」


「お暇なようでしたら、あとで何か手慰みになるようなものを届けさせますが」


「それは、ご迷惑になりませんか?」


「全くなりません。さあ、そろそろ着きます」



会話を切りつつも、内心でしまったと思った。

クレイスが自分から言うほどなのだ。かなりの退屈を強いてしまっていたのだろう。

ひとりぽつんと部屋で座っている彼女を想像するだけで、後悔が襲ってくる。

何かお詫びをするべきだろうか。


そう思い兄上に相談したところ、笑われた。



「いつ気付くかと思っていたら、言われるまでわからなかったとは!つくづくお前は恋愛についてポンコツだな!」


「うっ…しかし、これでも気にかけているつもりだったのです。そう笑われるのでしたら兄上、貴方ならどうお詫びをすると言うのですか」


「お前に私の恋愛観を教授したところで意味がなかろう。だがアドバイスはしてやる。一週間後に、王都の大広場にて婚約の発表を行う事になっているな?その日の姫の衣装は、まだ決められていないそうだ」


「そうですか…。ありがとうございます、兄上」


「まあしっかりやりたまえ」



笑われたなりにしっかりアドバイスを貰えたのでよしとする。早速外出の手配をして、クレイスの部屋へと向かった。



++++++++++



ガラガラと馬車の音が響く。

外を眺めて歓声をあげるナディアを、少しだけ微笑ましく思いつつクレイスに視線を移した。



「乗り心地はいかがですか」


「快適です。馬車に乗るのは数回目ですが、その中で一番良いと思います」


「それは良かった。ナディアはどうだ?」


「とても椅子がフカフカしています!こんな贅沢は生まれて初めてです!」



こうして見ると年相応に見える。

ナディアはまだ15なのだそうだ。クレイスが19歳なので、6歳の頃からメイドをしていたと思うと、彼女の逞しさも頷ける。


ここは王都、ミラエスタ。国一の都市なだけあって、様々な高級店が立ち並んでおり、整備も行き届いている。俺からすると、平民の市場に比べればあまり面白味のない場所なのだが、彼女達はこの景色が新鮮なようで、興味深げに窓から観察している。

モールドル国は活気のある街が多いそうなので、出店のない風景は見慣れないのだろう。


何故俺たちが今ここにいるかと言うと、クレイスのドレスを選ぶ為だ。

通常なら専属の仕立て屋を城に呼ぶので、街にわざわざくる必要はない。が、これも暇潰しの一環だ。それにお詫びも兼ねている。

クレイスが外にあまり出たことがないと聞いていたので、喜んでもらえるかと思ったのだ。


が、やはり表情に変化はない。ジッと窓の外を眺めている様子から、興味がないわけではなさそうだが…やはりそう簡単にはいかないようだ。



「ここミラエスタは、貴族御用達のお店が多くあり、この国で一番美しい街と言われています。衛兵も城から派遣されている者ばかりですので、治安もいいです。お忍びで来るにはもってこいな場所ですよ」


「ルーン様も、お忍びで来られるのですか?」


「何度か、少人数の護衛のみで訪れた事があります。ですが、この辺りは女性の方が楽しめる店が多いようですので、頻繁には来ませんね」


「女性と男性では、嗜好に違いがあるのですか?」


「男の私には、ドレスや装飾品、化粧品のことはサッパリですので」


「それはわたくしも同じです」


「お嬢様、見てもいないのに決めつけてはいけませんよ!ほらあのお店!美しい首飾りですね〜!きっとお似合いになります!」


「そう…なのですか…?」



クレイスはナディアに指差された首飾りと、俺の顔を交互に見る。つられてみれば、金の装飾に赤い宝石の、かなり立派な首飾りがあった。

確かに似合いそうだと頷くと、クレイスはまるで勉強をしているかのようにそうなのですねと納得していた。強請ってくれれば簡単なのにと内心で苦笑しながら、ナディアに買い付けておくよう頼むと、本人よりよっぽど嬉しそうに頷いていた。



目的の店には、昼過ぎには到着した。

この国のみならず、周辺諸国にも店舗を持つ、王室御用達ブランドの仕立て屋だ。特にここの店の店長はこだわりが強く、しっかりと似合うものを見定めてくれるということで、他国からもこの店を訪れる客が多いと聞く。店長本人も、様々な国の王家からご指名を受けて出張する事が多いらしい。


高級感溢れる建物の入り口をクレイスを連れてくぐると、従業員が左右に揃ってズラリと並んでいた。



「ようこそおいでくださいました!殿下、そして妃殿下!私がこの店の店長、ユイルで御座います。この度は御婚約、誠におめでとうございます!」


「ありがとう、ユイル。お姉様のドレスの仕立て以来だな」


「はい、殿下。お久しぶりでございます。こちらが、モールドル国の姫、クレイス様ですね?クレイス様、お初にお目にかかります、今回ドレスを仕立てさせていただきます、ユイルで御座います」


「クレイス・モルドリアです。よろしくお願いいたします」


「さあさあ此方に!お疲れでしょう、紅茶と軽食をご用意しておりますので」


「気づかい感謝する。クレイス様、行きましょう」


「はい」



二人で用意された椅子に座る。流石は王室御用達、とても良い家具だ。


紅茶を頂きながら、まずは最近の流行と、用途に合わせた装飾の説明を聞く。

俺にはサッパリだが、クレイスもあまりよくわかっていない様子だった。頼みのナディアは目を輝かせて聞いていたので、これは任せるしかないかとサンドイッチを一口食べた。物凄く美味い。


簡単にだがわかったことは、最近は中に型を着ておくドレスが一般的らしい。が、大切な夜会や婚約、婚姻に関する時はしっかりレースで形作ったドレスを着るものらしい。

女性とは大変なのだなあと思った。



「クレイス様は細身でいらっしゃいますので、袖や首元は体にあまり密着させず、ふんわりとした柔らかなシルエットにするのがよろしいかと思います。婚約のお披露目ですので、後ろに長くレースを伸ばしましょう。それで、装飾なのですが…」



ユイルは凄い。よくあんなに息が続く。

女性陣に任せて、我関せずでのんびりと紅茶を飲んでいた。

と、その時、急にクレイスが俺に声を掛けてきた。



「ルーン様。ルーン様のお好きな色は何でしょう」


「え!?い、色ですか!?」



まずい、全然聞いていなかった。

色、色?特に好みはない。考えた事もなかった。

ジッと答えを待って此方を見つめるクレイスに、早く答えなければと咄嗟に頭に浮かんだ色を述べる。



「み、緑です」


「緑ですか?それは…なかなか斬新で御座いますね」


「私も、緑のドレスでのお披露目は見たことがないです」


「そうなのですか?」



クレイスの問いに、女性二人がそうなのですと頷き返す。

ドレスの色だったのか。なんだと。緑のドレス?

夜会には合うだろうが、お披露目に緑のドレスは俺も見たことがない。咄嗟にクレイスの瞳の色を言ってしまったが失敗だった。

慌てて訂正しようとしたが、クレイスが先に話し出してしまった。



「ですが、ルーン様がお好きな色なら、わたくしはその色が良いです。お願いします」



思わずドキリとしてしまった。クレイスが自らの希望を述べた事にも驚いたが、その内容だと俺好みの色を纏いたいと言っているようではないか。

彼女を見ると、明らかにそう言った意味合いではないとわかる無表情だったが、俺が言葉を失うには十分だった。



「わかりました!このユイル、妃殿下のお願いとあらば喜んで尽力させて頂きます!さあクレイス様、早速採寸を致しましょう!誰か!御案内して!」


「え!?あの、ちょっと」


「殿下、素晴らしい方をお選びなさいましたね。どうぞお任せください、歴史に残る宝石のようなドレスを仕立ててみせますわ!」


「いや、あの」


「クレイス様、どうぞ此方に。殿下はお待ちになられてください。お付きの方、どうかお手伝いを」


「お任せください!ではルーン殿下、失礼します」


「ルーン様、行ってまいります」


「は、はい。いってらっしゃいませ」



あああ、これはもう戻れないやつだ。わかる。お姉さまの時もこうだった!

緑のドレスでのお披露目。歴史に残ってしまう。覚悟しなければ。

己の軽率さをとことん恥じつつ、遠い目で連れられていくクレイスを見送った。



帰って兄上に事の顛末を話すと、朝以上に笑われた。



「これを逃す手はないぞ!そのドレスで婚約パーティーにも参加して頂こうじゃないか!」


「婚約パーティー?」


「妻からの提案でな、クレイス嬢は社交界にきちんとデビューしていないそうじゃないか。婚約を機会にそちらの方にも顔を知っていただこうというわけさ」


「それは…賛成しますが、しかしドレスは…」


「良い話題になる!早速広めさせよう!」


「やめてください!」



抵抗虚しく、緑のドレスとその由来は瞬く間に国中に広まり、なんと仲の良いお二人だとの評価を受けてしまった。


良い印象になるのはいい。それに関してはありがたい。だが目立ってしまうのはいただけない。

出る杭は打たれるとも言うが、第一俺は単なる第三皇子なのだ。王族ではあるがそう目立っていい事がある立場ではない。



++++++++++



胃が痛くなりそうだと思いはするものの、全く変わりのないクレイスを見ると、悩んでいる自分が馬鹿らしく思えてしまう。自分がどう評価されようと、常に無表情だ。教えてもそうですかとしか言わない。


談笑スペースに座り、出かけた帰りに渡した俺が気に入っている本を、姿勢よく読んでいるクレイスは、いつしか心の安定剤のようになっていた。

彼女を見ていると落ち着く。何があっても変わりない姿は、ナディアには悪いが好ましく思えてならない。

けれど時々思う。彼女が何を考えているのか、やはり解りたいと。



「クレイス様、少し宜しいですか」


「はい、何でしょう」



此方を向く彼女の手元の本からは、薔薇を押し花にしたしおりが見えている。こういう時、クレイスの気持ちが知りたいと感じるのだ。

どうしてその花を、大切に思ってくれているのかと。



「先日出かけた際に見かけた、首飾りが届きましたので、渡しに参りました」


「首飾りとは、ナディアが褒めていたあの金の装飾品の事ですか?」


「はい。クレイス様に似合うと思いましたので、彼女に頼んで買い付けていたのです。どうぞ、お使いください」



そう言って箱を渡すと、クレイスはゆっくり手を伸ばしてそれを受け取った。暫くジッと箱を見つめ、そしてゆっくり顔を上げる。



「これは、贈り物ですか?」


「はい。私からクレイス様への、贈り物です」


「そうですか」



再び沈黙。

するとそっと、クレイスは自らの胸元に手を当てた。

その仕草の意味が掴めず見ていると、やがて彼女は箱を開け、首飾りを取り出した。

そして自らの首に下げ、丁寧に宝石の部分に触れた。



「お気に召していただけましたか?」


「…わかりません。ですが、ルーン様に贈られたと思うと、胸のあたりが暖かくなります。ものを食べていないのに、お腹いっぱいな心地になります」


「それはおそらく、嬉しいという事ですよ」


「嬉しい…?」



クレイスは宝石に触れ、何度か『嬉しい』を復唱した。そして何か納得したように頷き、俺と目を合わせた。



「ルーン様、わたくし、嬉しいです。贈り物をしていただき、ありがとうございます」


「はい、喜んでいただけてなによりです」



気づけば、俺は笑っていた。

それはそうだ、彼女の気持ちを聞けたのだから。


婚約の儀を思い出す。

クレイスは、知りたいと言っていた。

ならそれを一つずつ、俺は見つけていくだけだ。

彼女が知らない、彼女自身の気持ちを。




少しずつ、少しずつです。

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