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27, 開戦の時

大変お待たせいたしました。


 コツコツと、ヒールの音が鳴り響く。それに寄り添うように、金の癖っ毛が揺れている。先程から全然こちらを見ないクレイスを、俺とナディアは黙って追っていた。

 宣戦布告の準備は整い、つい先程その旨を認めた文書を鳥を飛ばした。内容は先ほどの話し合いで決められた通りだ。


 俺たちはナギ国の王女、ナディア・シアレイトを筆頭にバルカ王へ戦いを挑む。


 そうなってようやく、城中のナディアへの態度の意味がわかった。マルタが言っていた『希望』とは、祖国を取り戻す旗印となりうるナディアの帰還だったのだろう。

 きっと何年もの間、それだけを頼りに、息を潜めて待っていたのだ。


「……お嬢様……」


 ポツリと呟かれたナディアの声に、クレイスは少しだけ反応したが、またすぐに歩き始めてしまった。最近、かなりわかるようになってきた筈のクレイスの心情は、また雲に覆い隠されたように分からなくなってしまった。

 この先はクレイスの部屋だが、まだ彼女は湯浴みをしていない。きっとナディアはそれを言いたいのだろうが、声をかけられずにいる。こんなにまで心を閉ざされたのだから当然だろうとは思うが……。

 それでも堪らず、俺はクレイスを呼び止めた。


「クレイス様、どうかお待ちください」


 ピタリと、ようやくクレイスの足が止まった。

 けれど、こちらを見てくれない。ナディアは息をつまらせながらその前に進み出る。そして目を伏せたまま、かすれた声で「湯浴みを」と告げた。クレイスは、じっとナディアを見つめているようだ。

 お嬢様、と再度ナディアが呼び掛ける。二人の目が合い……そのまま数十秒、固まっていた。

 最初は大丈夫だろうかとハラハラしつつ見守っていたのだけれど、この時間でなんだか落ち着いてしまったので、思い切って二人のそばへと足を進める。


「クレイス様、どうなさいましたか?」

「…………」

「クレイス様」

「……………」

「聞こえていますか?クレイス様?」

「…………………」


 彼女が返事をしないなんて、もしかして初めてなのでは?

 ビックリしてしまって、どうしようとナディアに聞こうとした時、ようやくクレイスが小さく何かを言った。


「……て」


 聞き取れなかった。ぐいと顔を近づけて、正面からもう一度言ってくださいと頼む。そしてハッとした。彼女の目が揺れていて、まるでどこかに取り残されたような顔をしていたから。

 それでも、クレイスは聞き取りやすい声で答えてくれた。


「どうして、こんな気持ちになるのでしょうか」

「……どんな気持ちですか?」

「胸が、痛くて、足元がわからなくて、頭の中がぐちゃぐちゃで……不安、にとても似ています。でも、それよりもっと苦しくて」


「お嬢様……」


 ナディアが半ば呆然とクレイスを呼ぶ。それを拒むように俯き、クレイスは両手を握り締めて、心の中の痛みを赤裸々に語った。


「ナディアを見ていると、それが強くなって、どうしたらいいのか分からなくなるんです。いつもなら……ナディアがいると、それだけで安心していたのに、今は、今は……こんなにも苦しいんです」

「お嬢様……」

「不安より、もっと大きくて真っ黒なものが、覆い被さってきて、とても、とても苦しいんです。ナディアが遠くなったと思うだけでも、こんなに……!」

「お嬢様っ!!」


 ナディアが、クレイスを抱き締めた。多少の身長差があったのに、ナディアの腕にクレイスはすっぽりとおさまっている。そして驚いたように目を大きくしたクレイスが、ナディアの名前を小さく呼んだ。それに応じるナディアの声は、祈りの様な感情が込められているように聞こえた。


「お嬢様、私は何があっても……たとえ立場や名前が変わったとしても、クレイスお嬢様の従者であり続けます。絶対にお嬢様を一人にはしません。だからどうか……今、私がお嬢様を傷つけてしまっているのだとしても、私を信じてください。お願いします」

「な、でぃあ」

「私はお嬢様を守ります。どんな事になっても、お嬢様の従者として全身全霊でお嬢様を守ってみせます。……いつまでも!」

「……」


 クレイスの唇が震える。しかし彼女は何も言うことなく、しっかりとナディアを抱きしめ返した。思わずギョッとしたのは俺だけではなかった。入れ替わるように、ナディアの目が大きく見開いている。まさかそうするとは思いもしていなかったのだろう、ナディアの手が一瞬彷徨った。


「お、お嬢様……!?」

「……わたくしは、モールドル国の第四皇女、クレイス・モルドリアです。多くの国を攻め落とし、多くの命を奪った、最悪の姫です。でも、それでもわたくしは、貴女の主人でありたい。ナディアとずっと一緒にいたい。貴女が旗本となったら、勝利の先に貴女との別れがあるのだとわかっていても、どうしても受け入れられないのです」

「そ、れは……」


 ナディアが呆然とクレイスを見て、そして俺を見た。

 ……こんな風に、クレイスから思いをぶつけられたのは初めてだったのだろう。俺から見ればこうなる方が自然なのだが、この二人は今までそれがなかった。言ってしまえば……非常に複雑な見解の相違、意見の衝突だ。

 ナディアは、戦いがどのような結末に至ろうとクレイスの従者であり続けたい。だがクレイスは線引きをする決断をしているのだ。勝利しても敗北しても、ナディアはナギ国の女王、ナディア・シアレイトとしてこの国に据えると。その全てを受け入れなくてはならないとわかっていてもなお、クレイスは自身の決断に反発しているのだ。ずっと一緒にいたいと。


 ……ハッキリ言うと、クレイスは正しい。ナディアはその存在自体が特殊だ。どのような立場になろうとも、その背にナギ国と反バルカ王の勢力を背負う事になる。ならば彼女は最もそれを示しやすく守りやすい、女王の地位にいるべきだ。理想と現実の板挟みになったからこそ、クレイスの心がこうしてナディアの前に現れた。

 それは間違いなく、本来あるべき主従の形だ。クレイスはナディアを手放したくないと思い、それでもナディアの言葉が非現実的だと理解し、受け入れられないと言った。ようやく本音をナディアに曝け出したのだ。


 本来ならこれはきっと、ずっと心の奥に閉ざされていたクレイスの気持ちと向き合うまたとない機会だった。

 しかし今のこの様子では、ナディアとクレイスが自力で解決するのは無理そうだ。当然だろうとも。何せタイミングが最悪すぎるのだから。

 ナディアの目がなんとかしてほしいと言っている。無粋な気もするが、悪になると誓った身。クレイスを傷つける事になっても、彼女を守る為に動くのが今の俺の役目だ。

 抱きしめ合う二人を少々離して、俺はナディアの隣からクレイスの顔を覗き込んだ。不安げな彼女の視線が、ゆっくりとこちらに向けられる。


「クレイス様、この戦いにおいてナギ国は重要な拠点の役目を果たします。ここから戦いに赴く者達の掲げるものは、バルカ王の意に背く意志そのものです。新たな王に従う姿勢での戦争は敵味方双方がやりやすい。何故なら互いの勝利条件は王を潰すこと。シンプルで無駄のない目的となりましょう」

「それは、わかって……わかっています……」

「ならば、その後の事の心配を今ここでする行為の無意味さも理解するべきです。もう既に戦争は始まりました。ナディアは貴女の作戦において最も重要な役割を任せられている。こうしている間に何かを怠った……それが原因で彼女が倒れる可能性を考慮していただきたい」

「る、ルーン様!」


 ナディアが青い顔で俺を止めた。クレイスは何も言わずに、ゆっくりと手を離す。そしてそれが強く握り締められるのを、ただ黙って見つめた。

 数分、クレイスは動かなかった。表情に出さずとも、その葛藤は伝わってくる。彼女の結論を待とうと、俺もナディアも待っていた。そしてゆっくり彼女の顔が上がって、揺れていた瞳が意志を宿したのがハッキリ見えた。


「……ルーン様の仰るとおりです。ナディア、思いは変わらずとも言葉は撤回します。貴女は己の役割を、立派に果たしてください」

「……はい」

「お手間をおかけして申し訳ございませんでした、ルーン様。湯あみをし、仮眠をとります。斥候の者が戻り次第作戦を開始すると、お姉様方にお伝えくださいませ」

「わかりました」

「ナディア、作戦の再確認を湯浴みと同時に行います」


 無表情の仮面を付けたクレイスが指示を出す。

 だがそれでいい。こんなところで覚える感情なんてくそくらえだ。不安も恐怖も全部、斬り捨てる。王家の剣に伸ばした手に決意を込め、俺は二人と反対の方向に歩き出した。


+++


 クレイスの指示で探りを入れに行った斥候が戻ってきた。数人全員の無事の帰還に内心でホッとした。そして彼らが駆け寄るのを見てこちらも歩み寄る。


「ルーン様」

「戻ったか、無事で何よりだ」

「はい、報告致します。門前の配置は、若干兵が少ないものの最初に想定したもので間違いありませんでした。それと……どうやら、市民の避難を完了させており城下町は空っぽのようです」


「……は?」


「間違いありません」

「ルーン様、これは……」

「ああ、クレイス様の読みが当たった。キルスチア国の介入はこちらの利になったようだ」


 報告を聞いたナディアに頷き返した。

 夜明けまで時間はある。すぐに出立すると騎士団員に告げ、ナディアにクレイスを呼ぶよう指示を出す。俺も準備をしなくてはならない。


 クレイスが考えていた『もう一つの可能性』

 それはキルスチア王国の介入だった。カーベラル皇子との会話において、クレイスがどうしても引っかかっていたのは、バルカ王側に味方して彼らが得られる利益だ。レティシア姫に相談して出た結論は百害あって一利なし。爆弾を抱えて膨れ上がった国の宰相の地位に価値なんてあるわけがない。

 いやまあ、確かにカーベラル皇子ならばキルスチアとの協力によって国を安定させることは可能かもしれないが、リスクが大き過ぎる。

 そして何より、クレイス達を一度捉えたのは別の目的があるようにしか思えなかった。……例えばそう、クレイスをバルカ王よりも前に捕まえる事こそが真の狙いだったら? 杜撰な見張り、追ってこなかった雇われの兵士とカーベラル皇子。裏切りを前提に考えればどれもこれも説明がつく。

 政治の才能に長けた姉による見解に、クレイスは納得した。

 そしてもう一つの可能性……キルスチアの介入によるバルカ軍への妨害が発生した場合の敵の動きも考慮したのだ。


「元々から、キルスチア王国はシャリア姫と手を組むつもりだった。その理由は恐らく、モールドル国に存在するフィーリア王女の知識」

「だから王都奪還における最大の難関であった市民の身の安全を最優先にした、ということですね。書類のみを持ち出し別の場所に保管する方法を取らなかったのは……」

「モールドル国に善意的な協力をする事で、恩を売りより安全に情報を得るためだろうな。今頃はキャンディス姉上か他のキルスチア王国の者が、避難民のための物資提供をしているに違いない。恩を売るのが大好きな連中だからな」


 ただまあつまり、キルスチア国はシャリア姫を……極端に言えばクレイスを選んだのだ。


 この戦争を切り抜け、王都を奪還し、モールドル国を守る。侵略を受けた周辺諸国にはどのような対応をするのか全く読めないが、ナディアをここに連れてきた事から察するに、少なくともナギ国は復活させる気でいるのではないだろうか?

 ……いや、もう深く考えるのはよそう。俺はそういったことには疎いし、王都を奪還した後はモルドリア王家の仕事だ。


 大量に用意した剣のうちの一つを抜く。長年共に戦い続けてきた、王家の剣。折れにくく錆びにくくよく切れる。

 俺にはこれが一番似合う。


「ルーン殿下、準備が整いました」


 凛とした声にハッとして、剣をしまう。

 そして振り向くと、見た事のない作りの白いドレスに身を包んだ、俺の婚約者が立っていた。

(本当に、お強くなられた。)

 その心がどれほど軋み、悲鳴をあげているのか、はっきりと分かるほどに……クレイスの瞳は真っ直ぐだ。ならば俺もそれに応えよう。


「クレイス姫。出発前に、お願いしてもよいですか」

「……何を、ですか?」


 一瞬躊躇った彼女に微笑み、その傍に立つナディアに視線を移す。初めてナディアが戦いへ行くと告げてきた時より、ずっと物々しい装備だ。暗殺者を仕留める訓練、即ち一対多の戦いのためのそれを会得した重みを感じる。

 だからこそ信じられるのだ。ナディアは絶対にクレイスを裏切らず、守り抜けると。



 ──息を吸う。止める。吐く。



 抑え込んでいた気持ちを引き上げて、晒して。

 非情で醜くて罪深い愚か者だと、己を罰し続けていた、不器用で怖がりで大切な婚約者に、俺が出来る最後の贈り物。

 己よりも醜悪な化け物が、この世にはいるのだという現実を彼女に。


「開戦したら、俺を止めることは出来ないとご理解ください」

「この戦いにおいて、俺は悪の道を選びます」

「最早貴女に関係なく、俺は殺します。立ち塞がる者を躊躇なく殺します。返り血を浴びて、全身が醜悪に染まり、化け物となっても、殺し続けます」

「たとえ命乞いをしようが、誰かを庇おうが、善良な意志を持とうが、殺し尽くします。それが俺に与えられた唯一無二の才能です。皇子である事を受け入れてからずっと続けてきた、国のため、民のために『国の象徴(おうけのはじ)』として戦い続ける、ただそれだけのもの」


「だから……俺を、止めないでください。そして見ていてください。貴女の隣に立つ男の、本当の姿を」


 俺の言葉に、クレイスはただ静かに耳を傾けていた。「貴方が抱いているものは恐怖です」と付け加え、それを与えるやも知れぬと言外に告げる。それでも、彼女の表情も瞳の意志も、変わることはなかった。


「……わかりました」


「ナディア、クレイス様を頼む。俺と合流するギリギリまで、クレイス様を支えて欲しい」

「は、はい。ですが、ルーン様は後方から陽動の成功を待たねばならないのでは」

「目的地までの移動時間が長いんだ。だから悪いが先に行く。……あいつらを使い物にならなくするのは困るだろう」


 チラと視線を向けただけで、騎士の数人が青ざめた顔で俯いた。ああ、久しぶりだ。笑顔を向けられるよりもよっぽど心を鎮めてくれる。だがその原因は俺の堪えきれない欲望だ。戦いたい。はやく、はやくいきたい。彼らは俺のその欲を知っているのだろう。アレは当然の反応だ。

 ナディアが口を噤んだ隙をついて、ベランダから飛び降りる。騎士団が集まって何かしているが、気にせず馬を選び跨がる。使い捨てのお粗末な物とはいえ、剣が何本もぶら下がっていると速度は落ちる。陽動に間に合う為にはもう出ておくほうがいい。慌てて上からナディアが呼び止め、顔を出すのが見えた。


 だから、微笑みかけておいた。


+++


 ルーン皇子が消えても、沈黙は途切れなかった。

 ナディアは呆然とするクレイスの手を取り、強く握りしめる。


「お嬢様、落ち着くまで数分待ちましょう。騎士の方は出来る限りはやく出撃をお願いします」

「はっ! 承知いたしました!」


 走っていく騎士の背を見送りつつ、クレイスを連れて部屋に戻り、ソファへ座らせる。お茶を用意する時間はない。ナディアはぐいとクレイスの顔を覗き込むと、そのまま話し始めた。


「先程ルーン様が放ったものは殺気です。お嬢様は訓練を受けていないのもあり、直に感じたのでしょう。深呼吸をして落ち着いてください」

「……あんなルーン様を見るのは、二回目ですね」

「はい。イレーシア国の城から脱出する時、ルーン様は間違いなく先ほどの状態に近かったでしょう。ですがあれとは比べものになりません」

「ルーン様は、何故ああも恐れられているのですか? お優しくて、国の象徴だと讃えられているのに」


 クレイスのもっともな問いに、ナディアは唇を噛みしめた。そして言葉を探し……しかし、その誤魔化しもきっと裏切りだと、全てを率直に伝える覚悟を決める。



「ルーン殿下……ルーン・パルキスタン・クロア皇子は、かつてその名を国中に轟かせました。紛争、戦争に介入し、終わるまで、止まるまで、双方の者を殺し続ける殺戮者として」



 ナディアの言葉に、クレイスは思わず目を見開いた。


 お久しぶりです、皆さまお元気でしたでしょうか?

 お読みいただき本当にありがとうございます。段々と本格的に不穏になっています。小説情報をR15にするべきだろうかと……いえ、するべきですね! ルーン様が活躍し始めたら変更させていただきます!

 次回はおそらくルーン様が活躍します、つまりはそういうことです。でもあまりそういったシーンを書くのは上手くないと自覚しておりますので、大丈夫(?)です。

 どうぞ今後とも、よろしくお願いします。

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