26, わたしがここにいる理由 その2
長くなってしまいましたので、途中で切っております。
鳥のさえずりが聞こえる。
透き通った日差しが、木の葉を通って部屋に入っている。
その柔らかな雰囲気に少し安堵しつつ、クレイスが眠る寝台に歩み寄った。
天蓋のカーテンをそっと押し上げると、静かな寝息とともに彼女の穏やかな寝顔が見えた。
この様子なら自然に起きるまでそう時間はかからないだろう。目覚めるまで待とうと思い、近くにある椅子に腰掛けた。
ナディアは頭を冷やすついでにお茶を用意してくると言っていた。その間クレイスを見てて欲しいとのことで、鍛錬を切り上げて戻り、今に至る。
とはいっても、ただじっと待つと言うのも落ち着かない。待つ間に剣の手入れをしてしまおう。
そう思い、鞘から剣を抜いたところやけに剣身が冷たいことに気づいた。
なんだこれ?外の気温はそんなに低くなかった筈だが…?
素手で触って確認する。刃の部分よりも、腹の方が冷たい。よく見ると水滴が付いている。
けれども水がかかったわけではなく、結露しているようで、ますますわけがわからない。
よくわからないけれど拭けば元どおりになるだろう。そう思って普段通りの手順で手入れをしていると、寝台の方から布が擦れる音が聞こえた。
咄嗟に立ち上がり顔を覗くと、少々ぼんやりしつつ目を瞬く彼女の顔が見えた。
「クレイス様」
「…ルーン様」
「無事にお目覚めになられて安心しました。ご気分はいかがですか」
「ずっと良くなりました。お待たせしてしまい申し訳ありませんでした」
「お気になさらないでください。お水は飲めそうですか?」
「はい。いただきたいです」
素直にこくりと頷く彼女に思わず頬が緩む。
ナイトテーブルに置かれていた水差しからグラスに水を注ぎ、飲みやすいようクレイスの背を支えて上体を起こしてやる。グラスを手渡すと、若干豪快にごくごくとそれを飲み干した。その様子に驚きつつ、もう一杯いりますかと問えばすぐにはいと返事が返ってきた。
合計で4杯。飲み干して満足したらしいクレイスはふうと息をつくと自分で体を起こした。
なんというか…前々から思っていたのだけれど、クレイスは体力がない割に回復が早い。これまで何度も体調を崩しているが、休めばすぐに元に戻る。倒れては回復し、倒れては回復し、その繰り返しばかり。いや仮にも一国の姫である方がこんなに倒れているのがおかしいのだが。
回復が早いのは正直助かっているけれど、その治癒力は若さ故のものではないだろうか。これからもずっとこうだという保障がないのだから、出来る限り彼女の体調に気を配るべきである。
そう考えつつ彼女の向かいの椅子に腰掛けて視線を合わせると、緑の瞳が理知的な輝きを湛えつつこちらを見つめていた。どうやら調子を取り戻したらしい。
きっとクレイスは、あれからずっと考えていたのだろう。キャンディス姉上が俺達を送り出した理由。ここからとるべき最良の一手。
だから俺も、出来る限りの事を。
「お話ししたいことがあります。旅立つ前、カイル兄上が私に言った言葉です」
と言っても大したものじゃない。
旅立ちの日、クレイスと共に自室に戻る際に呼び止められて言われただけのものだ。もしかすると聴こえていたかもと思っていたが、反応を見る限り違うらしい。
「この旅は仕組まれたもので、複雑な陰謀が絡んでいる事は確かであると。故に必ず何らかの妨害が入るだろうが、その策は完全ではない、自分で突破口を見つけろ。そう言われました。…お伝えしていれば、クレイス様をこの様な目に遭わせずに済んだかもしれなかった…」
「いいえ」
その即答ぶりに若干面食らい言葉を失う。
クレイスはわたくしも、と話を続ける。
「わたくしも、キャンディス様から助言を頂いておりました。『モールドル国は現在王家において完全な内部分裂が起こっている。貴女達は確実にそれに巻き込まれる。ルーン様やナディアに危険が及ぶ可能性が高い。また、キーリスの言動に注意するように』と。同じく口止めも」
「なるほど、だから船で…」
「…はい。でも、どうすればいいか、結局わかりませんでした。結果、ルーン様に大変なご負担をおかけしました。…キーリスが敵になったと、あの子に勝たなくてはならないと、そう頭で理解しようとしても、出来ませんでした」
「貴女は道中、ずっと一人で戦っていたのですね」
クレイスの手を握る。彼女は両の手で俺の手を包みこんだ。…なんて情けない。俺の方が慰められてどうする。
とにかくこれで俺自身の情報は出し切った。あといくつか、クレイスに聞きたい事は残っているが、まずは今後の方針を明らかにしたい。
と、丁度良いタイミングで扉がノックされた。
+++
ナディアを加えた三人で、話を進める。
大まかな問題点について話し合いつつ書き記した紙を囲み、現在の状況を簡単に整頓した。
まず、必須事項かつ最終目的の一つは、バルカ王の捕縛だ。
失脚させるという表現をしていたが、王家は彼を殺すしかない。それも処刑という形で。罪人として捉え裁きを受けさせる方が、民衆の望みに叶い、支持を得られる。
だが戦死したとしても、死体がハッキリと確認出来るのならば、裁けずとも満足を得られるのではないかとクレイスは考えていた。
それに否を唱えたのはナディアだ。
「確実にバルカ王であると敵味方ともに認識できるようにすべきです。彼を殺してしまってからでは、今後のモールドル国の改革に差し障りが生じる可能性が高い」
「私も同意見です。理想的な流れは、王を裁き退位させ、リヴァル皇子を臨時的に王座に据える。そしてバルカ王の取り巻きをしている貴族の爵位剥奪。膿を出し終えてから改めて公開裁判を行い、刑を執行する。その後正式にリヴァル皇子が王位を継承する。と、このように考えます」
ナディアに乗っかる形で同意を示すと、クレイスは「では」と戦死の部分を削除する。
そしてその下にスラスラとそこまでの流れを書き連ねる。
優先順位を考えられている一連のそれの中には、大きな難関がバルカ王の名前の次に書かれていた。
──ずばり王都奪還である。
クレイスは全て書き終わった後、俺とナディアの表情を見て若干同じような雰囲気でペンを置く。
高難易度にもほどがあるのではないか。けれどクレイスはそこまでの道筋をしっかり書いている。
先のことを気にしすぎるのは良くないと思うが。考えたくない。
やがて絞り出すような声でクレイスがフォローをする
「お気持ちはわかりますが、王都の奪還は絶対にしなければなりません。戦力差や地の利、王都は堅牢で攻め落とすのは大変難しいでしょう。しかし奪還が叶えば、反乱等からモルドリア王家を守ることができるようになります。見ての通り、わたくし達の戦力はこれだけ」
すっとクレイスの指が数字を指し示す。
うむ、五千程度。
そしてその下のバルカ王の戦力。
…五万程度。
桁が違うにもほどがあると思う。
だがこれは覚悟していたことだ。王都奪還にも賛成する。
それになんとなく、俺がやるべきこともわかってきた。
リストの半ばにあるその文を見つつそれを口にする。
「キーリス様の保護、とありますが…この狙いはなんですか」
クレイスは少しだけ俯いて、そしてすぐに顔を上げた。
すうっと、一呼吸。
「わたくしは…キーリスと仲直りをしたいのです」
驚いて固まった俺とナディアに、少し早口でクレイスが付け加える。
「キーリスは、まだバルカ王に完全服従をしておりません。カーベラル皇子の元へ連れて行かれた際、彼らはわたくしとナディアを認識していたにも関わらず、ルーン様を“護衛の男”と呼んで杜撰な捕縛をしました。いくら狙いがわたくしのみだからと言って、他国の…ましてやルーン様にそのような扱いをする事の危険性を、カーベラル皇子が認識していないわけがありません」
「つまり…キーリス様は虚偽の密告をしたと」
「はい。そして結果、そのおかげでわたくし達は無事に脱出することが叶いました。だから思うのです。キーリスとの和解の余地は十分にあると」
言葉を切る。
ここまでの説明はあくまでも現状を理性的に分析したもの。
ここからは、彼女の本音。
「…わたくしは、キーリスを取り戻したい。たった一人の、血を分けた弟を…家族を、わたくしはもう、失いたくないのです」
一瞬の沈黙の後、俺はナディアと顔を見合わせてから。
「わかりました」
「かしこまりました」
と、そろって頷いた。
この反応が意外だったのか、クレイスは驚いてこちらを見る。
まん丸の目をした彼女が可愛らしく思えて若干固まった俺に変わり、ナディアが話してくれた。
「お嬢様。ご家族を大切に思い守ろうとなさるのは普通のことです。特に…ご両親を亡くされたお嬢様にとって、キーリス様は特別な方。人質にされる前に救出をしなければならないことを考慮すれば、保護を最優先にするのは当然と言えるでしょう」
全面同意である。付け加えるなら、キーリスは間違いなく人質になっている。
バルカ王は悪辣だと言ったナディアは、きっとそれを指していた。
クレイスの最大の弱点は、すでに敵の手に握られてしまっているのだ。救出は王都奪還よりも優先しなくてはならない。
けれどもそのキーリスは王城にいる。カーベラルがそう言っていたそうだ。
そうなると現状は…頭が痛くなるくらい不利ということ。
けれど、クレイスはナディアの言葉を噛みしめるように数度頷くと、深呼吸をし…
「チェス盤を」
とナディアに言った。
++++++++++
二時間ほどだろうか。中々に濃い時間だった。
そう思っているのは俺を含め全員のようで、疲れた様子でため息をついたり伸びをしたり。
全員。そう、全員だ。
「皆様、夕食はこちらで召し上がりますか?」
「ええ、そうしましょう。マルタ達にも伝えて頂戴」
「かしこまりました」
麗しのモルドリア姫が全員集合である。
端の方で小さくなるしかない俺は、若干緩んだ空気で談笑する四姉妹を眺めていた。
こう見ると、確かにクレイスは姉妹に似ている。
目元はシャリア姫、髪の質はエリシア姫だろうか。小柄で華奢なところはレティシア姫にそっくりだ。
シャリア姫は優しく微笑みながらも、ぐいぐいとクレイスに話しかけている。
「クレイスの服なのだけれど、きちんとお兄様が回収してくださっているわ。それが届くまでは、お母様のドレスを着てもらってもよろしくて?」
「はい。フィーリア様の古着はよく着ておりましたので、助かります」
「わたくしにはちょっと小さいのよねえ…レティシアならサイズもちょうどいいのだけれど、お母様に似すぎてトラブルになってしまって」
「トラブル、とは」
シャリア姫がため息をつき、レティシア姫が苦虫を噛み潰したような表情で目をそらした。
二人の様子を見、エリシア姫は生真面目な様子で淡々と事情を話し出した。
「レティシアはフィーリア王女にとてもよく似ているのです。数年前、レティシアが彼女のドレスを着ていたところを見たバルカ王が暴走しました」
「女神の再臨だとかなんとか騒ぎ立てて、王都でパレード、パーティー、国庫にまで手をつけて」
「…大変だったのですね」
俺が思わず呟くと、それはもうと言わんばかりにレティシア姫が片手で額を覆って首を縦に振った。
エリシア姫はそのまま話を続け、姉妹達の外見について一通り教えてくれた。
シャリア姫の髪は祖母か母、瞳は母譲り。エリシア姫は髪も瞳も父譲り。
レティシア姫は髪が祖母か母譲り、瞳は父譲り。
クレイスは恐らくだが瞳が祖父譲りなのだそう。
バルカ王の外見は覚えている。銀色の髪に青い瞳。白髪にしては輝きがあったし、目の前にいるエリシア姫の髪が記憶の色と一致しているから、間違いない。
フィーリア王女は少し変わった髪色だったらしく、一見青みがかった黒なのに、日の光が当たると金色の艶が出ていたそうだ。俺が想像できなくて困っていると、シャリア王女が近くのナイトテーブルから一枚の紙を取り出して手渡してくれた。
無言で目を合わせて、少し光に当ててみると、ただのクリーム色の紙だったそれが紫色に輝いた。
思わずおおっと声を上げて驚いてしまった。
「これはどういった仕組みで…?」
「エリシアが開発したのですわ。さ、エリシア」
「…前提として、この紙の発案者はシャリア姉様です。そこはお間違えなく」
「もう、エリシアったらすぐ照れるのだから」
「照れてはいません。その紙はここナギ国の木を材料として開発しました。この国の珍しい葉を持つ木のことはご存知ですね?」
「はい。簡単にですが調べました」
「ではあの葉がどのようにして生み出されているかは?」
「そこまでは…」
「わかりました。ならばそこから簡単に説明します。
あの葉は太陽光からのエネルギー吸収のみならず、特殊な樹液を生成することで栄養を作っています。
その樹液は一見ただの透明な液体なのですが、細かく粒子が混ざりこんでおり、必要に応じて様々な色に変化し、性質も変化します。基本的には透明でエネルギーの運搬をするのですが、クリーム色になると臨時的な光エネルギー補給を行うようになります。その場合、粒子は光に照らされるとクリーム色から紫色に変化します。それを利用して、粒子を混ぜた紙を作りました。それがその便箋です」
しっかりとした説明に成る程と頷く。作る過程を話すとさらに長くなりそうだし、これは秘匿すべき技術なのだろうからそこで聞くのをやめた。話が広がりすぎたなと言葉に迷っていると、タイミングよくメイド達が夕食を運んできてくれた。
頭を使った後の食事は癒される…恐らくこの場の全員が同じことを考えただろう。
+++
「さて」
夕食後の紅茶を飲みつつ、レティシア姫が場を切り替えた。
作戦についての総まとめの時間である。
ピンと緊張の糸が張るも、姫達は実に優雅な物腰でティーカップを置く。
クレイスも姉達と同じようにカップを戻すと、夕食のためによけていたチェス盤を中央に広げた。
すう、と小さく息を吸う。まっすぐな瞳に迷いはない。
その姿に思わず見とれた。彼女は決して諦めたりしない…決意と覚悟をまとっている。
それに姉君達の絶対的なクレイスへの信頼感は、重圧ではなく羽となってクレイスの背を押している。
俺もクレイスの手を引けるように。彼女と同じ場所に行くために。
「それでは、今後の作戦の最終確認を行います」
凛とした声が、始まりを告げた。
次回は作戦の説明です。引き続きクレイス様が頑張ります。
(世界観設定ですが、若干の異世界感が出てきましたので少し解説をば…。)
伝書鳥→高性能な伝書鳩です。体力・速度が突出した鳥で、単体で海を渡れます。馬で数日かかる距離をおおよそ三割の時間で移動します。
ナギ国の木→不思議な進化をした木です。特徴は小説で説明されている通りです。ナギ国でのみ自生しています。
他にも若干名前が違ったり使い方が違ったりな言葉がありますが、異世界感をだすためだけにわざと合っていないようにしたものもありますので、ちまちま解説して行きたく思います。




