25, わたしがここにいる理由 その1
お読みいただきありがとうございます。期間があまりにも空いてしまったため、未完成ですが急ぎここの部分だけ更新させていただきます。後で加筆、修正を行いますので、どうぞお待ちくださいませ。
※追記→2019.10.26
加筆、修正が完了しました。お待たせして申し訳ございませんでした!
陰鬱な空気だ。
吸うことも吐くことも出来ないまま、そう思う。
顔を上げれば、怒りに満ちたバルカ王の怒鳴り声が響く。
僕にできることは、ただただ頭を下げ、その怒りが通り過ぎていくのを待つ、それだけ。
謁見の間らしからぬ酒の臭いが満ちているのを見るに、どうやらまた彼は特に意味のない宴を催したのだろう。
窓を開けて換気をしたくとも、今は誰もむやみに動けない。うっかりバルカ王に気づかれでもしたら、自分の命はいまここで消えるだろうからだ。
かの王は、自らの子供らが裏切ったという事実に激怒している。
僕はここに帰り着いた途端に呼び出され、頬を殴られた。
「どうしてこうなった」「お前は一体なにをしていた」口汚い言い方で、罵倒と暴力を交えながら吐き捨てられた言葉から察するに、どうやら僕は兄弟の離反を阻止しておかなければいけなかったらしい。
当然、バルカ王はこうなってしまった経緯を知らない。知る必要すら感じていない。
兄様や姉様がここから逃げ出したのも、単に場所を別つためだと思っているだろう。この事態に対し、僕を咎めることしか考え付かないとは救いようがない。誰かから奪うのは得意なのに、奪われるのに耐性がないのは、姉様の一件で露見している。
姉様達はどうしているだろうか。カーベラル王子が身柄を預かる約束だったから、危害を加えられることはないはずだが、きっとルーン王子は黙っていない。
王の八つ当たりが終われば、謁見の間から文字通り放り出され、城内の私室へと閉じ込められる。
いつもの癖でリズとレナの名を呼んでしまって、いないんだったと気落ちした。大人しく待っていれば、そのうち軽食とお茶くらいは貰える筈。とにかく今は体を休めなくては。
ベッドに座って、ふと視線をナイトテーブルへ向ける。
「…あ、無事だったんだ」
思わず呟いて、それに手を伸ばす。
いただいたチェス盤。最悪割れてしまっているだろうと思っていたそれは、手渡された時と同じ美しさで、鈍い輝きを放っている。チェスの駒も、陶器だというのに傷一つなかった。
なんとなしに両者分の駒を並べ、眺める。
──初めてにしてはとても良い腕でしたよ
彼の言葉を思い出す。仮面越しでもわかる柔らかな目元。
しょうもない嘘をついてしまった。
僕はずっと前からチェスを知っていた。他でもない姉様に教えて貰った遊戯だ。姉様のようになりたくて、暇があればチェスをしていた。
褒めてもらいたい、なんて小さな欲がでてしまったのだ。嘘ばかり吐き続けているからこうなる。
心の苦さを味わいつつ、その時の会話で彼がこう問うたことも思い出した。
──ご自分の将来を、考えたことはありますか?
ああ、こればかりは本当のことを言ってしまいたかった。
不審に思われても、計画がバレても、本当の願いを彼に伝えたかった。
手を伸ばして、キングとクイーンの隣に、小さなポーンをそっと置く。
こんな僕でも、姉様の隣にいたい。そして何より僕は。
「…僕は、貴方の弟になりたい」
++++++++++
暖かな日差しが、木の葉の間から降り注ぐ。
気持ちの良い風がそれを揺らし、穏やかな音を鳴らしている。
森林浴はいつぶりだろうか。少し前までは領の森へ涼みに行っていたが、最近は忙しくて全く行けていない。
ここの木々はいい匂いがする。雨が止んでからまだ半日程度だが、湿った空気はもうなかった。
あの後、軽く茶菓子を楽しんでから解散となった。
モルドリアの姫達はまだ各々やることがあるらしく、夕食後にまた集まることになった。
正直、俺もあの場でどうすればいいかわからなかったので、ありがたく一時解散に従った。
それにクレイスにはまだ休息が必要だ。ナディアに任せておいたのでそれは大丈夫だと思う。
少し時間が余った俺は、とにかく体を動かして調子を整えることに専念した。
この城は本当にただの隠れ家のようで、姫達の騎士と若干の兵士のみが唯一の戦力。これではあまりにも心もとない。パルキアからの船に乗っていた船員や護衛は、リヴァル皇子が保護してくれたらしく、これからここに来る。しかし彼らを加えたところで劇的な変化は期待できないだろう。
そういうわけで、俺はほぼ確実に前に出るだろうと思い、こうして剣を振っている。
しかしまあなんというか。この城の中々の隠れ具合には正直感心した。
ナギ国は元々森林資源が豊富で、木材や紙などが主な輸出品だった。貿易ではパルキアと直接やりとりをしたことがなかったものの、モールドル国経由で届いていたそれらが上質だったという記録は覚えている。
国内がほぼ木で覆われており、これ以上ないほどの攻めにくさ。方向も把握しづらい上、視界も悪い。
城がここに建てられたのは、まあ簡単に言えば天然の要塞を利用した結果だろう。
「ここを攻め落としたというのは…確かに、すごいな」
ポツリと呟いて空を仰ぐ。
木の葉の天井に覆われているにも関わらず、この森は明るい。先ほど調べたら、ここの木の葉は薄くほぼ透明で、光が透き通って見えた。しかし普通の木もあったので、意図して種類をわけているのだろう。
ナギ国のみならず、モールドル国の周辺諸国は長い歴史をもつものばかりだった。実際の戦いでは相当な実力差があったに違いない。
それを打ち破ってしまったクレイスの才能は、人の枠を飛び越えている。なにしろ彼女が参加し始めた時のモールドル国は、他国と戦うことなど考えられないほどの混乱の最中であり、兵士の数も装備もなにもかもが足りていなかった。彼女は戦いに勝つことしかできなかったが、戦いに勝つことだけは完璧にできた。
だからこその現状である。
…クレイスは、ちゃんと休めているのだろうか。
俺はなにをすれば、彼女を支えらるのだろうか。
脱出の時からずっと考え続けているそれを、また引っ張り出したまま剣を振り続けていると、ふと城の方向から誰かが向かってくる気配に気づいた。
振り向けば、いつものメイド服ではなく軽装をしたナディアがこちらに歩いてきているのが見え、手を止める。
「ナディア、どうかしたのか?クレイス様の具合はどうだ?」
「お邪魔をして申し訳ございません、ルーン様。お嬢様はもうしばらく休む必要がありますが、順調に回復しております」
「そうか、よかった。では別の用件か?」
「はい。先程、リヴァル殿下からの使者が到着しました。現段階において協力を期待していた全ての元貴族の方々から、良いお返事をいただけたそうです。現在はリヴァル皇子殿下、アクロ皇子殿下を筆頭に軍の編成を行なっており、一週間ほどで出兵が可能であると仰っておりました」
「戦力の問題も解決できそうだな。後は今後どのように動くのかを考えなくては……ナディア?」
グッと手を握りしめ、俯いてしまったナディアに声をかけると、数秒の沈黙の後、小さな声が聞こえた。
「お嬢様は…戦場に戻らなくてはならないのでしょうか。私はただの従者に過ぎませんが、それでもお嬢様の心身をお守りする事こそが一番の優先事項です。なのに、こんな状況になってしまっては、お守りする事も、逃げる事も叶いません。…まるで呪いのようです。せっかく、ルーン様と出会って、婚約をして、暖かな暮らしを手に入れることができると思ったのに」
「…ナディア…」
「こんなことを考えるなんて、王家の方々やお嬢様に対して不敬であることは重々承知しております。ですが、思わずにいられないのです。…恨まずには、いられないのです…」
彼女の頬に伝う涙を、俺はほぼ呆然と見ていた。
ナディアと出会ってから今まで、彼女はいつもクレイスの幸せを願っていた。どんな時でもクレイスの為に、優秀で的確な判断・行動をしていた。
だからだろうか、俺は思い込みをしていた。ナディアはどんな時でもクレイスの事を考え、迷うことなく実行できるのだと。
…ナディアは、今、俺と同じ悩みにぶつかっている。
どうしたら、クレイスを守れるのか。
この状況を少しでも改善する為に出来ることがあるのか。あるとしたらそれは何なのか。
それがわからなくて、結局迷うことしか出来ていない。
何となく、力が抜けた。
ナディアにハンカチを差し出して、涙を拭くよう促す。彼女は素直に受け取って、目に押し当て頬を拭う。
そして礼を言ってそれを返そうとした時、ナディアは不思議そうに一瞬目を見開いた。
「…ルーン様?」
「すまない、なんだか…ホッとしてしまった」
「え?」
戸惑う彼女の手からハンカチを受け取りつつ、しまい損ねていた剣を鞘に戻す。
話す準備をしていると察した様子のナディアは、静かに俺を待っていた。
その彼女を連れて城の方へと歩き出しつつ、話し始めた。
「初めて出会った時から、お前は真っ直ぐにクレイス様を想っていた。彼女のためになることを全てわかっていて、それを現実のものとする。従者としての仕事で終わらせず、クレイス様の心に寄り添い続ける。それがどんなにすごいことか、考えたことはあるか?ナディア」
「お嬢様の…心に?」
驚きのあまりといった風に足を止め、ぽかんと俺を見上げるナディアを見て、思わず少し笑ってしまった。
それに気を取りなおしたのか、ナディアはこほんとわざとらしく咳を一つ。そして改めて、城の方…恐らくクレイスの部屋へと顔を向け、じっと見つめだした。
ふわりと優しい風が、彼女の金の髪を揺らす。木の葉が揺れる音と共に、その光景はどこか幻想的で、まるで一枚の絵のようだと思った。
何秒、いや何分間そうしていたのか。風がおさまる頃、ナディアはようやく何かを思い出したような表情でこちらを振り返った。
それが、彼女なりの理解の結果なのだと受け取り、話を再開する。
「正直に言えば…俺はナディアが羨ましいと思っている。勿論、たったの数ヶ月の付き合いの俺と、何年もの間クレイス様と共にいるお前とでは差があって当然だとわかっている。わかった上での、嫉妬だ」
そう、嫉妬。
この言葉が引き金だったのだろうか。
ナディアはその大きな瞳からポロポロと涙をこぼし、胸元を強く握りしめて、叫んだ。
「嫉妬だなんて!それを言うならば、私はルーン様にかないません!私は、貴方様のように、お嬢様をお守りすることができません!お嬢様を守る力がないんです…!ルーン様の言葉が、あり方が、その剣が、私は欲しくて欲しくてたまらない!」
「…ああ、今ならわかる。お前と俺は、似た者同士だ」
蹲って泣き続けるナディアの前に膝をつき、その両手をとると目の前まで持ち上げる。
ぐしゃぐしゃの顔のまま俺を見て、ナディアは大きく目を見開いた。
これは、王族が行う最上級の感謝の礼。…の、一歩手前。ほぼ同じ体勢だが、これが丁度いいと思った。
「ナディア。頼みがある」
「…なん、でしょう」
「私に、力を貸して欲しい。共に道を探して欲しい。クレイス様が、笑えるようになる道を」
「お嬢様が、笑える道…叶うのですか?ただの従者の私でも、お役に立てますか?」
「当然だ。むしろナディアでなければ叶えることは難しい。クレイス様の心を理解し、彼女のために尽くすことが出来るお前だからこそ、きっと彼女の進む道を見つけられる」
ナディアが、俺の手をぐっと掴み返す。
まるでこちらを食い殺そうとする獣のように、溺れる者が僅かな縄を掴み取るように。
彼女の視線が真っ直ぐに俺を貫く。俺もそれを受け止める。きっと自分も同じことをしている。
しばらくの間、お互いに息を潜めて見つめ合う。
この言い方ではロマンチックに聞こえるだろうが、残念ながらそのような雰囲気はかけらもない。ここにあったのは相手の目を見て、真意を探ろうとする殺伐とした光景だ。
数秒ほどそうしていただろうか。
ナディアが俺の手を掴んだまま、沈黙を破った。
「…ならば、ルーン殿下。貴方は悪にならなければなりません。バルカ王を前にしたお嬢様を守るのであれば、それは“国の象徴”ではない貴方でなければ…その剣でなければならない。バルカ王は悪辣です。目的を果たすためならば、どんな卑劣なことであろうと躊躇なく実行する人物です。正義や正しさなど、かの王には通じません」
「ああ、わかっている。私ももう、婚約者を守るという建前だけでは動けない。だがそれは私も、パルキアの王家も、既に了承し覚悟を決めている。…出掛ける時に母上からの命も受けたからな。皆を守るようにと。それにもう今更だ。」
「…ほんとに…本当に、よろしいのですか?殿下の皇子としての誇りを汚すことになるかもしれないのですよ?もしそうなった時、誰よりそれを悲しまれるのは、お嬢様に他なりません。それをわかっているのに、私は…!」
「──大丈夫だ」
ナディアの言葉が止まる。
そして呆然と俺を見、涙で潤んだ目を丸くする。
これ以上をナディアに言わせてしまっては、俺は己に課した誓いを破ることになる。だから、ハッキリと言い放つ。
「私は、パルキア国の第三皇子であると同時に、クレイス様を守ると誓った婚約者だ。どちらも揺るぎない、私が私である為の名だ。その名の下に成すことは全て、誰にも汚させなどしない。いや、そもそもできるわけがない。ナディア、これだけは絶対だ。私はパルキア国も、クレイス様も、お前達も、何があろうと絶対に裏切らない。だから、クレイス様を悲しませる事はしない」
ナディアの腕の中で、涙を浮かべてこちらを見上げたクレイスの顔。もうあんな顔はさせない。させたくない。
だから、ナディアの力が必要なのだ。
あの時、あの瞬間、クレイスの為だけに最善の行動をとったナディアにしか、出来ない事がある。
「クレイス様を悲しませる事、苦しめる事、それらは全て私がこの剣で絶つ。必ずだ。だがどうしても、私の力ではどうしようもない事がある」
ここまでの話で、ナディアは俺が言いたい事を完全に理解したようだった。涙はすでに流れ落ち、瞳は眩いほどに輝き俺を映す。
「私は…いや、俺は、俺自身を制御できない。この先きっと、俺はクレイス様の心を傷つけてしまう。確信に近い予感があるんだ。…だから、頼む。クレイス様が、俺のせいで心を痛めた時。その隣に寄り添い、彼女の心を守ってくれ。他の誰でもない、俺から、クレイス様を守ってくれ」
唇が震える。言葉がうまく出てきてくれず、歯痒い心地で何とか伝えねばならぬ事を口にする。
ナディアの表情は読めない。呆然と俺を見ているようにしか見えない。けれど、ただ呆けているのではないのだと、俺の手を握る力が証明している。
沈黙の中、ナディアがゆっくりと微笑んだ。
せっかく止まっていた涙が再びその頬を濡らすのを、思わず手を離してハンカチで拭う。流石にされるがままにはせず、それを受け取ったものの、使う前にナディアは俺をまっすぐに見据えた後こうべを垂れた。
王族の礼。によく似ているのは、クレイスと共に学んだからだろう。美しい姿勢に少し驚いた。
「ルーン殿下、貴方様に、最大の感謝を。お嬢様に出会っていただけた事。お嬢様を守ると仰って下さった事。お嬢様に沢山の優しさを惜しみなくお与えくださった事。…殿下の想い、そして依頼、その全てに私の最大限の力でお応えすることを誓います」
…やはり、ナディアは凄い。
従者という立場に収めるには、あまりにも勿体ない。だがわかってしまうのだ。それ程までの優秀さを、クレイスの為だけに使う、それこそが最もナディアの素晴らしいところなのだと。
「ナディアがいてくれてよかった」
立ち上がって握手をしている最中にうっかりそう漏らすと、ナディアは嬉しそうにハンカチで目を拭っていた。
お読みいただきありがとうございました…!
本来は一話で済ませる予定だったのですが、どんどん入らなくなってしまい、結局分けて書く事に…。文字数の配分等にもう少し気を配ります。
そして大変お待たせしてしまいましたが、いよいよ帰国編が盛り上がってきました!ここからは加速するだけです!
中々絆を深め合う機会がなかったルーン殿下とナディアですが、ずっとこのシーンを書きたくて頑張ってきたので、とても押せ押せなコミュニケーションになってしまいました。ですがこの二人にはこのくらいの勢いの方がしっくりくるなと思いました。
ルーン様とクレイス様の関係が深まる一方、ルーン様とナディアとの関係もここからどんどん変わっていく…はずです!
次回はクレイス様が頑張ります!お楽しみにしていただければ幸いです!




