24, あなたがここにいる理由
「お嬢様、ルーン様、そろそろ時間です」
ナディアの声が聞こえた。
まどろんでいた意識が徐々にクリアになり、自分が寝ていたことをぼんやりと理解した。
目を開けたそこには、こちらに体を寄せて眠っているクレイスの姿。
驚いて固まっていると、動揺が伝わってしまったのか、彼女もゆっくり目を覚ました。
しばらくぱちぱちと瞬きしていたが、やがて状況がわかったのか、戸惑った雰囲気でこちらを見上げる。
ずいぶんと近くにあるその瞳と視線がぶつかって、二人同時に体を離した。
恥ずかしさよりも驚いた衝撃の方が強く、何も言えぬままお互いに固まってしまった。
俺が、寝ていた。信じられない事だが、確かに意識が落ちていた。こんな場所で、こんな状況で。
守らなくてはならない人の目の前で。失態にもほどがあるだろ…。
どうしたらいいのかわからず沈黙したそこに、ナディアが声をかけてくれた。
「ルーン様、お嬢様の支度をしますので…」
「あ、ああ、そうだな。外で待っている」
「ありがとうございます。さ、お嬢様もお早く」
「はい」
立ち上がって部屋を出る。外には数人のメイドが待機しており、俺とすれ違う形で入室していった。
こんなに多くの気配があったのに、呑気に寝ていたのかと若干ショックを受けていると、部屋からひょっこりとマルタが顔を出した。
「どうかしたのか?」
「すみません、ルーン様にお返しするのを忘れておりました」
何をと問う前に、彼女はそれを差し出した。俺が身に付けていた仮面と、マントだ。
受け取って仮面を腰にかけてマントを広げると、琥珀色のブローチが光を受けてきらめいた。
そうだ、自分もこれを忘れていた。情けない気持ちになりつつ、身に纏う。
綺麗に洗われていたので、ブローチはわざわざ一旦外されて再度同じところにつけてくれたのだろう。いい仕事をするメイド達だ。
「ありがとう。大事なものなんだ」
「そうだろうと思いました。ナディア様がクレイス様の選んだブローチだとおっしゃってましたので」
「ああ」
「クレイス様のご準備が整うまで、もう少々お待ちください」
なんとか頷いて、閉じる扉を眺めた。自分の中にぐるぐると回るこの気持ちはなんだろう。
ただの、何の変哲も無い、少し高価なだけのブローチ。
別れの儀の時、クレイスがずっと持っていた薔薇を思い出す。
彼女はあの時、薔薇を手にしていたかった理由はわからないと言っていた。
今ならそれがわかる。この気持ちは、言葉にできるものじゃない。感情を失っていた彼女ならなおさらだ。
これが傍にあるだけで、こんなにも暖かな、優しい気持ちになる。
きっと他でも無いクレイスに貰ったものだから。
扉が開き、ナディアと共にクレイスが出てくる。
気づかれないほど少しだけブローチを握って、前を向いて彼女に手を差し出した。
++++++++++
「お待たせして申し訳ございませんでした」
「クレイス!よかった、目が覚めたのね…!」
談話室の中に入った途端、シャリア姫が勢いよくクレイスを抱きしめた。
驚いたように目をパチパチしていたクレイスは、恐る恐る「はい」と答え頷く。
本当に良かったと呟きつつ数十秒ほど抱擁をして、ようやくシャリア姫がこちらを見た。
「あらごめんなさい!つい…」
「お気になさらないでください、シャリア殿下」
「さ、お座りになって!久々にエリシアが紅茶を準備してますの!」
促されて、真紅のソファに腰を下ろす。ナディアは後ろで待機しようとしていたが、シャリア姫に引っ張られてクレイスの隣に座らせられた。
シャリア姫に並び、向かいにはレティシア姫、エリシア姫が座っている。凄まじい光景だ。何という美貌の暴力。普通の人が見ればここは天国かと思ってしまうのではないだろうか。
黄金の髪にスカーレットの瞳をしたシャリア姫。柔らかな印象の目元とバランスよく美しい肢体は、まさに華といった表現がふさわしい。
銀の髪にシャリア姫と同じ色の瞳を持つエリシア姫は、後ろのみの長い三つ編みといった特徴的な髪型をしている。少し切れ長の目はメガネで幼い印象に変えられている。
そして金の髪とブルーの瞳のレティシア姫。ふわふわと相変わらずの豊かな髪をさらりと後ろに流し、前に会った時よりも随分とさっぱりした雰囲気になっている。
そしてそれに囲まれる俺。助けはないのかと周囲を見たが、残念ながら給仕のメイド以外は退室していた。
いやマジで本当にこの状況はしんどいんだが。しんどいんだが!!
「改めまして、ご挨拶させていただきますわ。わたくしはシャリア・モルドリア。こちらがエリシア・モルドリア、そしてレティシア・モルドリア。お会いできてとても嬉しいですわ、ルーン殿下」
「こちらこそ、危ないところを助けていただきありがとうございました。私はルーン・パルキスタン・クロアと申します。パルキア国の第三皇子であり、クレイス姫の婚約者です」
「肖像画の通り、素敵な方ですわね」
ふふふと上品に笑いつつ、シャリア姫は紅茶を飲む。この物腰、なんだか既視感を感じるなと思いつつつられて一口紅茶を飲む。そしてびっくりした。
「美味しいでしょう?エリシアは紅茶を淹れるのが大の得意ですの」
「ええ、とても美味しいです」
「姉様、さっそく本題に入るべきだと思うのですが」
「あらあら、照れているの?ふふふ」
「照れていません。時間が長引き疲労が溜まることを懸念しているのです」
ほっぺたを膨らませたエリシア姫をニコニコとつつきながら、シャリア姫は紅茶を置いた。
こほん、と言って顔を上げ姿勢を正す彼女につられて、俺も背筋を伸ばした。
「お話ししなければならないことがありますわ」
「これはクレイスにも秘密にしていた話…いいえ、クレイスにだけは、話せなかったことです。長くなりますが、三人とも最後まで聞いてください」
シャリア姫とエリシア姫に挟まれたレティシア姫が、まっすぐにこちらを見て、話し出した。
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始まりは、とある一人の小さな少女が、突然ありあまる才覚を示したことだった。
その少女の名は、フィーリア・モルドリア。当時モルドリア家の三女であり、その後この国を治める王女となる女性だった。
彼女はこの世の様々なことを知っていた。
雨がどうして降るのか。作物がどうやって育つのか。火を生み出すのはなんなのか。
人がどうして生まれるのか。動物がどうやって生きているのか。病がどのように生じるのか。
誰に何を聞かれても、彼女は答えを持っていた。
人々は思った。フィーリアは、天から遣わされた女神なのだと。
モールドル国を永遠のものとすることが、この地に、この国民に課せられた義務なのだと。
民たちは働いた。兵士たちも政治家も貴族も、皆が働いた。
彼女のいう通りにすれば、すべてがうまくいった。
戦争も圧勝した。作物がこれ以上ないほど収穫できた。不思議な仕組みで動く便利なものが生まれた。
そうして、モールドル国は急速に発展していった。人々は暮らしが豊かになり、やがて人も増え、土地が必要になり、他国を攻めて己のものとした。
この全盛期に、王座に座ったのがバルカ・モルドリアであった。
彼は賢い男だった。
実質的に国を治めているのは、妹のフィーリアであること。そしてその治世が永遠に持続するものではなく、フィーリアの存在がなくなれば一気に崩れていく、非常に差し迫ったものであること。その全てを理解していた。
彼は幼い頃よりフィーリアと親しい仲であった。だからこそ彼女の才能や知識が、決して天上の存在によるものではないのだと知っていた。彼女の作り上げた、この今にも壊れそうな国を守るには、彼女の代替となる存在が必要であるとわかっていた。
バルカ王はフィーリア王女と関係を持ち、子を成した。
そして彼の願い通り、彼女の代替となりうる少女を手に入れた。
美しい見目、聡明な頭脳。しかし、その子はフィーリアの4分の1の能力しかなかった。
全ての能力がなければ意味がない。バルカ王は子を作り続けた。
そして生まれた三人の娘。しかしここでバルカ王の目論見は終着した。
フィーリア王女が、亡くなったのだ。
国中が悲しみに暮れる中、バルカ王は恐怖に駆られていた。
もし、民に不満を覚えるものがいたら。もし、他国に攻められたら。
フィーリア王女に頼りきりだった王には戦う方法などわからなかった。
+++
「だからこそ、父はとある結論に至りました」
レティシア姫はそう言葉を切ると、俯きがちに呟いた。
「…やられる前に、やってしまおう。周辺の国を全て攻め落とし、自らのものにしてしまおう。戦争に長けたものがいなくても、当時の国力があればそう難しくはない。手に入れてしまえば、わたくしをはじめとするフィーリア王女の代替がうまく治めてくれる、と。奪うことしか知らない、実に父らしい考えです」
苦笑いをしながら、レティシア姫は言葉を止めた。少し話し疲れたのだろう、紅茶を飲みはじめた。
話はおおよそ理解した。過去の出来事を話すのは、つまりそれが現状に直結した原因であるからだ。
ここから先は語るべくもない。しかしレティシア姫は話を止める様子はなかった。彼女の透き通った声が、その後を紡ぐ。このどうしようもなく膨れ上がった、今にも爆発してしまいそうなこの国の有様を。
俺も、ナディアも、そしてクレイスも、静かにそれを聞いていた。絶望へと傾いていくモールドル国と周辺国家。蹂躙される人々、終わらない戦火、最早何が正しいのかさえもわからない。神に祈ることすら忘れてしまった民は、怯えながら死を待つか、自由の為に戦い死に向かうか、どちらしか選べなくなった。
「勿論、戦争による被害はモールドル国も相当なものでした。戦況は泥沼化、最早わたくし達は、どちらかが…いいえ、両方が倒れるまで、戦い続けるしかないほどに追い詰められました。…けれど、そこに…父が待ち焦がれていたものが、ついに現れました」
「…それが、つまり」
「軍事に長けた知能を持つ少女、クレイスです」
そこからの話は、呆気ないほどに簡単に終わった。
フィーリア王女の持っていたそれと同じ、天才的な軍事の知識。クレイスは次々と戦いを終わらせた。
終戦に至るまでの詳細は彼女達は知らないらしく、調べることもしていない。皇子の一人だけが知っているそうだが、彼もそれを黙秘し続けているそうだ。
俺も、クレイスのそんな話は聞きたくない。
しかし終戦後、クレイスが幽閉されるに至るまでには様々な混乱があった。まだ戦争を続ける気でいたバルカ王。国の安定を模索していた大臣達。それらを落ち着かせようとする姫と皇子達。
「ここからは自分がお話しします」
エリシア姫がわかりやすいように、紙に図を描きながら解説をしてくれた。
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クレイスによってモールドル国が一人勝ちをした後、当然ながらその事後処理はとんでもなく大変だった。
バルカ王はあくまで「フィーリア王女の治世」を求めていたために、全て姫たちに丸投げした。しかし王女のように一つ能力が長けていたとしても、同じ人間ではないのだ。三人で話し合っても、己の分野がわからず行き詰まってしまった。
経験が足りない部分は、帝王学をしっかり学んだ皇子達を頼り、彼らの顔を使わせてもらった。
周りの国々は、フィーリア王女の事をあまり知らないのだ。そんな中にまだ若い姫達が出ていっても、反感を買うばかりだろう。
そうして数ヶ月後、なんとか王家の名で国をまとめた頃、大臣達が大慌てで泣きついてきた。
バルカ王がシシリスタ連邦へ宣戦布告をすると言い出したのだ。当然全員で反対し、根回しをして、彼の意見を撤回させた。そして姫や皇子はその時になってようやく、クレイス達のことを知った。
戦争からそれまでの間、カストラージ家の者への接触は制限されており、クレイスに至ってはバルカ王の私室の一つに閉じ込められていた。バルカ王も馬鹿ではない。彼なりの一手と抑止力のために、クレイスを直接自らの支配下においていた。肉体的にも精神的にも拘束されたクレイスは、まるで操り人形だった。
バルカ王の力を削ぐために、姫と大臣は結託してクレイスをこちら側に引き入れようとした。だが肝心の本人を探し当てた際、その尋常ではない様子を見た大臣は、彼女を姫達ではなく医者に託してしまった。それがいけなかった。
大臣の動きに気づいたバルカ王の側近が医者を買収し、クレイスを別の場所に閉じ込め、カストラージ家は全員投獄されたと脅した。そして彼女が逃げようなどと思わないように、彼らの生死はバルカ王が握っているのだと言い聞かせた。
「側近の一人がリヴァル様に寝返った時に、ようやく自分達はクレイスを取り戻しました」
エリシア姫が、バルカ王の名の下に書かれたクレイスの名を消し、皇子達の下に書き直す。
勢力図は一目瞭然。元他国の貴族、バルカ王、皇子と姫、大臣の四つだ。
現在、バルカ王以外の三つは協力関係にあり、実質的に敵は一人。
「父はクレイスの代わりに、キーリスを手駒に加えました。最初、キーリスは自分達の為にバルカ王の周辺を探って情報を渡してくれていましたが、それが途絶え、彼は父の味方についてしまいました」
「なっ…!?」
「ルーン様、お伝えするのを忘れておりました。わたくし達が帰国する事をカーベラル皇子に伝えたのはキーリスです。その大元の命令を下したのが父であることは明らかでした」
「…そう、ですか」
クレイスの補足説明に呆然と全員の顔を見渡す。ナディアも知っていたようだ。
なんてっこった。そんなことがあるか。
無理やり気持ちを切り替えようとして紅茶を飲む。
「…ここから先はご存知でしょう。クレイスは監禁され、我々とバルカ王の対立は膠着状態となりました」
「お話が遠回りしてしまいましたわね。少し休憩しましょう」
シャリア姫が柔らかい声で紅茶のおかわりを促す。
正直混乱していたので、ありがたい。
しかしそんなことが起こっていたとは。クレイスやナディアの話だけではわからなかったことが、こんなにあった。キーリスが俺に話した事は、文字通り現状の一端でしかなかったわけだ。
だがキーリスが敵対しているというのは、なんというか、あまりにも信じられない。
いや、信じたくない。彼がなにかしら背負っていることには気づいていた。けれどそこには何の悪意も感じなかった。俺の感覚が甘いだけなのか?
++++++++++
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
全員が紅茶と菓子を堪能し終わった頃、シャリア姫がゆっくりとクレイスの名を呼んだ。
「貴女に秘密にしていたこと…今までの話を聞いてもらったのには理由があるの。わたくし達はこの過去をふまえて『バルカ・モルドリアを失脚させ王の座を奪う』という結論に達しました。父とキーリス、幼いエヴィンとアイク、そして何も知らされなかった貴女以外の、モルドリア王家全員がこの考えに賛同しているわ」
「…お姉様が、キルスチア国との繋がりを求めて、キャンディス様に協力を仰いだのは…」
「全てはバルカ王の打倒のためですわ。貴女を頼ってしまっては、父の二の舞。けれどこの現状をどうにかするのに、わたくし達は知恵がなかった。キャンディス様のお力を借りて、ようやくここまで来たのです」
夢のような美しい姫が、苛烈な現実を突きつける。この場の異様な緊張感が、今シャリア姫の唇へと収束していく。
もしかしたらこれは、とてつもなく大きな分岐点なのではないだろうか。
思わず息を呑み、クレイスを見る。彼女も緊張しているのだろう、ぎゅっと両手を握りしめていた。
クレイス、と。再びシャリア姫が名を呼ぶ。
「クレイス、よく聞いて。キャンディス様が貴女をここに送り出したのには、必ず意味があるわ。けれどそれを理解できるのは、王家の中では貴女しかいない。私たちは、もう一手も無駄に出来ません。これがバルカ王を倒す最後のチャンスなのです。…どうか、協力してください。」
三人の麗しき姫が、お願いしますと頭を下げる。
その悲痛な表情を見てしまっては、俺も黙るしかない。クレイスを再び利用するしかなくなってしまったことを、彼女達は誰よりも悔いている。
クレイスは、ただ一言。
「わかりました」
と、答えた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ようやく帰国編の本題がでてきました。ぐだぐだと回り道をして話が長引いてしまって申し訳ありませんでした。今後はもう少しさっぱりした書き方を模索していきます。
モルドリアの皇子達の登場はいつになるのか…せめて今年中にしたいです。
そして感想、評価、誤字脱字報告、是非お願いします!特に誤字脱字…お願いします…!
2019/12/06追記:エリシア姫の外見を間違えていたので修正しました。




