20, モールドル国への旅 その2
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。少し長くなってしまいました。
クレイスがようやくまともな顔色になったのは、お昼頃だった。
朝食は断ってしまったが、昼食はなんとか大丈夫だと、食堂に出てきてくれたのでホッとした。
サンドイッチをかじる彼女の隣で、キーリスがチラチラと姉のことを気にしている。
「キーリス様、具がこぼれかけていますよ」
「あわわっ…すいません」
「大丈夫ですよキーリス殿下。お嬢様はゆっくり休まれましたから」
ナディアがにこりと笑う。それに安心したのか、キーリスは食事を再開した。
船が出るのは三時間後。それまでどうしようかと相談したところ、せっかくなので町を見て回りたいとの提案がなされた。俺は特に予定がなかったので、その提案に乗った。
そんなわけで、華やかな貿易の窓口たるゲーテルを一通り歩いた。
様々な店がひしめき合う商店街、海の近くに広がる市場、海の女神が飾られている噴水広場。
異国の商品は心惹かれるものばかりで、久々なのもあってか俺も存分に楽しめた。当然キーリスやナディアの興奮は物凄く、目を輝かせてあれもこれもと見て回るスピードには恐れ入った。
結局時間いっぱい買い物をしたので、暇つぶしの成果としては上々だろう。いや、それ以上か。
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積み上げられた荷物を抱えて港へ向かうと、既にエレナが見送りに来ていた。
遅れたことを謝りつつ、船員に追加の荷物を預ける。その量に、エレナは楽しんでもらえたようで何よりだと微笑んだ。この淑やかさ…キャンディス姉上にも見習ってほしい。
「モールドル国へはおよそ四日程で到着する予定だそうです。渦潮が発生してるみたいで、大きく迂回するのだとか…」
「構いません、安全が第一ですから。ユールシア家の方々にもよろしくお伝えください」
「ありがとうございます」
エレナは小さく頭を下げると、キーリスへと向き直った。
そして深く礼をして、彼の言葉を待つ。え、なに?とキョトンとしているキーリスの肩を軽く叩いて、挨拶をするように促した。
「あ、えーと、ありがとうございました。楽しく町を見て回れて、とても良い経験になりました」
「お褒めの言葉、誠にありがとうございます、キーリス殿下。無事に帰国できるよう、最善を尽くしますわ。…それとこれは小耳に挟んだお話なのですが…」
「なんでしょう?」
「モールドル国は現在、色々と立て込んでいらっしゃるそうですわ。どうかお元気で、是非またパルキアへ遊びにいらしてくださいね」
「…はい。ありがとうございます」
不穏な言葉に、それでもキーリスは落ち着いてお辞儀をした。
双子メイドと共に船に乗り込む姿を見送りながら、こっそりとエレナに聞く。
「立て込んでいる、というのは」
「元々あの国は、紛争が多く起こっているのですが…それに加え王家に亀裂が生じているらしくて」
「それは…あまり穏やかな話ではないですね」
「ええ。ですので、十分にお気をつけください」
「わかりました」
互いに礼をして、俺はクレイスとナディアの元へ。
彼女たちと船に乗り込むと、すぐさま出航し始めた。甲板に出て、下を見下ろせば、エレナが手を振っているのが見えた。それにお辞儀を返し、彼女の言葉を反芻する。
王家に亀裂。内部分裂が生じているとして、一体どういった理由なのだろうか。
クレイスを脱出させたという時点で、皇子、皇女達が離反しているのは確かだが、その根本がわからない。
それも調べる必要がある…だろうか。
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船旅では、いかに時間を活用するかで体感時間は大きく変わる。仕事に追われていればあっという間だし、暇だと想像以上に時間が余る。今回俺がどちらかと言えば、まあ後者なわけで。
二日ほどは警戒を続けていたが、海の只中でそこまで気を張る必要もない。緊張が伝播する方が困る。なので三日目の今日、俺はキーリスとチェスをしていた。
これがなかなかに強い。今のところ二勝一敗、なんとか勝ち越したが冷や汗ものだった。
「お強いですね、殿下」
「チェス盤をいただいてから、勉強したんです!こんなに綺麗なので傷をつけたくないですが、使わないのも勿体無くて…」
「大切に使ってもらえれば、贈った方も喜びますよ。ところでチェスの経験はどれほどですか?」
「実は名前を知ってただけなので、これが初めての対戦なんです。やっぱり難しいなあ」
「初めてにしてはとても良い腕でしたよ」
そう褒めると、キーリスは照れ臭そうにはにかんだ。それと同時に彼の腹が空腹の音を鳴らしたので、昼食にしましょうと提案する。
本来なら食堂に行くべきなのだが、少しキーリスと話がしたかったので、リズとレナの双子メイドに食事を運んでくれと頼んだ。チェスの駒を綺麗に並べ直してサイドテーブルに置き、改めてキーリスに向かい合う。
「お時間をいただいて申し訳ありません。よろしければですが、モールドル国の事をお聞きしたいのです」
「モールドル国の事ですか?あんまり難しい事はわからないですが、出来る限りお答えします」
「ありがとうございます。始めに、王家の事をお聞きしたいと思います。ご兄弟は、全員で何人いらっしゃるのでしょうか?」
「兄弟ですか?えーっと、いち、に…あ、僕が第八皇子だから弟二人と姉様四人で、14人です」
「弟がいらっしゃるのですか?」
「はい!エヴィンとアイクっていって、まだ四歳と六歳なんです。僕はまだあまり会えてないんですけど、すっごく可愛がられてますよ」
「それは何よりです。それで、政治に関わっている方はご兄弟にいらっしゃいますか?」
「んー…あ、政治じゃないんですけど、一番上のリヴァル兄様と二番目のアクロ兄様は、反乱が起きるといつも鎮めに行ってます。多い時は三ヶ月に二回くらい戦いに行ってて…なのに他の兄様や姉様達は、手伝わせて貰えないんです」
「頻度が高いですね…反乱の原因はわかりますか?」
「多分ですけど、侵略した国の人達が、耐えきれずに行動を起こしたんだと思います」
詳しく聞くところ、モールドル国の現在の政治体制は不安定なようだ。
元々は小さな国。急激に力をつけ多くの他国を一気に侵略した為、支配の手が回らなかったのだろう。
政治は完全にモールドル国の貴族達が仕切っており、侵略されたイレーシア国、サジウス国、テレジアナ国、ナギ国の貴族達は全員身分を剥奪され平民となった。だが管理者が増えぬまま領土、国民が増えたため、当然のように治世は滞った。貴族の間ですら貧富の差が生まれ、追い詰められた者達は反旗を翻すしかなかった。
バルカ王はこの問題を放置し、息子たちに丸投げにした。
そして昔の体制のまま発展を続ける王都でのみ政治を行い、表舞台には出ないように身を隠した。結果、王の代わりに皇子達が様々な方面から恨みを向けられることとなった。支配権を握っている貴族達は、ろくな政治をせず搾取した税で贅沢三昧。それどころか、バルカ王は気に入った家を贔屓するので、より豪華な貢物をと湯水のように金を使い競い合っている。
皇子達はこの状態をなんとかしようとしているらしいが、その場凌ぎで精一杯。
こんな爆発寸前の国を維持しているだけでもすごいと思うが…。
「なんとも…言い難いですが…よく戦争が起きないものですね…」
「そこだけは僕も理由を知らされました。姉様の…クレイス・モルドリア姫の存在が、強力な抑止力になっているんだそうです」
「戦いでは敵わないということですか?ですが、それなら今は…」
キーリスは困った顔で黙り込んだ。わからない、ということだろう。
正直これほど酷い状態だとは予想していなかった。モールドル国は良き貿易相手であり、国力もそこそこあると聞かされていたから。事実、王都の人々の暮らしは豊かだと聞く。これでは、王家に亀裂が生じるのも当たり前ではないか。
見捨てられた人々のことを考えると、激しく怒りが湧き上がってくる。が、抑えるしかない。
俺がどうこうしたところで、きっと問題は解決しない。せめて最悪な展開だけは避けたいが…。
二人して沈黙してしまい、なんとか食べましょうと彼を促す。
運ばれてきた昼食をのろのろと食べ、食後の紅茶を飲む。
その時ふと気になって、キーリスに問いかけた。
「キーリス殿下。ご自分の将来を、考えたことはありますか?」
キーリスは暫く顔を俯けて、やがて首を左右に振った。
「今は、自分のことで精一杯ですから」
それもそうだ。だがその空虚な声色には少し驚かされた。
彼は彼なりに何かを背負っているのだろうか。けれどあまりにも子供らしくない。
暗く重くなってしまった空気を払拭する為に、紅茶を飲み干し、チェスをしましょうと明るく言った。
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夜、降り注ぐ星々を眺めながら、考えた。
もっと早くからモールドル国の事を調べておくべきだった。今後のこともそろそろ視野に入れなくてはならないというのに、なんという前途多難。俺が首を突っ込むことはないのかもしれないが、クレイスはそうはいかないだろう。
キーリスは、バルカ王が同じ大陸のシシリスタ連邦をも我が物にせんとしているようだとも言っていた。
バルカ・モルドリアは一体何がしたいのだろうか。何が目的なのだろう。
シシリスタは多くの戦闘民族からなる国家で、資源も豊富だ。敵対するリスクが高すぎる。
考えていることがさっぱりわからない。モールドル国を破滅へ導いているのではないかとも思える。
…それは考え過ぎか。
気持ちを入れ替えようと一息ついた時、甲板に続く扉の開く音が聞こえた。
思わず身構えつつ振り返ると、そこにはクレイスが立っていた。風に吹かれて一瞬怯んだ様子だったが、そのままよたよたとこちらに歩いてくる。慌てて駆け寄り、支えてやった。
「お嬢様、いかがなさいましたか?」
「少し外の様子が見たくて…お手を煩わせるつもりではありませんでした」
「この程度はなんでもありませんよ。それより、そのままでは体を冷やしてしまいます。これを」
そう言って自分の着ていたマントを脱いで手渡す。クレイスは素直に受け取ると、丸まるようにマントに身を隠した。やはり寒かったらしい。
外が見たい、とのことなので見晴らしの良い場所に連れて行くと、白い息を吐きながらも真っ直ぐ水平線を見つめていた。何も見えない筈なのだが…彼女には見えているのかもしれない。
少しでも長く彼女がいられるように、風除けとして隣に立つ。ふと、息継ぎに耳をすませると、それが小さく震えているのが伝わってきた。
まだ寒いのだろうか?こちらが見下ろすのと、彼女が見上げてくるのが同時で、目が合った。
「っ…」
息を呑む。星の輝きに照らし出された艶やかな髪が、あまりにも美しく見えたから、驚いた。
クレイスは小さく口を開いて、だが何も言わずにゆっくり閉じた。言うべき言葉がわからないと言った様子で。
そのわずかな間がありがたかった。冷静さが戻って来た脳で、彼女にかける言葉を探す。
「…何か、気になさっているのですか?」
「いえ…大したことでは…」
「本当に?」
「…」
クレイスは迷うように視線を海に向けた。静かにさざめく水の音が、沈黙を彩っている。
その瞳が何を映しているのか、思いつくのはひとつだけ。
「国へ帰るのは、不安ですか?」
「……」
それは肯定だった。
不安に思わない方がおかしい。けれどその程度を見誤っていたかもしれない。
何を言えば、彼女は安堵できるだろうか。考えたが良い言葉は見つからなかった。
俺が守るから安心しろ、と言い切れないことがもどかしい。彼女の心を守れていない自分の不甲斐なさに若干苛立ちを覚えた。わずかに口元を強張らせた俺を見てか、クレイスは呟くようにすみませんと言った。
咄嗟に彼女の手を握り、顔を合わせた。
「違います、今のはお嬢様を責めたわけではありません」
「…それでも、わたくしは貴方に負担ばかりかけています。せめて謝罪をさせてください」
「お嬢様、私は自らの意思で貴女を守っているのです。それを負担だと感じてはいません。寧ろ、謝るべきは私でしょう。今こうして、お嬢様に不安を感じさせてしまっているのですから」
「そんなことは…!」
強く否定する彼女に、微笑みを返す。クレイスは俺の言いたい事を理解したようで、これ以上の問答を諦めてくれた。
沈黙が落ちる。海と風の音が静かに通り過ぎていく。
それが良かったのだろう。クレイスの様子が落ち着いてきた。やがて、彼女はゆっくり話し始めた。
「モールドル国へ戻ると、そう決意したのは本当です。けれど、実際にあの国に近づくと…心がざわついて、落ち着かなくなってしまい…不安になりました。こうしたいという気持ちだけが先走って、覚悟が追いついていなかったのです。今になって、その事実を思い知りました」
「お嬢様、貴女様がそうお決めになられてから、まだ少ししか経っていないのです。心を整えるための時間を、貴女は与えてもらえていない。懸念や不安が生じるのは当然です」
「当然…だとしても…」
「あなた様の進もうとしている道は、とても困難なものです。それを選びとったというだけでも、お嬢様の心の強さは賞賛に値します。加えていうのなら、貴女は不安を感じていながらも、決して逃げたいとは言いません。十分に、お嬢様は現状に立ち向かえていると、私は思います」
俺の言葉に、クレイスは幾分か気を取り直したらしい。
覚悟なんて決まらなくて当然だ。クレイスはキーリス程ではないにしろ、モールドル国や、その王の歪さを知っているのだから。直接会って話す、という判断自体が驚くべきものなのだ。
少なくとも俺よりは、ずっと立派にこの現状と戦えている。
これ以上いては、風邪を引いてしまうかもしれない。
気分も紛れたようなので、クレイスを連れて船の中に戻った。
彼女の部屋まで送り届けて、それではと背を向けようとした時、クレイスが小さな声で呼び止めてきた。
「なんでしょうか?」
「あの…ありがとう、ございました。お話しさせていただいたおかげで、少し心が落ち着きました」
「それはよかったです。今後も何かありましたら、どうぞ私に話してください」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ。良い夢を」
扉が閉まる。ふう、と息をつき、歩く。
段々と、クレイスは心を開いてくれている。今日は特にそう感じた。
なんというか、遠慮がなくなってきているように思う。それも、良い意味で。
頼ってもらえるということが、こんなにも嬉しく思えるなんて、思っていなかった。
++++++++++
翌日の昼過ぎ、船はモールドル国の港へ到着した。積荷が下されている間、全員で船の一室に待機する。
キーリスとクレイスは、似たような無表情でジッとしていた。
その嫌な緊張の糸が張り詰めたまま、船を降りた。
風が思い。嵐の前触れだろうか。空を見ると、暗い雲がこちらに向かっているのが見えた。
雨がきそうです。そう言おうと、クレイス達の方を向いた時。
突然、飛来する何かを感じた。
咄嗟に鞘ごと剣を振り上げると、何かがぶつかり、弾き飛ばされた。
(…弓矢!?)
警戒心を限界まで引き上げて構えたが、遅かった。
あっという間にぞろぞろと現れた、黒い服の者たちに取り囲まれる。
気が付いてクレイス達を守ろうとしたが、それよりも先にキーリスとクレイスが黒服に捕まった。
くそ、なんで気づかなかった!引き剥がそうとしたが、行く手を阻まれる。
「キーリス様!お嬢様!」
「動くな!動けば二人とも無事では済まんぞ!」
ぐ、と顔を顰める。他に、手はないか。
黒服の者達は揃いも揃って黒いマスクで顔を隠している。どこの誰なのか見当もつかないが、穏やかじゃない集団なのは一目瞭然。ここは、刺激するよりも、従うべきだ。
ゆっくり、手を空ける。
それから一拍おいて、一斉に背後から取り押さえられた。
顔だけ前を見て、叫ぶ。
「お二人になにかしたら…!!」
「安心したまえ。仮にも王族、丁重に扱わせていただくさ」
俺と同様、ナディアと双子のメイドも取り押さえられる。
そして縄で縛られ、黒服達に馬車へと詰め込まれた。
俺を最初に、後からナディア、クレイスと放り込まれ、なんとか二人を受け止める。
だが、それだけでドアを閉められてしまった。
手を縛られただけのクレイスが、焦燥を滲ませた声で叫ぶ。
「キーリス!キーリスはどこですか!!どこに連れて行くのです!!」
まずい、この感じは完全にパニック寸前だ。ナディアに必死に視線を送る。
優秀なメイドはそれで理解したらしく、拘束されたままほぼ体当たりでクレイスをドアから退かせた。
そして、彼女を車内のイスに押し付け、ぐっと顔を近づける。クレイスは突然のことに言葉を失ったが、それでいい。今はおとなしくしておくべきだ。
キーリスとリズとレナがどうなったのか、わからぬまま馬車は動き始めた。
車内に見張りはいないが、外にはぴったりと前後左右黒服達がくっついている。
脱出は、不可能だった。
そして数時間後。馬車は止まり、俺たちは外に連れ出された。
猿轡だけ取り外される。周囲を見渡すと、切り立った崖が見えた。
そして連れていかれる先には、大きな城。
明らかに異質な外観。渓谷に面した造り、特殊な素材で作られたのであろう黒い壁。重厚感に息が詰まりそうになる。
隣を歩かされているナディアが、その城を見てポツリと言葉をこぼした。
「この城は…元イレーシア王国の王城です」
誰に言ったわけでもないその言葉が、しかし俺には突き刺さるように感じた。
着いて早々ですが、事件です。
一体どうなってしまうのか、次回も読んでいただけたら幸いです。




