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2, 婚約の儀、彼女の気持ち


翌日、朝は早かった。

じいやに起こされ、寝ぼけ眼を誤魔化しながら着替えを済ませる。

今日は婚約の儀。公に行うのは後日なので、王族しか立ち会いはいない。

のだが、その重要性は公儀より上だ。

教皇が立ち会い神前で約束を交わすため、格好だけのものではない。

この儀式を経てやっと、婚姻が正式なものと認められるのだ。


さて、婚約の儀には王族が、つまり周辺諸国の王子たち、それにモールドル国の王族も来るわけだ。

その出迎えは第一王子の兄上が務める。俺の仕事は立派な王子としての役目を果たすこと。

そして良き夫になるということを知らしめること。

つまり。



「マナーの説明を、時間までにクレイス様にしなくてはいけないと…」


「申し訳ないです。流石に王族ではない私には、儀式のことはさっぱりで…」


「ナディアは儀式の時にクレイス様を世話する必要がある、そっちの方に集中してくれ。詳しいことは執事長のじいやが教えるからな」


「ありがとうございます。お嬢様をよろしくお願いします」



一礼して去っていったナディアを見送り、立ち尽くすクレイスに向き直った。

婚約の儀の前の朝食は、儀式を行う二人だけで取るのが決まりだ。

食事を給仕する者も、この時には下がっている。

儀式の講義を行うには絶好な機会なのだが。



「とりあえず、座ってください、クレイス様」


「わかりました」



こんな調子で大丈夫なのかと、ため息をつきそうになった。

相変わらずの無表情。言われなければ何をして良いかすらわからない様子。



「クレイス様は、婚約の儀についてはどれくらい知識がおありですか?」


「王族が結婚をする前に行う、重要な儀式だと、本で学びました」


「その本に、その時の作法などは載っていませんでしたか?」


「いえ、ありませんでした。ただの事典でしたので」


「そうですか…。では、禊から説明させていただきます」



婚約の儀は、いくつかの手順を踏まなければならない。

まずは禊。決められた服装で聖水を浴び、祈りを捧げる。

次に別れの儀。妻となるものは、自らの親族に別れを告げ、夫の元へ向かう。

そして約束の儀。教皇の言葉に答える形で婚約の意を確かめ、指輪の交換を行う。

最後に祝福を参加している王族の方々から拍手という形で貰い、同時にこの婚約が正式なものであるという認定をいただいて、終わりだ。

儀式の後は会食があるが、テーブルマナーはしっかりしていたので大きな問題はないだろう。


説明を終えると、クレイスは聞いたことを頭に焼き付けるかのごとく何度か復唱し、頷いた。



「全て把握いたしました。問題ありません」


「そうですか。わからないことがございましたら、遠慮せず私にお聞きください。別れの儀が終われば私もお側にいられますので、何かあればお助けいたします」


「ありがとうございます。よろしくお願いします」



生真面目に礼をされ、思わず居住まいを正してしまった。

この感じ、なんとかならないのだろうか。

どうにも男性と話しているような気になってしょうがない。

だが彼女の瞳を見ると、許せると思うのはなんだろう。



「…どうなさいましたか」


「あ、いえ。なんでもありません」



いつの間にかじっと見つめてしまっていた。

なんとなく気恥ずかしくなり、パンを引きちぎり口に放った。



++++++++++



禊を済ませ、髪を乾かしていると、じいやが少し慌てたように部屋に入ってきた。



「お着替え中に失礼します、ルーン様。少々問題が生じまして…」



いつもは落ち着いている彼の様子に驚き、少々生乾きのままだがメイドを下がらせる。

儀礼用の服を着て、歩きながら多少乱雑に装飾品を身に付けていく。



「このままでいい、歩きながら聞く」


「はい。モールドル国からの出席者は、第1王子とそのお妃のお二人のご予定でしたのが、モールドル国現国王様と、第三皇女様の御二方もいらしておられるのです」


「なんだって!?兄上は」


「既に挨拶を済ませ、控えの部屋に通されました。伝言を預かっております」


「なんと」


「『厄介な事になっている、別れの儀の際には存分に警戒せよ』と」


「そうか…クレイス様は」


「まだこの事はお伝えしておりません。お部屋でお着替えをなさっている途中ですので」


「至急、ナディアに伝えろ。クレイス様の迎えは俺が行う。彼女にはクレイス様が向かうまで、モールドル国の王家の方々を見ておくようにと伝えてくれ」


「かしこまりました」



既に異例が起こってしまった。婚約の儀に王自らが出向くなど前代未聞。

結婚と間違えているのではないかと一瞬思ってしまったほどだ。


なんとか髪飾りまで付け、残りは儀礼用の剣を腰にさせば終わりというところまで着付け終わった。

軽く鏡で全身をチェックして、クレイスの部屋の前に立つ。ノックをすると、メイドの声が聞こえた。



「ルーンである。訳あって、私がクレイス様の迎えに来た。支度は終わっているか」


「ルーン様、クレイス様の準備は済んでおいでです。どうぞ中へお入りください」



そう言ってメイドが扉をあけてくれた。

其処には、クレイスが立っていた。茶色の髪を結い上げ、瞳の色と同じ宝石の首飾りをつけ、真っ白なドレスに身を包んだ姿は、控えめではあるが文句なしに美しかった。その両手に一輪の薔薇を見つけ、なんとなくどきりとした。



「先程のお話では、従者が迎えに来るそうでしたが」


「変更になりました。私が別れの儀のお部屋までクレイス様をお連れいたします。お手をどうぞ」


「はい」



素直に伸ばされた手を握り、廊下へと連れ出す。そして腕に手を絡ませるやり方へと変え、共に歩き出した。その間もずっと握られている薔薇がやけに気になり、思わず問いかけていた。



「その薔薇は、昨日私が贈ったものですか?」


「はい」


「どうしてずっとお持ちに?」



一瞬、クレイスは黙り、そしてこちらを見上げた。



「おかしかったでしょうか」


「えっ?いや…おかしいと、言いますか…」


「おかしいのでしたら、やめます」


「いえ、無理におやめになる必要は」


「あります。わたくしはただでさえ、ルーン様にご迷惑をおかけいたしております。これ以上ご厚意に甘えるわけにはまいりません。少々お待ちください、何処かの花瓶に…」


「クレイス様」



そっと呼びかけ、花を持つ方の手を握る。

彼女はピタリと動きを止め、なされるがままでじっとこちらを見つめていた。



「私は、ただ知りたかったのです。貴方がなぜ、この薔薇を大切にしているのか。迷惑などではありません。ご安心ください」


「…そうでしたか。理由を…。しかし、困りました。わたくしは何故その薔薇を手にしていたかったのか、理由が自分でもよくわかっていないのです」



クレイスのガラス球の様な瞳が、ピンクの薔薇を映し出した。彼女の瞳と同じグリーンの宝石が耳元で揺れて、朝の光を反射させた。

それに目が眩んだのだろうか。気づけば、俺は彼女の手を引き寄せていた。

視線がこちらを向く。瞳に映った俺自身と目が合い、ハッと我に帰った。


失礼を詫びて手を離す。クレイスは不思議そうに首を傾げつつ、こちらを見つめていた。




別れの儀は、数人の王族の立会いの元行われる。

約束の儀を交わす大広間の隣の控え室で、ひっそりと済まされるのが礼だ。

しかし、その部屋に入ろうとノックをしかけた時、鋭い女性の声が聞こえた。



「お黙りなさい!お前は使用人の分際で陛下に楯突こうと言うのですか!」


「恐れながら、私はクレイスお嬢様の使用人です!お嬢様をお守りする為なら、たとえこの首がはねられようと声をあげます!」



ナディアの声だ。

あまりにも物騒な内容に、只事ではないと扉を開けた。本来ならこの扉から入るのは姫一人の筈だが、最早異常のオンパレードなのだ。構ってられるかと、その中に飛び込んだ。



「一体なんの騒ぎですか!?」


「ルーン殿下!」



ナディアの必死な様子に、俺に続いて入ろうとしていたクレイスを片手で制する。

すると、ナディアと向かい合っていた一人の令嬢がこちらに駆け寄ってきた。



「ああ、ルーン様!これは何かの間違いですよね?そう仰ってください!」


「貴女は…レティシア姫ですか?」


「そうでございます!貴方様の本当の婚約者のレティシアですわ!」


「はいっ!?」



ギョッとして我ながら素っ頓狂な声が出た。

そして慌てて周囲を確認する。

ナディアと、その隣には兄上が二人、その背後には一番上の兄上の妻が一人。

それに向かい合うように、モールドル国の王家の方々が並んでいる。目を引くのはモールドル国現国王だろうか。当然だ。なんでいる。



レティシア姫に顔を戻す。

この人は見覚えがある。婚姻の申し込みに似顔絵が付いてきていた。金色の豊かな髪に、ブルーの瞳、ふっくらとした唇。文句なしの美人だろう。

だが、先ほどの台詞は聞き捨てならない。



「失礼ですが、レティシア姫。こちらの書状に間違いはなかった筈です。私はクレイス姫との婚姻を受けました。これはどういった騒ぎなのですか」


「そんな…!お父様、どういうことですの!?」



レティシア姫がモールドル国王の方を向く。彼はその場の全員から視線を向けられ、一瞬怯んだ様に見えたが、すぐに気を取り直したのか一歩進み出た。



「ルーン殿、お初にお目にかかる。私はモールドル国現国王、バルカ・モルドリアである。此度の婚姻、少々の手違いがあったようで、訂正をさせてもらいたい」


「どういうことですか」


「クレイスはこの様な素晴らしい国にはとても合わない、愚鈍な娘。ルーン殿のような立派な御仁には、このレティシアが似合いであろう。我が国には確かにクレイスを相手に婚姻の書状が届いたが、こちらとしては貴国に恥をかかせてしまう事は避けたいのだ」


「失礼ですが、バルカ陛下。私は何度かクレイス姫と会話をいたしました。しかし、愚鈍という印象はただの一度も受けておりません」



その言葉に、ナディアがハッとこちらを見たのがわかったが、無視をして続ける。



「寧ろ、噂に違わぬ聡明なお方だと。私はそう感じました」


「ルーン殿下…!」


「ハッハッハ!いやはやご冗談がお上手だ!あの娘がルーン殿に満足頂けるわけがない!」


「冗談ではございません。私はクレイス姫がお相手で何の問題もありません」



バルカ国王が笑いを止めた。沈黙が場を支配する。

かの王の目を、睨みはしないがまっすぐ見つめる。

彼がなにか言いかけた時、俺と国王の間にレティシア姫が割り込んできた。



「ルーン様。あなたはそう仰りますが、クレイスのお気持ちはどうなのですか?彼女自身、この婚姻を望んでいるのですか?そうでないのならば、わたくしが変わらせていただきます。わたくしは貴方様との婚姻を心から望んでいます!」



そういうと彼女は、俺を避けてクレイスの元へと歩み寄った。

慌てて制止しようとしたが、さっさと二人は俺の前に歩いてきてしまった。

レティシア姫ががっしりとクレイスの手を握っているのが、なぜかやけに目に止まる。



「さあクレイス!貴方はどう思っているの。しっかりここで伝えて頂戴!」


「どう…?」



キョトンとしているクレイスに、何か言おうとした時。

俺を押しのけてバルカ国王が彼女の顎を片手で掴んだ。クレイスの顔が苦痛に歪む。

初めて見る表情がこんなものだなんてと、俺は思わず腰に手をやった。

しかし、抜く剣がないことに気づき、拳を握る。



「お前は私のものだクレイス!許さんぞ!お前は一生、あの部屋から出ることはない!!」


「お父様っ、おやめください」


「お父上!」



今まで静観していた、モールドル国の第一王子がバルカ国王とクレイスを引き離した。

興奮している彼を羽交い締めにし、抑える。

とんだ事態になってしまった。目眩がしそうになる心地で、クレイスの元に行く。

だがそれを、レティシア姫が阻んだ。



「ルーン様!まだクレイスの気持ちを聞いていません!」


「此の期に及んでまだそのような…っ」


「大切なことです!」



「クレイスぅぅぅうううう!!!!」



バルカ国王が名を叫ぶ。それは妄念に満ちた声のようで、酷く恐ろしい響きだった。

クレイスを見る。相変わらず表情はない。冷や汗一つ見当たらない。



「お父様の仰る通りです。わたくしはお姉様に劣ります。

ルーン様のお相手には、相応しく、ありません」



それでも、それは確かに見えた。


彼女が、薔薇を握りしめたのが。


そして、武芸を嗜んでいる俺ですらも、ギリギリ気づく程度に僅かに。

ドレスに隠れてひっそりと。



足を一歩、引いたのが。



「クレイス様!」



思わず、叫んでいた。


彼女の瞳が俺を映す。今度はしっかり、彼女自身と目が合った。

手を伸ばす。精一杯、その場から届くギリギリまで。



「クレイス様、私は貴女との婚姻を望みます。確かに私は、貴女に惚れたわけではない。婚姻相手は誰でも構わないと思っていたのも事実です。けれど、私が薔薇を贈ったのは貴女です!他の誰でもない、クレイス様だけです!どうか、この手を取ってください。お願いいたします!」



シンと沈黙が降りる。呼吸の音すら聞こえるほどの静寂。

クレイスの瞳が、初めて光を映した。

レティシア姫が、そっと彼女の手を離す。

コツ、コツ、と。クレイスがこちらにゆっくりと歩き始めた。



「誰かに、贈り物をされたのは、初めてでした」


「…はい」


「誰かに、お願い事をされたのも、初めてです」


「はい」


「わたくしは、知りたいです。この胸の、あたたかさがなんなのか。

貴方から薔薇をいただいた時の、心臓の高鳴りがなんなのか。

今、あなたの手を、握りに行くこの気持ちがなんなのか」


「…クレイス様」


「貴方に名前を呼ばれる度、感じるのは、いったいなんなのか」



彼女の手が、私の手にそっと乗せられた。



「わたくしは、知りたいです!」



しっかりクレイスを抱きしめる。

とくん、とくんと胸の鼓動が聞こえる。



「許さんぞ!許さんぞおおおお!!!お前は私のものだあああ!!!」



その音を、怒号がかき消した。クレイスを守るように背に回し、バルカ国王に向き合う。

彼は血走った目で第一王子の拘束を振り切ると、こちらに襲いかかってきた。

クレイスを何が何でも取り戻さんとするその執念に、ゾッとした。

だが彼女はこの手を掴んだ。守りきる義務が俺にはある。

国際問題になることを一瞬で覚悟し、構えをとったその時。



「お父様。結論は出ましたわ」



レティシア姫が立ちふさがった。

バルカ国王は勢いを殺しきれず、彼女にぶつかり、そして共に転がった。

これには流石にその場の全員が慌て、兄上は至急医者を呼ぶように指示し、

俺と第一王子は二人を離して椅子へと誘導した。

その時には、バルカ国王は放心しており、レティシア姫は穏やかになっていた。



++++++++++



何やかんやあったがこれを公にするわけにもいかない。

一応形としては別れの儀はなされたと見て、俺とクレイスはそのまま約束の儀へ。

あとは任せろという兄上の拳に頷き返し、クレイスに腕を差し出した。



「お手を」


「…はい」


「クレイス様。…ありがとうございます」


「…おかしいです、わたくしがお願いをされた筈なのに、今、お礼を言おうとしていました」


「その原因も、これから知っていきましょう。私も、お手伝いします」


「はい。よろしくお願いします、ルーン様」



顔を上げた彼女が、ほんの少し微笑んでいるような幻覚が見えた。

いつか、彼女の笑顔が見たい。

そう思い始めていることに、俺はこの時ようやく気づいたのだった。





やっと前に進み出します。

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