19, モールドル国への旅 その1
合流は問題なく完了した。
俺が城門前に停めてある馬車に到着した時には、既にクレイスとナディアが乗り込んでいた。
それから数分も待たずにキーリスが双子のメイドと共に現れた。
「お待たせしました!」
「いいえ、私も今来たところです。どうぞお乗りください」
御者らしくドアを開けて促すと、キーリスは中の二人を見てホッとしたような表情をした。
クレイスとナディアは顔を隠している。特にクレイスは徹底しており、声を聞かなければわからないくらいだ。
今回の旅は俺を含めて6人で行く。クレイス、キーリス、ナディア、リズとレナの5人は馬車の中。
俺は御者の役なので、車内の様子はわからなくなる。なので、戸を閉める前に今一度作戦の注意事項を話した。
「これから王都を出て、港へ向かいます。港までは一日かかりますが、その間皆様は一度しか外に出られません。ご不便をおかけしますが、どうぞよろしくおねがいします」
「はい!わかりました!」
「「承知いたしました」」
「了解しました!」
「わたくしも問題ありません。ルーン様、よろしくお願いいたします」
「はい。では、すぐに出発いたします」
ドアを閉め、御者台に腰掛ける。そこに用意されていたマントと帽子、仮面を身につける。
キャンディス姉上の案が却下されたようで何よりだ。置いてあった仮面はシンプルで、若干高級な装飾が施された程度の物だった。
手綱を鳴らし、馬を歩かせる。
蹄の音が響いている。門に近づくのすら緊張してしまいそうで、落ち着こうと息を吐いた。
そのうちに城門が見えてきたのだが、その側に立つ人影に思わず目を丸くした。
(兄上に姉上…母上…!?)
「そこの馬車、おとまりなすって」
「っ、はい!」
女王陛下の声に、慌てて馬を止める。母上には長期外出の話はしたが、この計画を話した覚えはない。
誰かが教えたとするならば、そこにいる兄上夫婦だ。
どういうことかと若干混乱しつつも、歩み寄って来た彼らに身構える。
「キーリス殿下に、別れのご挨拶をさせていただけないかしら?」
「かしこまりました」
姉上はあくまで俺をただの御者として扱うらしい。
ますます違和感を感じる。なぜこのタイミングで声をかけた?
母上はともかく、カイル兄上やキャンディス姉上が意味もなくこのようなことをするとは思えない。
だが問うわけにもいかない。ぐっと我慢して、馬車の窓を叩いた。
中から窓が開けられ、キョトンとした顔のキーリスが顔を出す。何事か?という表情に、内心謝りつつも顔を逸らした。
「な、なんでしょうか?」
「キーリス殿下、正式な場でのご挨拶ができぬこと、大変申し訳ありません。ですがあなた様は重要な客人です。どうか一言、別れの挨拶を」
「わかりました…」
再びチラッとキーリスがこちらを見る。頷いて、挨拶をすませるよう促した。
それに若干ホッとした表情をして、キーリスは皇子らしく姿勢を正す。
「此度の滞在は、実に充実したものでありました。私のような者を歓迎していただけたこと、大変感謝しております」
「そうおっしゃっていただけて、なによりでございます。我々はいつでも、キーリス様を歓迎いたします」
「どうぞまたお越しなすってくださいな。あたくしもキーリス殿下とまたお茶をしたく思いますわ」
「は、はい、機会がありましたら…」
扇で口元を隠しつつも喜色を隠しきれていないキャンディス姉上に、若干引きつつ返事をするキーリス。
すまない…と内心で謝っているところに、母上が近づいて来た。驚いて体が強張る。
母上は俺の正体を知ってか知らずか、柔らかな笑みを浮かべながら隣に立つ。
え、これどっちなんだ?俺ってわかってるのか?いや、そうじゃない可能性も捨てられない。
どうする?知らないふりはできないし…というか何の用なんだ?
「護衛の方、でいらっしゃいますね?」
「は、はい」
声が若干ひきつる。それでバレていそうなものだが、母上は何も気にせぬ様子で話を続けた。
「道中お気をつけてくださいね。皆様のこと、しっかり守るのですよ」
「はい、承知いたしました」
「それと、車内のお嬢さんに、伝言をお願いしてもいいかしら?」
「伝言、ですか」
「ええ。貴女はもうパルキアの姫でもあるのだから、その意識を忘れぬように、と。よろしくて?」
えええ知ってるのかよ!なんで!?
状況の理解が追いつかず、仮面の下でポカンとしたが、なんとか返事を絞り出そうとする。
「それは…陛下」
「ふふふ、ちゃんと伝えてくださいね、護衛のお方」
やんわりと笑って誤魔化され、俺は了承の返事を返すしかなかった。
カイル兄上の方を見ると、楽しげに笑いを堪えているのが見え、若干げんなりする。
だが陛下の言葉であることに変わりはない。胸に刻んで、深く礼をした。
++++++++++
城を出てからしばらくして、王都の外にある街道に出た。この辺りは道が舗装されているため、夜でもそれなりの馬車や人々が行き交っている。それに混じって進む俺達の馬車は(若干装飾が目立っているが)ごく自然に周囲に溶け込んでいた。夜に王都の関所を通るのは特別な許可書が必要なので、すれ違う者たちはそれを持っているか、関所の前で夜を明かすかのどちらかだ。
どちらにせよ互いの詮索をしない人々。紛れ込むにはこれ以上ない程都合がいい。
車内は静かで、おそらく皆眠っている。すれ違う商人の馬車に軽く挨拶を返しながら、軽快に馬を走らせる。実は馬車の御者をするのは初めてだったので、上手くいってかなりホッとした。
このペースなら、朝になる頃には港へ続く山道を越えているだろう。軽く水を飲んで、地図を広げた。
山を越えれば小さい街がある。そこで一度休憩をするが、そこから先は只管進むだけ。俺は訓練をしているので数日程度は不眠不休でもなんともないが、クレイス達はそうはいかないだろう。特に身を隠しているクレイスは相当なストレスがかかる筈だ。
出来る限り急ごう。地図をしまって手綱を握り直した。
それから数時間が過ぎた。港町へ続く山道を予定通りのスピードで進み、もう一時間もすれば海が見えてくるという頃。空が明るくなり始め、若干景色に霧がかかってきた。
この時間に山を通るものはそういないが、事故が起きる危険性はゼロではない。速度を緩め、慎重に進む。
そこに、コンコンと車内からノックの音が聞こえてきた。何事かと馬を止めようとした時、後ろからキーリスの声が響く。見れば、ドアの小さな窓から顔を出している。
「キーリス殿下、危ないですよ」
「すみません!でも、起きたら真っ白だったから気になって!」
「ただの霧です。山はまだ気温が低いので、この時期は毎朝こうなります」
「そうなんだ!すごい…!」
とにかく頭を引っ込めて欲しい。そう言おうとしたら、ナディアが怒る声がし、キーリスの姿が消えた。
まあ子供らしいのはいいことだ。若干ほぐれた緊張を改めてはりなおす。
それから数十分して、ようやく霧も晴れ、道がはっきり見えてきた。
──絶景だ。
朝日を伴う海を背に、大地が広がっている。朝の風が心地良い。
これは見せてやりたいなと、そう思ったのと同時に、再びキーリスが顔を出してきた。
感嘆の声が上がり、続いてナディアまでもが顔を出してきたのには、思わず笑った。
クレイスに見せられないのが残念だった。今度は堂々とこの景色を見に連れて来たい。
+++
それから昼まで、多くなってきた馬車に混じりながら進み、ようやく最初の目的地である街に着いた。
ここには関所がないので、適当な場所で馬を停め、扉をノックした。
「お疲れ様です。ここで暫く休憩をしますので、降りて来てください」
言うや否や素早くキーリスが中から飛び出て来た。そうとう窮屈だったのだろう、気持ちよさそうに深呼吸をしている。
続けてリズとレナ、ナディア、それに連れられながらクレイスが降りて来た。顔を隠すようにかかっているレースを若干どけているあたり、彼女も窮屈だったのだなと思わされ、罪悪感が芽生える。
ナディアは平気そうだが、ストレスを感じている筈だ。
「お嬢様方、お加減はいかがでしょうか?」
「私は平気で…平気よ」
「わたくしも問題ありません」
「そうですか。昼食はこの街で済ませますか?」
聞いているのはポーズだ。もとより日程は決まっているので、それに従って行動する。
開放感を十分に味わったキーリスと店を決め、ぞろぞろと移動した。
目立たないように動いているのもあるが、この街は旅人が一時的に休むための場所。
基本的に人口が多く、多種多様な人々が行き交っているので、紛れてしまえば見つかることもない。
適当に昼食を済ませたら、馬を休ませるために広場の水場へ皆で向かい休憩。
リズが馬に水を飲ませ、レナとナディアはそれぞれキーリスとクレイスをマッサージしている。
俺も少し座り込んで、マントを脱いだ。もちろん警戒は怠らないが、一人側でピリピリしていると彼らも休みづらいだろう。
行き交う人々を見ながら少し休んでいると、マッサージでスッキリしたらしいキーリスが寄って来た。
「出発はいつですか?結構休めたので、僕はもう大丈夫です!姉さ…ええと、彼女もいいって」
「もう一時間ほど馬を休めたら、すぐに出発します。よろしければ、それまで市場を見ていきませんか?良い土産が買えるかもしれません」
「市場!!行きたいです!!すぐ準備しますね!!」
目を輝かせながらクレイス達を呼びに行ったのを見送って、立ち上がった。
その後行った市場は賑やかで楽しかったが、キーリスがあれもこれもと大量に買おうとするのを止めるのには一苦労させられた。
++++++++++
街を出て、数時間。ようやく目的の港町ゲーテルへと到着した。
もうすっかり日が落ちていたので、連絡しておいたユールシア公爵家の別荘に直行する。
何の問題も起こらなかったことにホッとして、ようやく少し気を休ませた。
門を開けてもらい、屋敷の玄関へと馬車を停める。迎えに出て来ていた執事が、深々と頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました」
「到着が遅くなってしまい申し訳ありません。夕食の準備は」
「勿論、用意しております」
それはなにより、と適当に会話しつつ馬車の戸を開ける。恐る恐るキーリスが降りて来た。
軽く頷いて見せ、後は任せると執事に伝えると、彼らは先に屋敷へと入っていった。
それを見送って馬車を移動させて、待機していた本物の御者へバトンタッチ。
積んである荷物は今夜中に船へと運んでおいてもらうので、その旨も説明しておいた。
やっとこさ俺も屋敷に入り、先ほどの執事に案内されて奥の部屋に。
そこで待っていたのはエレナ・ユールシア。カイル兄上の友人、ベン・ユールシアの奥方である。
彼女には話を通してあるので、俺も素性を隠す必要はない。逆に正式に挨拶をしておかなくては失礼だ。
「お久しぶりですね、ルーン殿下」
「はい、確か最後にお会いしたのはカイル兄上の誕生祝いの日でした」
「あの時は主人がご迷惑をかけてしまって…お詫びにもなりませんが、モールドル国への船は最高級のプライベートシップを手配させていただきましたわ」
「お心遣い、感謝します。急なことに巻き込んでしまって申し訳ない」
「とんでもありません!ルーン様のお力になれるのであれば、これ以上の名誉はございませんわ。どうか今日はゆっくり休まれてください。警備は万全ですので、ご心配なさらないで」
「では、お言葉に甘えて、今日はこれで失礼させていただきます」
礼をして退室し、充てがわれた部屋に案内してもらう。
夕食をとって湯浴みをして、ようやく一息つけた。
緊張で張り詰めていた神経が若干ほぐれ、すぐに眠気が出て来たので、その日はそのまま寝た。
+++
翌朝、目を覚ましてすぐに身支度をし部屋を出た。
まだ夜明け前だが、召使達は既に仕事を始めている。
彼らと軽く挨拶を交わしながら、向かうのは食堂。さっさと朝食を済ませてキーリス達を待つ。
そのつもりだったのだが、俺よりも先にナディアが朝食をとっていた。
「あ、おはようございます」
「おはよう。随分と早いんだな」
「お嬢様が早起きなので、私も早く起きるんです。それに出発前にもう一度お嬢様のマッサージをと思いまして」
「そんなに疲れているのか?」
「大丈夫だとおっしゃっていましたが、顔色があまり良くなくて…」
それはよろしくないな。クレイスの様子を聞き、確かめながら朝食を済ませる。
まだ出発まで時間はあるので、その間に彼女と話がしたい。
そうナディアに伝えると、少しホッとした様子で承諾してくれた。不安を溜め込んでいるのは一緒だったようだ。
用意が整うまで部屋の前で待機して、呼ばれるのを待つ。
その間リズとレナが通ったので、軽くキーリスの様子を聞くと、彼は特に問題ないらしい。
それはなによりと思う一方で、彼の柔軟性に驚いた。モールドル国にいた時、あちこちへ出ていたそうなので、旅には慣れているのだろうか。そうだとしても、随分肝がすわっている。
考えているうちに用意が終わったようで、ナディアが戸を開けて中へ促してくれた。部屋に入ると、ソファに腰掛けたクレイスが俺に挨拶をした。
その向かいに腰掛けながら、少し彼女を観察する。顔色が悪い…というか、青白い。
「昨晩は眠れましたか?」
「…いいえ…何度も目が覚めてしまって」
「そうですか…船が出るのは昼過ぎなので、それまで休んでおいてください。この屋敷には事情を知る者しかいないので、休息をとる場所として最適です」
「はい」
「…何か不安があるのですか?」
そう問うと、クレイスは暫く黙っていたが、やがて首を横に振った。本人がそう言うのなら深く追求しないが、これは確実に何かあるな。
ナディアに目配せをして、少し時間をくれと無言で伝える。流石は優秀な従者、一発で理解したらしく、紅茶とオイルを持って来ますねと部屋を出て行った。
二人になって向かい合うと若干緊張したが、それよりもクレイスの事が最優先。立ち上がって彼女のそばに行き、そして手を伸ばして横抱きに抱え上げた。
いきなりだったからか、目を丸くして固まっていたので、その隙にとベッドまで彼女を運ぶ。すぐにおろしたのでハッキリとはわからないが、かなり身体が冷えていた。
ベッドに横たわってようやく状況を理解したらしく、何故ですかと呟くように聞いてきた。
「座っているよりは横になった方が身体が休まります。ナディアが来るまでの間だけでも、眠ってください」
「え…」
「私がここで見守っています。心許ないとは思いますが、一人よりは安心できませんか?」
「…はい、そう、ですね」
軽く頷いて、そしてクレイスは目を閉じた。休もうとしてくれているらしい。少しホッとしてそれを見ていると、おもむろに目を開けた彼女は、恐る恐る此方を見つめた。
「…あの、もし、ご迷惑でなければ…」
「…?」
「手を、握ってもらえませんか」
怒られるのを怖がる子供のように、伏し目がちにそう零したクレイスに、一瞬言葉を失いかけたが、なんとかこらえた。軽く気持ちを整えて、微笑みを返す。
「いいですよ。どうぞ、手を」
差し出した手に、彼女の手が重ねられる。そっと包むように握ると、クレイスは目元を緩め、力を抜いた。そして再び目を閉じ、数分もしないうちにすうすうと寝息をたて始めた。昨晩ほとんど眠っていなかったのだろう。
冷たい指がほんのりと暖かくなるのを感じながら、ナディアが戻るまでの間、ずっと彼女を見つめていた。
港町へ到着しました。次からは船での移動になります。
ルーン様の万能さが徐々に出てきましたね…。
ちなみに途中で休憩した街は、パーキングエリアのようなところです。どの国にも同じような場所があります。
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いつも読んでいただいて、誠にありがとうございます。
帰国編はまだまだ続くので、来年も彼らの旅を見守っていただけると嬉しいです。