18, 旅立ちの準備
少し長くなりました。
は、っと。
飛び起きて、慌てて時計を見た。昼までもう一時間もない。
完全に寝過ごした。とにかく準備を、と思ったところでコンコンとノックの音が聞こえた。
「申し訳ありません、寝過ごしてしまいました!」
咄嗟に叫び返すと、数拍置いて、控えめに扉が開いた。
立っていたのはじいやだった。完全にクレイスだと思っていたので、ポカンとしてしまった。
可笑しそうに笑う彼を見て、ようやく目が覚めて来た。
起こしてくれたのはありがたいが、そんなに笑うこともないのではないか。恥ずかしさを取り繕うつもりでコホンと咳を一つ。
「すまない、寝惚けていた」
「いえいえお気になさらず。クレイス様からの伝言です」
「伝言?」
珍しい、というか初めてではないだろうか。クレイスは何かある時は直接言いにくるタイプだ。
なにかあったのかと聞いたが、じいやは問題はありませんとしか答えなかった。
まあ何もないのならいい。俺が寝坊したせいでタイミングが合わなかっただけだろう。
「それで、内容は」
「はい。本日の朝、昼の語らいは欠席させていただきたいとのことでした」
「えっ?あ、いや、もう昼だから中止せざるを得ないが…そうではないのか?」
「違うでしょうな。クレイス様にお会いしたのは朝の語らいの少し前でしたので」
「そ…そうか」
なんだか釈然としない。今日が作戦の当日だからといった風でもない。
けれど彼女が自ら休みたいと言ったのだ。よほどの理由があったのだろう。
深く追求するのはやめておくべきだ。
そのままじいやに準備を手伝ってもらい、昼食にはなんとか間に合った。
だが、そこにもクレイスはいなかった。聞けば、朝食も自室でとったそうだ。
一体なんだ。初めての事態に混乱する。具合でも悪いのだろうか?
そう思って様子を見ようとしたら、なんとナディアと二人で出掛けていったと聞かされた。
何故今?何か買い忘れでもあったのだろうか?そうだとしても城の者に用意させるべきだろう。
ナディアは護衛もこなせるとはいえ、まだ若い少女だ。危険極まりない。
どうして外出を許可したのかとじいやに憤慨したが、心配ありませんからと宥められてしまった。
「ルーン様、クレイス様にも事情があるのですよ」
「だが護衛の兵もいないのは危険すぎる!彼女は王族の人間だぞ!」
「それはクレイス様もよく理解していらっしゃいますとも。だからこそ内密に外出したのです。昼過ぎには戻られる予定ですから、そう心配なさらずとも大丈夫ですよ。それにルーン様、お忘れではないでしょうが、ナディアは私が認めた従者でもあるのですぞ」
「…忘れてはいないが…」
「ならばそう動揺なさらずともよろしいでしょう」
「…」
完全に言いくるめられてしまった。じいやが何か知っているのはわかっているが、こうなると頑として口を割らないのがレーゼ執事長である。
まあ仕方がない。とにかく夜までに済ませておくべき事に目を向けなければ。
++++++++++
モールドル国への渡航期間は船での移動を含めて五日間。向こうでの滞在期間も考慮すると、俺は二週間程度城を開けることとなる。そうなると仕事も溜まってしまうのは目に見えているので、最初に指示書を作成しておくことで少しでも量を減らしておかなければならない。書類が滞って困るのは俺だけではないのだ。
自分の執務室に入り、机に腰掛ける。いつもなら補佐の者が数人いるのだが、今日は断っていた。というよりも、城の者とあまり接触しないようにしているのだ。作戦に支障が出るのは避けたい。
書類を広げる。まずは土地の関連。
とはいっても、俺が治めている領地は、随分と安定して自治を行っている。優秀な人材を起用し、管理を任せているのもあって、口出しをする必要はほぼない。せいぜい報告書を読み、必要であれば皇子の権限を使っての書類を作る程度だ。まあ三ヶ月に一度くらいは視察に行くが。
なので今やるべきことは、キャンディス姉上から依頼された仕事についての指示書の作成だ。
内容はいわゆる貴族の勢力の調査。彼女の言っていた担当地区とは、俺の領地との繋がりが深い場所。商売の関係で、生産地である俺の領地は様々な顧客と顔見知りなのだ。そのラインを使って、周辺地域の情報収拾をするのである。
面倒そうに聞こえるだろうが、要は噂話を記録しておいてくれというだけだ。
そこから入った情報を元に、次は調整をする。それも簡単、俺が直接「ご意見」するのみ。
自分で言うのもなんだが、社交界や国においても評判のいい「ルーン様」が意見をして、それを無視したりしたら当然立場が悪くなる。ので、貴族達は従わざるを得ないわけだ。
人間関係とは複雑だ。一時期は「王家の恥」とまで言われていた俺が、今では「国の象徴」扱いなのだから。
報告書に目を通し、問題がないことを確認。次に指示書を各地の分作成する。あとはじいやに任せれば、郵送してくれるようになっている。本当に有能だ。
領地の管理はこんなものか。
次は砦と関所の書類。俺が担当しているのは王都、港、それと俺の領地内の数カ所だ。
どちらも国の兵が所属しているため、兵士達と仲が良く、顔が広い俺が適任ということで任された。
砦は警備や罪人収容施設の監視が主な仕事。関所は通行人や住民の登録を記録し、関税の管理などもする。
同じ兵士でも役割が大きく違ってくるため、そのあたりの采配は各地域の兵隊長に任せている。
国には衛兵の他に、騎士団と呼ばれる兵がいる。婚約パーティーで会っていたカイがそうだ。
騎士団は城に常駐してはいないものの、いざとなれば王家の元に集い、勇猛に戦う。キルスチア王国との戦争の際も主に彼らが筆頭となって軍を編成していた。
その騎士団の通常の拠点が、砦というわけだ。砦と名がついてはいるが、立派な訓練施設であり、お抱えの職人が住み込んで武器を作ったりもしている。
城や関所を拠点とするのが衛兵、砦を拠点とするのが騎士団。その他は領地を拠点とした自警団がいるが、正式には兵隊扱いはされない。その全てに縁があるのは王家の中でも俺くらいだろう。
その彼らの共通の仕事が、警備だ。争い事や揉め事が起こったら、即座にこれを鎮圧し、事情聴取をし、報告をする。これがまた面倒なものが多い。単なる喧嘩から、店同士の競争による怨恨、一番大変なのは盗賊や犯罪軍団の鎮圧だ。捕縛にも時間がかかるし、その後の処分にも手間がかかる。ただ罰を与えるのではなく、更生させなくてはならないからだ。
この方針になったのは俺が父上から仕事を引き継いだ時だが、未だに不満を持つ兵隊長がいるのが現状。それなりの結果を出さなければ、納得は難しいだろう。
今回の留守中に盗賊被害が出たら、それこそ不満が爆発しかねない。
前々から根回しをしてはいたが、自警団と騎士団の連携をしっかり指示しておこう。
王都にて結成されている自警団は、個々の力は弱いものの規模が群を抜いている。騎士団が背後につけば、それなりの抑止力が期待できる。これをモデルとし、各地でも連携を深めていけば、最終的に新しい監視体制が整う計算だ。
それに、そうすれば自警団にも国から予算を下ろす事が出来る。給料が出るとなれば、士気の向上も期待できるだろう。
この資料は流石にしっかりと書いた。新たな体制を作るとなると、大臣にも納得してもらわなくてはならない。
この国には数人の大臣で構成された、国政院と呼ばれる機関がある。国の政治は主に彼らが担っているのだ。勿論国庫の予算もそこで管理されている。予算の申請はかなり難しい。
因みにだが、この国は政治に相当の力を注いでいる。大臣は間違っても汚職などしないように、短い任期で入れ替わる。期間は王が決定し、突然「明日で任期終わりです」と言われる仕組みだ。
採用する大臣も新しさを重要視しており、国の各地にある専門の教育機関に所属する者から選んでいる。いついかなる時も大臣を務められるように、生徒達は毎日緊張して勉強しているそうだ。少々気の毒にも思うが、事実これまでの大臣達は皆優秀だった。
若い者だらけの国政院に最初は不満を持つ者もいたが、意見する前に大臣が入れ替わるのでは文句の言いようがない。この辺りは流石だと思う。意見を言われる前に結果を出して黙らせるのは、パルキア国では昔から見られる戦法だ。
++++++++++
「まあ、こんなものか」
書き上げた資料をまとめ、最終確認のためにもう一度目を通す。
それでも問題がないと判断がつけば、残りはじいやの仕事だ。早速ベルを鳴らし、彼を呼ぶ。
「お呼びでしょうか、ルーン様」
「この書類を、国政院に届けてくれ。それとこれは衛兵隊長に。ヘカレイゼとユーレイシアの騎士団から申請があった令状も頼む。それと私の領地の役所全てに指示書を送っておいてくれ。王都の砦にも指示書があるが、これは大臣の許可が出るまで保管しておいてくれ」
「かしこまりました。お疲れ様ですルーン様、ただいまお茶をご用意させます」
「ああ、頼む」
グッと伸びをして、部屋のソファに深く座った。
書類仕事は嫌いではないが、ずっと座っているのは肩が凝る。あとで少し剣でも振るかとぼんやり考えている間に、メイドが紅茶と菓子を用意してくれた。ありがたくいただきつつ思考を切り替える。
もちろん今日の夜についてである。既に荷物等は馬車に積まれており、旅支度は済んでいる。
キーリスは極力姿を隠す為、絶賛部屋で待機中だ。詫びの品として手配させたチェスボードで、ひたすら遊んでいるらしい。彼は気に入っただろうか?一応、国一の職人が手がけた物で、駒は全て陶器、チェス盤は木と大理石を使って装飾され、金があちこちに使われている。値段で考えると、貴族が三ヶ月は遊んで暮らせる程度ではあるのだが。
これも勉強課題だなと思う。どうにも、俺は人に贈り物をするのが下手だ。
そういえば、ナディアにも何かお礼の品を、とクレイス話していた。彼女は覚えているだろうか?
女性が喜ぶものとなると、もっと難しい。選択肢が多すぎて、どれが正解なのか…。
いけない、思考がそれてしまった。
計画では出発は夕食後。キーリス、クレイス、ナディアは馬車で、俺は御者として同行する。
一度王都を出てしまえば、港までの道にはなんの不安要素もない。一日もすれば到着するだろう。
不安があるとすれば、船での移動時だろうか。海は逃げ場がないので、もしもの時に対処法が限られてくる。
まだ懸念を捨てきれないのは『赤ガラス』のような犯罪集団だ。バルカ国王がクレイスを諦めていないのは明らか。どんな手を使ってくるかわからない以上、また襲われる可能性は十分にある。
紅茶を飲み終え、さてどうするかと思った時。
コンコンと扉がノックされた。
給仕の者だろうか。入っていいぞと声をかけると、ゆっくりと扉が開いた。
そこに立っていた人物を見て、思わず目を丸くした。
「クレイス様?」
「失礼いたします、ルーン様。少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「はい。どうぞお座りください」
ナディアもキーリスもいない。いったい何の用なのか考えつつ、彼女を向かいのソファに座らせる。
昨日の晩以来だ。なんだか長い時間顔を見ていなかったような錯覚を感じた。
何より驚いたのは、彼女の格好だ。装飾が少ない、それこそ平民の女性が着ているようなドレスは、王族であるクレイスには違和感がある。似合っているが。
「それで、私に何か用事が?」
「はい。まずは本日の語らいを欠席したこと、お詫びいたします」
「いえ、私も寝坊をしてしまいましたので…」
「それでも、わたくしの我儘な行いは変わりません。どうぞ、お許しください」
「はい」
「ありがとうございます。次にですが…こちらを、お渡ししたくて」
そう言ってクレイスが差し出してきたのは、小さな箱だった。
なんだろうか?受け取ってみると、どうぞご確認をと促されたので、素直に開けてみる。
中には、美しい装飾が施されたブローチが入っていた。
「こちらは?」
「わたくしが、ルーン様へとえらんだ…その、贈り物です」
「贈り物、ですか?」
「はい」
え、なんの?どういう?
クエスチョンマークが顔に出ていたのだろうか。クレイスは若干そわそわしながら、説明をしてくれた。
「ルーン様は、わたくしに沢山の贈り物をしてくださいました。そのご恩を、お返ししたいと…考えました。ですが、わたくしは人にものを贈ったことがなく…ナディアに相談をして、探してきたのです」
「本日の外出は、このためだったのですか」
「その通りです。その、喜んでいただけるか…そもそも、ルーン様へのお返しになっているのか、自信はありませんが…どうしても何かお返ししたくて」
なるほど。そうか、そうなのか。
若干俯いている彼女の手に、身を乗り出して己の手を重ねる。
びっくりしたのか、少し目を丸くしてクレイスが顔を上げた。
安心させるように意識して微笑みながら、そっと手を取った。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「そ、うですか?」
「はい。クレイス様が私のために選んでくださったのです。これが嬉しくないわけがありません」
「それなら…よかったです。ナディアに相談した甲斐がありました」
「二人でミラエスタに行ったのですか?」
「はい。レーゼ執事長にお聞きしました、ご心配をおかけしてしまって申し訳ありませんでした」
「いえ、こうして無事に帰られたのですから」
彼女の話を聞くと、俺に贈り物を、と考えたのは昨晩らしい。
朝にナディアと相談して、王都で探そうという結論に至ったのだそうだ。
だが、兵士を連れてぞろぞろと行ってしまうと、変に目立って計画に支障をきたす恐れがある。そう考えたクレイスは、ナディアだけを連れて行くことにした。
無謀ではあるが、確かにその考えは正しい。けれどだからと言って、自ら危険な行いをすることはやめてもらわなければ。俺の心臓がもたない。
なので、責めはしないが今後しないようにしてくれと頼むと、クレイスはもうしないと約束してくれた。
まあ、とにかくだ。彼女は俺のためにわざわざ王都へ行ってくれたのだ。それは純粋に嬉しい。
何よりも、彼女が自発的に行動するのは珍しい。何かしらの変化があったのだろう。それも非常に喜ばしいことだ。
改めて礼を言うと、クレイスは安心したようにホッと息をついた。
「それでですが、その格好はいったい?」
「これは、外出の際にメリル婦人にお借りしました。目立たないようにと…おかしいでしょうか」
「いえ、お似合いです。ですが王族や貴族の方は、そう言った服に抵抗があるものだと思っていたので」
「そうなのですか?考えたこともありませんでした。モールドル国での生活では、服はこのようなものばかりでしたので…豪華なドレスの方が、わたくしは慣れないです」
「なるほど」
それならばそうと言ってくれれば…いや、姫に平民の服を纏わせるわけにはいかないか。
差別的だと思われるかもしれないが、身分の高いものはそれなりの格好をしなければならない。一般人への目印としてもだが、従者の仕事を奪わないようにしなければ。豪華な服は一人で着るのは難しい。それを世話するのも、立派なひとつの仕事なのだ。
なによりも、貴族というのは一種のブランドのような影響力が求められる。彼らのおかげで価値を付与される物事は、平民のものにとっても特別なものになる。いい例がユイル女史だろう。彼女は平民ながら、多くの貴族、王族に評価された。だから彼女の店も、高級だという認識をされている。
クレイスも、いつか己の手で価値を付与する時が来る。
そのためには、彼女自身の価値も高めておかなければならないのだ。
まあ今回のような例外はあるだろうが、王族には王族の作法や義務がある。
「クレイス様、私たち王族には権威を示す義務があります。貴女がそのような教育を受けなかったという原因に対して納得はしますが、義務を怠ることはやはり正しくありません。どうか、ご理解いただきたい」
「はい、わかりました。わたくしも王族として、ふさわしい行動を心がけます」
「そう言ってくださると何よりです」
話している間に、もうすぐ夕どきという時間になってしまった。
クレイスと共に自室に戻らなければ。
++++++++++
俺は夕食を食べ終えたら、すぐに馬車に行かなくてはならない。なので皆とは食べずに自室で食事をとる。
そろそろ運ばれてくるだろうから、その前にやることをやってしまおう。
じいやに任せておいたので旅の準備は終わっているが、服は着替えておかなければ。
簡単にシャツとベスト、軽い素材のズボンに着替え、ブーツを履く。
髪は束ねて縛り、ベルトに最低限の道具を入れる。非常食用の木の実、傷薬、包帯、それと火打ち石。
気付け薬も入れて、これで準備は完了だ。剣を取り、紐で鞘を結ぶ。
「ルーン様、お食事をお持ちいたしました」
「じいやか、入っていいぞ」
丁度いいタイミングだ。
食べながら、じいやと不在の間の事を細かく打ち合わせる。
いざとなれば兄上がなんとかしてくれるだろうが、トラブルは起こらないのが一番だ。
最終確認を終えて、立ち上がり剣を腰に下げる。
じいやは深々と礼をした。
「いってらっしゃいませ、ルーン様。どうぞお気をつけて」
「いってくる。留守は任せたぞ、じいや」
「承知いたしました」
ふう、と小さく息をついて、そしてふと思い至り、クレイスから贈られたブローチを手に取った。
しばらくそれを眺め、そして服につける。なんとなくだが、持って行く方がいい気がした。
改めてじいやに頷いて、足を踏み出した。
待ち受けるであろう、波乱に満ちた旅路へと。
いよいよ旅立ちです。
今回はパルキア国の設定を書いています。長々と面倒くさくて申し訳ありません。
クレイス様が変化を見せはじめました。今後もわかりやすく変化を描ければと思います。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。次回も楽しんでいただけるよう、精一杯頑張ります。