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17, 今、目に見えるもの




ルーンという青年にとって、愛することは義務だった。




彼は、パルキスタン王国の三人目の皇子としてこの世に生を受けた。

何も不自由なく、大切に育てられ、その人生はさぞ順風満帆に見えただろう。



だが、現実は違う。

彼は生まれてすぐに両親から引き離され、北の果てにある屋敷に移された。

育ての親は乳母だった。物心つく頃まで、ルーンは己が皇子であることを知らされていなかった。

ただ高貴な家の生まれであると、そう教えられ、育てられた。


友達などいなかった。周りはメイドや執事や衛兵ばかり。窮屈な思いをしながらも、それが義務なのだと教えられていたから、文句を言うこともできなかった。

屋敷からは一歩も出ることがなかった。禁止されていた。

だから、外の世界で何が起こっているのか、全く知らなかった。


自由に動けない代わりに、ルーンは勉学に励んだ。文字の読み書きを覚えると、屋敷の書庫の本を読み漁った。どんなことでも新鮮に思えた。

様々な学問の本を読み、それが終わると小説に手を伸ばした。

そうして初めて、ルーンは外の世界のことを知った。


美しい海、どこまでも続く空。想像するだけでも胸が高鳴った。

それと同時に、嘆いていた。きっと自分は、この本の登場人物のようにはなれない。

皇子である自分は、好き勝手に旅をしてはいけない。それが義務だから。



それから数年経って、ルーンは王政の勉強を始めた。

その頃には、パルキア国という国がどういう場所なのか、大体はわかっていた。


海に面した土地、温暖な気候、豊富な資源。高い水準を誇る教育機関。

しかし、自分が生まれる少し前から、隣国のキルスチア王国との関係が悪くなってきている。

ルーンはなぜ自分が北へ追いやられたのか、理解した。緊張状態の中、子供の面倒を見るというのは難しい。

納得していたし、正しいと思った。両親を責める必要はない。


けれど、やはり、まだ子供であるルーンには、言いようのない寂しさが残っていた。


それを振り切るように、必死に勉学に励んだ。嗜むべき稽古事は一通り覚えた。

まだ足りないと、剣の修行にも没頭した。

心を無にして、皇子らしくあるために、なんでも全力で取り組んだ。

そうしていれば寂しさを忘れられると思った。いや、違う。もっと皇子らしくなれば、両親の元へ帰れるのではないかと期待したのだ。


しかし現実は甘くない。とうとうキルスチア王国との戦争が始まってしまった。

ルーンが十二になるかという頃だった。


生活がガラリと変わった。

兄二人が北にやってきたのだ。王都にいると狙われる可能性が高くなる。身を隠すには拠点を移すしかない。

喜ばしいことだったはずだ。家族との対面。それも生まれて初めての。


なのにルーンはちっとも嬉しいとも思えなかった。逆に、戸惑ってしまった。

それもそうだ。今まで一人でいたのに、唐突に兄だ、家族だ、と言われても、ピンと来るわけがない。

重ねて今は戦時中。気を緩める暇などなかった。緊張状態のまま、簡単な挨拶や近況報告をするだけで、精一杯だった。




++++++++++



孤独であったとは思わない。気を許せる相手もちゃんといたし、今では兄とも上手くやっている。

納得していないのは自分の心だけだ。ルーンはそこまでちゃんとわかっていた。

憧れが大きすぎたのだ。小説の中の様な、素敵な家族を期待しすぎていた。

言うなれば、そう。家族愛への期待が、大きかった。


三年後、ルーンが成人を迎える頃には、キルスチア王国との和平交渉は終盤に差し掛かっていた。

第二皇子であるカイルがキャンディスを娶ると言う話を聞いたのは、その頃だ。

純粋に驚いた。政略結婚というものを間近で見たからだろう。そのあまりの淡白さは、ルーンの思う婚姻とは全く違っていた。なのに、誰も何も言わない。それどころか、喜ばしい事だと受け入れている。

第一皇子のアレスが恋愛結婚だと勘違いしていたことも原因だった。当時のルーンは、恋愛というものへの期待が大きく、夢を見すぎていた。


無理矢理に呑み込むしかなかった。期待や夢が次々と打ち砕かれ、ようやく諦めがついた。

きっと、これが皇子の人生なのだ。民の為、国の為、その全てを捧げることが、存在意義なのだ。


だから、全てを理解し、納得したルーンは国を、民を、愛そうと決めた。任された仕事に真摯に打ち込んだ。

疫病が発生したらその地へ自ら赴いた。苦しむ人々を励まし、医師団の活動に貢献した。

紛争が起こりそうならば、それを止めるために行動した。命を狙われようが、社交界で孤立しようが、構わずに奔走し、身を呈してでも戦いをさせなかった。

痩せた土地は自身の領地にし、何度も足を運んで民達に寄り添った。彼らが飢えないように、あらゆる手を尽くした。滑稽だと笑われても、足掻いて、悩んで、そしてなんとか民を救って見せた。


誰もがルーンを讃えた。その愛を尊び、王に次ぐ国の象徴として捉えるようになった。

けれど全く嬉しいとは思わなかった。ルーンにとっては、当たり前のことをしただけだったのだから、仕方がない。生まれた時から課せられた義務を果たしているだけ。そんな感覚でしかない。どうやって喜べばいい?

胸の内にある愛は、確かに存在しているが、それは存在しなければならないからあるものだ。


歩いて来た一本道を振り返って、考えた。

そして気づく。己は本当に、ただ義務を果たして来ただけだったのだと。


民の喜ぶ顔を見たら、これが当然なのだと胸に刻んだ。

感謝の言葉を述べられたら、ただ受け取った。

豊かになった土地を見て、ひと段落ついたと思った。

和平の場で、交わされた握手を見ながら、ほっとした。

どれもこれも、仕事が終わったのと変わらない。

出された問題を、回答して提出したら、合格した。それと一緒だ。


自分の空虚さに呆然とした。あれほど愛に期待していたのに、自分までもがその期待を裏切っていた。

でもどんなに変わろうとしても、ルーンの抱える愛はそのどこまでも事務的な性質を変えなかった。


それがたとえ、血の繋がった家族に対しても同じなのだと気づく頃には、どうしようもなくなっていた。



++++++++++



だから、この庭を作ったのだ。

自分の夢を、失ってしまう前に。忘れてしまう前に。壊してしまう前に。

形として残しておきたかった。


そして完成した庭を見て、思った。

ここに、じいやと母上以外の誰かを連れてくるとするならば、それは──。



それは、きっと、夢の先にいる人だ。



ただの義務的な愛じゃない、本で読んだような、純粋な愛。

それを抱かせてくれる人。夢に見た存在。ずっと求めていた誰か。

一生現れることはないと思っていた。たとえ現れたとしても、自分に近しい誰かではないだろうと。


それこそ、物語のような奇跡でもおきない限り、この庭が意味を果たすことはない筈だった。



「クレイス様」



けれど、確かに彼女はここにいる。

懺悔をするように泣き続ける姿は、脆く、儚く、そしてこれ以上ない程に愛おしい。


立ち上がり、涙に暮れる体を自らの胸に抱き寄せた。壊れ物を扱うように、慎重にゆっくりと。クレイスは驚いた様子で肩を強張らせたが、拒絶はしなかった。

それに少し安堵して、そのままの状態でもう一度名を呼んだ。

返事はない。けれど少し落ち着いてきたようだ。元の呼吸のリズムを取り戻しつつあるのが伝わってきた。



「…そのまま、聞いていただけませんか」



腕の中で、彼女が小さく頷いた。

しっかりと目を閉じ、丁寧に言葉を編む。彼女に伝えたい事を、間違わずに届けるために。



「貴女がどんな過去を背負っているのか、俺は知りません。たとえ今後知り得たとしても、それは過去の一部分に過ぎないでしょう。だから、俺が貴女の罪を数える事は不可能です。同様に、断罪することも出来ません」



断罪する気もない。それに、俺は聖人でもなんでもない。罪だと決めつける事は出来ても、勝手に裁く権利は持ち合わせていないのだから。

クレイスはその部分を誤解している。ルーンという人間を神聖視し過ぎている。


それは互いを隔てる壁のようにそこにある。きっと、クレイスが自分の心を守る為に築いたものだ。

俺の役目は、それを壊すことだ。歩み寄るには、彼女の心に踏み込まなくてはいけない。



「それでも、クレイス様が己を責め、苦しむ事が無意味だとも思いません。貴女にはその罪を咎める誰かが必要だったのでしょう。誰も罰してくれないのなら、自分がそうするしかない。その考えはわかりますし、同意もします。けれど、貴女にはもう一つの存在が必要だった」


「もう、ひとつ…?」



震える声が、動揺と共に問うてくる。

クレイスに必要で、けれど決定的に足りていなかった、存在すらしていなかった誰か。



「貴女の罪に、寄り添う存在です」



──沈黙が場を支配した。


息をする事すら忘れた様子のクレイスが、ゆっくりと離れて、そして見上げて来た。わからない、と表情が語っていた。問い詰めるように緑の瞳がまっすぐ見つめる。

目線を合わせるために再び跪き、彼女の両手を取った。



「クレイス様、貴女はこれまで、誰かに話しましたか?己の過去を…いえ、想いや、抱えている罪の事を」


「い…いえ」


「どうしてですか?」


「話す必要が、ありません…。皆、私の事は知っていました。戦争の為に生まれ、そのためだけに…存在する…」


「本当にそうですか?ナディアやキーリスに聞いた事はありませんか?貴女をどう思っているのか」


「聞かずともわかります!だって、事実が示しています!私は非情で、醜くて、罪深い…愚かな化け物だという現実が、そこに横たわっていて…それ以外の何に見えると言うのですか。疑う余地も無いのに!」


「では、俺はどうですか?貴女をそういう存在だと、そう思っているように見えますか?」


「っ、それは」


「逃げないでください。俺を見てください。目の前にある現実から、目を逸らしているのはどちらですか!」



逃すまいと掴んだ両手を引いて、無理矢理顔を突き合わせた。

クレイスは複雑な表情をしていた。驚いていて、それでも目を離せないのか、真っ直ぐにこちらを見つめている。可哀想なほどフルフルと瞳が揺れている。


か細い呼吸音が響いた。走った後のような息継ぎをして、クレイスがやっと瞬きをした。頬を伝ったのは、汗なのか涙なのか、それすらわからない程、追い詰められている。



「…わ、たし…は…」



小刻みに震える手を、しっかりと握り締めた。

彼女を守っていた壁が、崩れていく。瓦礫の向こうから、ずっと隠れていた心が、こちらを向く。


何が見える?問い掛けようにも、その余力は残っていない。それでも彼女は、とても満たされているように見えた。再び距離を取って、息を吐いた。

噛み締めるように、ゆっくりと、何度も瞬きをする瞳から、涙が零れ落ちてくる。それを拭おうと、彼女の両手から手を離すと、それを追うように彼女の手が両手を掴んだ。そのまま両手を引かれ驚いたが、黙ってされるがままになる。


クレイスは俺の両手を額まで持ち上げて、祈るように目を閉じ俯いた。

王族の取る、最上級の感謝の礼だった。思わず息を呑んだが、止めようとは思わなかった。



「…わたくしは、逃げていたのですね」


「クレイス様…」


「恋い慕うルーン様にすら、向き合おうとしなかった…自分に甘えて、大切な人を蔑ろにしていました」



彼女が顔を上げる。掴まれた両手でクレイスの手を握り返す。拒絶はされなかった。

伏せられていた目がこちらを見た。もしかしたら、精一杯微笑んでいたのかもしれない。これまで見たことがない程、目元と口元が緩んでいた。



「ルーン様が、なぜわたくしをここに連れて来られたのか、今ならわかります。わたくしがルーン様を、混じり気のない心で信じられるように、配慮してくださったのですね」


「…貴女は、私を変えてくれました。最初に言いましたね、貴方をここへ連れて来る事はないと思っていたと。私は皆を愛せても、誰かを愛する事はありませんでした。貴女が私の手を取ってくださった、あの日から…ずっと考えていました。どうすれば、クレイス様に私の想いを受け取っていただけるか」


「正しいタイミングだったと思います。でなければきっと、わたくしは逃げ続けていたでしょう…ルーン様の想いのみならず、自分自身の想いからも。キャンディス様がくださったきっかけを無駄にして」



キャンディス姉上が何を考えていたのかはわからないが、彼女は確かに絶好のチャンスをくれた。二人が互いを見つめ合う機会を。

それに気づけただけでも、クレイスは大きく進歩したように思う。


俺は、覚悟が決まった。

深呼吸をして、今一度伝える為に姿勢を正す。



「クレイス様。私は貴女を愛しています。貴女を傷つけるなにものからも、貴女を守り抜きたいと思っています。それを、許してくださいますか?クレイス様の過去や罪に、寄り添う役目を、負わせてくださいますか?」


「…」



クレイスは、数秒間息を止め、そしてゆっくり吐いた。

瞼が閉じられ、そして開く。



「お願いします。わたくしを、守ってください。わたくしの罪に、向き合う手助けをしてください。…ルーン様の存在が、必要です」



思わず、彼女を抱きしめた。クレイスは小さく驚きの声を上げたが、そのまま俺の背に手を回してくれた。

信じられないくらい嬉しかった。必要だと言ってくれた。クレイスという人間に、ルーンという存在が介入する事を、許してくれた。


相変わらず無表情だったが、今のクレイスは最初と比べ物にならないくらいに人間味が溢れている。

それが嬉しい。自分の事のように嬉しい。


喜びを伝えたくて、けれどどうすればいいかわからず、結局彼女を抱きしめる腕に力を込めた。

クレイスはどんな顔をしているのだろう。こうしているとわからなかったけれど、見なくてもいいと思った。

彼女が俺を、しっかり掴んでいてくれている。それだけで十分だった。



++++++++++



暫くして、我に返った。

そして段々とこの状況に意識が向く。ここは秘密の場所。密室。二人きり。告白しあったばかり。そして腕の中にはクレイスがいる。


やばいやばいまずい。この雰囲気はどう考えてもまずい。

混乱しそうになる脳内を必死に制し、クレイスから身を離した。



「すみません、無遠慮すぎました」



謝りながらしっかりと距離を取り、立ち上がる。ブランコにちょこんと座ったまま見上げて来るクレイスに、手を差し出した。可愛いとか思うな。邪なこと考えるな。脳内に花畑を作るな。自分を律せずして何が皇子か!



「わたくしばかり座っていて、申し訳ありませんでした。それに、その、お恥ずかしい姿を見せてしまって…」



手を取って立ち上がるクレイスを、なるべく直視しないようにしつつ出口へ誘導する。無表情なままなのに、赤くなった目元や頬が妙に色っぽい。こんな時に限ってしおらしい態度をとったりして、考えるな考えるな。無自覚なのが一番たちが悪い。だから考えるな!


脳内で何度も己を殴りつけながら、なんとか部屋を出た。夜風が涼しい。山は越したぞ、よし。



「すっかり夜更けですね。急いで寝室に戻りましょう」


「はい。明日は忙しくなります。わたくしもルーン様も、しっかり休んでおかなくてはなりません」


「このような時間までお付き合いいただいて、申し訳ありませんでした」



そう言うと、クレイスはすぐにいいえ、と首を振った。



「とても有意義で貴重な時間でした。ルーン様が謝る必要はありません」



まっすぐな目でそう言われると、そうなのかと納得させられる。少々面食らった。

けれどそれに続いてじわじわと喜びが湧き上がってきて、また思考を停止させる。ピンクになるな花畑を作るな脳みそ!


結局寝室まで脳内の攻防は続き、クレイスを送り届けて自室のベッドに倒れこむ頃には、もうとにかく寝てしまおうという考えしか浮かばなかった。




1つ壁を壊して、お二人の距離が近づきました。

これからどんな風に関係が変わっていくのか、楽しみにしてください。

ナディアやキーリス様にも、変化があるかもしれません。

次回、いよいよ移動開始です。

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