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15, 花開くような心

長くなるので、分けます。

少し切りが悪いですが、ご容赦ください。



ナディアとキーリスを驚かせてしまってから数分後。

場所は移り、俺達はキャンディス姉上の執務室にいた。クレイスとも合流し、お茶会のメンバーがここに勢ぞろいしたわけである。


キャンディス姉上が珍しく片付いたテーブルにティーカップを並べ、自ら紅茶を注いでいる。

良い香りだ。おそらくパルキア国産のよく眠れると評判なアールグレイだろう。彼女はこの紅茶を愛用しており、結婚して一番良かったことはこの茶葉が好きなだけ入手できることだと言っていたこともある。

姫に給仕をさせるのは非常に非常識なわけだが、そこを突っ込むとキャンディス姉上はこれでもかとからかってくるので黙認する。キーリスとナディアはオロオロしていたが。


しかし、この香りのおかげで緊張と混乱がほぐれた様子である。

キャンディス姉上はそれに満足したのか、ティーポットを下げさせてソファに優雅に腰掛けた。

そしてお決まりの扇を開き、軽く胸元を仰ぎつつ、話し始めた。



「先程ルーンから聞いたように、クレイス姫にはキーリス皇子の愛人になっていただきますわ。勿論本当にそうなるわけではなくってよ。ただそういうポーズをとるだけ。よくって?」


「あ、愛人である理由は?ぼく…私にはまだ早いと言うか、あまりにも不相応です」


「あら、その年でまだ気になるお人がいらっしゃらないの?ふふふっ、それとももう心に決めた方が…ふふ」


「姉上…皇子をからかわないでください。キーリス様、お気を悪くなさらずに聞き流してください」


「は、はあ…」



若干目元が引きつっているキーリスに、姉上が視線を向けつつ扇を閉じ、紅茶を手に取る。



「愛人という名目にする理由は二つありましてよ。一つは、貴方の庇護下に加わる存在になれる事。もう一つは、貴族の者であるという情報に説得力を持たせるため。キーリス様はパルキア国の滞在中、外に出る事をほとんど許されませんでしたわね。ですから、出会いがあったとしたらクレイス姫の婚約パーティーの時におのずと考えつきましてよ。この国の者達も、モールドル国の方々も」


「な、なるほど…だから、愛人…」


「ええ。この国の貴族の者を見初めたとあっては、もちろん公にはできません。なので、クレイス様がひっそりと同行する事にも説得力が持たせられます。身分を調べることも難しいでしょう。キーリス様には、パルキアの貴族との婚姻の許しを得るために、クレイス様の扮する貴族の女性とバルカ国王の元へ向かうと言う役を演じていただきたく思います」


「わかりました。ですが、ルーン様はどうなさるんですか?」


「私は、クレイス様の護衛の者として同行します。貴族の者が独自に護衛を雇うのはそう珍しいことでもありませんし、今回の状況では護衛がいない方が不自然です。常に顔も髪も隠しますので、ご安心を」


「ルーンったら、あたくしのオススメする被り物を全て拒否しましたのよ。ああ悲しい…」


「姉上、私は劇団の花形男優でも、サーカスのピエロでもありませんので」


「あらぁこの金の被り物なんてゴージャスでとても素敵なのに?」


「ですからそれは女物です」


「ふふっふふふふっほーほほっっ」



ケラケラと扇を開いて笑いだしたキャンディス姉上にため息をこぼし、紅茶をすする。

そしてあっと顔を上げた。キーリスとナディア、クレイスまでもがポカンとしていた。

慌てていつものことなのでとフォローをするが、クレイスのレアな顔をこんなことで見ることになるとは…。

まあほぼ無表情に変わりはなかったが…。


その後、詳しい日程やルート、あらかじめの根回しの説明などを行なっているうちに、夜もすっかり更けてきた。あくびを漏らしたキーリスを部屋に帰したのをきっかけに、本日の作戦会議はここまでとなった。

とは言っても後は決行するのみ。行動開始は明日の夜だ。

最終便の船でモールドル国へ向けて出発する。ナディアは準備の為にと一足先に去って行った。



++++++++++



暫くは、ルーンとクレイスの関係は封印しなくてはならない。共に自室へ戻りながら、クレイスの顔を盗み見る。結局彼女は、作戦会議で一度も発言をしなかった。何を言われても受け入れる、そんな様子で。

クレイスは何を思っているのだろう。何を考えているのだろう。知りたくても、彼女の表情は頑ななままで、まるで会ったばかりの時のように何も掴ませてくれない。


けれど、俺はあの日から変わった。クレイスも変わった。知りたいなら聞けばいい。伝えたいなら思うままに振る舞えばいい。そのことを学んで、よく知っている。

だから。

俺は足を止め、クレイスの名を呼んだ。



「クレイス様」


「…ルーン様、どうかなされましたか」


「はい。少し、庭を歩きませんか?お話ししたいことがあります」


「わかりました。ご一緒いたします」



彼女の手を引いて大広間の階段を降り、いつもとは違う廊下を歩く。クレイスは少し戸惑った様子で、でも何も言わずに着いてきた。

ダンスホールへと向かい、そしてあの運命の日…二人が出会った場所のすぐ後ろの壁へと辿り着く。


この壁にはパルキア国の紋章に描かれている、薔薇の花の彫刻がなされている。左右対称に交差する薔薇の右側の葉に手のひらを置き、それからクレイスを振り返った。彼女は依然戸惑った様子で、その上困惑しているのもわかる。

安心させるつもりで微笑んで、そっと声をかけた。



「ここから先は、私に与えられた秘密の場所です。今まで入ったのは、私とじいやと、母上のみ。誰にも言わないと、約束してくださいますか?」


「はい、約束します。…ですが、そのような場所に、わたくしが入ってもよろしいのですか」


「クレイス様だからお誘いしたのです。さあ、こちらに手を置いて」



彼女の手を、左側の葉に誘導する。同時に押してくださいねと言うと、雰囲気が緊張したものに変わった。

合図を送って、二人で押し込むと、ガタンと壁が奥に下がり、そしてゆっくりと開いた。

暗い階段に、軽く足を踏み出すと、一気に足元の火が灯っていった。その幻想的な光を、クレイスの瞳がキラキラと映し出す。手を差し出せばすぐに、彼女の手が重ねられた。


ゆっくり階段を降りる。ここは二人でないと来られない。それが暗に伝わったからか、クレイスは緊張しきっている。手の強張りでそれがわかる。

初めてここを与えられた時、まるで物語の中に出てくる場所のようだと思った。だからいつか、じいやと母上以外の人を連れてくるのならば、それはきっと──



たどり着いたのは、小さな庭だった。



「ここは…」


「いわゆる、秘密の花園です。シャリー・アンソンの小説をお読みになったことはありますか?」


「はい。ハールルの笛、水鳥のワルツ、橋の上の恋人たち、秘密の庭…彼女の小説を基にしたのですか?」


「そうです。その木はハールル、その噴水の彫刻は水鳥、このアーチは石橋のモチーフ、花はリリス、フリーシア、ダリア、ユリ、薔薇…小さい頃からこっそり作り続けているんです。ブランコはまんま秘密の庭のものを真似して取り付けました」


「なんと言えばいいのか、わかりません…とても胸がいっぱいで…痛いくらい心臓が高鳴っていて」



言いつつ、クレイスは俺に手を引かれながら、庭を見て回る。

月一で剪定されている植物、小説の再現をしたモチーフ。きっと楽しんでもらえる。

出会ったばかりの頃は、彼女をここへ連れてくるだなんて考えもしなかっただろう。


シャリー・アンソンとは、世界中を旅している有名な小説家だ。まるで見てきたかのように描写される冒険物語や、実際に体験したかのような文章で綴られるロマンス小説、別世界にいる心地にさせるファンタジー物語など、その素晴らしい物語に惚れ込むファンはとても多い。

かく言う俺もその一人だ。絵本になって読みやすくなったものから始まり、アンソンの小説を原作にしたオペラ、小説自体も数多く読み漁った。その中でも特に好きだったのが、「秘密の庭」だった。


あらすじはこうだ。

ある国に、不思議な踊り子がやってくる。彼女は王宮に招かれ、王子に見初められるが、それを断ってしまう。そして己を娶る条件として、花を要求するのだ。王子は彼女に認められようと、請われるがままに花を集める。リリス、フリーシア、ダリア…そして最後に、赤い薔薇を。

それを彼女に贈った後、踊り子は求婚を受け入れた。それから数年後、彼女は王子を連れて小さな小屋へやってくる。そこには、彼女に贈った花達が咲き誇る、美しい庭があった。それを見た王子は、踊り子が小さな頃に結婚を約束した少女であったことを思い出す。

二人は真の意味で結ばれ、幸せに国を治めるのであった。



物語としてはよくある話だ。だが反対する父親と母親を無視できない王子の葛藤や、健気に王子を待ち続ける踊り子の心情が、ラストで言葉通り花開くように明かされていく文章に、俺は心を奪われた。

いつか、こんな風な恋がしたいと思った。芽が出て、蕾ができて、美しく花開くような、恋を。


叶わないとわかっているからこそ、思い焦がれて、この庭ができたのだ。俺の気恥ずかしい恋への憧れを詰め合わせた、秘密の花園が。



++++++++++



「ここに貴女を連れてくる事は、ないと思っていました」



一通り回った後、クレイスをブランコに座らせながら話し始めた。

彼女は静かに、じっと俺の顔を見つめている。



「この庭は、私の…俺の私情が入りすぎています。聡い貴女なら、ここに込められた意味に気づいたでしょう」


「…はい。確信はできませんが、確かな思いを感じました」


「白状すると、俺は貴女との婚約が決まってからも、恋はできないと思っていました。それは今でも変わっていません」


「ならばどうして、わたくしをここに連れてきたのですか?」



核心を突く質問に、答える前に目を閉じた。

彼女に、ありのままの自分を知ってもらうため。言ってしまえばそうだが、その言葉だけでは本当の気持ちを伝えられない。何故知って欲しいのか。何故伝えたいのか。

俺の言葉を、クレイスは待っている。


いろんなことがあった。これからも、いろんなことがある。

ただ、クレイスと過ごすうちに俺の中に芽生え、確かに根付いた心がある。

それは美しく花開くものではない。憧れていた恋ではない。

それでもどうしても揺らがない。きっとこの先もずっと、俺の中にあり続ける。



「貴女を、愛しているからです」



クレイスの顔が、今度こそしっかりと驚きに色づいた。

そっと跪き、彼女の顔を見上げる。庭のわずかな照明に照らされたそれは、とても神秘的に見えた。

緑色の瞳が揺れている。様々な思いが入り混じっているように。

思ってもみない言葉だったのだろう。俺だって、こうなるとは予想もつかなかった。


でも、それは確かに生まれてしまったのだ。



「クレイス様。俺は貴女を、心から愛しています。貴女の傍で、貴女と過ごした時が、この想いを生み、育みました。貴女の全てを、俺の全てで守りたいと思ったのも、貴女を愛しているからです」


「あ、い」


「はい」


「ルーン様は、わたくしのことを、愛しているのですか?」


「はい」


「愛とは、」



クレイスはそこで言葉を切ると、自らを抱きしめるように蹲り、小さく頭を左右に振った。

ブランコがカタリと音を立て、揺れる。その椅子を両手で抑えながら、彼女の顔を見ようとするが、それを嫌がるようにクレイスは深く俯いた。俺の位置とは反対側に傾けられた首筋に、彼女の髪が流れ落ちて来る。



「いけません、わたくしは、受け入れられる資格がないのです。ルーン様のようなお方に、愛される資格もありません」


「何故、そう思うのですか?」


「わたくしはあまりにも多くの罪を重ねて来ました。その重さを知らず、ただ言われるがままに他国を侵略し、多くの人々の命を奪ってしまった。なのにわたしは、私は…」



唇を震わせる彼女に、言い聞かせるように告げる。



「…俺の事を、好いてしまった?」



「……!」



図星と言うのかなんなのか。彼女は一瞬俺の顔を見て目を見開き、そして両手で顔を覆った。髪が垂れ落ちて、クレイスが隠される。

肩が細かく震えていて、啜り泣く声が庭園に響いた。


泣かせてしまった。とうとう…いつかはこうなるとわかっていたが、それでもクレイスの涙は見たくなかったのに。

息継ぎの合間に、小さくごめんなさいと声が溢れる。それを何も言わずに、ただ見つめていた。



「私は、あまりにも愚かでした…!愛も、恋も、誰だって持つ権利があるのに、私はそれを奪ってしまった!戦争という最悪な事態を作り上げ、罪のない人々までもをこ、ろし、て…しまった…!」


「…はい」


「知らなかったじゃ済まされないのです!愛されていたのに、それに甘んじるだけで愛だとは気づいていなかった!やっと気付いた時には、全て……全てがもう、遅かった…!私は最悪な人間です、心無い悪魔です!なのに、貴方に薔薇を貰って、勘違いをしました…!私なんかが恋をしてもいいと、一瞬でも思ってしまいました!」


「…」


「キャンディス様が真実を仰るまで、私は自分を偽り、貴方に好かれようとしたのです。優しい貴方に甘えて…また、間違いを繰り返した。まるで綺麗な、無垢な少女であるかの如く振る舞って、貴方を騙していました!」



懺悔の慟哭に、俺も引っ張られそうになる。彼女に同調してしまいそうになる。それ程までに、今まで溜め込まれて来たクレイスの告白は衝撃的で、突き刺さるように鋭くて、俺は今、死にそうだ。胸が貫かれて、引き裂かれて、溺れてしまいそうだ。

こんな想いを、彼女はずっと抱えて来たのだ。ずっと。ずっと。



「私を愛さないでください!私を受け入れないでください!お願いです、貴方にだけは、醜い私を受け入れないで欲しいのです…!じゃないと私、どうしたらいいのかわかりません!わからないのです!嬉しいと不安が膨れ上がって、火がついたように胸が熱くて、痛くて…痛いのです…私を、置いていかないでください」


「クレイス様」


「お父様に会うのだって、そうすれば罪滅ぼしになって、ルーン様に認めてもらえるかもしれないって…ただ確信も何もない、希望でしかないのに。本当は怖いのです。また同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない、ルーン様に見限られて、捨てられるような事をしてしまうかもしれないって、ずっと、怖がっているのです!私は聡明な姫なんかじゃありません…ただの、醜くて、愚かで、臆病で…人を騙して生きるような悪魔です」


「…クレイス様」


「やめて…やめてください。そんなに優しい声で、私を呼ばないで…」



最後はもう懇願ではなく、悲鳴だった。

ここまで自分でわかっているのに、彼女はあと一歩のところで気づいていない。あの時、あの日、俺の手を取った理由がなんなのか。

悪魔がこんな懺悔をするものか。聡明でない姫が、ここまで自らの事を貶められるものか。本当に、クレイスという人は、どこまでも美しい。


彼女は気づいているのだろうか。俺がなぜ、この場所に己を連れて来たのか。


なぜこのタイミングで、俺がこの告白をしたのか。


なぜ、彼女を愛しているのか。







前半と後半の温度差に驚かずに見守って頂けると嬉しいです。彼らの愛についての解釈は複雑です。頑張って書きますので、暫しお待ち下さいませ。

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