14, 華麗なる乙女の旅準備
お茶会から一夜明け、俺はキャンディス姉上と旅の計画を立てる為に話し合いをしていた。と言っても、主に彼女の立案したいくつかの候補を選定するというだけの事なのだが。
この計画には一つの見逃し難い要点がある。使える権力の限界だ。兄上に助力を求めれば解決はするだろうが、恐らくバルカ国王にとって、パルキアの王族は全て敵だと認識されかけている。それを決定づけるような事をすれば、国際問題になりかねない。
そういう訳で、俺達はそう易々と王族の権力を使えない。となると、旅路は平民達と同じルートを通る事となる。キーリスは国賓なので、そこを利用させていただかなければ。
とまあ、このように計画はすぐに出来上がっていった為、そう多くは語ることはない。
だから、その間に起こった、とある有能なメイドの苦労話を、伝聞式で話しておこうと思う。
事の始まりは、一昨日の夕食前、俺がナディアに命じた任務であった。『クレイス様の旅の準備を、出来るだけ急いで行ってくれ。服は目立たない貴族用の服で、丈夫で軽い生地だと助かる』と。
ナディアはすぐさま仕事に取り掛かろうとしたが、初っ端から問題が発生した。クレイスはまともに旅行というものをした事がない。当然、本人も、そして従者であるナディアも、必要な物が咄嗟にはわからなかったのだ。
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ナディアは先ず、夜の間に必要な物を考えた。
(…服。)
以上であった。
(これはいけない!完璧な旅支度も出来ないようでは、お嬢様の世話係失格だわ!)
そう思ったナディアは、キーリスに助言を請うた。
彼の返答は「僕、今回が初めての長旅でした。けど、準備をしたのはお城の執事で、荷物は逃げる為において来ちゃったりして…」
であった。
因みにその皇子お付きの双子メイド(リズとレナという名前らしい)に聞くと、滞在中キーリスの着ていた服は全てパルキア国皇子達の古着であったそうだ。
(これを聞いた俺は即座に詫びの品を贈ると心に決めた。)
次にナディアが助言を求めたのは、メイド長のメリル婦人であった。そこでようやく、王族が他国へと赴く時の荷物一式の知識を得た。
服は言わずもがな、休む時の為の調度品、日除けの道具、化粧品、美しさを保つ為の美容品。
それに世話係たる者、主人の健康管理や身嗜みには常に気をつけねばならない。その為に、食料、菓子や紅茶、装飾品のバリエーションを豊富にする為の多数のアクセサリー、防寒具、アイロンシミ抜きその他諸々。
助言を元に買う物リストを作ったナディアは、最後の確認と予算の要請をしにじいやの元へと赴いた。
そして彼の厳しいチェックをなんと一発でクリアし、揚々とクレイスに出掛ける旨を伝えたのだ。
勿論、彼女も一緒に。
「わたくしも一緒に?」
「はい!お嬢様の服なのですから、お嬢様にピッタリの物をお選びしたいのです!快適な旅のためには、準備の手間を惜しんではいけません!」
「ナディアがそう言うのなら…。わかりました」
「では明日、ミラエスタに!そうだ、キーリス殿下も街を見たがっていましたよね。早速誘って参りますね〜!」
という会話を経て、ナディアは外出の許可を得た。
これが彼女の試練の幕開けであった。そう、ここまでは単なる前置きなのである。
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外出のメンバーは、護衛の兵が数人、クレイス、ナディア、キーリス、リズとレナという内容であった。
勿論向かうのはミラエスタが誇る王室御用達の仕立て屋。の筈だったのだが、その前にキーリスが美味しそうなパンの香りに腹の音を鳴らしてしまった。
朝食をとってからまだそう経ってはいないのだが、曲がりなりにも皇子が空腹をアピールしたとあっては馬車を止めざるを得ない。周辺の国民の視線にさらされながら、ナディアはパン屋の戸を開いた。
「ごめんください、パンを買いたいのですが」
「ええええええええ王族用の馬車が私の店の前にいいいいいい!????」
「あ、あんた!!!しっかりしな!!!泡吹いてる場合じゃないよ!!!」
「え!?王族の方々が!?」
「い、いらっしゃいませ!いや、私店員ではないのですけれど!」
「お辞儀しろよ早く!!」
「はっ!そ、そうだったほらお辞儀お辞儀!」
「いえ、私はただのメイドで…」
と、このように大騒ぎになり、ナディアは数十分をかけてパンを購入。
それも山のようにサービスをされたので、大きなカゴを二つ抱えて馬車に戻る事態となった。
ここにキャンディス皇女がいたら爆笑されていただろうなと思いつつ中に入ると、興味津々のキーリスが双子のメイドに抑えられつつソワソワしているところだった。
もう少しで彼が外に出ていたかもしれないと思うと、実に危機一髪。ナディアはホッとせずにはいられなかった。
パンを食しつつ街を進む。
俺が彼女たちを連れ出した時は、そんなに店の様子を眺める余裕がなかったが、今回は観光も兼ねていたためにゆっくりと街を見物できた。
ナディアは確かにここは女性向けの通りだと思ったそうだ。高級ブランドの洋服店や宝石店、化粧品店などが通りのほとんどを占めており、男性が立ち寄るには少し敷居が高い。キーリスは逆にそれが新鮮なようで、これはなんだあれはなんだと楽しげだったそうだが。
ナディアは無邪気な質問に、叩き込まれた知識をフル活用して逐一答えていった。この時ほどじいやに感謝した日はないと思ったらしい。話をすればするほど、キーリスだけでなくクレイスも興味深そうに相槌を打ってくれたのだ。
そうやって楽しく街中を進んで行き、着いた先は勿論、ユイル女史の王室御用達洋服店である。ナディアは予算のほとんどをクレイスの服に充てるつもりでいた為、多少高くつこうと、洋服に関してはこの店に全て任せる方がいいと判断したのだ。
実際事の次第を説明したところ、ユイル女史は快く全て任せろといってくれたそうだ。
しかしホッとしたところで、ユイル女史はキーリスを発見してしまった。彼女と付き合いの浅いナディアは、服に関してはどこまでも天才であるユイル女史の悪癖を知らなかったのである。
天才とバカは紙一重。ユイル女史はインスピレーションを得たその瞬間から、商売人では無く芸術家になってしまうのだ。
「なんて素敵な体躯!肌色!瞳の大きさ!まあ色も素敵…!アイデアが滝のように降り注いでくるわ!!さあ名前もわからぬ素敵な坊っちゃま、私に貴方の服を作らせてくださいまし!!」
「え、えっ!?あの!?」
「ほらほら早くサイズを測って!ちょっと!誰かメジャーとペンとスケッチブックを!」
「いや、僕じゃなくて姉様の服を!」
「勿論そっちも全力でお作りしますわ!ですからほら、どうぞ協力なさって!」
「えええええええええ」
ちょっと、とかいやぼくは、などなど言いつつ連行されていくキーリスを、ナディアと双子のメイドはポカンと見送るしかなかった。因みにクレイスはひっそりと別の店員により連行されており、あれやらこれやらと着せ替え人形になっていたようである。
こればかりは言い忘れていた俺が悪い、と思わなくもない。
けれどその代わり、きっとキーリスには後々無料で豪華な服が贈られてくるだろう。芸術家としてのユイル女史は、服を売るよりも着て欲しいのだ。まあ、大変だった分の給料だと思えばいい。
それからたっぷり三時間拘束され、解放されたのは既に午後となってからだったそうだ。
げっそりとしたキーリスと、どことなく無表情が加速したクレイスの二人に、ナディアはとにかく迅速に栄養を補給させねばと高級レストランへ入った。この時点で、ナディアが計画していた日程は大幅に変更されていたわけなのだが、そのレストランも癖の強い場所だった。
周辺の国を渡り歩き、世界でも名の知れたシェフの作る料理に、国の中でも最高級のサービス。何が言いたいかというと、つまりは貴族ばかりが集まっていたのだ。個室を取りはしたものの、会う貴族に挨拶をしないわけにはいかない。クレイスはまだマシだ、一度経験済みなのだから。しかしキーリスはそうもいかない。
必死にナディアがフォローをし、挨拶をしまくった。やっと料理にありつく頃には、双子のメイド以外全員が死んだ魚の眼をしていたらしい。
でもまあ、料理は確かな美味しさだったようで、食べ始めるとすぐにキーリスは元気になったそうだ。
それにホッとしつつ、ナディアは時間的な余裕のなさに焦り始めていた。
既に予定していた時間を三時間近くオーバーしている。このままではお茶会に間に合わない。
考えた挙句、ナディアは二手に別れるという決断を下した。
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さて、二手に分かれたナディアはクレイスと共に商店街を歩いていた。
お披露目をしているのでクレイスの顔はバレているが、彼女の茶髪や白い肌はパルキア国ではごく普通の見た目であるので、目立たなければ騒ぎになることはない。念のため平民の格好をしたが。
馬車から眺めるのと、自分で歩くのとでは感覚が全く違う。ナディアはそれを知っているが、クレイスは知らなかった。店から出た途端、躊躇するように立ち止まった彼女を見て、ナディアはそのことを思い出した。
相変わらずの無表情ではあったが、驚いたような、戸惑ったような、そんな気配を感じたそうだ。
「お嬢様、大丈夫ですよ。ここには貴族の方々も多くいらっしゃいます!往来にお嬢様がいらっしゃっても不自然ではございません!」
背中に手を添えて、そっと押すと、クレイスはまるで丸太の上を歩くかの如く…恐る恐る歩き出した。
ゆっくり、まっすぐ、小さな足音を立てて。
そして周りを見渡した。煉瓦造りの建物の数々、美しいディスプレイ、金色の紋章がついた街灯。
ミラエスタの街を、ガラス越しではなく、その目で直接。
そして小さく、呟いた。
「…とても、広いですね」
その一言で、ナディアは我慢していた涙を零してしまった。
クレイスの後ろにいてよかったと思いつつ、俯いて顔を隠しながら歩いた。自分が歩く道に雫の跡が残るのがよく見えたそうだ。彼女が振り返らないように祈りつつも、背中に置いた手を離せなかった。その背から、動揺が、緊張が、そして高鳴る鼓動が伝わってきてしまうから。
クレイス・モルドリアという人間が自由になったと、実感してしまった。
この広い、外の世界で、彼女は自分の意思で歩いた。いや、ようやく歩けたのだ。
長い時間がかかってしまった。本当の意味で、彼女は今解放されている。
けれど、これからまたクレイスは試練に挑むのだ。こんなところで泣いているなんて、従者失格だ。だって、そうでなければ、自分は相当な泣き虫になってしまう。
感極まってしまったことをたっぷり五分間反省し、ナディアは顔を上げた。
「さあ!私たちはアクセサリーを買いましょう!オススメのお店を聞いて来たんです!お嬢様、このまままっすぐ行きましょう〜!」
「は、はい。ナディア、商品選びもですが、道案内も任せきりですみません」
「お嬢様、それが私のお仕事なんですから当然です!」
「いつもありがとうございます、ナディア」
「こちらこそ、お仕えをさせていただいてありがとうございます、お嬢様」
ようやくクレイスの横に並んだナディアは、彼女と顔を見合わせて笑った。クレイスも、ほんの少し表情がほころんでいたそうだ。
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「ご報告は以上です、ルーン殿下」
「ああ。お疲れ様、ナディア。キーリス様も、ありがとうございました」
「いいえ、ぼくは楽しんだだけなので!」
夕食後。俺は執務室でこの長話を聞いていた。
なんやかんやあったようだが、なんとか旅の準備は済ませることが出来たようでなによりだ。
特にキーリスは、クレイス達と分かれた後も買い物を済ませつつ街を堪能したらしい。
これで彼へのもてなしが済んだと思っても良さそうだ…大切なお客様への。
それでは楽しい話はここで終了と相成る。ここにナディアとキーリスを呼んだのは、作戦の内容を伝えるためなのだから。本題に入ろう、と伝えると、二人は姿勢を正し、真剣な顔をした。
ここに一言。俺は爆弾を落とす必要がある。
「キーリス皇子」
「はい!」
「貴方には、クレイス姫の愛人になっていただきます」
「はいっ………はい?」
数秒後、彼は凄まじい悲鳴をあげ、隣のナディアは軽く失神した。
軽くだが、反省している。
作戦の内容とはいかなるものか。
切り出し方が下手なルーン様でした。