11, その名を手にするために
決闘はパーティーの終盤に行われることとなった。
とは言っても真剣で闘うようなものではない。本来ならただ話すだけのはずなのだが、クレイスがあまりにも戦地に赴くような雰囲気なので、そう表現しただけである。
だがカーベラル王子との会話とは文字通り舌戦となろう。戦いに赴くという心意気は正しいと思う。
俺だってそうだ。きっとクレイスと同じような顔つきになっているに違いない。というかこれ俺もいなきゃダメだろうか。カーベラル王子に用があるのはクレイスなのだから、俺は後ろの方で待ってちゃダメだろうか。ダメだろうな。わかってるさ。
クレイスを護ると決めている手前、相手に失礼な事を言われたりしたら、俺が前に出て、クレイスを庇わなければならない。寧ろカーベラル王子が失礼を言わないという方が想像できない事態なわけだがそれはそれとしよう。
しかし、あー、キルスチア家の方々とは本当に関わりたくないんだがなあ。何故姉上と結婚したのだ兄よ。国の為?そうですよね。戦争を終わらせるためにはキャンディス姉上とカイル兄上の婚姻は必要不可欠だった。わかってる。
愚痴はこのくらいにして、さて、我が姫の出陣である。クレイスは深呼吸を一度して、行きましょうと声を出した。
「カーベラル王子」
「おや、またお声をかけていただけるとは。光栄の極みでございます、モルドリア皇女様」
「御用があって、お声掛けをいたしました。カーベラル王子、貴方にどうしてもお伝えしたいことがあるのです」
「ほう。是非お聞かせ願いましょう」
カーベラル王子がニヤリと笑う。どこか圧を感じるそれに、しかしクレイスは屈することなくしかと彼を見据えた。
「わたくしは、ずっと考えておりました。自分がどこに居るべきか、どこへ行くべきか。カーベラル様がどこまでわたくしの事をお調べになられたのかはわかりません。ですが、貴方が確実に知らないことがひとつございます」
「ほほう。それは一体なんでしょう?どうぞお教えいただきたい」
「わたくしは、確かな決意とともにここにいるということです。知らないこと、知りたいこと、わたくしはまだまだ沢山の無知を抱えています。それでも、ルーン様は、わたくしを選んでくださいました。わたくしと共に行き、生涯の伴侶となることを約束してくださいました。わたくしは、それに応えたい。…いいえ、応えなければならないのです」
「…成る程?」
「貴方の仰る罪悪感は、未だこの胸にあり続けています。けれど、それを連れてゆくことはいたしません」
「目を背けると?貴女の罪を、背負うことはしないと?貴女をここへと導いた者の声を、聞かなかったことにすると?そう仰るのですか?」
「…いいえ」
クレイスは大きく首を振り、そして目を閉じた。
何かを抱きしめるように、腕を持ち上げ、手を組み、胸に押し当てる。
祈っているようにも見える姿勢だった。何も言わず、ただそうしているだけで、彼女の覚悟が目に見えてくるように思えた。それは相手も同じだったらしく、黙ってクレイスの言葉を待ち続けている。
やがて、彼女は目を開き、そして一歩、前へと足を踏み出した。
「わたくしは、それを罪と認めません。わたくしが己を求め続けることも、お姉様やお兄様が紡いでくれた道を歩むことも、罪にはいたしません。必ず、光に変えてみせます」
「光とは、また抽象的ですね。具体的には?」
「クレイス・モルドリアという人間を作る糧とするのです。…お父様と、お話をいたします」
「!?」
俺は反射的にクレイスの腕を掴んでいた。
今、なんて言った?
お父様とは、バルカ国王のことか?
あんなやつと、話をする?
何を言っている。そんなこと、させられるわけがない。
無理矢理クレイスを振り向かせる。彼女の美しい瞳がこちらをまっすぐ射抜く。
気圧されかけて、顔を上げると、カーベラル王子がくつくつと楽しげに笑い出した。
なにがおかしい、と。怒りを感じ、思わず睨みつける。
「いやあ、実にお見事です。予想はしていましたが、まさか本当にそれを選ぶとは」
「…カーベラル様」
「ふっふっ…いえいえ、私も迂闊でした。貴女がモルドリアの姫だということを失念していた。かの国の女性達の噂は聞いていた筈なのに」
「カーベラル様!」
怒りに任せて名を叫ぶと、クレイスが小さく「いいのです」と呟いた。
よくない。完全にバカにされているではないか。そもそも先の発言は聞き捨てならない。
それでも、彼女が押しとどめるように俺の胸を押すので、冷静にならざるを得なかった。
周りの招待客達が、何事かとこちらを見ている。
視線から庇うようにクレイスの前に立ち、できる限り感情を込めずに声をあげた。
「カーベラル様。私の婚約者を、そのように笑わないでいただきたい」
「これは失礼いたしました。なかなかの余興でしたよ。良い姫をお選びなさりましたね」
「…」
「まあそう怒らず。クレイス皇女、貴女はルーン様から多大な信頼を得ているようですね。喜ばしいことではありませんか!貴女がそれに見合う皇女であることを、私も信じてみましょうか?」
「確信に変わるまで、カーベラル様からの信用を得たいとは思いません。お気持ちだけ、お受け取り致します」
「ふふふ…そうですか。では、楽しみにしておきますよ」
そう言って去って行ったカーベラル王子の背を目で追い、人混みに紛れたのを確認してから、クレイスの手を引いてその場を立ち去った。
++++++++++
「何を考えておられるのですか!あのようなことを言って…!」
「世迷言と仰らないでください。わたくしは、父と…バルカ国王と話をいたします」
「そんなこと、この私が許すとお思いですか!」
「許されるつもりはございません。ルーン様は、わたくしにご命令できるお立場では、まだないはずです」
ぐっと言葉を詰まらせる。
確かにそうだ。俺は彼女の婚約者というだけで、何も彼女に強制をする権限は持ち合わせていない。
彼女が受けていた仕打ちを繰り返そうとしていたことを内心で恥じる。
だが、相手はクレイスの顔を鷲掴みにするような奴だ。それどころか、賊にまで手を回してまでクレイスを手中におさめんとするあの執着。危険なんてものじゃない。
そんな相手を未だ父親と呼び、話す余地があると思う彼女の方が、間違っていると思うのは自然ではないだろうか。
しかし、それを受け入れるとは到底思えないほど、クレイスは真っ直ぐな瞳をしていた。
きっと彼女自身もわかっているのだ。自分が無謀なことをしようとしていると。
でも、なら、なぜ俺を頼らない?
結局、俺はそこに納得がいっていなかった。何故、彼女自身がバルカ国王と対峙する必要がある。
クレイスを婚約者にと、最終的に望んだのは俺だ。
なら、俺を頼ってもいい理由が充分にあるはずなのに。寧ろ彼女は、俺に任せて守られているべきなのに。
…そもそもだ。
「…貴女は、バルカ国王が自分に執着していることをわかっているのですか。彼のおぞましいまでのあの妄念が、自身に向かっていることを、恐ろしく思わないのですか」
「全て理解しています。お父様に対し、恐怖心を抱かなかったことの方が少ないでしょう。お姉様方も、お兄様方も、お父様を恐れておいででした。口には出さずとも…常に」
「ならば何故!」
「わたくしは、あの場所から逃げ出しました。お姉様が望んだから。お兄様が仰ったから。なんと言い訳をしようと、わたくしはただひたすらに守られ、愛しまれ、憎悪され、そして言われるがままに逃げ出しました。誰もわたくしを責めませんでした。受け入れ、慰め、護ると仰った。でもいけなかった。わたくしは、逃げ出してはならなかった!受け入れられる自分を、受け入れてはいけなかった!」
「そんなこと!」
「あるのです!」
小さな子供の癇癪のような叫び声に、ハッとして息を呑む。
力強い思いと共に吐き出されたそれは、実に見事に俺の心臓を貫いていった。
どうして。
小さく問い返した俺に、クレイスは涙をポロリとこぼした。
頬を伝って顎から雫になるそれを目で追い、耳を済ませる。
「…パルキスタンの名を、いただけるような、存在になりたいからです」
まるで今の自分はふさわしくないとでも言いたげな言葉に、俺は何も言い返せなかった。
「わたくしはモルドリアの名前すら、自分のものだとは思ったことがありません。この国が受け入れてくださったのは、モールドル国の姫であるわたくしです。ならば、まだ本質的にはわたくしは受け入れられていないのも同じでしょう」
「それは違います!私はモールドル国との繋がりを求めて貴女を選んだのではありません!」
「そうであるとしても、わたくしの義務は、パルキア国とモールドル国との橋渡しです。選ばれた以上、それを成す必要があります。その為には、お父様にこの婚約を認めてもらわなければなりません」
口を閉じた。
これはクレイスが正しい。他国に嫁ぐ姫の責務は、彼女の言う通り、その国と自国との橋渡しだ。
パルキア国の大臣がクレイスを相手にと考えたのも、モールドル国との協力関係をより盤石にする狙いがあったから。今現在、クレイスがそれをなし得るかと聞かれれば、答えは悪いものになる。
バルカ国王は自分の手からクレイスが離れることを未だ認めておらず、それどころか国際問題にまで至るような手段で連れ戻そうとする始末だ。
だが、認めてもらうにしても、手段はあるのか?
政治的側面からの説得は無意味に思える。バルカ国王自身、モールドル国をより栄えさせるためには、このパルキア国との婚姻が非常に価値あるものだとわかっている筈。
それでもなお婚約を認めていない彼をどう説得すると言うのか。
なんの準備もなしに行けば、また捕らえられ、下手をすれば今度こそ二度と出てこられない可能性もある。
そうなれば立派に国際問題だ。俺からしてみれば、婚約者を奪われる形になるのだから。
ならどうするか。きっと止めても、クレイスは行ってしまうだろう。
それならば俺がすることはただ一つ。未来の妻の覚悟を、守るために。
「…わかりました。ですが、私も行きます」
「えっ」
「貴女を危険に晒すことになるのなら、私は全力で貴女を守ります。それが私の責務です」
「いえ、ルーン様のお手を煩わせるわけには」
「今更何を仰りますか。もう充分に私は貴女に振り回されています。少しばかり手間が増えようと、なんともありませんよ」
「…すみません」
なんとなく、バツが悪そうに呟いた彼女に、笑ってしまった。
緊迫していた空気が和らぎ、賑やかな夜会の喧騒が再び耳に入ってくる。
パーティーももう終わりだ。主催者は最後の挨拶をして、終了を知らせなければならない。
クレイスの方を見る。
彼女は、緩やかな風に揺られながら、しっかりと頷いた。
「行きましょう、ルーン様」
「はい」
やはり見違えたなと改めて思う。
彼女の腕を取り、歩けることを誇りに思えるのが、嬉しかった。
++++++++++
「えええええ!?ね、姉様、帰ってくるんですかあ!!?」
この話に腰を抜かしたのはキーリスだった。
背後に立つ二人のメイドは微動だにしていないが、その横でナディアも目を見開いている。
まあ当然の反応だよなと思いつつ、細かな説明をクレイスに代わって行う。
あの後、つつがなくパーティーは終わり、クレイス・モルドリアは正式に社交界入りを果たした。
現在パルキア国は社交シーズンの真っ最中である。通常であれば、クレイスはあちこちの家のお茶会やパーティーなどに頻繁に顔出しをしておくべきなのだが、それを彼女は辞退した。
自分自身の問題を片付けてからではないと、正しく俺の婚約者としての振る舞いができないとのことだ。
俺としても、まだ女性同士の付き合いに不慣れな彼女を無理に社交の場に出すべきではないと思っている。そういうわけで、クレイスに付き合いの仕方を学ばせつつ、バルカ国王への説得を済ませてしまおうという計画に落ち着いた。
それならキーリスの護衛も兼ねて一緒に帰国してしまおうとなったのだが。
なぜかその説明を俺がすることになった。
ちなみに現在、クレイスは着替え中である。そのついでにリアス王に一時帰国の許可を取りに行くらしい。
「は、反対です!断固!反対です!姉様が何を考えているのかわかりませんが、父上を説得するなんて無理に決まってます!第一、危険すぎます!手紙でいいじゃないですか!」
「行くと決めていらっしゃるので。クレイス様が強くそうお望みになられたのです。私はクレイス様の希望を叶えて差し上げたい」
「姉様がご自分でお決めになったんですか!?僕が楽しんでいる間に、なにが…」
「カーベラル王子と色々ありまして」
「カーベラル王子って、キルスチア王国の!?ね、姉様、そんなすごい人と…」
「ご存知なのですか?」
キーリスの反応に少し驚く。キルスチア王国とモールドル国が懇意にしているという話は聞かない。
まだ年端のいかない彼が、そこまで政治に詳しいとは思っていなかった。
「ご存知も何も、姉様の出国を手引きしたのは、キルスチア王国の方々ですよ!」
「えっ…?」
なんだそれは。聞いてない。
咄嗟にナディアの方を見ると、本当ですと言わんばかりに首を縦に振った。
どういうことだろう。カーベラル王子は既にクレイスのことを知っていた?だが、調べさせたと…。いやそれよりも、クレイスは彼らの事を知っていたのか?そんな様子は微塵もなかったのだが。
ぐるぐると思考が回る中、一つの事を思い出した。
──私はキャンディスに話を聞いただけに過ぎませんよ
そうだ、彼はキャンディス姉様から話を聞いたと言っていた。だが不審な点がある事に今更気づいた。
何故、キャンディス姉様やカーベラル王子は、クレイスがあの夜会に参加している理由を聞かなかったのだろう?
本来ならあの場にいるのはレティシア姫だった筈だ。カーベラル王子は兎も角、キャンディス姉様はそれを知っている。参加者名簿は渡していたのだから。
ならば二人は、疑問に思わなければおかしい。俺と同じように。何故クレイスが夜会に参加していたのかを。
聞かれなかったという事自体が答えなのだとしたら。
「…成る程、私は重要な機会を逃したのですね」
「え?」
「キーリス様、宜しければ明日、お話をさせていただけませんか。キャンディス様と、ナディアも一緒に」
「え…。は、はい。ですが話って…」
「一つは答え合わせです。私の考えが正しいのか。それともう一つは、作戦会議です」
「作戦会議…。わかりました」
賢いキーリスはもうわかったらしい。
さて、俺も気合いを入れよう。クレイスを守るための手段は、出来る限り多いほうがいいのだから。
パーティー編、終了いたしました。
次回からは帰国編となります。
クレイス様とルーン様の頑張りを、しっかり書いていきます。よろしくお願いします。