10, パーティーで、回る
「お初にお目にかかります、モルドリア王国第四皇女、クレイス・モルドリアでございます。この度は招待に応じていただき、誠にありがとうございます」
「初めまして、皇女殿下。私はルイ・ユールシアと申します。ご招待いただき光栄に存じます。加えてルーン殿下とのご婚約をお祝いいたします」
「ありがとうございます。ルイ様は、まだご婚礼をなされていないそうですが」
「正確には、延期になったのです。相手側のご令嬢が病に罹りまして。お恥ずかしながら、弟に先を越されてしまいました」
「いいえ、病に罹ったお相手を思いやってのご判断、とても素晴らしいと思います。婚約者様の快復をお祈りいたします」
「ありがとうございます。彼女にもお伝えしておきましょう。きっと喜ばれます」
よし、問題なく終わった。
ルイ侯爵から離れつつ、クレイスの様子を伺う。
頬に冷や汗が見えるが、だんだん腕を掴む手の力は弱まってきた。
だが次が難敵だ。あのキルスチア家との挨拶が普通で済むはずがない。
胃が痛くなってきた。これが終わったら、絶対に薬を飲もう。
どちらかというと俺の方が緊張してきたように思うが、クレイスは素早く済ませることに専念しているらしい。説明していた容姿と、キルスチア国の紋章を見つけると、迷いなくスタスタと歩み寄った。
「失礼致します、カーベラル・キルスチア王子。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「ん…?おおこれはこれは、モルドリア皇女様。いいですよ」
「ありがとうございます。改めてご挨拶に伺いました。お初にお目にかかります、わたくしはモールドル国第四皇女、クレイス・モルドリアと申します。この度は招待に応じていただき、誠にありがとうございます」
「私はカーベラル・キルスチア。キルスチア王国の第二王子です。先日の婚約の儀は大変だったそうですね。その後いかがです?」
「えっ…」
ギクリと言葉を詰まらせたクレイスの肩に手を置き、素早く前に出る。
やはり、情報を掴んでいたか。あのカイル兄上がキャンディス姉様に別れの儀のことを話さないわけがない。
挑むように挨拶をすると、カーベラル王子はほほうと声に出して面白げに笑った。
「お久しぶりです、カーベラル様」
「ルーン様ではないですか。聞きましたよ、夜会でのことは。クレイス様をお口説きになられたそうですね」
「彼女の瞳の色を、お褒めしただけです。カーベラル様は奥方とはいかがなのですか?」
「うまくやっていますよ。ですが刺激のない日々になりつつありましたね」
「それで婚約の儀の事をお調べになられたのですか」
「いえいえ、私はキャンディスに話を聞いただけに過ぎませんよ。まあ見返りとして、彼女の代わりにモールドル国の裏側を調べたりはしましたが」
成る程、とひっそり歯噛みする。彼は既にクレイスの置かれていた環境のことを知っている。
からかいついでに揺さぶりをかけたというところか。
そっとクレイスを伺うと、笑顔が消えかけていた。
肩に置く手にグッと力を込めて、確とカーベラル王子に向かい合う。
「申し訳ございませんが、その話はしないことにしているのです。クレイス様にとってもモールドル国にとっても、デリケートな事項ですので」
「ふむ、そうですか。それは失礼をいたしました、クレイス皇女。どうぞ無礼をお許しください」
「…いえ、大丈夫です。それでは、わたくしはそろそろ失礼致します。この後もお楽しみください、カーベラル王子」
「はい、そうさせていただきます」
クレイスと共に頭を下げ、去ろうとした時。
カーベラル王子は聞こえるか聞こえないかの微かな声で、呟いた。
──罪悪感は消えましたか?
ハッとクレイスが振り返る。それに一拍遅れて俺も振り返ったが、既にカーベラル王子は別の方達との話を始めてしまっていた。
クレイスの方を見る。完全に笑顔は消えていた。
手の震えが消えているが、これは決して緊張がほぐれたとかそういうものではないだろう。
名前を呼ぼうとして、だがすぐにそれは遮られた。彼女自身によって。
こちらを見上げたクレイスは、珍しいことに表情が変わっていた。
強張っていて、瞳が震えていて、だけど地の無表情は変わらない。
思わず息をのむ。彼女の肩に置いた手を、そっと離した。
彼女の足が、後ろに下がる。
だが何かを堪えるように、その足が地に着く前に、重心が移動する前に、とどまった。
「…次へ行きましょう。まだ、私の役目は終わっていません」
「…はい」
彼女が、クレイスがそう決めたのなら。俺は断る理由はない。カーベラル王子の言葉の意味を探るのは、今の俺には必要ないことだ。
そう思い、彼女の後に続いた。
++++++++++
その後の挨拶回りは、まるで事務処理のように淡々としたものとなっていった。俺がクレイスに相手が誰か、どういう人物かを事前に知らせ、彼女はそれに合わせた内容で話題を振り、会話を済ませた。
一見すると何事もなく見えるが、逆に言えば何事もなさ過ぎた。彼女の価値を示すことも、相手の価値を認めることも、クレイスの挨拶の中ではなかった。
これでは意味がない。だがそれを彼女自身もわかっているのか、段々と会話に焦りが見えていった。
礼をして、言葉を交わして、礼をして、言葉を交わして。無意味を重ね続けて。それが山となりかけた。
流石に見かねて、俺は彼女を止めていた。
「クレイス様」
強めに呼びかける。
クレイスはピクリと肩を跳ねさせ、そしてこちらを振り向いた。頑なな笑顔で。作られた笑顔で。
そんな顔をしないで欲しいと心底思った。こんな表情を向けられるなら、いつもの真顔の方がよっぽどマシだ。
その頬へ手を伸ばしかけ、そしてやめる。
慰めの言葉も浮かばぬような俺に、彼女に触れる資格があるとは思えない。せめてと、こちらも笑顔を向けた。
「お疲れでしょう。少し、休みませんか」
クレイスは断らなかった。
テラスへと出て、軽く酒を飲む。クレイスはシャンパンを初めて飲むようで、恐る恐る舐めては目をパチパチとさせていた。
俺はキリキリと痛んでいた胃に被せるように同じものを流し込み、疲労を誤魔化した。
風が吹く。クレイスの編み上げられた髪から垂れ落ちた数本が、ヒラヒラとなびいて、髪飾りと共に煌めいた。彼女の細い指が、それを掬い上げて耳にかける。
その仕草をゆっくりと眺めて、そしてポツリと呟いた。
「だいぶ、仕草が上品になられましたね」
「えっ」
クレイスは一瞬、何を言われたのかわからない様な顔をしたが、すぐに理解をしたのか、居住まいを正して生真面目にはい、と頷いた。
「マナーを教えてくださる女史の方が、厳しく矯正をしてくださいましたので」
「そうですか。日々励まれているようですね」
「励んではいるつもりです。ですが、まだ足りてはいません」
「そんな事はありません。もう立派に王家に相応しい女性になられております」
「…それは、モールドル国の、でしょうか」
小さく呟かれた言葉の意味が汲み取れず、口を閉じる。彼女は一口シャンパンを飲み込むと、言葉を丁寧に組み立てるように、目を閉じながら話し始めた。
「わたくしには、自分というものへの確信がないのです。王家の人間、そう言われても、そうなのかと素直に受け止められません。わたくしは、どの名前が己の持つべき名なのか、わからないのです。ここにおられる皆様は、わたくしをモルドリアの姫と仰られます。ですが、わたくしはパルキスタン家の者となるべく行動をしています。さらに大元を辿れば、わたくしはただの平民の名を持っていました」
「…それは、クレイス様の幼少期の事ですか」
「そうです。わたくしは母親に連れられ、身分を隠し、平民として暮らしていました。この身に王家の血が流れていると言われた時、感じたのは果てのない孤独でした。わたくしという存在が、足元から崩れ落ちていったのです」
彼女の自分語りを、初めて聞いた。
クレイスは元々、己というものがあまり確立できていなかったのだ。
普通なら彼女のような波乱万丈な人生ならば、個性としてよりはっきりしてくるようなものな気がするが、何の因果か、それが不可能な方向へと彼女の人生は進んでいってしまった。
そうなると、己の価値を示せと言われて戸惑うのも仕方がないことだろう。
俺の配慮が足りていなかった。
そう考え、それを詫びようと、そして出来るならば彼女を少しでも慰めようと、口を開きかけて、そしてやめた。
クレイスはまだ、言葉を探している。
折角彼女が自分のことを伝えようとしてくれているのだ。最後まで聞きたいし、聞くべきだ。
「…罪悪感、というのは、己が罪を犯したと思い、そしてそれを後ろめたく思う感情のことですよね。わたくしには、己を確信できていない罪、そしてお姉様、お兄様方のお気持ちを受け止めきれていない罪、それらに心当たりがあります。カーベラル様が仰ったのがどれかはわかりませんが、言われて心臓が掴まれたような気持ちになったのは確かです。でもそうなったのは、言われるまでそれが罪悪感なのだとわからなかったからなのです。己の愚鈍さに、背筋が凍りつくほどの驚きと、そしてやるせなさを感じました」
「その、ご家族のお気持ちを受け止めきれていない、というのはどういう意味でしょう?」
「……わたくし自身はお話できません。申し訳ございません。仕方のないことを言ってしまいました」
彼女は静かに首を振ると、グラスを手すりに置いた。
言葉の切り方に、彼女の確固たる意志を感じた。黙っておきたいことの一端を、つい話してしまったのだろう。聞けてよかったのか、否か。
けど確かなのは、クレイスは今、不安定なのだということ。カーベラル王子の言葉が引き金となったということ。そしてその折り合いを、自身ではつけられていないということ。
こういう時の為に傍にいるのに、俺は何をしているんだと、そう自分に微かに憤った。
彼女に倣って隣にグラスを置き、そして静かに膝を折る。クレイスは少し驚いたように固まった。
「クレイス様。私と一曲、踊ってはいただけませんか」
意図を計りかねる、という様子で、クレイスは目を瞬かせる。
当然だろうと思いつつ手を差し伸べ、礼をすると、恐る恐る彼女の手が重ねられた。
『申し込まれたら断らないのが普通』と覚えている彼女なら、そうするとわかっていた。
それでも少しホッとしてしまったのは、先ほどの会話での緊張感を引きずってしまっているからだろうか。
立ち上がり、そっと彼女の両手を握った。
「…今かかっている曲は…」
「今私はクレイス様の手を握っていたいのです。この際ステップなど気にせず、適当に踊りましょう」
「適当に、とは」
「回りましょう!さあ」
そういって俺が回りだすと、クレイスはおっかなびっくりといった足取りでクルクルと輪を描き出した。
風になびくだけだった彼女のドレスがふわりと舞い上がり、髪飾りが揺れてチャリチャリと鳴る。
目が回らないように、右にまわったり、左にまわったり、引き寄せたり離したり。
本当にただ回るだけ。特に意味はない。
ただ、彼女の手を握りたかった。それだけだ。
言葉で慰めることができず、物で喜ばせることもかなわない。
今できる精一杯は、俺が彼女の近くで、こうして触れあえる距離で、共に在るという事実を伝えることだけ。
まわっているうちに、クレイスの表情は和らいできていた。
気が紛れたのか、それとも俺の意を汲み取ったのか。わからないが、どちらでもいい。
彼女がまた前に進めるのなら。それで充分だ。
ひとしきりまわって、ようやく動きを止めた。
クレイスは軽く息を切らしている。やり過ぎたかと謝りかけた時、彼女が口を開いた。
「こんなダンスは、初めてでした…」
「ダンスとも言えない、ただの遊びです。すみません、お疲れになられたようで」
「いいえ。楽しかったです。ルーン様が謝ることは何もありません。寧ろ、このような楽しい気持ちにさせていただいたお礼をしなくては。ありがとうございます」
「こちらこそ。…クレイス様」
「はい」
「私は、あまり言葉がうまくはありません。兄上のように人の気持ちを察することもできません。クレイス様がお悩みになられている今ですら、こんなことしかできません。ですが、こんな私でも、あなたの婚約者の肩書きをいただいております。貴女と共にいる権利を持ち合わせています」
「…はい」
「お一人で全てを抱え込まないでください。私もいるということを、忘れないでいてください。私の手は常に、貴女を護るために伸ばされています。それを理解しておいてください」
「…」
「クレイス様。貴女に罪があるというのなら、私も共に背負います。貴女が探すものは、私も探します。一緒に考えます。貴女の持つ名前を…そしてあるべき場所を。見つからない時は、私も共に彷徨いましょう」
「どうして、そこまでしてくださるんですか」
「決めたからです。貴女の」
あ。
これさらっと言おうとしたけど結構緊張する。
「貴女の夫になると」
よかった何とか言えた。
同時にクレイスの目が見開き、そして唇が小さく開く。
そして一拍おいて。
ぶわっと、クレイスの耳が赤くなった。
繋いでいた手が上にがばりと振りほどかれる。
地味にショックを受けたが、クレイスは両手を上に挙げた姿勢で固まっている。
「え」
何そのバンザイみたいな姿勢。もしくは降参?
「すみません、急に、とても恥ずかしくなって」
「いやその姿勢の方が」
「な、なんだか、心臓がとても早く鳴ってます。それに、ルーン様のお顔を、見てると…!」
「クレイス様?あの、落ち着いて」
「申し訳ありません!わたくしその、よ、酔いを覚まして参りますので、風に当たってきます!」
「風ならここに吹いていますが!?」
「失礼します!」
「せめて両手を下げてください!」
スタスタとホールへ去って行ってしまった彼女の背を呆然と見送って、あれっと首を傾げた。
何か失敗しただろうか。まずいことを言ってしまった?
でも普通のことしか言ってない筈。婚約者なのだから夫になるのは当然だ。
え?なんで逃げられた?そんなに俺と夫婦になるのが嫌だったのか?
何これものすごくモヤモヤする。
どうしたものかと二つ並んだグラスを見て、ええーっと小さく呟いた。
++++++++++
「先ほどは申し訳ありませんでした」
「いえ、それで酔いは覚めましたか?」
「問題ありません。ルーン様」
「はい?」
クレイスは一旦俯くと、両手でこねこねと顔を動かした。
そして納得いったのか小さく頷いて、顔を上げた。
ちゃんと笑えている。無理やり作ったとは思えない、花が咲いたような笑顔だった。
「ありがとうございます」
彼女はそう一言だけ言うと、満足したのか行きましょうと歩き出した。
その少し後を追いながら、どういうことかと少し悩む。
けれど、何か吹っ切れたようなその様子に、まあいいかと思った。
その後の挨拶は非常に好感触に終わった。
あまり上手くコンタクトを取れていなかった方々には改めて会話をすることでなんとか体裁も保てただろう。
脳をフル回転させていたせいもあってか、会話の内容までは記憶に留めることはできなかったけれど、クレイスは始終和やかに話せていたように思う。よかった、と。素直にそう思った。
最後の一人に挨拶を済ませた時、クレイスは生真面目な顔で頼んできた。
「カーベラル王子と、もう一度お話をさせていただいてもよろしいですか」
再び胃が痛くなりそうな予感がしながらも、ダメだとは言えなかった。
想像以上に長引いてしまいましたが、次回でパーティーも終わります。
思ったよりルーン様の苦労は書かなかったです。やはり次回予告なんてあてになりません。
私に限ります、すみません。
そしていつも読んでくださってありがとうございます。
これからも面白く、楽しく、明るく朗らかに、書いていきたいと思います。