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1, 誤解から始まる政略結婚

短編のつもりが長くなってしまい連載に。

気ままに書いていくつもりですので、暇つぶしにお読みいただければ幸いです。



 その人との婚姻が決まったのは、俺が20になった次の日だった。



 数年前まで隣国との小競り合いをしていた俺の国、パルキアは、小規模だが豊かな国だ。海に面した土地、温暖な気候。豊富な資源。高い水準を誇る教育機関。

 小さいが故に隅々まで行き届いた治世は、周辺諸国からも一目置かれていた。


 それ故に、三男である俺の婚姻相手は誰もが注目していた。様々な国から申し出があり、文字通り選り取り見取り。すでに隣国の姫を妃に迎えた兄からは羨ましいことだと笑われた。

 が、残念なことに俺は喜べなかった。

 俺は武芸には興味があったし、勉強もそこそこ楽しめる性格だったが、とことん恋愛には興味が持てなかったからだ。

 夜会で美しいと評判のご令嬢と踊っても、心は一ミリたりとも動かない。もしや同性が恋愛対象なのかとも思ったがその気配もない。

 成人をしてからは勉強しようと恋愛小説を読んだりしてはみたものの、さっぱり気持ちがわからなかった。

 こんな性格だった為、婚姻の相手を選ぶのは国の大臣に任せていた。

 父上や母上、執事長からはこの人はどうだ、あの人はこうだと色々聞かされたが、我ながら面白いほど右から左に流れていってしまうのだから仕方あるまい。


 ◇


 こうして迎えた誕生日の日。

 誕生を祝う舞踏会には、婚姻の申し込みを行ってきた国々の姫達が集まっていた。

 言われるがままダンスの相手をし、いつも通り動かぬ心を自覚して、席へと戻って様々な色彩のホールを見つめていた。我ながらなんとも無粋な振る舞いに、執事長が気遣うように声をかけてくれた。

「ルーン様、またそんなお顔をなさって……」

「……すまないな、じいや。気にせず下がってくれ」

「いいえ、失礼いたしました。ですがルーン様、本日はあなたの誕生日なのです。どうか気を楽にお楽しみください」

「ああ、ありがとう」

 長い付き合いの執事長は、軽く頭を下げると歩み去った。

 その背を見送って再びホールへ目を向ける。華やかなドレスや美しい装飾品がキラキラと輝く様は、まるで物語の異世界ように美しい。

 この光景だけで十分楽しめている。皆が楽しめているのならそれでいい。それ以上は俺には難しい話だ。

 そう思いながら見回して……ふと一点で目を留めた。


(……彼女は?)


 そこにいたのは、煌びやかな令嬢の中では大人しい部類の容姿の少女だった。


 年は俺とそう変わらないくらいだろうか。翠色のドレスに身を包み、パーティーにふさわしい装いをしているというのに、誰と話すでもなく、踊るでもなく、じっと隅で佇んでいる。

 表情はない。付き添いの者も近くにいないようだ。

 こんな祝いの席であの様子とは、流石に放っておけない。

 俺は立ち上がりその壁際へと歩いていった。


「如何いたしましたか? 姫」

「……あなたは」

 こちらを振り向いた少女は全くの無表情で俺の顔を見上げる。若干面食らってしまった。

 でも相手も驚いたのだろうと気を取り直して軽く会釈をし、話を続ける。

「突然お声をおかけしてしまい申し訳ありません。私はこの国の第三王子、ルーン・パルキスタン・クロアと申します。あなたが一人でいるのが気になったもので」

 暗にそちらも名乗るようにと含みを込めると、少女は小さく頷いて無表情のままこちらに向き直った。

「わたくしは、クレイス・モルドリアです。お気遣いいただき感謝いたします。このような場は初めてなのです。慣れていないだけで、特に問題があるわけではありません」

 いや問題ないことはないだろう。

 初めての舞踏会で一人きりなんて非常識にも程がある。段々と少女が怪しく思えてきた。

 それとなく探ろうと、慎重に言葉を選びつつ会話を続ける。


「そうでしたか。お付きの人は、いらっしゃらないのですか?」

「はい。本日はわたくし一人で出席させていただいております。従者はおりますのでご心配なく」

 あまりにも愛想のない返事に思わず言葉が詰まった。ご令嬢たちは声をかければ色めき立っていたのだ。冷静に対応されると少々戸惑ってしまう。

 どう話を続ければいいか、こちらが黙っている間、クレイスという少女はガラス玉のような瞳でこちらを見つめていた。それに気づいて顔を上げる。そして

「……どうなさいましたか?」


「いや、綺麗な目だと思って……」


 いつの間にか、ポロっと思ったままを口にしていた。

 周りがシンと静まり返っている。ハッとしてようやくやらかしたと気づくも時すでに遅し。

 視線を感じてそちらを見れば、やはりというか、兄のカイルがニコニコと歩み寄ってきた。

「お前の口から口説き文句が出るとは、根気よく待った甲斐があったというものだなあ」

「あ、兄上、今のはそういう意味では」

「いやいやいや、そう恥ずかしがらずとも良い。さあご令嬢、宜しければこの愚弟と踊ってやってはくれませんか? ようやく女性に興味を示したのです、そちらに悪い思いはさせないですよ」

「兄上!」

 思わず責めるような声をあげるも、少女は生真面目に頷いてそれを止めた。


「わたくしで宜しければ、喜んでお相手いたします」

「え、いや……」

「ほらほら行った行った」

 背中を押され、渋々手を差し出すと、彼女は無表情のまま小さく首を傾げた。

 そのまま、数秒。沈黙に耐えかねて、結局俺が先に声をかけた。

「……手を、重ねてくださいませんか」

「はい」

 手が重なる。

 しかし、それ以上は何もしない。

「あの……お辞儀を……」

「はい」

「……踊ってくださるんですよね?」

「はい」

 まさか作法を知らないのだろうか。

 無表情のままじっと見られ、諦めていくつか礼を飛ばして彼女をホールへと連れ出す。そのまま音楽に乗ると、こちらは危なげなくついてきた。踊れはするようだ。


 俺はこの少女のことが気になりだしていた。

 始終無表情。受け答えはあらかじめ用意していたもののような形式的なものばかり。

 一体どうしてこんなご令嬢がやってきたのだろう。モルドリアといえば当然……。

 わかっていながらも念のために問う。

「失礼ですが、クレイス様の国はどちらでしょうか?」

「モールドル国です」

 だよなぁ、と。思わずため息をこぼしそうになった。

 モールドル国はわりと有力な貿易の相手国。確か縁談もきていた。だがこちらにいるクレイス嬢の名ではなかったと記憶している。普通ならその縁談の相手が顔を見せにくるものだが……。

 何らかの理由でその相手が来られなくなり、代わりの姫をよこして体裁を保ったというところだろうか?

 けれどそれにしては礼儀作法が覚束なすぎる。姫なら一通りの夜会の礼は身につけているものだ。

 代わりによこすにしてもマナーはあるだろう。もしこのクレイス嬢を選ばねばならない状況だったとしても、一通りの教育は施すものだろうに。

 この令嬢がそれを会得できないとは全く思わない。ダンスには何ら問題ないし、覚えが悪いということもないように見えるから。

 それこそスパイのような役割でここにきたのだとしても、怪しまれないようにするものだろう。


 考え事をしているうちに曲が終わっていた。

 体を離し礼をすると、相手は周りを見てからおずおずと一礼をしていた。やはりどう見ても不自然だ。

「兄上が申し訳ありませんでした。無理にお相手していただき、ありがとうございました」

「いえ、申し込まれたら断らないのが普通だと学びましたので」

「……そろそろ御開きとなるでしょう、お詫びの品を従者に持たせます。お持ち帰りください」

「はい。ありがとうございます」


 最後までニコリともしなかった彼女の背を、俺はずっと見つめていた。それを見てすっかり勘違いしたのだろう。

 父上はモールドル国のクレイス姫との婚姻を大臣に話し、そして通してしまった。



 ◇◆◇



 婚姻の決定を聞いたのは翌日の起き抜けだった為、悪戯かと疑ってしまった。

 しかし至極真面目なじいやと大臣の顔を見て、これは本気だと気づいたが遅かった。

 事情を話す間も無く、あれよあれよとクレイス姫の王宮入りが決まり、結婚の日程も二ヶ月後に決定した。


 そしてクレイス姫の受け入れ準備も整い、今日。


「今日は良き日ですな、ルーン様!」

「ああ、そうだな、じいや……」

「一体何をそんなに不安がってらっしゃるのです。モールドル国は我が国との良き貿易相手、国力は我が国と並び立つ程であり、モルドリア家の姫は聡明な方が多いと有名ではないですか」

「だが俺は、相手の求めるような男にはなれんのだぞ。何度も言ったが、彼女を気にしたのは事情があったからで惚れたからではない。もしそういう気持ちを求められたら、どう返せば良いのだ……」

「普段通りにしていれば良いのですよ、普段通りに」


 仕方のない雑談をしているうちに、姫を乗せた馬車が到着した。

 冷や汗がどっと流れる。表情筋がどんどん強張っていくのがわかり、さらに焦った。

 扉が開く。従者が先に降りてきた。女性だ。

 そして彼女が手を伸ばし、そこに白い手袋が重ねられ……。


「え」

「ごほんっ」

 思わず漏らしてしまった声を、じいやが上手い事隠してくれた。

 驚くことに、彼女はドレスではなかった。

 それどころか、庶民が着るような白いブラウスに紺のスカートのみ。上着すら着ていない。

 一瞬固まっていたが、慌てて駆け寄り、自分の上着を差し出した。

「クレイス様、少し大きく重いかもしれませんが、こちらを羽織りください」

「……なぜですか?」

「そのような服装では、体を冷やしてしまいます。さあこちらへ。お部屋までご案内いたします」

「はい」

「はやく上着を羽織ってください」

「わかりました」

 二回言って、ようやくクレイスは上着を羽織ってくれた。

 じいやに目配せし、きちんとしたドレスを用意させておくようメイドに指示させる。

 先程までの緊張は、どこかに吹き飛んでいた。


 部屋まで案内し、湯浴みで長旅の疲れを癒すようにと伝えると、彼女は相変わらず無表情に頷き、メイドに連れられて行った。

 一仕事終えた感覚に耽っていると、彼女の従者の姿が目に入った。そう言えば挨拶がまだだったと、声をかける。

「すまない、挨拶が遅れた。私はクレイス様の婚姻相手である、パルキア国第三王子、ルーン・パルキスタン・クロアだ。以後、よろしく頼む」

「お初にお目にかかります。クレイスお嬢様の付き人をしております、ナディアです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 ん? と内心で首をかしげる。

 彼女の声からは、どこかしら冷たいものを感じた。

 何か悪印象を与えてしまっただろうかと考え、さっきの上着のことに思い至った。

 もしや、婚姻前に馴れ馴れしいと怒らせてしまったのかもしれない。


「その……先程は失礼した。妻になる相手とはいえ、軽率に上着を渡して」

「あなたも! クレイスお嬢様にはあの格好が相応だとお思いなのですか!!?」

「!?」


 唐突に怒りを向けられ絶句した。

 相手はすぐに失言に気づいた様子でハッと口を噤んでいたが、俯き何かに耐えるように拳を握りしめている。そして、俺からの言葉の続きをまるで処刑を待つ罪人のような様子で待っていて。只事ではないと内心焦った。

 だがひとまず、ナディアのおかしな誤解を解いておくのが先だ。

「……私は、クレイス様があのままではお身体を冷やしてしまうかもしれないと思い、上着を渡したのだ。あの格好は寧ろ不相応だと思うが」

「っ……そう、でしたか。早とちりしてしまいました。どうか、お許しくださいませ」

「いい、気にするな。それよりさっきのは一体どういう意味だったのか、聞かせて貰えるだろうか」

 俺が聞き、ナディアがそれに応えようとした時、メイドからクレイス姫の支度を手伝って欲しいとナディアに声がかかった為、答えを聞きそびれてしまった。

 何を言おうとしていたのか気になる。それに彼女はクレイスをよく知っているようだったから、もっとたくさん聞きたいことがある。

 だが流石にクレイス本人の前で聞くわけにはいかないだろうと、諦めて待つことにした。


 ◇


 一時間程した後、きちんとしたドレスに着替えたクレイスがナディアとともに出てきた。

 またしても無表情。これはもしかして通常運転なのかもしれない。やっとそれに気づいたと同時に、目の前に上着を差し出された。

「ありがとうございました」

「いえ、お気になさらず。少しは休めましたか?」

「もともと疲れておりません。快適でしたので」

「そうでしたか、それはよかった。この後、私の両親との挨拶と会食。明朝の婚約の儀について打ち合わせがあります」

「承知いたしました」

「それでは、王座までエスコートさせていただきます」


 そう言って腕を差し出すと、クレイスは無言のまま目をパチパチとさせた。

 もしや、エスコートのされ方もわからないのだろうか?

 ナディアに目を向けると、無言で眉尻を下げている。どうやらそうらしい。

「クレイス様、私の腕に手を回してください」

「……?」

「いえ、そうではなく」

 四苦八苦しながらなんとか形をつけ、ようやく歩き出す。

 だが話すことがない。引っ込んでいた冷や汗がまた出そうになる。

 するとちょうど良い具合に庭園を通る道に出た。よしきたと庭園へ視線を促す。


「如何ですか、我が庭師自慢の庭園です。私の母も、とても気に入っているのですよ」

「そうですか」

 ……終わってしまった。なんということだ。

 いや、これで諦めるわけにはいかない。何しろ道のりはまだ長いのだ。

 俺は苦し紛れに足を止め、一言断ると庭園の中へ入った。

 適当に花を探す。すると丁度、あの舞踏会の時に彼女が髪につけていた飾りと同じ色の薔薇が目に入った。花にはあまり詳しくないが、悪い花言葉ではなかったはずだ。

 庭師を呼び寄せて摘んでもらい、クレイスの元へと戻る。

「お待たせして申し訳ございません。クレイス様、この花をあなたに」

「これは、薔薇ですか」

「はい。私からあなたへの、最初の贈り物として、どうぞ受け取っていただけませんか」


「贈り物……」


 クレイスは少し躊躇したようだったが、恐る恐る薔薇を受け取った。

 よし、これで話題は作れた。城内にこの話が広まれば、国民にも伝播していく。最初のエスコートが無言でしたなんて、そんな話があってはならない。

 内心でガッツポーズをして、クレイスを見る。

 すると彼女は、心なしか雰囲気が柔らかくなっていた。表情は相変わらず無表情なのに。なぜそう思うのだろうと不思議に思って見つめていると、目が合った。


 やはり、綺麗な瞳だと、そう思った。


 ◇


「初めまして、クレイス・モルドリア姫。私はこの国の現国王、リアス・パルキスタン。貴嬢を迎えられたこと、非常に嬉しく思う」


「ありがとうございます。お初にお目にかかります、パルキスタン陛下。わたくしはモールドル国第四皇女、クレイス・モルドリアでございます。此度の婚姻をお受けいただき、誠に有難く思っております。ご子息の良き妻となる為、精一杯の精進をお約束いたします」


「うむ。ルーンよ、良い姫を選んだな。なあお前よ」

「そうですね。噂に聞く通り、とても聡明な姫のようで安心いたしましたわ。クレイス姫、どうぞうちのルーンをよろしくお願いしますわね」

「はい、女王陛下」


 と、このように、非常に両親には好感触のようだった。

 挨拶の間、ずっと俺が送った薔薇を両手に抱えているのは如何かと思ったのだが、それすらも良い印象になったらしい。会食が終わった後にはすでに王宮中に広がっていた。


 俺は夜にはクタクタになって自室の机に倒れ込んでいた。

 クレイスは不思議な少女だった。会食の時、内心ヒヤヒヤしていたが、マナーはきちんとしていたし、会話の受け答えもとても頭の良い内容だった。

 なのに、特定のマナーとなると途端にポンコツになる。執事が椅子を引くと突っ立っているし、手を差し出すと何を渡せば良いのか探すそぶりを見せるし、別れる時にはこちらの挨拶に対し無言でいた。


 一体なんなんだ。彼女は。惚れた腫れたとは違う意味で気になって仕方がない。

 しかも最後まで無表情だった。緊張しているのかと思ったが、あの様子は違う。

 これはやはり、ナディアに確認しなくては。そう思って立ち上がるのと、部屋の扉がノックされるのは同時だった。

「誰だ?」

「ルーン様、クレイス様のお付きのナディア様が、お話をしたいと申しております」

「じいやか。構わない、通してくれ」

 扉が開かれ、ナディアが少し緊張した様子で入ってきた。

 じいやに扉の前で待つようにと告げ、座らせる。

 ナディアは何か覚悟を決めたような面持ちをしていた。

「さて、丁度よかった。俺も聞きたいことがあってな」

「それは、クレイス様のことでしょうか」

「その通りだ。だが、そちらの話を先に聞こうか」

「いえ、私もクレイス様のことをご説明しようと参ったのです。どうぞ殿下からお聞きください」

「それでは、聞かせてもらう。彼女のあのちぐはぐなマナーはなんだ? それに、あのニコリともしない態度。喜べとは言わないが、少しくらい不安がっても何も言われんぞ?」


「……クレイス様は……感情が、おありでないのです。お嬢様が10歳の時、私はお嬢様の付き人となりましたが、その時からお嬢様は笑ったことが一度もありません。そして、マナーについては……」


 ナディアは一旦口籠もり、そして絞り出すように告げた。


「お嬢様は、モールドル国で、冷遇されていたのです。四人の姉妹の中で、唯一の側室の子の姫ということから、幼い頃は外に出してももらえず、食事と本だけを与えられて過ごしていたそうです。情緒が育つはずもなく、私がついて初めての頃は、言葉を話すことすらまともにできませんでした。ドレスも与えられず、今日お嬢様が着ていたのは私が街で調達してきたものです……」

 最後はほぼ涙声だった。俺は、衝撃のあまり言葉を失っていた。

 まさか、そんな扱いを受けている姫がいるだなんて。

 いやそれ以上に、それを親が許しているのか?

 ナディア以外誰も、彼女を気にかけようとしなかったのか……?


 とにかく泣いている彼女をどうにかしなくてはと、ハンカチを差し出した。躊躇なく鼻をかまれる。この逞しさがあったからこそ、クレイスはいまなんとかなっているのかと思うと少しだけ笑えた。

 だが慰めにもならない。胸に受けた衝撃は少しも和らいでいない。

 しばらくしてナディアはなんとか泣き止み、脱力した様子で残った涙を拭っていた。

「ありがとうございます、話を聞いていただいて。クレイス様が常識外れなことは、私もお嬢様も大変よく理解しております」

「いや、話してくれてありがとう。事情はよくわかった」

「ルーン殿下、どうか、どうかお嬢様のこと、よろしくお願いします……!」

「ああ。此方こそ、彼女のことをこれからもよくしてやってくれ」

「はい、お嬢様のために、これからも尽力いたします」

 じいやに彼女を送らせ、ふうと息をついた。


 ◇


 メイドに俺とナディアへ紅茶を頼み、机に戻る。明日は朝から婚約の儀だ、休まなくてはならない。休まなくてはならないのに、頭の中が混乱してすっかり目は冴えてしまっていた。

 取り寄せていたモールドル国の資料を見る。

 土地の広さはパルキアの三倍はあるだろうか。しかし人口はかなり少ない。識字率も低い。

 あまり発展しているとは言えない国だ。パルキアとの婚姻を望んだのも、繋がりを強め、モールドル国の地位を高めるためだろう。

 王族の家系図も見る。ここの王は側室を多く取るタイプなようで、子供も多い。だがその多くは男だ。クレイスは側室の唯一の娘のようだ。

 そして年齢差が大きい。クレイスの姉の三人は、クレイスと最低10歳開きがある。


「嫌がらせにあっていたって……。そうか、そういうこともあるのか……」


 全く考えが至らなかった。パルキアの王族が揃いも揃って仲が良いせいだ。

 とにかく、クレイスとの関わり方をきちんと考え直さなくては。きっと王族としてのマナーもちゃんとは教わっていない。何か失敗をする前に講師をつけよう。

 それにお披露目の時に無表情だと民に不安を与えてしまう。笑顔の特訓もさせて……。


 そして、俺はどうすれば良いんだろう。

 彼女とどう接していけば良いんだろうか。

 この話を聞いて、俺はクレイスをどう思った?


(俺は、彼女をどう思っている?)


 考えてみたが、答えは出ない。そうこうしているうちに、頼んでいた紅茶が届いた。ナディアの様子をそれとなく聞くと、また泣いていたそうだ。そしてクレイスはもうぐっすりと眠っていたとも伝えられた。

 慣れない場所だろうに、きっと場所を選ばず寝られるようになっているのだろう。


 紅茶を口に含み、飲み込み、そしてため息をついた。

 結論が出るまで、この疑問は胸にしまっておこう。

 そう決めて、その場は考えることをやめた。



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