河畔
城から港町までは数日かかる。しかし、二つ目の宿駅で乗り換えた馬はタタールが今まで乗った馬の中でも最高クラスの駿馬であり、さらに、マナンが既にタタールが港町へ行く事を伝えてくれておりゲルと呼ばれる幕舎を見かける度に彼の傘下の部族から補給を受けることができたためかなり速いペースで進む事ができた。
(これは宿駅で補給しなくても問題ないかもしれないな)
と思い、宿駅では役人に軽く挨拶をするだけで補給を受けずに進むこともあったので、この日は周りにマナン傘下の部族のゲルも宿駅も見当たらないような中途半端な場所で夜を迎えてしまった。
(調子にのりすぎたな)
と反省しながら少し道を外れて丘の上へと登り周囲を確認した。
やはり近くにはマナンの傘下の部族も宿駅も見当たらなかったが、川が流れているのが見えた。
タタールは今乗っている馬に愛着が湧き、二つ目の宿駅から一度も乗り換えずに乗ってきている。そのため、馬はかなり疲労しておりこのまま進むのは効率が悪いと判断し、川へ馬首を向けた。
タタールは、水を飲ませたり、ホジルと呼ばれる地面からにじみ出ている塩を舐めさせたりなど馬の世話をしつつ、自分も食事をとろうと湯を沸かし途中でもらった羊肉を蒸し始めた。
(世話になった部族に、今度羊なり牛なりを送らないとな)
などと考えながら肉が蒸しあがるのを待っていると、
「こんばんは、良かったらお湯を少し分けて貰えますか」
と話しかけられた。
振り返ってみると不思議な格好をした女性がいた。服装は弓の国のものであるが、腰には剣の国製と思われる剣と、何処の国のものか分からない剣を携えており、背中に大きな荷物を背負っている。
剣が剣の国のものであるので、タタールは、
(剣の国の間者かな?それにしては変装が下手だけど)
と考えた。
「あのー、聞こえてます?お湯を分けて貰えないですか。薬草茶を飲むのに必要なんですよね」
と、もう一度言われた。
「少し考え事をしていた、ごめん、使っていいよ」
「あなたも飲みますか?薬草茶」
「僕はいいよ」
「本当ですか。薬草茶を飲んでおけば、もし、その肉の調理に失敗してお腹を壊しても軽症で済みますよ」
「羊肉は生でも食べられるからお腹を壊すことはあまりないよ、それと飲み物は間に合っているからね」
と、言ってタタールは馬乳酒を取り出した。
普段飲んでいるものは度数が低いが、今回は少し高い物を持って来ている。もちろん、自分で飲むわけではなく目の前にいる間者かも知れない女に飲ませるためである。素性が分からないため酔わせて前後不覚にしてしまい、こちらに危害を加えることも諜報活動も難しくしてしまった方がいいと考えた。
「君は飲むかい?これ」
「いや、やめておきますよ。お酒は苦手で一杯呑んだだけで気絶しますからね。君も、ではなく君は、ってことはあなたは飲まないんですか?」
と、断られたため、
「これは誰かと一緒に飲むものだよ」
と、適当な事を言って誤魔化し馬乳酒をしまった。
タタールは、素性の知れない人間とこう簡単に打ち解け始めていいものかとも思ったが、自分だけ肉を食べるのも心苦しいので肉を半分渡した。
「ありがとうございます」
と、謎の女は言い、二人は食べ始めた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はサヨといい、薬草を売りながら旅をしています」
「僕の名前はライといって、港町へ行く途中だったんだ」
と、タタールは偽名を使った。相手が間者でなかったとしても王だと気づかれない方が良いと考えたためである。そもそもタタールというのは父ルイが対立していた部族の名前であり、息子に相手の部族の名前を付けることで和解の材料にした。和解した今でも部族はタタールという名前を使っており、紛らわしいので本来付けられるはずだったライという名前にそのうち改名しようと思っていたため、あながち完全に嘘をついたわけではない。
「港町ですか、私は船の国からこっちに来ているんで馴染み深いところですよ」
「その剣も船の国で作られたものかな?」
「一つは剣の国で手に入れたもので、もう一つは自分で作りました。剣の国で買った剣はかなり斬れるんですけど、自分で作った方は全然斬れないんですよ。もはや鈍器ですよ鈍器」
「薬草売りなのに帯刀する必要があるのかい?」
「女の一人旅なもんで、賊やら肉食動物やらが襲ってくるからむしろ必要不可欠ですよ。それに、武者修行も旅の目的の一つです」
「武者修行?」
「私が倒した賊が噂を広めているみたいで、結構強い人が決闘を申し込みに来るんですよ。最初は面倒だったんですけど、闘っていくうちに技を磨く楽しさに目覚めましてね」
「君の闘いを見ていた人じゃなくて、君が斬った賊が君の噂を広めているのかい?」
「私は基本的に誰も斬りませんよ、なまくら刀で殴って気絶させるだけです。斬ってしまったら、相手が私に負けた悔しさをバネに腕を上げ、凄く強くなって再戦を挑んでくるってこともなくなってしまいますからね」
「薬売りよりも、道場で師範とかやってた方が向いているんじゃないかな…」
などと話をしているうちに、二人とも食べ終わった。
サヨは剣の国出身ではない上に、こちらの事はほぼ何も聞いてこなかった。
薬と毒は紙一重という話もあるため薬草を集めているという事が少々気になったが、間者ではなさそうだと考えタタールは警戒を少しだけ解いた。
タタールは、
「ところで、君は風邪に効く薬草を持っていないかい?港町の知人が風邪をひいたらしいから持っていってやりたいんだけど」
と、言った。港町の医者に見せ、毒だったら捨てればよく、薬であればそのままダライに渡そうと考えたからである。
「それなら、これなんかいいですよ。飲めば一発で治ります」
と言い、背負っていた荷物から薬草を取り出しタタールに渡した。
その後も情報を引き出そうとしばらく会話を続けていたが、次第にタタールは眠くなっていった。
この女より先に寝るのはまずいと思っていたが、疲れていたうえに食後だったため眠気が凄まじく、風を毛布に、草原をベッドにして気絶するように眠ってしまった。
翌朝、タタールは飛び起きた。
疲れていたとはいえ、素性の分からない人間の横で寝てしまうとは愚かにも程があると猛省し、とりあえず荷物を確認した。
食料が少しだけ減っているが、他は特に変わっていない。
すると、
「あっ、起きたんですか」
と、少し離れたところから声が聞こえた。
声が聞こえた方を見てみると、サヨが数匹の魚を焼いていた。
さらに、
「ごめんなさい、起きた時すごくお腹が空いていたので食料を少し貰っちゃいました。お詫びと言ってはなんですが、そこの川で何匹か魚を獲ったので一緒に食べませんか?」
と、言われたため、タタールは、
(警戒しているのがなんだか馬鹿馬鹿しくなってきたな)
と思いながらサヨの方へ向かった。
「起きた時見当たらなかったからもうどこかに行ったのかと思ったよ」
と、タタールは声をかけた。
「ひどいなぁ、私があなたに挨拶もせずにどこかに行くような人間に見えますか?」
「会って間もないから分からないよ。ただ、知らない間に僕の食料を食べられていたからちょっと信用できなくなったかな」
「ごめんなさいね、昨日はあなたに貰った肉しか食べてなかったもんですからお腹が空いちゃいまして」
「代わりのものを用意してくれていたしいいよ」
「ちょうど焼けたみたいですよ。早速頂きましょうか」
と、サヨがタタールに焼けた魚を渡し二人は食べ始めた。
朝食を食べ終わり、タタールは港町へ向かう準備をしていると、
「もう港町へ行くんですか?」
と、サヨが話しかけてきた。
「準備が終わり次第出発するよ。昨日は馬に少し無理をさせたから、今日は馬にあまり負担を掛けないようにゆっくり進みたいからね」
「そうですか、私はしばらくここ周辺に滞在して薬草を収集しているのでよかったらまた寄ってください」
「昨日貰った薬が効いたらお礼を言いに来るよ」
と、タタールは言い港町へ向けて進み始めた。
「お土産期待してますねー」
などと、途中までサヨの声が聞こえていたが、離れていくにつれ次第に聞こえなくなった。




