槍の国の代官
槍の国の代官ルーク・ボールディングは剣の国との戦いで槍の国が敗北した後、剣の国から派遣されてきた人物であるが元は槍の国出身である。元々ルークは十年くらい前から剣の国に入り込んでいた間者であったが、
(出世した方が得られる情報が多いな)
と、考えて数年間かけて剣の国の文官まで上り詰めていた。
ルークは剣の国の文官として働いている間も打倒剣の国という目標は失っておらず、情報を槍の国へと漏洩させたり他の間者のサポートなどをしていたが、少し前の戦いで剣の国が槍の国を倒してしまい、槍の国は剣の国の一部となってしまったので急遽槍の国だった地域の代官に志願した。
代官が他の者になってしまった場合、剣の国を倒すことも槍の国の再興も難しくなると考えたためである。
文官としての経歴はそこまで長くなく、何より他所から流れて来た者だったため、ダメもとの志願であったが、剣の国では人手不足であり、さらにルークは槍の国出身だとバレていなかったため割とすんなりと代官になることができた。
ルークは剣の国からしばらくの間は治安の維持と復旧作業、国境の警備を優先するように指示を受けていたものの別のことを考えていた。弓の国のことである。
弓の国は駿馬や弓の技術だけでなく、計画性や組織力、情報収集能力など戦いにおけるありとあらゆるものが剣の国を上回っており、さらに船の国まで味方につけている。
そのため、魔法使いが加入した程度ではどう考えても弓の国には勝てないと考えており、そもそも本来の敵である剣の国のために全然関係のない弓の国と戦うなどという事は気が進まなかったため、ルークは剣の国に対して二心を抱いているということと、弓の国が勝利した暁には槍の国の自治を認めて貰いたいということをなんとか弓の国に伝えたいと考えていた。
しかし、槍の国の城は常に剣の国によって監視されており、そう簡単には弓の国とのコンタクトは取れない。剣の国は城の国と現在交戦中で普段より隙があるだろうが監視は緩まないだろう。
そこで、ルークは城内で自分と背格好が似たものを選抜して影武者とし、自分は荷物にまぎれ込み城下に下りた。城下で商人の家に駆け込み事情を説明すると、協力を快諾して貰えたためルークは商人に化けて城下から出て西に向かった。商人達は元々弓の国の港町へと向かう予定であり、ルークはその中に紛れ込ませて貰っている。商人の話によると、弓の国と剣の国は対立しているため非公式ではあるものの、商人間の交流は小規模ながら続いているらしい。
辺堡や界壕を避けるため遠回りしたので、弓の国に入るのに数十日要した。
この地は槍の国と比べて酷く乾燥している。
弓の国には実際には砂漠ステップなどもあるが、ルークは見渡す限り草原が広がっており、河川もそこそこ多く、場所によっては鈴蘭等の花が一面に咲いているというイメージを強く抱いていたため、喉の渇きと乾いた風に少々困惑した。
しばらく進むと道が二手に分かれていた。一方は南西に伸びている道で、もう一方は北に伸びている。ルークは隊商とここで別れることになった。
「共に港町まで行けばそこの族長に会えるのではないか?」
「それでも会えるとは思いますが、ここから北の道を進んだ方が城は近いですよ。族長に会うのは、あくまで王と会うことができるように取り計らってもらうためでしょう。わざわざ遠回りする必要はありますまい。それに、港町には剣の国の他の隊商がいる可能性がある。もし彼等が国に帰って貴方を見たというような事を流布して剣の国の国王に裏切ることがバレてしまってはまずいのでは?」
「それもそうか」
「北の道をそのまま進んで行けば、どこかしら集落のようなものが見えてくると思いますが、遭遇しなかった場合、弓の国では各地に宿駅があるのでそこの役人に会うというのもいいかもしれません」
「わかった。色々と世話になったな。短い間だったが楽しい旅だったよ」
「こちらこそ新国王のお役に立てて光栄です。剣の国ほどではないと思いますが、弓の国も多少ピリピリしていると思われます。道中気をつけてくだされ」
ルークは剣の国から派遣された代官とではなく、槍の国の新国王と認識して貰えていた事を嬉しく思った。隊商と別れて北上し始めると少し風が強く吹き始めた。追い風である。
北上してしばらく進むと、ポツポツとゲルが見えてきた。
(集落かな?)
確認するべくルークは足を速めた。
近づいてみるとかなり大きな町であることが分かった。遠くからでは白色のゲルしか分からなかったが、実際には粘土やレンガでできた建物もかなり多く、居住区、商業区、工房区などに分かれている。近くには大規模な耕作地もあったため、
(弓の国の人々は草原をあてもなくさまよって定住地を持たないような印象があったが、認識を改めなければならんな。ここは弓の国の一都市なのだろうが剣の国の首都よりもずっと栄えているではないか)
と、驚いた。
町を歩いて回ってみると、ひと際大きなゲルがあった。ゲルの前には守衛が立っている。
ルークはゲルに近づいて守衛に
「族長に伝えねばならぬことがある。ここを通して頂きたい」
と弓の国の言葉で言った。元々間諜をやっていたためルークは他国の言葉は得意である。
「申し訳ないが、他国の者を易々と通すわけにはいかない」
「剣の国に関する事を伝えに来たんだ、頼むから族長に会わせてくれ」
「見たところあんたは槍の国の商人のようだが、なぜ槍の国の商人が剣の国の情報を伝えに来るんだ?槍の国は今や剣の国の一部だろう。あんた、自分の国の情報を売るつもりか」
「まぁ、そういうことだ。武器は持って来ていないが、信用できないのであれば身体チェックをしてくれて構わない。とにかく中に入れてくれ」
守衛は困ってしまった。この男のいうことが本当であれば敵国の人間が敵国の情報を持って来ているということになるので、有力な情報を手に入れることができるだろう。しかし、この男が嘘をついている可能性もあり、そうなった場合、長が危険に晒されてしまう。武器を使わずに攻撃する方法などいくらでもあるので身体チェックなどあまり意味があるとは思えない。
守衛がどうしようかと思案していると、遠くから馬の蹄の音が聞こえて来た。音はどんどんルークと守衛の方へ近づいて来ている。
やがて、目の前の通りの建物の影から騎馬が現れて守衛とルークの前で止まった。
騎乗しているのは矢を入れる袋と二メートルほどの槍を背負った大男であった。男の背丈は背負っている槍より高く、手に持っている弓がかなり小さく見える。
「お前、いつの間に抜け出していたんだ。ゲルの前を警護していたのに全然気づかなかったぞ。出かけるなら出かけると誰かに言ってから出かけてくれ」
と、守衛が大男に話しかけた。
「すまんな。しかし、街で書類と向き合ってばかりだと体がなまってしまってな。こうしてたまに馬に乗らないと落ち着かないんだ。本当はみんなと一緒に界壕の整備や国境警備なんかの体を動かす事がしたいんだが、俺はそう簡単にこの街を離れるわけにもいかないしな」
「馬に乗る事を止めているわけじゃない。ただ勝手に出ていくのをやめてくれと言っているんだ」
「お前に言ってからだと短時間で連れ戻されるではないか」
と、言ったあと大男はルークの方を向き
「そういえばこちらの方は?」
と守衛に聞いた。
「私は槍の国から来たルークという者だ。剣の国のことで族長に話があって来た」
守衛ではなくルークが答えた。
大男は目を細めてルークを見たあと
「そうですか、ではゲルの中で話を伺いましょう」
と、言った。
「おい、そう簡単に見ず知らずの人間を招き入れるなど何を考えているんだ。せめて、俺を同席させろ」
と、守衛が不安そうに大男に言うと
「いや、一対一の方がルーク殿も話しやすかろう。それはそうと槍を預かってくれんか」
と大男は答えて背負っていた槍を守衛に預け、代わりに守衛が帯刀していた剣を抜き取った。室内では槍より剣の方が役に立つということは守衛もルークも知っている。守衛は少し安心したが、ルークは顔には出していないが少々不安になった。
二人はゲルの中に入って行った。大男の足取りはゆったりしているが、ルークの歩幅は少し小さい。それを見て守衛はさらに少し安心して持ち場に戻った。
ゲルの中はかなり広かった。一般的なゲルの数倍はでかい。
二人は室内の端の方にある机を隔てて対座した。先程大男が守衛から受け取った剣はゲルの入り口付近に立てかけられたため、話をしている最中にいきなりルークに斬りかかるなどということはできない。
大男は、
「申し遅れました。私の名はバシレイオスといい弓の国北東部の長をやっております。貴方は商人の姿をしていますがひょっとして槍の国の王ではありませんか?」
と、槍の国の言葉で言うとルークは驚いて
「なぜそのように思うのです」
と聞いた。
「王というものには王らしさといいますか、カリスマ性といいますか、何かオーラのような物が備わっており、貴方からはそれを感じる事が出来ます。ただ、そのオーラをある程度出し入れする事が出来て、商人の格好が様になっており、他国の言葉を話すことができるというところを見ると間者の様な方ですな」
(なんだこの男は。俺はまだ何も言っていないぞ)
会って数分で正体をほぼ看破されてしまったため、ルークは恐ろしくなった。しかし、バシレイオスの話し方は何故かとても人を安心させるような話し方であり、ルークはどういうわけか全てこちらの事を話してしまいたくなった。
まずいと思いつつもルークは元々剣の国に派遣されていた間者であったことや、剣の国を叩くために元槍の国の地域の代官になったことなどを全てバシレイオスに話してしまった。バシレイオスは目を輝かせ、ときどき頷いたり考え込むような表情をしながら話を聞き、全て聞き終わると
「そうですか、大変でしたね。王には私が会えるように取りはからいましょう」
と、言いタタールに宛てて書類を作成し、ルークに渡した。
それだけでなく、バシレイオスはルークが宿駅の替え馬や施設を使えるように書簡を作成している。
ルークはバシレイオスに礼を言うと早速城に向かって西に伸びている道を進み始めた。
その後、バシレイオスは部下のアロテレスという者を呼び
「奴を尾行して観察しろ。道中不穏な動きがあれば始末してしまえ」
と、指示を出した。
「それ程注意を払う必要があるのか?奴はあんたに警戒することなく自分が持っている情報を話したんだろ」
「注意するに越したことはないだろう。お前なら奴に気付かれることなく尾行できるはずだ。実はこの前ゲオルが偵察はアロテレスが一番上手いと言っていたのを耳にしたんだ。必要なら俺の馬を使っても構わんぞ」
「乗れねぇよあんなでかいの。じゃあ行ってくる」
「大変だと思うがよろしく頼む」
準備が整うとアロテレスは西に向かって馬を走らせた。北東の街から城まではそこそこ距離があり、尾行はなかなかの重労働である。
アロテレスは道を進みながら
(バシレイオス以外から命令を受けていたらおそらく断っていたな)
などと考えていた。バシレイオスの別の部下が尾行の指示を受けたとしても同じ事を考えるだろう。
ルークは順調に進み、短期間で城に到着した。
アロテレスが尾行して来ていることには始終気づかなかったが、ここまで怪しい動きはしていないため始末されることはなかった。
(間者をしていた頃も弓の国へは来た事がなかったが、ここまでの城があるとは)
そう思うのも無理はないだろう。港町程の大きさではないものの、水堀や馬出し、枡形虎口が設置されており、山の斜面には堀障子付きの竪堀が畝状にこれでもかという程掘られている。さらに、物見櫓は曲輪ごとに設置されており、主郭の前には木橋がかかった堀切があって、橋を外されると主郭に侵入できないようになっている。防御力だけではなく、居住性にもそこそこ気を配っており、主郭には果樹が植えられ、天主の中には井戸が設置されている。しかし、弓の国では他国に侵攻する事が多かったので、この防御施設が使われたことはない。
ルークは門番にバシレイオスから受け取った書類を見せて入城した。
門番から王は山の上にいるという事を聞いていたので、早速大手道を登り始めたが所々道が曲がりくねっている上に長いため、かなり登りにくい。馬に乗ったまま駆け上がる事が出来るように道は緩やかになってはいるが、馬は門前で取り上げられて徒歩で登っているためルークは頂上に着く頃には疲れていた。
ルークが番兵に案内されて天主に入ると既にタタールが待っており、
「遠いところをご足労頂き有難う存じます。ここに来て早々、城まで登らせてしまい申し訳ございません。ここ最近は周囲を警戒するためにここにいる事が多くなりましてね」
と、ルークに話しかけた。
(この男が弓の国の王か、背丈はかなり違うが、何処となくバシレイオスという族長に似ているな)
とルークは思い少し警戒した。以前バシレイオスに自分の素性をペラペラと話してしまったためである。
ルークはバシレイオスから受け取った書類をタタールに渡すと、不要な事を隠しつつ魔法使いの戦い方や能力について話し始めた。ルークは溶二とはあまり会ったことはなかったが、国境警備隊や溶二の部下などの話や、町の噂などから魔法についての情報をある程度入手している。
タタールは書類を見ながら、ルークの話を聞いていた。
「貴重なお話有難うございます。しかし、なぜ貴方が剣の国の情報を?」
「槍の国にとって、敵はまだ剣の国です」
タタールは少し疑わしく思った。確かに槍の国は剣の国と戦って負けているため、剣の国を快く思わない者もいると思われるが、向こうでは弓の国を倒してしまえなどと言っている者も多いという情報が諜報で入っている。
バシレイオスが書いた書類にはルークは槍の国に置かれた槍の国出身の代官でありなかなか強い愛国心を持っているようだ、二心あることに間違いはないだろうなどということが書かれているが、タタールは自分でも確かめてみたくなり、
「気になっていたことがあるのですが、槍の国の国王は無事ですか?大陸一の武勇があり槍を持てば常勝無敗。剣の国が魔法なんて物を使わなければ彼は負けはしなかったはずだ。一度是非お会いしたいと思っていたのですが」
と、言ってみた。
槍の国の国王は多くの国民から尊敬されており、特にルークは神のように尊敬していた。
ルークは大陸最強と言われる国の王が自国の王の武勇を賞賛してくれたことを嬉しく思い、
「剣の国の牢に閉じ込められております。本当はすぐにでも助けに行きたいのですが、剣の国に監視されているので兵を挙げることができないのです」
と泣きながら言った。
(どうやら味方に引き込めそうだ)
「こちらにも準備があるので、すぐに剣の国を叩くことはできませんが、貴国の協力があれば心強いです。こちらからも今後の協力よろしくお願いします」
と、タタールが言うと
「何かあればすぐに言ってくだされ」
と、言い残してルークは帰って行った。
ルークが出て行った後隠れて話を聞いていたサンサルが
「奴からは王っぽさはあまり感じなかったな」
などと言いながら物陰から出て来た。
「最近急に代官になったわけだから、まだ慣れていないんじゃないかな。だけど、城を抜け出して単身でここまで来たことには親近感を感じるよ」
「お前の場合は仲間が草原中にいるからそこまで心配はねぇけど、奴の場合は敵対している国に乗り込んでいるわけだから話も変わってくるだろ。凄い奴だが、あれは王とはまた違った凄さだ」
サンサルと話しながらタタールは
(槍はこれで多分大丈夫だ、棍と鉄はどうかな)
と考えた。
ハルが色々と策を講じてくれているということは知っていたが、棍と鉄の二国に今のところ目立った動きはない。




