私は、救世主-6
痛い。
それに冷たい。
「ん……」
ゆっくりと目を開けると目の中に何かが落ちてきた。
慌てて起き上がり目に触れてみて、それが水であるということに気が付く。
視線を上げると、天井から水が漏れているようだった。
天井と言っても、石で出来ているし所々苔が生えているようだった。天井だけじゃなくて、周りを覆う壁も床も石で出来ている。
唯一違うのは目の前の鉄製の柵ぐらいだ。自分が寝ていたらしい布団と呼ぶにもお粗末な布切れは湿っていて気持ちが悪い。
私はその場から立ち上がると鉄柵に触れて揺すってみるがビクともしない。
私は諦めて鉄柵から離れると体育座りをして壁に寄りかかった。
背中が冷たいけど、仕方が無い。
牢屋、なのだろうな。
あの後、私は王子の「少し頭冷やさせて来い」の一言で騎士たちに無理やり部屋を退室させられた。
そして、部屋を出た後思いっきりお腹を殴られた所で記憶が途絶えている。
気絶させられ、ここに連れてこられという感じだろう。
あぁ、なんと理不尽な。
私は固い石の壁を思いっきり叩いてみた。
少し、痛かった。
***
「……帰りたい」
牢屋は暇だ。
何もすることがなくてぼんやりと天井を見上げていると、急に家族のことを思い出した。
厳格な父と優しい母そして生意気な弟の4人家族だった。
本当に平凡な、どこにでもいる家族。
ここに来る前も、4人で夕食を食べたことを覚えている。
大好きな母の味噌汁をお代わりをして、デザートのプリンを弟と取り合って、見かねた父が自分の分をくれて……
部屋に戻った私は、いつもと同じように雑誌を読みながら寛いでいた。
変わらない日常。少し刺激が欲しいとも思ってはいたが、今思えば贅沢な話だ。
そして悲劇は起こる。
急にふらっと眩暈がして、次の瞬間にはまるで床が抜け落ちたかのように私は落ちて行った。
そう、落ちたのだ。
あんな奇妙な体験をしたのに今まで少し忘れていた。
あれがきっと、王子が言っていた召喚なのだろう。
「…………あれ?」
そこで何故か引っかかる。
私はまだ重要なことを忘れていないだろうか?
あれは、眩暈がする前。
何かが聞こえて……。
誰かに、名前を呼ばれた気もする。
いや、私は何かを言われたのだろうか?
何かって、何を?誰に?
「あぁっ……もう!」
私は自分の頭を掻き毟った。
思い出せない。召喚の後遺症というものだろうか?
頭の中がモヤモヤとする。嫌な感じだ。
「帰りたいよ……」
頭に手を置いたまま呟く。
怖い。助けて。教えて。帰して。頭の中をそんな言葉ばかりがよぎる。
吐き出すことの出来ない言葉はグルグルと回るだけで、心にのしかかっていく。
「お母さん」
家族に会いたかった。
優しく抱きしめて欲しかった。
泣きたかった。
でも、涙も流れない。
その時、冷たいこの場所にカツンと靴音が響いた。
びっくりして顔を上げる。
薄暗いこの場所に、ぼんやりとした光が近づいてくる。
警戒しながらも光の方に視線を向けると、光の正体が顔を見せた。
「おや、起きていましたか。お嬢さん」
私の視線が合うとその人はニッコリと笑顔を浮かべる。
その胡散臭い笑顔はまだ記憶に新しい。
「セハンさん、でしたっけ?」
「そうだよお嬢さん。ここの居心地はどう?」
「……最悪ですよ」
分かりきったことを聞かないで欲しい。
睨み付けてやるがセハンの表情は変わらない。
「可哀想に、殿下も牢屋に閉じ込めるまでしなくてもいいのにね」
柵越しに私を哀れむような視線を送ってくる。
だったら出してくれればいいのに、と思うが無理な話だろう。
「……疑問に思わない?」
しばらくの沈黙が続いた後、セハンは唐突にそう言ってきた。
「何がですか?」
「お嬢さんの扱いだよ。君は天子なんだ。本来世界を救う救世主としてお嬢さんは大事にされるべき存在なんだよ。それなのに手錠を付けられたり、牢屋に入れられたり可笑しいと思うでしょ」
「それは……」
確かに思った。
この世界に来てから鋭い視線ばかり向けられる。
王子だって、私のことをいやそうな目で見ていた。
騎士の扱いだって酷かったし、とても大事にされているとはも思わない。認めたくはないが、仮にも天子であるはずなのに、だ。
「この世界、特にこの国はね。天子を嫌っているんだよ。さて、それは何故でしょう?」
「――分からないですよ。そんなの」
そういえば、セハンは笑みを深くした。
ゾクリと背中に悪寒が走る。
「天子が召喚されたのはお嬢さんが初めてじゃない。前の天子がいたんだ」
「え……?」
さすがにびっくりして目を見開いた。
そんな私に構わずにセハンの言葉は続く。
「その天子はね、殺したんだよ。この国の民を」