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ナマモノ注意

 アパートに、両腕で抱えると、顔を反らさねば抱えられないほどの大きさのダンボール箱が届いた。隙間なく貼られたガムテープ。宛名書きの側には「ワレモノ注意」、さらに「なまもの」の注意書きを印字したシールが貼られている。

 先日、実家の母親から野菜を送ったわよ、と電話をもらっていた。きっとそれが届いたのだろう。

 わくわくしながら狭い廊下を占めるほど大きなそれを置き、奥の部屋からカッターナイフを取って来て手早く両端のガムテープを切った。

 月末の今は家計を切り詰めており、ここ数日間ご飯のお供は塩ぐらいなものだったので、新鮮な野菜を食べられると思うとカッターナイフを持つ手が喜びに震える。

 が、最後に中央に切れ目をいた瞬間、ダンボール箱に鳥のような足が生えたではないか!

 ひええ! そんな情け無い声を上げて背後に飛び退き、バランスを崩してそのまま尻餅をつく。よく見ると生えた足には鋭そうな爪がギラギラしている。ワキワキと薄気味悪い動きをするそれが目の前でべったり貼り付いたガムテープをめくっていく様は奇っ怪だ。

 器用に二本指でテープをつまみ、もう一本の指が接着面に入り込んでノコギリのような動きで器用に剥がし、段ボール箱の封を切っていく。呆然としている間に、ダンボール箱の蓋はあっけなくパカリと口を開けた。

 宇宙人だ、宇宙人がこの中にはいるんだ。

 冷や汗が全身の毛穴という毛穴から吹き出す。恐怖で瞬きもままならないから、早速乾いてきた目も充血してきた。

 触手が生えたクラゲみたいなのだったらどうしよう、とか。粘着質だったり人食いで、未知の病原体を運んできていたらどうしよう、とか。とにかくこれまでに見てきたアメリカ映画に見ることができるエイリアン像が次々とフラッシュバックする。

 ゴソゴソと何かが動く音がして中に足が引っ込み、一拍もおかずそれは天井を突き破らんとする勢いで飛び出してきた。

 それが何物であるか確かめるより先に身の安全を図って動けたことは奇跡だったと言える。

 お尻を引きずってズサササササと光の速さで後退し、それから首を伸ばしてフローリングの上にボテッと落ちた物体を凝視した。

 その物体は嘴と鶏のような足からして鳥類なのだろう……か。自信がない。それも当たり前だ。なぜかそいつは黄色いTシャツを着ていて、鳥だと思われるのにインディアンよろしく羽飾りで頭を飾っているのだ。目はぎょろりとしていて、しかもそいつは一羽だけでなかった。大きなダンボール箱の中から次々に顔を出し、あっという間に廊下はそいつらでいっぱいになった。しかもギャーギャーと耳障りな声で鳴くのですごくうるさい。

異質な生命体を目の前にして、(じつはすこし拍子抜けしたが)勇気を振り絞って住人は立ち上がった。

 段ボールに詰め直して外にほっぽり出してやる!

 けれどそうこうしている間に、やつらはやつらで相談していたらしい。すし詰めの中から一羽の鳥が――こいつはペンギンのぬいぐるみを被っている――前に出て、周囲は途端に静まり返ったのだから。住人は突然訪れた静寂にびっくりして、踏み出そうとしていた足を引っ込めた。


「なんなのあんたら」


 一生懸命動物図鑑にこんなヘンテコな鳥らしくない鳥がいただろうかと記憶を掘り起こしていたら、ペンギン(便宜上そう呼ぶことにする)はちょっと恥ずかしそうに着ぐるみを片足部分だけ脱いで高々と掲げた。そのとき黒い目と目が合ったような気がするけど信じたくない。

 目を点にするアパートの住人――つまりあたしの目の前で奇っ怪な行為はとどまることを知らない。

 ペンギンは掲げた足の爪を白い壁紙にかける。ともするとガリガリと爪で削り始めた。

 ぎゃっ! あたしは可愛げのない悲鳴をあげ、恐怖も忘れてペンギンに飛びかかり取り押さえようとした。しかしその伸ばした手はペンギンの同胞にどやどやと押しかえされ、抑え込められてしまってあえなく失敗する。

 涙で床を濡らし、ずいぶん長いこと鳥らしからぬ鳥どもにのしかかられていた。ようやっと解放されたときには、壁に見事な彫りで絵文字が並んでいるという賃貸住まいの人間にとっては無慈悲な光景が広がっていた。トホホである。

 涙で曇る視界で見たその絵文字の出来は、見事だった。どれくらい見事かというと、例えば嘴をひろげた鳥たち(きっとペンギンとその仲間たちに違いない)がいて、近くに魚、原始人が食べそうな骨付き肉、人参の絵が彫られていた。それらが指し示すものが要は「食事の要求」だと容易に理解できてしまう程、実に見事だったのである。

 鳥のクセに、まさか自分より絵心があるのではと住人がひがんでいるとは口が裂けても言いたくない。

 ペンギン一同が空腹なのはわかったが、住人も劣らず空腹である。これを満たすのは実家からの仕送りしかない。

 のそのそと身を起こして角の潰れたダンボール箱を覗きみたが、中は当然空だった。いや、食物があった形跡はあった。底の方に野菜の食べかすなどが散らかっていた。

 希望がついえ、愕然とする住人の背後ではペンギン一同がぎゃーぎゃーとうるさく騒ぎ、耳障りな声で大合唱である。カルシウムが不足気味な住人の堪忍袋の緒が切れるのは時間の問題だった。

 ちょうどその時、ピンポーンと鳴ったのはドアチャイムである。本日二度目。

 今度は何だと苛立ちと勢いにまかせて押し開けるとそこに立っていたのは隣人の上尾さんだった。

 上尾さんはいつものようにかっこよかった。微笑むと途端に柔らかくなる目元には、歳相応に薄っすらと皺が浮かんでいる。唇は厚すぎず薄すぎず、色の境界がハッキリしている。低めの声が印象をさらに落ち着かせるので年齢を推測しにくいが、たぶんまだ二十代。

 こんにちは。彼が挨拶を言い終える前に扉を閉めた。

 もちろんあたしの脳内細胞は大混乱である。

 上尾さんはなぜ来た! この鳥やろうがうるさかったのでその苦情を言いに? いやいや、こんな変な生命体を繊細な上尾さんの前にだしたらあたしの沽券に関わるから違う目的があったと信じたい! ならば回覧板か? そうか回覧板か!

 強引な自己解決後、再び扉を開くとそこには心配そうな表情をした上尾さんが立っていた。それもあたしの目にはアンニュイなオーラを放つ美男子にしか映らない。


「こんにちは、回覧板ですか?」


 二度目の挨拶は自分から言った。礼儀正しい上尾さんもそれに答えてくれるけど、その手には回覧板を持っていないようだ。

 ということは別の用事が?

 他に何も思いつかなかったあたしは、しばしぼんやりしていた。(たぶん栄養不足で)

 だから開いた扉の隙間から例の生命体が──あたしの沽券に関わる不逞な輩が──飛び出して行くまで気づかなかった。

 声にならない叫び声を上げて逃亡者を追いかけひっつかみ、こわごわと振り返る。

 上尾さん上尾さん上尾さんーっ!

 はたして、上尾さんがいったいどんな目であたしを見てきていたかと思えば、ちょっと驚いた様子で彼はすぐにこう言った。


「なるほど、賑やかになるわけだ」


 そうして彼の足元に現れたペンギンを持ち上げ、目の高さにまで持っていく。


「か、上尾さんはそれのこと何か知っているんですか?」


 上ずった声になってしまった不恰好なあたしの質問に、彼はゆるゆると首を横に振る。わからない。


「そ、そうですよねー」


 期待した分がっかりしたが、彼の次の一言であたしの今後の運命が決められようとは。


「こいつ見たことない動物だけど、かわいいね。百井さんにぴったりだ」


 上尾さんとはじめて会った時、あたしの心をぶち抜いた例の笑顔で言うから。


「また今度、(ペンギンに)会いに来てもいいかな」

「もちろんですよ~!」


 この瞬間、やつらを養うあたしの運命が決まった──。







 謎の生物が乱入したことで、あたしの生活はすべてが狂った。

 まずペンギンたちは(イラッとする事実だが)グルメだ。そして部屋が散らかっていると飛び蹴りしてくるし、なぜかゴミの分別にうるさい。結婚もしていないのに突然姑が五人も六人も現れたかのようで息苦しい毎日に辟易する。

 意志の疎通はおおかたペンギンが画用紙にクレヨンで絵文字を書き、あたしが理解するという一方通行なものではあるがどうにか成り立っている。

 あたしはペンギンが届いたその日、泣く泣く貯金を崩して野菜と米を買い、うるさく騒ぎ立てる鳥一同にも基調な米と野菜炒めを分け与えてやった。にもかかわらず、やつらはせっかくあたしが作った野菜炒めを一口つまんで、ペッとすぐに吐き出したのだ。けしからん。

 今年の春から社会人一年目のあたし。あたしは確かに今まで一人暮らしの経験がなかったから料理も数えるほどしかしたことがなかった。だから料理に自信はあるわけではなかったが、せっかくの手料理を吐かれるとは。しかも人外に!

 人生終わった……。

 このときあたしは確かにそう思った。

 会社ではそもそも足手まといの新人だ。慣れない職場の雰囲気でも賢明に仕事を覚えようと努力しても失敗ばかりが積み重なっていく。疲弊しきって帰宅すればしたで、そこには超のつくグルメな鳥が八羽もいて、夕飯にフレンチフルコースを要求してくるのだから終ワッテル。

 それでもどうにか一年をしぶとく生き抜けた。

 ペンギンらが来てすぐ下の階のアパートの住人から騒音の苦情を入れられてしまったことがあった。

 やつらがうるさいことは一緒に暮らしているあたし自身がよく分かっている。

 社会人一年生だが礼儀はあるつもりのあたしは、苦情を言ってきた下の階の住人だけでなく、両隣にも菓子折りを持って頭を下げに回った。

 それまで廊下をすれ違うときに会釈をする程度にしか知らない人の住む部屋のドアチャイムを鳴らすのは勇気がいったが、済んでしまうとずいぶん呆気ないものだなと後になって思い返してみたりもした。

 いかなるあるまじき環境の変化でも、状況の奇っ怪さに麻痺して慣れてしまえるものらしい。あたしはそうだった。

 三ヶ月もしないうちに、普段は脱ぎ散らかしっぱなしで掃除機も月に一度かけるかかけないかという頻度だったのが、クロゼットとタンスを有効に活用し、週末には必ず掃除機をかけるようになった。半年もすると、グルメなペンギンらのおかげでキャラ弁ぐらいならを作れるようにまでなり、一年後にはコース料理さえも作れるようになっていた。

 あたしの人生は変わった。

 振り向いてもらえないと思っていた上尾さんと一年間付き合って別れ、職場では人事異動で別の課へ。彼との別れを機にあたしは新天地を探して引越しをすることにした。鳥たちはきっと自らの意思で上尾さんの元に残るだろう。それは上尾さん本人の願いでもあると思うと、元恋人としては微妙な感想。いや、怒るべきところか?

 とにかくあたしは近いうちこの貸家を出る。

 これからはあたしが決める。運命を。


この作品、書いた本人ですらも意味分かりません。『指先の上のお菓子』に繋げたかったのは事実です。

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