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異世界キャバクラ王 ~酒チートと氷魔法で、夜の社交界を支配する~  作者: 阿鼻恭介
夜の社交場を目指して

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第48話 試験営業

朝の西通りは、いつもより少しだけ早く目を覚ましていた。


中央通りのような喧騒はない。だが、石畳を行き交う人々の足音には、どこか落ち着かない熱が混じっている。店先を掃く商人たちも、荷車を引く職人たちも、何度も一つの建物へ視線を向けていた。


Club Moon Drop。


扉の前には、小さな木札が掛けられている。


――本日、試験営業。


正式開店ではない。


昼と夜、それぞれ限られた客だけを迎え、店が本当に動くかを確かめる一日だった。


レンは入口の前に立ち、磨かれた扉を見つめていた。


受付。


待合。


四人席。


カウンター。


厨房。


バックヤード。


そして右奥のVIP席。


図面の上で何度も引いた線が、今は現実の空間になっている。


だが、今日確かめるのは建物ではない。


人だ。


リリア。


エレナ。


セレナ。


ミーナ。


ロイ。


ノア。


この店を動かす人間が、それぞれの場所でどう立ち、どう動き、どう客を迎えるか。


それで初めて、Club Moon Dropは店になる。


「レン。」


扉が少し開き、リリアが顔を出した。


制服姿の彼女は、朝の淡い光を受けて少し大人びて見えた。森でパンを差し出してくれた少女が、今はこの店の受付に立とうとしている。


「準備、できたよ。」


「ありがとう。」


レンは頷き、店内へ入った。


中には、すでに全員が揃っていた。


受付にはリリア。


客席側にはエレナ、セレナ、ミーナ。


入口横にはロイ。


そしてノアは、テーブルクロスの端を丁寧に整えていた。


「皆さん。」


レンが声を掛けると、全員の視線が集まる。


「今日は試験営業です。完璧にやる日ではありません。失敗を見つける日です。」


エレナが少しだけ肩の力を抜いた。


「失敗しても……いいんですよね?」


「はい。でも、気づいたことは全部覚えてください。今日見つけた失敗は、正式開店前に直せます。」


「はい!」


返事が少し大きい。


エレナは自分で気づき、慌てて口を押さえた。


「……はい。」


その様子にリリアが小さく笑い、張り詰めていた空気が少し和らいだ。


レンは一人ひとりへ視線を向ける。


「リリアは受付と最初の空気をお願いします。昼は初めて来る女性客が多い。最初に安心してもらうことが大事です。」


「うん。任せて。」


「エレナさんは、明るさが強みです。ただし、案内の時は歩く速度と声の大きさに気をつけてください。」


「はい。」


今度は少し声が落ち着いていた。


「セレナさんは、エミリアさんや商家の奥方の席を中心にお願いします。丁寧さと品の良さを活かしてください。ただ、堅くなりすぎないように。」


「承知しました。」


「ミーナさんは、無理に話を広げようとしなくて大丈夫です。相手の言葉を最後まで聞いてください。それが一番の強みです。」


ミーナは小さく頷いた。


「……はい。」


最後にレンはロイを見た。


「ロイ。今日は黒服は君一人です。」


「ああ。」


「立ちすぎない。近づきすぎない。でも、見逃さない。」


ロイは入口から客席、カウンター、奥の席まで一度視線を流した。


「問題が起きる前に、空気を見る。」


「そうです。」


その声には、昨日までになかった落ち着きがあった。


◇◇◇


昼営業の客は七名。


昼会員第一号のエミリア。


エミリアが連れてくる紹介客。


創設準備仮会員の商家の奥方。


同じく仮会員の若い女性。


若い女性が連れてくる紹介客。


そして、金獅子亭の昼営業によく来ていた女性客二人。


最後の二人は、リリアが自分で声を掛けた客だった。


金獅子亭で昼営業を手伝っていた頃、何度も顔を合わせた女性たち。


リリアが新しい店で働くと話した時、二人は驚きながらも笑ってくれた。


「あなたが働くなら、一度見に行かないとね。」


「緊張しなくていいように、私たちが行ってあげるわ。」


そう言ってくれたのだ。


だから今日の二人は、Club Moon Dropにとってだけでなく、リリアにとっても大切な客だった。


裏口側では、金獅子亭から運ばれてきた木箱が並んでいる。


料理というより、昼営業用の甘味が中心だった。


蜂蜜を細く掛けた薄焼き菓子。


季節の果実を混ぜ込んだ小さな菓子。


そして、レンがマルクと相談して作った新作の甘味。


飲み物は果実水、冷たく冷やした香草茶、スッキリとした果実酒、甘めの果実酒。


どれも、昼に女性が会話を楽しみながら口にできるよう意識したものだ。


重く酔わせるためではない。


会話を邪魔しないための味。


レンは木箱の中身を確認し、小さく頷いた。


「昼は甘味と飲み物が主役です。お腹を満たすより、会話の時間を長く楽しんでもらう。」


エレナが真剣な顔で頷く。


「甘味も接客の一部、ですね。」


「はい。」


レンは微笑んだ。


「甘いものを食べると、自然と表情が柔らかくなりますから。」


その時、入口の扉が控えめに鳴った。


店内の空気が一瞬で変わる。


最初の客だ。


リリアが受付に立つ。


ロイは入口横へ半歩下がった。


威圧しない。


けれど、何かあればすぐ動ける位置。


「どうぞ。」


リリアの声は柔らかかった。


扉が開き、最初に入ってきたのはエミリアだった。


上品な外出着に身を包み、隣には落ち着いた雰囲気の女性を連れている。


紹介客だ。


初めて訪れる場所への緊張が、目線の動きに出ていた。


「いらっしゃいませ。ご来店ありがとうございます。エミリア様、お待ちしておりました。」


「今日は楽しみにしていました。」


エミリアは穏やかに微笑む。


リリアは隣の女性へも丁寧に頭を下げた。


「ご紹介のお客様もありがとうございます。本日は紹介客としてのご来店になります。会員登録ではありませんので、まずは安心してお過ごしください。」


その言葉で、紹介客の表情が少し和らいだ。


「会員登録ではないのですね。」


「はい。今日はこの店を知っていただくための日です。」


レンは受付から少し離れた位置で、そのやり取りを見ていた。


いい。


リリアは相手の不安を先に拾えている。


エミリアたちは、セレナの案内で中央の四人席へ向かった。


セレナの足取りは美しい。


半歩前を歩き、速すぎず、遅すぎず。


椅子を引く所作も自然だった。


「こちらのお席へどうぞ。」


紹介客の女性が座ると、セレナは軽く微笑んだ。


「すぐにお飲み物をお持ちいたします。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。」


エミリアが静かに頷く。


「とても良い案内ですね。」


「ありがとうございます。」


セレナは一礼した。


少し堅い。


だが、エミリア相手には合っている。


◇◇◇


次に来たのは、商家の奥方だった。


落ち着いた服装だが、布地も仕立ても良い。


彼女は入口に入るなり、店内をゆっくり見渡した。


受付。


待合。


客席。


カウンター。


そして右奥のVIP席。


「あちらは?」


奥方が静かに尋ねる。


レンは一歩近づいた。


「あちらは特別会員専用席です。」


「今日は使わないのですか?」


「はい。現在、特別会員はまだ一人もおりません。」


奥方は少し意外そうに目を細めた。


「席を用意しているのに、誰も座らせないのですね。」


「はい。特別会員は、私自身がこの方ならと認めた方だけにお願いします。お金や地位では決めません。」


奥方はしばらくVIP席を見つめ、それから静かに微笑んだ。


「面白いですわね。高い席を売るのではなく、物語を積み重ねる席ということですのね。」


「そうなればいいと思っています。」


「良い考えですわ。」


その一言に、レンは内心で安堵した。


VIP席を空けておく意味が伝わった。


それだけでも大きい。


奥方はセレナに案内され、四人席へ座る。


椅子に腰を下ろした瞬間、少し驚いたように背を伸ばした。


「この椅子、座りやすいですわね。」


「ありがとうございます。」


レンは答える。


「長く座っても疲れにくく、立ち上がりやすい高さにしています。」


「立ち上がりやすさまで?」


「はい。安心して立てるから、安心して座れると思っています。」


奥方は一瞬黙り、それから満足そうに頷いた。


「女性向けの店として、よく考えられていますわ。」


◇◇◇


若い女性は、紹介客を連れてやって来た。


自分自身も仮会員候補として緊張しているのに、今日は紹介する側でもある。


受付で名前を告げる声が少し震えていた。


リリアはそれを見て、声をさらに柔らかくする。


「ご紹介ありがとうございます。今日は無理に何かを決める日ではありません。まず楽しんでください。」


「はい……。」


若い女性の隣にいた紹介客は、店内へ入ってからずっと視線を下げていた。


初めての場所。


会員制。


女性が接客する店。


怖さを感じても不思議ではない。


ミーナが案内に出た。


「こちらへ……どうぞ。」


声は大きくない。


だが、急かさない響きがあった。


ミーナは二人の歩幅に合わせ、ゆっくり席へ案内する。


椅子を引く動作はまだぎこちない。


それでも、紹介客の手元を見て、椅子の向きをほんの少し直した。


座りやすい角度に。


レンはそれを見逃さなかった。


ミーナは、やはり見ている。


人の動きを。


不安を。


小さなためらいを。


席についた紹介客が、小さく言った。


「……こういうお店、少し怖いと思っていました。」


ミーナはすぐに否定しなかった。


「はい。」


ただ頷いた。


「私も、最初は少し怖かったです。」


「あなたも?」


「はい。でも……ここでは、無理をしなくていいと教えてもらいました。」


紹介客の目が少しだけ上がる。


「話したい時に話して、聞きたい時に聞いても大丈夫です。」


その言葉に、紹介客はようやく小さく息を吐いた。


「それなら……少し安心します。」


若い女性もほっとしたように微笑む。


レンは胸の中で頷いた。


ミーナの接客は派手ではない。


けれど、深い。


◇◇◇


最後に来たのは、金獅子亭の昼営業でよく顔を合わせていた女性客二人だった。


扉が開いた瞬間、リリアの表情がぱっと明るくなる。


「来てくださったんですね!」


「約束したでしょう?」


「リリアが新しい店で働くって聞いたら、来ないわけにはいかないわ。」


二人は店内を見回し、驚いたように笑った。


「まあ、本当に別世界みたい。」


「金獅子亭とは全然違うわね。」


リリアは少し照れたように笑った。


「今日は試験営業ですけど、ゆっくりしていってください。」


「制服、似合ってるわよ。」


「前より表情が明るくなったわね。」


その言葉に、リリアの頬がほんのり赤くなる。


「ありがとうございます。」


案内に出たのはエレナだった。


「こちらのお席へどうぞ!」


声が少し明るすぎた。


ロイがわずかに眉を動かす。


レンも視線を向ける。


エレナはすぐに気づき、慌てて声を落とした。


「……こちらのお席へどうぞ。」


二人の女性客が顔を見合わせ、くすくす笑った。


「一生懸命で可愛いわね。」


「初々しくていいじゃない。」


エレナは顔を赤くした。


「す、すみません。今日は試験営業なので、精一杯頑張ります!」


「そういう正直なところ、嫌いじゃないわ。」


場が和らぐ。


エレナの失敗は失敗だ。


けれど、それが空気を壊していない。


むしろ、親しみを生んでいる。


レンは思った。


高級感だけでは店は息苦しくなる。


エミリアや商家の奥方にはセレナの品が合う。


不安な紹介客にはミーナの静けさが合う。


気安い女性客には、エレナの明るさが合う。


そして入口ではリリアが全体を柔らかく包む。


四人が違うこと。


それこそが、店の強みになり始めていた。


◇◇◇


昼営業は、穏やかに進んだ。


カウンターでは、金獅子亭から届いた甘味が小皿に整えられていく。


蜂蜜掛け薄焼き菓子は、薄く焼いた生地に琥珀色の蜂蜜が細く流れ、甘い香りをふわりと立てていた。


果実入り菓子は小さく切り分けられ、白い皿の上で色鮮やかに映える。


そして新作の甘味は、冷たく仕上げた果実の層と、柔らかな甘みを重ねた一皿だった。


レンの氷魔法を使い、昼営業のために何度も試作したものだ。


「まあ……。」


エミリアの紹介客が目を丸くする。


「こんなお菓子、初めて見ました。」


商家の奥方も上品に微笑んだ。


「これは、お茶だけでなく甘味を楽しみに来る価値もありますわね。」


飲み物も好評だった。


果実水は軽く、冷たく冷やした香草茶は香りが立ち、スッキリとした果実酒は昼でも重くない。


甘めの果実酒は、金獅子亭の女性客二人に特に好まれた。


「これなら昼でも飲みやすいわ。」


「甘いけど、くどくないのね。」


リリアはその感想を聞き、嬉しそうに頷いた。


「ありがとうございます。レンが昼向けに考えたんです。」


ロイは店内を静かに巡回していた。


客席に近づきすぎず、受付とカウンターの間をゆっくり歩く。


時折、空いた皿を下げる。


水を足す。


扉の外を見る。


一度、エレナが甘味の皿を持ってカウンターから出ようとした時、リリアとぶつかりそうになった。


ロイがすぐに一歩動く。


「エレナ、少し待て。」


「あっ、はい!」


リリアが通り過ぎてから、エレナが席へ向かう。


小さな事故を、事故になる前に止めた。


レンはロイへ軽く頷いた。


ロイも短く頷き返す。


言葉はいらない。


今の一つが、黒服の仕事だった。


◇◇◇


営業終了の少し前。


エミリアが紹介客とともにレンへ歩み寄った。


「レンさん。」


「はい。」


「素晴らしい昼営業でした。」


「ありがとうございます。まだ課題は多いですが。」


「課題があるから、これから育つのでしょう。」


エミリアは店内を見渡した。


「それに、この店は女性が人を連れて来たくなる店です。」


その言葉は、レンの胸に深く残った。


女性が人を連れて来たくなる店。


それは、昼営業における最高の評価だった。


商家の奥方も近づいてきた。


「私、正式会員への移行を希望しますわ。」


若い女性も、少し緊張しながら言った。


「私も……お願いします。」


レンは深く頭を下げる。


「ありがとうございます。正式な手続きは夜営業後にまとめて行います。」


紹介客の女性たちは、まだ会員ではない。


だが、その目には明らかな関心があった。


「私たちも、いつか会員になれるのでしょうか?」


一人が遠慮がちに尋ねる。


レンは穏やかに答えた。


「可能です。ただし、当店は紹介制で、審査制です。会員の皆様とスタッフが安心して過ごせる方かどうか、確認させていただきます。」


「誰でも入れるわけではないのですね。」


「はい。」


レンははっきりと言った。


「安心を守るためです。」


その言葉に、エミリアが満足そうに頷いた。


昼営業は終わった。


大きな失敗はない。


むしろ、予想以上の反応だった。


けれど、レンは気を緩めなかった。


夜営業がある。


ガイル。


サラ。


ボルド。


リオネル。


リオネルの紹介客。


バルド。


バルドの部下。


昼とはまったく違う空気になる。


酒が入る。


男性客が入る。


店の規律が、本当の意味で試される。


レンは店内の灯りを見上げ、静かに息を吐いた。


「ここからが、本番だな。」


Club Moon Dropの初めての昼営業は、静かに成功した。


だが夜の部は、まだこれからだった。


昼営業を終えたClub Moon Dropは、短い静寂に包まれていた。


甘味の皿が下げられ、テーブルが拭き上げられる。昼の柔らかな香りはまだ残っていたが、カウンターに夜用の酒器が並び始めると、空気は少しずつ変わっていった。


ビール。


氷入り蒸留酒。


冷やした果実酒。


昼は安心を見せる時間だった。


夜は、規律を試す時間だ。


レンは透明な氷を用意しながら店内を見渡した。


リリアは受付台の前で呼吸を整えている。エレナは杯の位置を確認し、セレナは四人席の椅子を整えていた。ミーナはカウンター横に静かに立ち、ノアはテーブルクロスの端や椅子の位置を一つずつ確認している。


ロイは入口横に立っていた。


昼よりも、少しだけ目が鋭い。


「夜は昼と違います。酒が入れば、声も大きくなります。気持ちも大きくなる。でも、この店では、誰かが不安になるほど空気を崩してはいけません」


ロイが短く頷いた。


「問題になる前に見る」


「はい。止めるより先に、整えてください」


レンは次にリリアを見る。


「リリアは受付だけでなく、接客にも入ってください。最初の案内だけで終わらず、席の空気も見てください」


「うん。分かった」


昼営業を終えたリリアの声には、朝にはなかった落ち着きがあった。


その時、入口の扉が開いた。


夜営業、最初の客だった。


◇◇◇


入ってきたのは、ガイルだった。


彼は内覧試飲会で一度この店へ来ている。だから、初めて見る驚きはない。


けれど、灯りが入り、スタッフが立ち、客を迎える空気になった店は、内覧の時とは違っていた。


ガイルは受付の前でにやりと笑う。


「内覧の時より、ちゃんと店って感じがするな」


「ガイルさん、ご来店ありがとうございます。四人席へご案内します」


リリアが柔らかく微笑み、席へ案内する。


四人席に一人。


その余白が、酒器を置く場所、スタッフが立つ位置、会話の距離を自然に作っていた。


エレナが水を置き、リリアが酒の説明に入る。


「本日は、ビール、氷入り蒸留酒、冷やした果実酒をご用意しています」


「まずはビールだろ」


ガイルは迷わず答えた。


レンはカウンターでビールを注いだ。


黄金色の液体が杯へ流れ、細かな泡が立ち上がる。灯りを受けた泡は柔らかく光り、冷気がかすかに揺れた。


エレナが杯を運ぶ。


「お待たせしました」


ガイルは一口飲み、深く息を吐いた。


「やっぱりこれだな」


その顔には、いつもの酒場で見せる豪快さだけではない、少し落ち着いた満足が浮かんでいた。


◇◇◇


次に来店したのは、サラだった。


ガイルとは別に来た彼女は、受付へ歩いてくる。


「こんばんは」


「サラさん、ご来店ありがとうございます」


リリアが笑顔で迎えた。


サラも内覧試飲会で店を見ている。だから今日は、店内を珍しそうに見回すことはなかった。むしろ、営業として動き始めた空気を確かめるように、静かに客席へ視線を向ける。


「今日はカウンター席がいいわ」


リリアは少しだけ目を丸くした。


「カウンター席ですね」


サラは店内を見渡し、小さく微笑む。


「ええ。ガイルたちみたいに賑やかに飲むより、私はお酒を飲みながら店の雰囲気を楽しみたいの」


その言葉にリリアも柔らかく笑った。


「かしこまりました。こちらへどうぞ」


サラはカウンター席に腰を下ろした。


そこからは、入口、四人席、ロイの立ち位置、カウンター内のレンの動きがよく見える。


客として楽しむ席であり、観察する席でもあった。


ミーナが水を置く。


「お飲み物は……?」


「冷やした果実酒をお願い」


「はい」


ミーナは静かに一礼し、カウンターのレンへ注文を伝えた。


「レン、冷やした果実酒をお願いします」


「ああ」


レンは冷やしておいた果実酒を静かに杯へ注ぐ。


透明な杯の外側には細かな水滴が浮かび、夜の灯りを受けて涼しげに輝いた。


ミーナは出来上がった杯を受け取り、サラの前へ丁寧に置く。


「お待たせしました」


サラは一口飲み、目を細めた。


「飲みやすい。でも、甘すぎない」


「ありがとうございます」


ミーナが小さく答える。


サラは店内へ視線を向けたまま言った。


「あなたは、無理に話さないのね」


ミーナの指先がわずかに止まる。


「……話しすぎると、疲れる方もいると思うので」


「いいと思うわ」


サラは静かに微笑んだ。


「私は、そういう方が落ち着く」


ミーナは少しだけ頬を緩めた。


派手ではない。


だが、確かに届いている。


レンはそのやり取りを見て、ミーナの接客がこの店に必要なものだと改めて感じた。


◇◇◇


三組目は、リオネルと紹介客だった。


リオネルも内覧試飲会で店を見ている。今日は空間ではなく、営業を見に来た顔をしていた。


隣の紹介客は中年の商人らしい男で、店内へ入った瞬間から視線が細かく動いている。


受付。


入口横のロイ。


席への導線。


カウンターのレン。


空いているVIP席。


「リオネル様、ご来店ありがとうございます」


リリアが頭を下げる。


「今日は紹介客を連れてきた。内覧では形を見た。今夜は、店として回るかを見せてもらいたい」


「ありがとうございます。四人席へご案内します」


二人は四人席へ座った。


紹介客は椅子に腰を下ろす前に、テーブルの広さを確かめるように見た。


「二人で使うには贅沢だな」


レンが一歩近づく。


「当店では、席を詰めることを目的にしていません。落ち着いて話せる余白も、席の価値だと考えています」


「余白に金を取るのか」


「はい。人は、安心して話せる場所に価値を感じます」


リオネルが楽しそうに笑った。


「言っただろう。ただの酒場ではないと」


飲み物は、リオネルが氷入り蒸留酒を選んだ。


紹介客は少し考えたあと、ビールを選ぶ。


「話題の酒を、まず確かめたい」


「承知しました」


セレナが丁寧に一礼し、注文をレンへ伝える。


ビールが注がれ、氷入り蒸留酒の杯には透明な氷が落とされた。


からん、と澄んだ音が鳴る。


紹介客はビールを一口飲み、少し驚いたように杯を見た。


「これは……噂になるわけだ」


リオネルは氷入り蒸留酒を眺めながら言う。


「こちらは酒そのものより、飲む時間を売っているように感じる」


レンは静かに頷いた。


「そう感じていただけたなら、成功です」


◇◇◇


その時、入口の扉が開いた。


最後に来店したのは、バルドとその部下だった。


バルドは以前の内覧試飲会で、リオネルとともにこの店を訪れている。


しかし、隣を歩く部下にとっては今日が初めての来店だった。


店内へ足を踏み入れた部下は、落ち着いた照明と静かな空気に思わず周囲を見回す。


四人席。


カウンター。


受付。


入口横に立つロイ。


そして、客を迎えるスタッフたち。


「ここが……」


思わず漏れた声に、バルドが静かに口を開いた。


「落ち着いて見ればいい」


「……はい」


部下は姿勢を正した。


「バルド様、ご来店ありがとうございます」


リリアが受付で一礼する。


「今日は部下を連れてきた」


バルドが穏やかに言う。


「以前話した者だ。カイルの息が掛かっていない」


「ありがとうございます」


リリアは部下へも微笑みかけた。


「ようこそお越しくださいました。本日はバルド様のご紹介でのご来店ですね」


「はい。よろしくお願いします」


部下は少し緊張しながら頭を下げる。


「こちらのお席へどうぞ」


リリアに案内され、二人は四人席へ腰を下ろした。


バルドはビールを選び、部下も同じくビールを頼んだ。


「まずは、噂のビールを」


部下の声には緊張と期待が混じっていた。


レンはビールを注ぐ。


細かな泡が立ち上がり、黄金色の液体が灯りに揺れる。


エレナが二人の席へ運んだ。


「お待たせしました」


部下は杯を手に取り、一口飲む。


そして、目を見開いた。


「これは……すごいですね」


少し大きくなった声に、バルドが静かに言う。


「声を落とせ」


「は、はい」


部下は慌てて姿勢を正した。


そのやり取りを見て、ロイは動きかけた足を止めた。


今はまだ、バルドが席の空気を整えた。


黒服が出る前に、会員が線を示したのだ。


レンはその光景を見て、この店が客とともに育つ場所なのだと感じた。


◇◇◇


夜営業は、静かに熱を帯びていった。


ガイルはビールを飲み終えると、満足そうに杯を置いた。


「次は氷入り蒸留酒を頼む」


「かしこまりました」


レンは透明な氷を杯へ入れ、蒸留酒を静かに注ぐ。


からん、と澄んだ音が店内へ響く。


ガイルは杯を手に取り、一口含む。


満足そうに頷いた。


「やっぱり旨いな」


「ああ。この飲み方が気に入ってる」


ガイルは氷をゆっくりと揺らしながら、落ち着いた表情で酒を味わう。


その後、ガイルの声が少し大きくなりかけた。


「いや、本当に大したもんだ! レンはこの歳で店を――」


ロイがすぐに動いた。


止めるのではない。


水を持って、自然に席へ近づく。


「ガイルさん、水をどうぞ」


「あ? おう、悪いな」


「声がよく通りますので、少しだけ」


責めない。


恥をかかせない。


だが、線は示す。


ガイルは一瞬きょとんとし、それから苦笑した。


「悪い。ここ、金獅子亭じゃなかったな」


その一言で、席の空気は自然に戻った。


レンはロイを見た。


ロイは何事もなかったように入口横へ戻る。


黒服の仕事は、目立つことではない。


問題を大きくしないことだ。


◇◇◇


夜営業の終わりが近づく頃、店内には昼とは違う余韻が満ちていた。


甘い安心ではない。


酒の熱を含みながらも、乱れない静けさ。


サラはカウンターから立ち、レンへ言った。


「私も、正式会員への移行をお願いするわ」


リオネルも静かに頷いた。


「私も同じだ。今日の営業を見て確信した。正式会員へ移行したい」


ボルドも杯を置く。


「俺も正式会員への移行を希望する」


レンは三人へ深く頭を下げた。


「ありがとうございます。正式な手続きと会員費のお支払いは、正式開店日に改めてご案内いたします」


その時、リオネルの紹介客が口を開いた。


「失礼ですが、私も仮会員として登録をお願いできますでしょうか」


「ありがとうございます。リオネル様からのご紹介として、正式開店日にご案内いたします」


それを聞いたバルドの部下が思わず身を乗り出した。


「それなら俺も仮会員に――」


「待て」


バルドの低い声が落ちる。


部下はすぐに姿勢を正した。


「思いつきで入る店ではない。まずは店を知れ。本当に通いたいと思ってから願い出ろ。その時は、私が責任を持って紹介する」


「……はい。申し訳ありません」


レンはそのやり取りを見て、静かに胸を撫で下ろした。


この店の考え方を、客自身が守ろうとしてくれている。


それは何より心強かった。


やがて客たちが帰り、扉が閉まる。


店内にはスタッフだけが残った。


エレナは大きく息を吐き、慌てて姿勢を正した。セレナは静かに目を伏せる。ミーナは空になった杯を見つめていた。ノアは店内を回り、テーブルクロスの乱れを整え、椅子の位置を静かに直していく。


ロイは最後に入口の外を確認した。


リリアは受付台に手を置き、ゆっくり息を吐く。


疲れている。


けれど、その顔には確かな光があった。


レンは全員を見渡した。


「お疲れ様でした」


少し遅れて、全員が返事をした。


その声はばらばらだった。


でも、それでよかった。


まだ完成していない。


だからこそ、これから育つ。


リリアが小さく笑った。


「……店になったね」


レンは店内を見渡した。


昼の安心。


夜の規律。


女性客の笑顔。


冒険者の熱。


商人の視線。


黒服の判断。


接客の未熟さ。


そして、確かに芽生えた空気。


正式会員への移行を望む者が現れ、仮会員を望む者も現れた。


試験営業は、ただ店の動きを確かめるだけの日ではなかった。


Club Moon Dropの未来を支える人々が、確かに集まり始めた日でもあった。


レンは静かに頷いた。


「はい。今日、Club Moon Dropは初めて店になりました」


外では、西通りの夜風が看板を揺らしていた。


正式開店は、もう目前だった。

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