第三天使戦 其の一
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結界の内部へと足を踏み入れたリュカたちは金属が軋み、雷鳴の如き轟音で体が震えると同時に、視界を満たす現実の“重さ”を失った。足裏に伝わるはずの接地感は消え失せ、重力という物理法則の軸すら、どこか遠くへ置き去りにされたような感覚に襲われる。
一歩踏み出した瞬間、彼らの身体は虚空に浮かび上がった。地面はなかった。天空も、地平線もなかった。ただそこにあったのは星々の墓標のような時を止めた廃墟の空間だった。
幾重にも断裂し、浮遊する大理石の塔。中空に漂う鉄骨のアーチ、壁面の半壊した神殿、宙を彷徨う帆船や、逆さまになって揺れる家々の屋根。かつて空中都市〈エリュシオン〉が存在したことを、まるで夢の残骸のように告げる廃墟の破片たちが、静止した宇宙の如き空間にゆるやかに浮いていた。
光はあった。しかしそれは太陽の光ではない。電気を用いた工学的な光だった。
空のようなものが上にあったが、そこには雲は存在しなく、存在するのは雷を孕んだ黒いヴェールであった。閃光が断続的に走り、その残光が、世界の隅々に“影を落とす”。その影さえも、どこか硬質な質量を帯びているように感じられた。
そしてこの結界の中心に、ひときわ強く輝く存在がいた。
彼は“立って”いた。大地などないにもかかわらず、その男だけは明確に”地に足を着けて”立っていた。あるいは、彼が立っている場所がこの空間の重力の中心なのかもしれなかった。
男の背にあったのは、六枚の巨大な鋼鉄の翼。それらは決して羽ばたくことなく、まるで時間そのものを拒絶するかのように、宙に静止していた。しかし一瞬、その端が微かに振動するだけで、周囲の雷が収束し、空間の温度が変化するのが分かった。制御され、設計され、抑制された“破壊の意志”が、その翼のすべてに込められているのだと直感できた。
その身体は、人と機械の境界にあるものだった。皮膚の一部には金属装甲が埋め込まれ、関節の可動域には精緻な魔導回路が走っていた。さらに神経の代替として埋め込まれた電気制御機構、心臓の鼓動に呼応するように、彼の胸部に埋められた光源が脈動している。顔には無表情な機械の仮面が装着され、眼孔からは淡い雷光が静かに揺らいでいた。
彼は、単なる天使ではない。神に忠誠を誓い、機械に魂を預け、かつて人であった者の終着点。信仰によって改造され、悔恨を抉られたまま、天使へと再構成された“神罰の偶像”。
その存在から半径数メートルは、すでに“空間そのもの”が歪んでいた。時空に張り付いたような粒子の揺らぎ、雷が痙攣のように弾ける音、重力の軸が波打つ違和感。
そして彼は、声を発した。
「我は第三天使ベルゼア。天は、裁きを欲している」
その声は、抑揚という概念を欠いた機械の音声に近かった。
生前のベルゼア・ライムハルトは圧倒的な雷の魔法の才と、それを応用して電気工学という学問体系を独自に発展させた天才であった。彼は雷魔法によって安定した電力供給を実現し、さらにその電力を推進・浮揚に転用することで、かつては夢物語とされた空中浮遊技術――すなわち反重力構造の確立に成功する。そして彼は、それを単なる兵器や私益のために用いることはなかった。
彼が目指したのは理想郷だった。
人々が地上の戦乱と暴力から解放され、空の上で自由と秩序のもとに生きられる世界。それは机上の空論でも夢想でもなかった。
数十年にわたる研究と、幾度もの失敗、そして協力者たちとの血のにじむ努力の末、ついに、彼は空中都市〈エリュシオン〉を創り上げた。
都市は巨大な雷力炉によって浮上し、空中を安定飛行しながら地上と交易し、学問や文化を育んだ。都市内部は階層ごとに分類され、農業区・生活区・学術区が整然と配置されており、空中での自給自足を可能にしていた。彼はその都市の「総技術監」として日々の調整を行いながら、同時に教育者・治安統括者・行政の相談役としても、民の生活に深く関与していた。
彼にとっては技術とは人を幸せにするためのものであり、空は人々の夢をのせる舞台だった。
そして〈エリュシオン〉の民は、その夢に応えた。誰もが敬意をもってベルゼアを“創造者”として仰ぎ、彼の手によって天に届いた生活に、誇りと感謝を抱いていた。
だが――その楽園は、神の秩序にとって異物だった。
ある日、神殿から彼の元に“命令”が届いた。その命令は、彼の都市に潜伏する“異端者”を引き渡すこと。それは、何の証拠も根拠もない一方的な通告であり、明らかに恣意的な粛清であった。異端の嫌疑をかけられた者たちは、市民の中でも特に優れた科学者や教師、技術者であり、彼の長年の同志たちでもあった。
ベルゼアは悩んだ。命令に従えば、都市の自治と理想が失われる。だが拒絶すれば、神の怒りが降ることは明白だった。
数晩、彼は眠らずに思索した。義務と信念の狭間で、彼の心は激しく揺れた。だが、最後に彼は己の理念を選んだ。
「都市において、罪なき者を裁く権利は神にもない」
そう、彼は結論したのだ。
そしてその選択は、雷の審判という形で突き返された。
〈エリュシオン〉の空は裂け、神罰とされる雷撃が雷鳴の塔に落ち、制御炉が暴走。空中に浮かんでいた都市は揺れ、亀裂が走り、ついには大地へと引きずり落とされた。逃げる間もなく、多くの住民がその場で命を落とし、都市は地上に無残な残骸として墜ちた。
だがベルゼアは生き延びた。
ベルゼアは雷の嵐の中で、瓦礫の中からよろめきながら立ち上がる。焼け焦げた手で、かつての仲間たちの亡骸を抱き締めながら、彼は呪った。自分自身を、そして自身が信じた神を。だが、どれだけ嘆こうとも、過去は戻らなかった。
彼は結局全てを終わらせるため暴風の中心に身を投じ、自ら命を絶つ決意をする。都市と共に沈んだ理想を胸に、雷の中で消えようとしたその瞬間、神の手が彼を拾い上げる。
その魂は浄化されることも癒されることもなく、記憶を都合よく削ぎ落とされ、感情を必要な分だけ残され、ただ神の名のもとに働く守護天使へと再構築された。
かつて雷で空を制した男は、今や雷で信仰を制す執行者となり、その背に六枚の鉄翼を装備し、天の裁きを行う者として、神央殿に座している。
それは、理想を掲げた男の、あまりにも皮肉な再誕だった。
四人が同時に武器を構えた瞬間、ベルゼアの背から伸びた六枚の鋼鉄の翼が、音もなくわずかに開いた。
刹那、そのわずかな動きを引き金として空間のあちこちに雷鳴の火花が走り、蒼白の光を放つ球体が次々と現れる。球体の名は雷型戦闘支援魔力兵装ユニット〈アーク・ノード〉。
〈ヴォルト〉〈スパーク〉〈テンペスト〉〈レゾナンス〉〈フラックス〉〈シンフォニア〉の六機で構成されている。
六つの雷球が空間に規則正しく展開され、それぞれが雷を纏い、明滅を始める。
「……〈アーク・ノード〉展開。対象認識、戦闘開始」
ベルゼアの無感情な声が響く。その瞬間、全ての雷球が一斉に起動し、戦況に応じて細かく軌道を変えながら、個別の敵を標的に定めた。
「天を汚す者よ。神の意思に背く愚者よ。雷と共に、消え去れ」
そう言った瞬間、〈テンペスト〉から雷撃が迸り、空が、青く光った。
視界が歪むほどの閃光が空間に溢れた後、重力すら失われるほどの爆音と共に、あらゆる方向から奔流する雷撃が襲いかかってきた。
「クソッ、いきなりかよ!」
ガルドが咄嗟に前へ出る。両腕で構えた巨大な盾を雷撃の中心へと突き出し、力任せに雷を受け止める。だが――それだけでは防ぎきれなかった。
一部の雷撃は盾を避け、後方のフィオナを狙うように分岐して襲い掛かった。
「まずい!フィオナ、下がれ!」
ガルドの叫びと同時、エリシアが両手を広げて詠唱を終える。即座に展開された魔法障壁がリュカ達を包み込み、硬質な音を立てて雷撃と衝突する。
雷がバリアを穿とうとするが、エリシアの障壁で拡散され、爆発的な音と閃光だけを残して弾け飛んだ。
「今回は魔法障壁の展開が間に合ったから良かったが…こんなのそう何回も受け止め切れないぞ!今だってもし魔法障壁が間に合わなかったら確実に致命傷だった!」
「落ち着け、ガルド。確かに今の雷撃はやばいが…多分何秒かの溜めがあると思う。発動前に〈テンペスト〉が発行し続けている間があった。だからそれに注意して立ち回れば大丈夫なはずだ」
「でも六機の〈アークノード〉を全部注意して戦うなんて不可能に近いわ。だから…早急に数を減らさないとね!」
後方で続けて詠唱をしていたエリシアが声を張る。
「そのためにも……解析魔法展開!〈アーク・ノード〉……構造は中核が制御中枢。外殻を剥がせば、内部の魔力核が露出するわ!だから」
その情報にリュカが即座に反応する。背中の《黒翼》を広げ前へと駆け出す。
「その時に核を叩けばいいんだな……任せろ!」
リュカが高速で跳躍し、空を羽ばたいてアーク・ノードへと突進する。同時にベルゼアが指を鳴らした。
「攻撃アルゴリズム、変更。波長分散、順次発動」
アーク・ノードが六色に光り、異なる雷の波長を時間差で放ち始める。青白、紫電、黄雷……色とりどりの雷撃が異なる間隔と軌道で降り注ぎ、四人をバラバラに分断するように展開された。
フィオナが結界を維持し、エリシアが回避行動を取りながら詠唱を続ける。
すると〈レゾナンス〉から雷撃が飛んでくる。
「魔法障壁、展開!」
雷撃は障壁と衝突し霧散するが、雷撃と魔法障壁との接触地点の魔力が不安定になり障壁も崩れてしまう。そこに〈レゾナンス〉からの第二射が飛んできた。
「クッッ、魔法障」
だがエリシアが魔法障壁を展開する前に雷が彼女の右足を穿っていた。
エリシアは苦悶の表情で膝をつき右足を庇うような体勢をとる。そこにフィオナが回復魔法をかけようと走ってきた。
「回復魔法、展開!……え、どうして!?なんで展開できないの!?」
「多分私があれ…〈レゾナンス〉の攻撃を食らったせいね。あの後から私の体内の魔力が不安定でうまく制御できないもの」
そう言うとエリシアは立ち上がってリュカとガルドに向かって声を張り上げる。
「気をつけて!〈レゾナンス〉の雷撃には魔力を不安定にする能力が付与されてる!」
「了解!そっちは大丈夫そうか?」
「後数分はお荷物になるわ!その間悪いけどあなた達だけで耐えて!」
「なかなか厳しいご提案だなぁそりゃ!」
そう言うとリュカはベルゼアに向かって駆け出していく。
そしてそれを阻むように〈ヴォルト〉から高圧の雷撃、〈スパーク〉から広範囲に拡散する雷撃が放たれた。
リュカは上空に大きく飛んで回避するが、〈フラックス〉からいくつもの雷撃弾が逃すまいと放たれる。
だがリュカは《黒翼》を羽ばたかせ更に上空に飛んでそれを回避し、更に宙を蹴るように空中で回転しベルゼアに向かって肉薄する。
「そんな後ろで隠れてないでお前も前に出て戦えよ、ベルゼア!解け、〈吸魔のーーグッッ!?」
回避したかに思われた〈フラックス〉からの雷撃弾がリュカの背中を撃ち抜いたのだ。
バランスを崩したリュカはそのまま慣性に従い前に吹っ飛んでいく。
そしてそこには右拳を構えたベルゼアがいた。
「穿て、〈雷掌〉」
雷を纏った神速の拳が、リュカの首筋をめがけ無慈悲に繰り出される。
リュカの《黒翼》は雷撃弾で麻痺しており、空中にいるリュカは確実に避けれないだろう、とベルゼアは踏んでいた。
だがリュカは雷で麻痺しているはずの《黒翼》を動かしギリギリのところで直撃を免れる。
「…っぶねぇ!」
「…ふむ、ならばもう一度。穿て、〈雷掌〉」
ベルゼアは今度は左手から〈雷掌〉を繰り出した。それに続くように〈ヴォルト〉から高圧直線雷撃が、〈フラックス〉から追尾雷撃弾がリュカに向かって放たれる。
〈雷掌〉を避けようとして後ろに飛び退くリュカに対して雷が襲いかかる。
「追尾弾なんて気持ち悪りぃ事してくれんじゃねえか!解け、〈吸魔の羽〉!」
そう言うとリュカは自身の体を《黒翼》で覆い隠し、〈吸魔の羽〉で雷撃を吸い尽くした。すると《翼剣》が雷を纏い出す。
「雷撃を吸った?……いや魔力を吸収したのか」
「その通り!そして吸収した魔力で《翼剣》を強化する事だってできるぜ。こんな風にな!」
そう言うとリュカは地面を強く蹴り一瞬で〈フラックス〉の横に出たかと思うと、上段に構えた《翼剣》を〈フラックス〉へと一閃した。
剣身が〈フラックス〉に触れた瞬間、電撃が〈フラックス〉に流れ込み硬い外装にヒビが入る。リュカはそのまま《翼剣》を押し込み、中の核を叩き切る。
更に《翼剣》を横に流し近くで待機浮遊している〈テンペスト〉を輪切りにしていった。
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