貴族令嬢、冒険者への扉を叩く。なろうver.
●第一話、扉を開ける少女
「ふぅ、やっと着いた」
屋敷から馬車を乗り継ぎ、およそ二時間。
燦々と照りつける太陽の下、本を片手に馬車を降りた私、アカリは石造りの頑丈な建物を見上げながら呟く。
王都東部の開拓特区と呼ばれる地域の中心に位置するこの建物には、その存在を誇示するかのように大きな文字で「冒険者組合」と刻まれた館銘板が掲げられていた。
今日、ここまで来た理由は、冒険者登録をして活動するためである。
「よし」
期待に胸を膨らませ、手に持っていた本を脇に挟む。そして、大きく深呼吸し、分厚い鉄製の扉を力いっぱい両手で引いた。しかし、私の来訪を拒むかのように、それはびくともしない。
「何で……」
力尽きて息切れしながらへなへなとへたり込む。
恨めしげに扉を見上げていたところ、背後から笑い混じりの声が聞こえた。
「おめぇ、何やってんだ?」
振り返ると、後ろ髪を肩先に流し、シャツの上にベストを羽織ったラフな格好の男性が立っている。
「それ引くんじゃなくて、押すんだよ」
男性はポケットから手を出し、私が押していた反対側の扉を押す。すると、ドアはギギギギギッと重い音を立てながら、ゆっくり開いた。
「ありゃ? こっちの扉、油を差さねえといかんな」
あぜんとしていたが、すぐに滑稽な姿を見られていたことに気づき、顔が熱くなる。
「ん? 入るんじゃないのか?」
そう尋ねられたものの、扉の向こうは騒然としており、足を踏み入れるのに躊躇した。
私は立ち上がり膝についた砂を払いつつ、男性に告げる。
「お、お先にどうぞ」
「変な嬢ちゃんだな」
男性が中に入るのを見送り、ドアの影からそっと屋内の様子を窺う。
「うわ、ここ、臭い……」
悲しいことに、そこはたばことアルコールの匂いが充満し、むせ返るような空間であった。
全体的に薄暗い中、目を凝らすと、突き当たりに、ひときわ明るいカウンターが見える。
そこに女性を見つけた私は、我慢して足を踏み入れ奥へと進んだ。
「いらっしゃいませ。ご用件をお伺いしまーす」
カウンターの前に立つと、女性は歩み寄り、軽く微笑んでお辞儀をした。
小柄でぱっちりとした大きな瞳に、艶のある黒い髪をツインテール。制服に身を包んだその姿は、同性から見ても美しい大人の女性である。
胸に「受付」と書かれているネームプレートが、その面積に比例せず、申し訳なさそうについていた。
「あの、冒険者登録をしたいのですが……」
恐る恐る、受付嬢に問いかける。
「何か身分を証明できるものはお持ちでしょうか?」
そう尋ねられ、私は王立図書館の入館証を、そっと差し出した。
受付嬢はそれを受け取り、頬に人差し指を当てながら首を傾げ、私を見つめる。
金色にキラキラと光り輝くその入館証は、貴族の身分を証明する物であった。
「うーん、少々お待ちください」
そう言い残し、受付嬢は入館証を片手に小走りで奥の部屋へ向かう。そして、ドアをノックして入っていく。
カウンターに一人取り残された私は、とても不安になった。
一秒一秒がとても長く感じられ、小さな音に敏感になる。そして、きょろきょろと辺りを見回し、挙動不審になっていく。
「まだかな……」
緊張で心臓がドキドキし始めた頃、奥の部屋のドアが静かに開き、そこから受付嬢がひょっこりと顔を出した。
手招きするのを見て、急いで向かう。
「失礼しまーす」
小さく声を掛け部屋に入ると、先ほど扉を開けてくれた男性が、書類とにらめっこしていた。
集中しているのか、私に気がつかないようである。
「どうぞ、こちらへ」
そう言われて、受付嬢の後ろをついて行くと、通されたのは、さらに奥にあるドアに「組合長室」と記載された部屋であった。
室内の中央にある応接セットのソファに男性が座っており、私を見て立ち上がる。そして、手で向かいの席を勧めた。
「どうぞ、お掛けください」
そう声を掛けられた私は、手に持っていた本を脇に挟んで、両手を添わせるようにスカートを押さえながら、腰を下ろした。
男性は白髪で立派なあごひげを蓄え、丸眼鏡をかけて黒いスーツをビシッと着こなしている。その姿は、いかにも偉そうな雰囲気を漂わせていた。
「初めに質問ですが、あなたは冒険者の仕事がどのようなものか、理解しておりますか?」
「はい、この本を読んで理解しているつもりです」
私はテーブルに愛読書の「わが国の成り立ち」を置く。
「うむ」
小さく唸った男性は腕を組み、ソファにもたれかかる。まぶたを閉じて考えている様子を見せた後、私を見据え、手であごひげを撫でながら尋ねてきた。
「あなたのお父上、シドウ様はこのことをご存じなのですか?」
「いえ、父は存じておりません」
嘘をついても仕方がない。
正直に答えたものの、男性の態度や会話から結末が見えてきて、イライラしてきた。
●第二話、登録の顛末
「では、登録は見送られた方が……」
その言葉で怒りが爆発した私は、テーブルにバンと両手をつき、勢いよく身を乗り出し抗議する。
「かの七英雄も魔物を討伐しておりました。領主の娘ということで登録を拒絶なさるのは、いかがなものかと思われますが?」
理不尽ではあるが、身分や容姿で区別されることは、身をもって理解している。
だから、ここは引かない。引けない。引くつもりもない。
目を見据えて毅然とした態度で主張したところ、男性は両手を広げて制すような仕草をしながらソファに身を沈めた。
「まあ、落ち着きなさい」
男性がたじろいでいると、組合長室のドアがゆっくり開き、小柄で白髪を玉ねぎヘアにした女性が、じょうろを片手に静かに入室してきた。
「おやおや、何か問題でも起こりましたか?」
女性はそう言いながらじょうろを部屋の隅に置き、目をぱちぱちさせながら、頬に人差し指を当て、首を傾げる。
「クミ様、実は……」
男性はテーブルに置いてあった私の入館証を、さっと手に取る。そして、そそくさと立ち上がり、部屋の隅に向かうと、クミを呼び込んだ。
二人は小声でひそひそ話している。その様子を見て、私はソファに座り直し、やり取りを待つ。
「まあ、素晴らしい。上級貴族の女性が進んで魔物討伐をなさろうとするとは、この国の鑑ですわ!」
クミは軽く手を叩き、大きな声でそう言った。
油断していた私は、突然の発言にビクッと身体が震える。同時によく言ってくれたおばちゃんと、心の中でクミに拍手を送った。
しかし、それを否定するかのように、男性は声を荒げて言葉を投げかける。
「ですが、万が一何か起きた場合、責任問題になりますぞ!」
それを聞き、またか、と男性にうんざりしてため息をついた。
「それはその時でしょう」
「その時では遅いのです」
「では、この方の登録を拒絶できる正当な理由がおありなのですか?」
「それは……」
言葉に詰まった男性に、クミが鋭く言い放つ。
「理由なく拒絶する方が問題になるのではないでしょうか?」
「しかしですね……」
そう言いながら男性はこちらを向く。そして、私と目が合うと、慌てて視線を逸らした。
「まだ子供ですし、保護者の承諾が必要になるかと……」
あの反応からどこを見て言ったのか、おおよその予想はつく。
ひどく落胆したが、先ほどのやり取りを思い出し、じわじわと怒りが込み上げてきた。
「ですから、どのような根拠があって、あなたはそうおっしゃるのですか?」
クミの厳しい言葉に、男性は黙り込む。
静まり返った室内に、時計の秒針の音が響く中、その沈黙を破るように、クミが提案する。
「しかし、あなたが心配する理由も理解はできます。しばらく同伴者をつけて適性を見ましょう。それで問題がある場合は、組合長の私の権限で登録を取り消します。これでいかがでしょうか?」
今の言葉で頷く男性を目にして、私はふと疑問が浮かんだ。
「クミさん、少しお尋ねしたいことがございますが、よろしいでしょうか?」
「何でしょうか? アカリさん」
「この男性はどなた様でしょうか?」
「ここで事務員と警備員を兼ねておられるシゲさんです」
クミに紹介された男性は、こちらを向いて軽く頭を下げた。
まさか事務員に私の人生を左右されかけるとは、夢にも思わなかった。
「ではアカリさん、準備しておきますので、明日は昼前までにこちらへお越しください」
「わかりました。ありがとうございます」
軽く礼をして組合長室を後にする。扉を開けてくれたあの男性は、すでに部屋からいなくなっていた。
「よし」
軽く頬を叩き、気合を入れて次のドアを開ける。音と匂いが不快なこの空間から逃げるように、急ぎ足で建物の出口を目指した。
その途中で、カウンターにいた受付嬢と、目が合う。
軽くお辞儀をすると、応対中にもかかわらず、笑顔で小さく手を振り返してくれた。
そして、屋敷へ戻るために立ちはだかる、乗り越えなければならない最後の難関がやってくる。
入るときは押すところを引いて失敗した。
「出るときはこっちだ!」
気合を入れてそう言いながら引くと、扉は音もなく勢いよく開き、あまりのあっけなさに、拍子抜けする。
ふと見ると、蝶番には油を差した跡が残っていた。
屋外へ飛び出し大きく深呼吸して、空を見上げる。まるで私の新しい門出を照らすように、太陽の日差しは眩しかった。
●第三話、白いローブと銀の髪
「押す」
十時頃、冒険者組合に到着し、馬車から降りると、目に飛び込んできたのは、この二文字であった。
「何これ……」
思わず呟く。建物の扉の両側に、昨日までなかった「押す」と書かれた新しい札が、でかでかと貼られている。
最初からあればよかったのにと思いつつ眺めていると、文字の下にある黒い汚れがひどく気になった。
手で払っても落ちず、息を吹きかけ落とそうと顔を近づける。
「ん?」
何だか文字のような気がして目を凝らすと――「んだぜ、嬢ちゃん」と記されていた。
もやもやした気持ちで扉を開け、建物に歩を進める。すると、カウンターの隅に昨日扉を開けてくれたあの男性が立っていた。
兜を片手に持ち、鎧一式を身に着け、腰に二本の剣を帯びている。さらに大きな槍を肩に担いでおり、かなり重装備であった。
どんな大物を討伐しに行くのだろうか、まじまじと見ていると、男性と目が合う。
「お、昨日の嬢ちゃんじゃねーか。今日はちゃんと扉を開けられたようだな」
話しかけられた私は、素っ気なく返事をした。
「おかげさまで」
もちろん、これは皮肉である。
私は男性にちょこんと頭を下げ、カウンターにいる受付嬢に話しかけた。
「昨日、この時間に組合長のクミさんに来るように言われたのですが?」
「少々お待ちください。ただいま確認してまいります」
そう言い残し、受付嬢は小走りで奥の部屋へ向かう。
「もしかして、新米冒険者って嬢ちゃんか?」
男性のその問いに答える間もなく、クミがドアから顔を出し、話しかけてきた。
「あら、二人ともお揃いで」
クミが私に近づき、手に持っていた木製の四角い板を差し出す。
「アカリさん、まずこれをお渡ししておきます」
それを受け取り目をやると、「五級冒険者アカリ」と刻まれた冒険者証であった。
心の中で歓喜の声を上げつつ、軽く礼をする。そして、クミは話を続ける。
「しばらくの間、あなたに付き添っていただくジンさんです」
私はてっきり昨日のシゲだと思っていた。
ここの警備員を兼ねていると言っていたので、実力があるのだろうと思っていたからである。
「ジンだ、嬢ちゃんよろしく」
そう言った後、私に提示したのは、金色に輝く一級の冒険者証である。
昨日のシゲといい、このジンという男性といい、人は見かけによらないものだと、つくづく思う。
「では、くれぐれもよろしくお願いしますよ、ジンさん」
クミがそう言い残し、部屋へと戻るや否や、すぐさまジンは私に問いかけた。
「で、嬢ちゃん、一つ確認なんだけど、その格好で依頼に行くのかい?」
今日の服装は、つばの広い帽子に白のワンピース、その下に黒のスパッツを重ね、赤い革靴という出で立ちである。
「はい、何か問題ございますか?」
その答えに、ジンは頭を掻きながら、受付嬢に尋ねた。
「受付の姉ちゃん、ここってローブとか置いてた?」
「はい、ございますよ。白、黒、赤の三色ですが、どのサイズになさいますか?」
受付嬢の質問に、ジンは即答する。
「サイズはS、色は白で。料金は口座払いで頼むわ」
「はい、こちらになります」
ジンは受付嬢が差し出したローブを受け取ると、そのまま私のところへ回ってきた。
「嬢ちゃん、魔物狩ったら汚れるから、それ着とけ」
「いえ、私、お金払います」
慌てて腰につけた袋に手を伸ばし、お金を取り出す。
「新米冒険者へのプレゼントだ。いいからさっさと着ろ。あと、帽子は邪魔になるからここで預かってもらえ」
それを聞いて、反射的に両手で帽子のつばを掴み、拒むように首を振る。
成長するにつれて色素が抜け、今や銀色に近い私の髪は、過去に起きた問題の記憶とともに、心に暗い影を落としていた。
それゆえ、髪を見せたくなかったのである。
「嬢ちゃん、フードがローブについてるから」
ジンの言葉を聞き、しぶしぶ受け取る。そして、帽子を脱いで受付嬢に手渡した。
「おー、その髪の色に白は映えるな。美人度上がったぜ。嫁さんいなかったら、口説いてるところだ」
予想外の言葉を聞き、頬に自然と温かいものが流れる。
●第四話、踏み出す一歩
「おいおい、泣かんでも……」
ジンに言われて、涙が出ていたことに気がつき、慌ててそれを拭った。
「違うんです、ごめんなさい。この髪をほめてくれる人は、あまりいないので、つい……」
「確かに変わった色ですよね」
受付嬢は顔を左右に傾けながらそう言い、じろじろと私の髪を見ている。
「でも、ほんと綺麗だよな」
ジンは腕を組み、うんうんと頷いていた。
「でも、私はこの黒髪でよかったです」
受付嬢のその一言で、一気に谷底に突き落とされたような衝撃を受ける。そして、泣き出しそうな気分になると同時に、屋敷へと帰りたくなった。
「おいおい、姉ちゃんの脳みそは、ここに詰まってるんじゃないの?」
ジンは大きなため息をつき、そう言いながら、人差し指でカウンターをコンコンと叩く。そこには、鎮座する柔らかそうな、大きな二つの物体があった。
「もう、そんなことはありませんよ。うふふっ」
受付嬢は否定するように手を振る。
その姿に一瞥もくれず、ジンは振り返ると、無数の紙が貼られた板へ向かって歩き出した。そして、板の前で私に手招きする。
その仕草を目にしてローブを羽織り、フードをすっぽりと被った後、とぼとぼと傍らへ歩み寄る。
下を向いていると、ぽんと頭に感触があり、顔を上げたところ、手が添えられていた。
ローブ越しにその手を通して、ジンの温もりと優しさを感じる。
「まずは依頼の受け方から教えるぞ。この掲示板にあるやつから、好きなものを選んで……」
ピンで留められた一枚の紙を、ジンは剥がし、言葉を続ける。
「この依頼書を持って、受付の姉ちゃんに処理してもらう」
そう言って、ジンがカウンターへ向かうと、受付嬢の驚いた声が聞こえてきた。
「これ、五級相当ですが、ジンさんがお受けになるのですか?」
「いや、あの嬢ちゃんの……」
どうやら、受付嬢は底抜けの天然らしい。先ほどの発言も、悪気があってのことではないと考え、少し気が楽になった。
カウンターの前に立っているジンの身体を避けるように、受付嬢が顔を出す。
視線が合い、私は反射的に軽く会釈した。
「すぐに手続きをいたしますので、少々お待ちくださいね」
そう言われて待っている間、掲示板の前に行き、貼ってある依頼を眺めることにする。
「これ何だろう……」
ふと目に留まった一件の依頼が、とても気になった。
強い魔族の生息場所についての情報提供。報酬として、世界の治安向上が掲げられており、思わず見入ってしまう。
「おっし、じゃあ行くか」
その言葉で、私は依頼の処理が完了したことに気がつく。そして、屋外へと足を進めるジンの後を追った。
「お怪我のないように、行ってらっしゃい」
振り返ると、受付嬢は手を振って見送っていた。
軽く頭を下げ、私たちは建物を後にし、冒険者組合が用意した馬車へと乗り込む。そして、走り出した車内で、ジンは今回の依頼について説明を始めた。
「今回は植物型の魔物の討伐だ。難易度は低く、これから言うことをちゃんと守れば、危険は少ない。一つ目は、死ぬときの絶叫を至近距離で聞くと意識を失うので、離れて攻撃する。二つ目は、その悲鳴を聞きつけ、他の植物型の魔物の蔓が集まってくるので、安全が確認できるまで、花を回収しない。以上だ」
私が頷くと、ジンが尋ねてきた。
「ところで、嬢ちゃん、どうやって魔物を倒すんだ?」
「魔法です。私、結構自信ありますよ」
その問いに笑顔で応える。すると、気の抜けた言葉が返ってきた。
「はふーん」
その返事を聞いて、見返してやると心に誓う。
「到着いたしました」
御者に声をかけられ、ドアを開けて降り立ったところは、巨大な外壁に設けられた門の前であった。
「うわーっ!」
私は喜びのあまり駆け出す。そして、辺りをきょろきょろ見回しながら、歓声を上げた。
「すごーい!」
本に記されていた、王都を守る歴史的な建造物が目の前にある。
「んんん」
咳払いが聞こえ、我に返った。頭を掻くジンを見て、慌てて頭を下げ、門へと足を進める。
その途中、王国騎士団員たちとすれ違う。
「おっ、ご苦労さん」
ジンが声をかけると、皆立ち止まり敬礼する。それを目にして、改めて一級冒険者の凄さを実感した。
「通行許可証を拝見いたします」
王都から出る手前、そこに立つ門番に告げられ、冒険者証を提示する。
「どうぞお通りください」
許可を得て門をくぐると、目の前には広大な草原が広がり、大森林まで一本の道が続いていた。
「さぁ、気合い入れろよ。ここから先は、どこで魔物と遭遇するか分からんからな」
その言葉を聞き、私は胸を高鳴らせつつ、大きな声で返事をする。
「はい、頑張ります」
●第五話、予期せぬ遭遇
「暑い」
門をくぐって歩くこと数分、思わず口に出た。
「おいおい、まだ出発したばかりだぞ」
そうは言われても、草原には日差しを遮るものはない。さらに、汚れ防止のために着たローブは風通しが悪く、体温を逃がさない。
「ジンさんは、その格好でよく平気ですね」
金属製の鎧一式を着込み、前を歩くジンに尋ねる。
「いや、暑いけど」
振り返ったジンの顔は、汗だくであった。
「まあ、仕事だしな」
その言葉を聞いて、反省つつ足を進める。外壁から歩くこと三十分。道は直前で三方向に分かれていた。
大森林を突っ切る中央の道をしばらく進み、そこから私たちは森の奥へと足を踏み入れる。
後ろをついて歩いていると、手で制止され、声をかけられた。
「あれが今回の討伐対象だ。大声出すと、反応するから気をつけな」
私はジンが指で示す先に目をやる。
茶色く変色した大根のような胴体の頭に、赤い菊のような花が咲き、うねうねとタコの足のような蔓を持つ奇妙な植物がいた。
「まずは、周囲に人がいないことを確認してだな……」
そう言った後、しばらくしてジンは、植物型の魔物に魔法を放った。
「よし、見てろよ! 単式魔法陣、風! ……ちっ、外れたか。それ、もう一丁! くそっ!」
ことごとく外すのを見て、この人は本当に一級冒険者なのかと不安になる。
「あー、もうめんどくせえ」
ジンは突然だるそうに呟き、槍を手に取り、ぶん投げた。
勢いよく飛んでいった槍が、植物型の魔物を貫くと、切り口から赤い樹液を流し、強烈な悲鳴を上げる。
そこに、四方八方から他の植物型の魔物の蔓が伸びてきた。
「ふぅ、魔法とか慣れねえことするもんじゃねえな」
腕を上げ、肩を回しながら、ジンは言う。それを見て私は思わず拍手をしながら、声をかける。
「ジンさん凄い」
ジンはこちらに顔を向け、ウインクした後、蔓の一群に指を差す。
「あれを切り落とすか、時間が経って勝手に戻るのを待つかしないと、刺されてやられる。今回は数が多いから待った方が無難だな」
言った通り、しばらくすると、うねうねと獲物を探していた蔓が引っ込んでいく。
私たちはそれを見届けてから、花を回収した。
「とりあえず、これで依頼は達成だ。嬢ちゃんもやってみな?」
そう言い、ジンはで植物型の魔物を示す。やっと出番が回ってきた私は、元気に返事をする。
「はい、分かりました」
植物型の魔物の位置は、ジンが魔法を放った距離の倍近くあるように見えた。しかし、ここからでも私は、花を切り落とす自信があった。
屋敷で舞い落ちる落ち葉を相手に特訓するよりも、簡単に感じられたからである。
すぐに狙いを定めて、左手をかざす。そして、顕現させた緑色の精霊に、魔力を供給した。
「単式魔法陣、風」
精霊がうっすら光り輝き、そこから三日月状の鋭利な魔法弾が飛び出す。そして、風切り音を立てて花の付け根を打ち抜いた。
「よし!」
小さく両手でガッツポーズをして振り返り、満面の笑みでジンを見る。
「嬢ちゃん、魔法のセンスあるな」
ジンは腕を組んだまま、大きく頷く。
そして、先ほどと同じように、蔓が引っ込んでいくのを待つことになった。
噴水のように赤い樹液を噴き出す植物型の魔物をぼんやり眺めていると、いちごシロップが思い浮かんだ。
この気温と合わさって、無性にかき氷が食べたくなる。
そんなくだらない想像をしていた私に、突然ジンが告げた。
「おっと、お客さんかな。ちょっと俺の後ろに隠れてな」
その言葉を聞いて、辺りを見回す。
薄暗い森の奥、木々の間から見える開けた場所に、異様な唸り声を上げる犬に似た一本角の魔物が三匹、うろついていた。
「あっ、三級相当じゃねーか。こんなところにまで出没するとは、まずいな」
そう言いながら、ジンは首を横に振り、周囲を窺う様子を見せる。
「私はどうすればいいのでしょうか?」
「そうだな」
私を見て、顎に手をやり、考えた素振りを見せたジンが、変なことを口にした。
●第六話、新たなる目標
「嬢ちゃん、軽そうだからいけるだろ。ちょっとごめんよ」
突然、ふわりと身体を持ち上げられ、お姫様抱っこをされる。
困惑する中、走って逃げるのかと思いきや、突風と共に勢いよく上昇し、木の枝に着地した。
「ちょっと行ってくるから、ここで待ってな」
私をゆっくりと降ろし、そう言い残すと、ジンはすぐに飛び降りる。一連の行動に気づいたのか、犬に似た一本角の魔物が、こちらへ向かってきた。
ジンは腰の剣を抜きながら、歩み出る。
両者が激突する寸前、ジンの足元から、突如強風と砂埃が巻き起こる。
「行くぞ!」
叫びながら勢いよく飛び出すと、すれ違いざまに一匹目を切り伏せた。そして回り込み、背後から残りの二匹を水平に切りつけ、同時に仕留める。
その後、音を聞きつけ迫りくる植物型の魔物の蔓もことごとく切り落とし、剣を振るい鞘に納めた。
魔物を掃討し終えたジンは、何事もなかったかのように、木の上で待つ私のところへ戻ってきた。そして両手を上げて叫ぶ。
「おーい、嬢ちゃん」
これは間違いなく、受け止めるから飛び降りてこいという合図に違いない。恋人ならともかく、恥ずかしすぎて、そんなことはできなかった。
「無理です」
私はそう言って首を振り、地面に降りようと木の枝にしゃがみ込む。しかし、下の枝に足を伸ばした瞬間、滑り落ちてしまう。そして、またしてもお姫様抱っこの体勢になってしまった。
落ちた動揺と恥ずかしさで、心臓が激しく鼓動する。そっと優しく降ろされた後、ジンに尋ねた。
「えーっと、ジンさんって人間ですか?」
「はあ? いきなり何を言い出すんだよ、嬢ちゃん」
「だって、普通あんなに素早く飛び出したり、剣を振ったりできません」
「ああ、これ使ってるからな」
ジンは片足を上げ、ブーツの踵に指を差す。そこに目をやると、球体の石が嵌め込まれていた。
「魔石って言ってな、魔法の代わりに使える便利なものだ。嬢ちゃんも冒険者を続けるなら、手に入れた方がいいぞ。ただし、値は張るけどな」
「へー、いいなー」
あれを見たら、私にはもう買うという選択肢しか浮かばなかった。
「さて、嬢ちゃん、続きやろうか」
「はい」
その後、数体の植物型の魔物を討伐し、私たちは帰路につく。
戻りしなにふと思う。依頼をこなすよりも、外壁と大森林を往復する方がきつく疲れる。
ローブのおかげで中の服は汚れていないものの、靴は樹液でべとべとである。歩くたびにネチャネチャと音を立て、貼りつく感触がとても気持ち悪い。
それゆえ、帰りに専用の靴を買うことにした。
外壁に到着すると、馬車に乗り込み、組合へと戻る。
「俺は報告済ませてくるから、そこらへんに座ってな」
建物に入ってすく、ジンはそう言い残し、受付嬢のいるカウンターへ向かった。
イスに腰かけ待っている間、前を通る人たちが顔をじろじろ見るのが気になり、落ち着かない。
「嬢ちゃん、お待たせ。ほら」
しばらくして、戻ってきたジンから、小さな袋が手渡される。
「これは?」
そう尋ねると、ジンは答えた。
「今日の報酬だ」
「ありがとうございます」
私はそれを受け取り、軽く頭を下げた。
初めて自分の力で手に入れたお金に感動していると、ジンが提案してきた。
「次の仕事は、一週間後にしてくれないか?」
「わかりました」
その言い方に違和感を覚えつつ、快く了承する。
冒険者組合を出て、屋敷へ帰る途中、製造特区の商店街に立ち寄る。そこで、歩きやすそうなブーツと、顔を隠すための仮面を見つけて購入した。
そして、ふと立ち寄った店で、一組になった足用の魔石が目に留まる。
「うわっ、高い……」
金貨七十五枚と聞いて驚くも、とりあえず今後の目標ができた。
一週間後、仮面とローブをカバンに入れ、それを持って冒険者組合に向かう。
ローブを着て、フードを被り、仮面を装着した姿を二人に披露する。ジンと受付嬢に驚かれるものの、理由を説明したところ、その方が良いと賛同してくれた。
約二か月ほどジンに付き添われた後、独り立ちすることになった私は、魔石の費用を稼ぐため毎日依頼をこなしていく。
体力がついたのか、王都から大森林の往復も、苦にならなくなっていた。
この時、植物型の魔物に対する効果的な攻略法を見出し、驚異的な討伐数を重ねた結果、あっという間に四級冒険者に昇格した。
●最終話、それぞれの旅立ち
月日は流れ、年末のある日、お金が貯まった私はジンの元を訪れる。
「ジンさん、実はご相談がありまして……」
やや緊張しつつ話しかける。すると、依然と変わらない調子で返事が返ってきた。
「お、嬢ちゃん、久しぶり。頑張ってるようだな」
安心した私は、本題に入ることにした。
「はい、おかげさまで。そろそろ魔石を購入しようと思いまして、ジンさんにアドバイスをいただけたらと……」
「いいぞ、一緒に見に行くか? 俺も買わないといけない物があるし」
思わぬ提案に心が弾み、声のトーンが上がる。
「本当ですか? ありがとうございます」
冒険者組合を後にして、製造特区の商店街へ一緒に向かう。
そこでは、年末大セールが行われており、ブーツとセットになった物が、金貨五十枚で売られていた。
「この大きさでこの値段は安いが、使いこなせる奴いるのか?」
ジンはそう言った後、魔石を丹念に吟味しながら呟く。
「発動までに時間がかかるから、大きすぎるのは足には向かないんだよな……」
「これ、試してみてもいいですか?」
私は店主に尋ねた。
「どうぞ」
返事を聞いて、ブーツを手に嵌め、空に向けた後、魔力を込める。すると、瞬く間に突風が巻き起こった。
それを見たジンが叫んだ。
「す、すげぇ……嬢ちゃん、これ買いだ、買い!」
興奮しているジンとは裏腹に、あまり好きではない黒色ということで思わず口に出る。
「でも、これ色がなぁ……」
「そんなもん、染め直せば済む話だ。これ逃したら後で死ぬほど後悔するぞ」
その意見を聞いて、決断した。
「じゃあ、私、これ買います」
店主に代金を支払って、ブーツを受け取る。
その後、出かける前に聞いていたジンの買い物につき合う。そして、それが終わると、屋敷に戻るため停留所へ向かった。
到着して馬車を待っていると、ジンが衝撃の一言が放った。
「嬢ちゃん、言い忘れてたんだが、俺、今年いっぱいで東の街に戻るんだ」
「えっ、そうなのですか?」
突然の言葉に、目から自然と涙が溢れる。
「おいおい、泣くなよ、今生の別れでもあるまいし……」
うつむく加減の頭をぽんぽんと撫でられた。すると、過去にあった冒険者組合の出来事を思い出し、涙が止まらなくなる。
「くすんくすん」
泣いていると、頭を温かく包み込む感覚が訪れ、しばらくして落ち着きを取り戻す。そして私は仮面を外し、感謝の念を込めて、ジンに深々と頭を下げ、礼を述べる。
「今までありがとうございました。どうぞお元気で」
別れ際、馬車に乗る前に、ジンは小さな袋をそっと渡してきた。
「ジンさん、これは?」
「今日、買い物に付き合ってもらった礼だ」
「そんな、まだローブのお礼も済んでいないのに……」
「ん? そんなこと、あったか?」
ジンとやり取りしていたところ、御者が告げる。
「すみません、そろそろ発車いたします」
「おお、すまん」
ジンはそう言って、馬車のドアを閉める。そして少し後ろに下がり、大きく手を振りながら叫んだ。
「じゃあな、嬢ちゃん、達者でな」
「ありがとうございました」
出発した車内の窓からそう言い、ジンが見えなくなるまで手を振った。そして、渡された小さな袋を開けてみる。
中には赤、白、黄色、オレンジ色の花が付いたガーベラの髪飾りと、一枚の紙が入っていた。
「挑戦、純粋、親しみやすい、冒険心か……、ジンさん、おしゃれだな……」
感傷に浸りながら、次に紙を広げて目を落とす。
「ぶっ、あはははは」
それを見て、あまりの馬鹿馬鹿しさに、それまでの悲しい気持ちはすべて吹き飛び、思わず噴き出した。
紙には「嬢ちゃん、扉は押すんだぜ」と書かれていた。
しばし笑い、落ち着いた後、静かに呟く。
「ジンさんらしいな……」
年が明け、ジンが去った冒険者組合は、何も変わらず時を刻んでいる。
そして、私は教えを胸に刻み、今日も元気に扉を押すのであった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
この作品は処女作で自信がなかったため、批評対策ネタを取り入れて執筆した、ギャグコメディです。
カクヨムでは、別バージョンで掲載しています。
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